天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

見えないとき

2020-10-12 12:44:00 | 運命の認識
令和2年8月22、
[人は見ゆれど 我は見えず]

このことばは、昨日の焦点をさらにしぼったものです。
自己中心の恐ろしさは、自分自身がわからないことにあります。
若い頃は仕事の責任感でいっぱい、いっぱい。家庭も周りの人間関係も見えなかった時代がありました。

しかも一人前の顔をして、人のつまらないところばかりが目につき、手に取るように見えて指摘したこともありました。
それだけでなく『自分の性格の欠陥は見事に棚上げ』平気でいたものです。

これを自分の『我から出た、評価の偏見』です。これで自分自身を悩ますことになります。私は危うく死病に取り憑かれ、この世をおさらばするところまで追い詰められました。

その時に子供に教えられ『黄金のつえ、やりますのおかげ』で蘇りることができました。

自分自身を道の鏡に照らし、己が人格を、[やります]もって浄化させられたものです。
『人が見えない』ということは、ひどい目に遭うものですね。
でも大丈夫です。変われば変われるもの。やります!

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