令和3年4月5日、人生の処方箋
[なぜレッテルを貼るクセがあるのでしょうか]
日本はオリンピック開催地。決定の時に、オモテナシのことばがもてはやされました。
しかし、人間には両面があることを改めて知らされることになりました。良いことを思いながら、悪いことをしてしまう。悪いことを思いながら、良いことをしています。
本来、『人間は善でも悪』でもありません。その環境や大衆心理で引き出されてしまいます。コロナ禍では見てもいない確かめてなくても、差別というレッテルが貼られます。思わぬことから人間性があらわになってきました。
かつて、私は人権関係の運動に携わっていました。『どこで生まれたか』『病気』『仕事』『家庭環境』など、このような社会的弱者に、それだけでレッテルを貼る人います。
貼る人も妙な正義感を発揮して、マスク警察などと呼ばれたものです。
『差別見』を誰もがもっていて、それを縁のない人にはお構いなしにレッテルを貼るのです。でも、『どうしてだろうか?』『なぜなの』と疑問を抱き手を取りあって行く道を探る、のが本来の天地の道です。オモテナシの精神は天地の精神でもあります。
コロナ禍をきっかけに、オモテナシの優しさを自覚したいものです。やります!
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