「一瞬」というものをここまで意識した日は初めてです。
なので今日のテーマは「一瞬」。ふたつ話をします。
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今日で最初である上に、今日で最後かもしれない縁。
そういう一瞬の縁。そう多くあるものでもないですが。
まさに一期一会という言葉にふさわしい縁は、
刹那の時ではあれど、自然と深いものになるかと思います。
一方、ケータイや mixi などでいつでも話ができるような縁。
実に長く繋がっていられる縁ですが、そういう縁というのは
どうしても「長く細く」になってしまいがちです、僕の場合。
いつでも話ができるという油断から、逆に話をしなくなる。
そして長い縁もいつか途絶え、その縁から得たものは
刹那ながらも深い縁となったモノよりも少なくなってしまう。
一見「いつでも…」と思える縁にも、もっと注意を払って、
深い縁を築いていくことで、より多く得るものがあるのかな…と。
今日はそんなことを不意に想うような、深い深い縁に恵まれました。
とても充実した日だったと思います。ありがとうございました。
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さて…。
一瞬というと、写真も世界の一瞬を切り取るモノ。
その写真なのですが…今日は深い縁をいただいた日であると同時に、
今日が初対面という方から「写真 1 枚持ってきて見せて」と、
シンプルながらに難しい頼まれ事をされて帰ってきた日でもあり。
「1 枚」です。世界の一瞬を切り取ったモノ、それを 1 枚きり。
複数持っていっても怒られはしない気もする相手さんなのですが、
ここはあえて「1 枚で勝負できる写真」という視点で選びました。
写真 1 枚で映す「一瞬」とはどうありたいか。
どうあるべき、というよりはどうありたい、という主張的なモノ。
その一瞬は、今、この瞬間により近いものでありたい。
その一瞬は、観る人にチカラを与えるものでありたい。
その一瞬は、この世界の素晴らしさを伝えるものでありたい…。
この写真なら全てを満たせると思った写真は、「1 枚」でした。
選んだ写真の大伸ばしは、明後日、都内某所に持ち込む予定です。
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「一瞬」の話題がふたつ、同じ日に起こったのは偶然か必然か。
なんとなくながら、運命の必然だったような気がしています。
なので今日のテーマは「一瞬」。ふたつ話をします。
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今日で最初である上に、今日で最後かもしれない縁。
そういう一瞬の縁。そう多くあるものでもないですが。
まさに一期一会という言葉にふさわしい縁は、
刹那の時ではあれど、自然と深いものになるかと思います。
一方、ケータイや mixi などでいつでも話ができるような縁。
実に長く繋がっていられる縁ですが、そういう縁というのは
どうしても「長く細く」になってしまいがちです、僕の場合。
いつでも話ができるという油断から、逆に話をしなくなる。
そして長い縁もいつか途絶え、その縁から得たものは
刹那ながらも深い縁となったモノよりも少なくなってしまう。
一見「いつでも…」と思える縁にも、もっと注意を払って、
深い縁を築いていくことで、より多く得るものがあるのかな…と。
今日はそんなことを不意に想うような、深い深い縁に恵まれました。
とても充実した日だったと思います。ありがとうございました。
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さて…。
一瞬というと、写真も世界の一瞬を切り取るモノ。
その写真なのですが…今日は深い縁をいただいた日であると同時に、
今日が初対面という方から「写真 1 枚持ってきて見せて」と、
シンプルながらに難しい頼まれ事をされて帰ってきた日でもあり。
「1 枚」です。世界の一瞬を切り取ったモノ、それを 1 枚きり。
複数持っていっても怒られはしない気もする相手さんなのですが、
ここはあえて「1 枚で勝負できる写真」という視点で選びました。
写真 1 枚で映す「一瞬」とはどうありたいか。
どうあるべき、というよりはどうありたい、という主張的なモノ。
その一瞬は、今、この瞬間により近いものでありたい。
その一瞬は、観る人にチカラを与えるものでありたい。
その一瞬は、この世界の素晴らしさを伝えるものでありたい…。
この写真なら全てを満たせると思った写真は、「1 枚」でした。
選んだ写真の大伸ばしは、明後日、都内某所に持ち込む予定です。
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「一瞬」の話題がふたつ、同じ日に起こったのは偶然か必然か。
なんとなくながら、運命の必然だったような気がしています。
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