◎ 2014年4月13日(日) 森繁久弥・藤山寛美だと思います
二人とも仕事で、戦時中満州で過ごし、戦後やっとの思いで帰国した。この戦時中の
死に直面したことが、限りなく大きな人間に育て上げたのではないかと思います。
森繁さんの哀愁をおびたゴンドラの歌や知床旅情の歌は、男もしびれる間合いと、旅愁
を奏でます。また、藤山さんのあの何とも言えない阿保面と口調は体に染みついたおか
しさをかもしだしていました。
森繁さんの駅前シリーズや社長シリーズは何とも言えない男のロマンを感じました。
宗右衛門町の夫婦ぜんざいでもすばらしい演技をされました。
藤山さんの「遊ばん芸人は花が無うなる」という母親の家訓を守り、夜の町を金に糸目を
つけず豪遊したそうです。そのため、戦後の上方を代表する遊び人として多くの逸話を残
したそうです。そのため、寛美が自己破産と松竹新喜劇をクビになった。
これを知った渋谷天外は、寛美に「アホ借金なんか作りおって」と一喝したそうです。
この師匠の渋谷天外も脳出血で倒れたこともあって、寛美の負債を立て替えに、再び舞台
に戻すことになった。
復帰後の寛美は文字通り松竹新喜劇の中心人物になった。抜群の技巧もさることながら、
色気と芸脈を受け継いだのだ。
森繁さんは、西宮の今津小学校に何度も足を運ばれ講演されたそうです。(小学校時代
数年、お住まいになられたことによるそうです。)
『人生はピントキリだけ知ればいい』 真ん中というのは普通に生きていれば嫌というほど
味わえる。酒だけでなく、仕事でも、人間関係:でも、あらゆる物事は、ピンとキリをちゃん
と知っていれば自然と真ん中も知るようになってくる。
高くて美味しいお酒を、いつでも飲めるような人間になれと息子さんに言い残したそうです。
のんきのんきのへっぴり爺さんより