*2010年初夏に書いた雑文です。書き直し雑文、期間限定公開です。
最高気温25度。
アップル社の携帯情報端末「ipad」が日本でも販売され、大きな話題となってますね。
もうひとまわりボディを小さくし、
防水性と耐ショック性能にすぐれた野外仕様の「ipad」があれば、僕もほしいと思います。
野外仕様の「ipad」は、山、川、海でフィールドワークをする時に、なかなか使えそうです。
今までは、背中のザックが、数種類の図鑑類でふくれ、重くなってしまった。
しかし、「ipad」なら、ボーダイな情報や画像をコンパクトに携帯できるので、身軽になるし、
樹木の名前、生き物の生態、特徴などをスバヤク調べることができ便利そうです。
「ipad」は、ネイチャーガイドをするときも、
その場で、参加者に画像や音を使った説明が出来るので、とても役にたちそうです。
だけど、野外でこのような便利な情報を携帯するときは、気をつけないと便利な反面落とし穴も。
それは、「頭は知っているつもりになり、体とココロでの感じかたが浅くなる」というコト。
便利な情報がすぐそばにあることで、それにたより安心し、
実際に目の前にある物、現象をよく観察せず、感じず、なんとなく知ったつもりになってしまう。
「だいたいで覚えておけば、あとでいくらでも調べられるさ・・・」
しかし後には、薄い記憶しか残っておらず、知ったはずの名前もうろ覚えでしかなかった、という結果に。
それは、自然観察会などの参加者が「この花の名前は?この木は何て名前?」と、
ガイドに無邪気に質問するけど、あとで聞いてみると、
参加者は、聞いたものの名前をあまり覚えていない、というケースと少しにています。
僕がその落とし穴に落ちないように気をつけていること。
それは例えば樹木の場合。
まずはフィールドノートに、葉、花、樹形、樹皮の特徴をメモし、スケッチする。
そして、触り、匂いをかぎ、五感も使いその樹木の印象を記録&記憶する。
それから、その場では「テキトーな名前」をその木につけてみる。
実際に図鑑とその木を照らあわせるのは、そのあとに。
そのようなやり方をすると、比較的、その木の名前や特徴は記憶に残りやすいようです。
(その後・他の人に説明する・書き出す、などアウトプットするとより効果的に)
まぁでも、僕の場合は、もっと根本的なモンダイがあって、
それは、「三歩歩いたら忘れてしまう、鳥頭」ってコトなのでした。
「知ることは感じることの半分も重要ではない」
海洋学者で作家でもあったレイチェル・カーソンさんは、
その著書「センス オブ ワンダー」中でこう言っています。
『妖精の力にたよらないで、
生まれつきそなわっている子どもの「センス オブ ワンダー」をいつもたもちつづけるためには、
わたしたちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを子どもと再発見し、
感動を分かち合ってくれる大人がすくなくともひとり、そばにいる必要があります。
多くの親は熱心で繊細な子どもの好奇心にふれるたびに、
さまざまな生き物たちが住む複雑な自然界について自分がなにも知らないことに気づき、
しばしば、どうしてよいかわからなくなります。
そして、「自分の子どもに自然のことを教えるなんて、どうしたらできるというのでしょう。
わたしは、そこにいる鳥の名前すらしらないのに!」と嘆きの声を上げるのです。
わたしは、子どもにとっても、どのようにして子どもを教育すべきか頭をなやませている親にとっても、
「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。
子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生み出す種子だとしたら、
さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。
幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。
美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものにふれたときの感激、
思いやり、憐れみ、賞嘆や愛情などのさまざまな形の感情がひとたびよびさまされると、
次はその対象になるものについてもっとよく知りたいと思うようになります。
そのようにして見つけ出した知識は、しっかりと身につきます。
消化する能力がまだそなわっていない子どもに、事実をうのみにさせるよりも、
むしろ子どもが知りたがるような道を切りひらいてやることのほうがどんなに大切であるかわかりません』
以上「センス オブ ワンダー」から引用。
カンフーの達人ブルース・リーさんもその極意を、「ドント・シンク!・・フィール」と言ってますし。
結局、便利な情報が身近にあふれていても、それを使う側に、
まずは感じるココロがなければ、それを充分には生かせない、ということかもしれませんね。
「今日の空のようにどんより曇っている僕のココロ」は棚に上げといて・・・。
ぼんやりと5月の空を眺め、そんなことを考えていた午後でした。
「自分のカメラで撮ることに集中してしまって、その瞬間の景色が、心象があまり記憶に残らない・・・」
そのようなコトにはならずに、四万十川を、ツアーを、全身で感じて楽しんで欲しい。
そのような思いから、アークツアーでは、出来る限りこちらのカメラで、皆さんの様子を撮っています。