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31・3・5、信仰とは [信仰は、さながら水の流れの如し]
流れているから、水は清いのですが、いったん堰き止めれば淀んで、やがて腐敗するようになちます。
信仰も自分だけの喜びにとどめていたのでは、その喜びも冷めるに連れて、いつか喜びは悲しみに変わってしまいます。だからこそ私たちは、助かった喜びに安住するのではなく〈助けて助かる〉という、信仰こそ、水の流れのようにと、表現するのです。
自己満足の幸福健康は、やがて、明日の不安に囚われてきます。
ひとりの幸せに、安心して喜びに浸るわけにはいきません。必ず壁がやってくるからです。
『人のために尽くし』『人を助け、人をみちびき』『人のよろこびを、偕によろこぶ』その心は魂の歓喜というものです。
それは、けして消えることはなく、徳として積まれ、子供、孫の代までに、及ぶものです。
これを水の流れといえましょう。御神尊様は、今日、ただ今の運命に、一喜一憂するのではなく、先の先、末代まで、心の眼(まなこ)を向け、只今の信仰を施愛の実践に捧げよと、いわれます。
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