◎2012年10月24日(水) 「日本の再生にはもう1度苦難も」 「日本人の幼児化」
● 「生の出発点を見失ったままに」--砂漠が教えるもの
砂漠はすべての人に生きるための水を与えたりはしない。・・人間はどこから来たか、
どこから出発したか、を私はいつも考える。
戦後50年間に、人間はこの生の根源の姿と生存を継続するための苦さを全く考えな
くなった。1っぱいの水をだれが飲むかということーー自分が飲めば相手が死ぬ、とい
う原則など考えたこともない。水は常にいくらでも飲め、生命は継続して当然というこ
とになった。
● 利己主義が生んだ戦後教育
日本人の精神が、1部の人たちの間で崩壊しかけている、と言われだして、その現
象はますます顕著になっている。
その源ははっきりしている。教師は労働者だと言い、先生も生徒も平等だ,などとい
う思想を、いかにも新しい日本のあるべき姿のように振りかざした日教組的教師た
ちの姿勢である。
戦後の日教組教育は「市民の義務は権利を要求することだ」と教え、「自分の不利
益にはだまっていないことだ」と訓練した。
その結果、日本人には「大人のくせして」与えられることばかりを期待して、人には
与えることをしない精神的幼児と、もらうことばかりを堂々と要求する精神的乞食
が溢れたのである。
この現象は、若い者ばかりではない。壮年も老年も同じだ。・・・
すぐ「きれる」子供たちは、自分自身で自分を教育することに失敗したグループで
ある。
☆ 日本人へ
日本は世界でも有数の、長期の平和と物質的豊かさを誇ることの出来る国にな
ったが、その目的に到達すると共に、自身で考える力、苦しみに耐える力、人間
社会の必然と明暗を、善悪を超えて冷静に正視する力を失った。・・・
学校は個人の所有物ではない。多数が共存することは、時に喜びであり、時に
苦悩である。共存は、強制と自由、規律と寛大の、苦悩の歴史を編み続ける。
故に一人のこどものために、他の子どもたちの多くが学校生活に危機を感じたり
厳しい嫌悪感を抱いたりするような事態にしてはならない。当然のことながら、
きわめた個性的な子どもには、個別の配慮がなされるようにする。
教師は、改めて徳と知識の双方を有して欲しい。そのために、教師自身が絶えず
勉強を続けルことが望まれる。生徒と保護者は、その結果として、教師に人格的
権威を自然に感じるようになるのが理想である。・・・
今までの教育は、要求することに主力をおいたものであった。
しかし、これからは、与えられ、与える ことの双方が、個人と社会の中で温かい
潮流を作ることを望みたい。
個人の発見と自立は、自然に自分の周囲にいる他者への献身や奉仕を可能にし、
さらにはまだ会ったことのないもっと大勢の人々の幸福を願う公的な視野にまで
広がる方向性を持つ。
そのために小学校と中学校では2週間、高校では一ヶ月間を奉仕活動の期間と
して適用する。・・・
やや強制的な奉仕活動は、すでにあちこちの学校や団体がやっている。だから、
そのまましたい人だけすればいいのではない。
20歳になったら、「義務奉仕」の期間を最低一年作ることだ。その間に、肉体的
訓練をし、刻苦不満に耐えられる体と心を作り、併せて身障者や独居老人の介護
方法を教え、時には彼らと住み、災害地への派遣、清掃などの勤務もさせる。・・・
● 日本人は本来はすばらしい素質を持っている。難しい問題を与え、訓練すれば
自ら打ち込んでそれをこなす人がほとんどだ。これほどの誠実、これほどの勤勉
がどこにあるか。・・・・