31・3・16、神と運命 [下を見るより、天を見よ]
江戸時代の、身分制度の言葉と誤解されないように。上みて暮らすより、下みて暮らせと、差別の言葉がありましたね。
天は『人間世界を突き抜けて、幽なる世界から、神は常に見守ってくれている』ことを、
下は、『迷いの淵をさまよう、悩ましい日々の姿』だと、表現されています。
冗談で、そんなに下を見てあるいても、金は落ちてないなどと、チャカされたものです。
悩み、苦しみは、体に現れます。本人は気ずかず、顔はどうしても、頭の重さで下がりますね。気力が萎えているからですね。というのは、『体の問題ではなく、心の重さのこと』を言っています。神は、救いの手を差し伸べているのに、本人たちが下を見ていたら、助けようがありません。
こうも、言われてます。[神は、必ず、天のごとくあれと諭し給わん]
見上げてみると、『青いすき透る大空のように』『おおらか』で、『天の大地を慈しむ恵みのように』『囚われず、悩まず、こだわらず、明朗、快活』なのです。
『ここを、見よ。ここを、真似よ』
『とにかく天に頭をもたげて見よ』必ず神の救いありです。
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