北京オリンピックも、開幕から一週間が経ちました。
ジャンプ・ノーマルヒルで優勝した小林陵侑選手はお見事でありましたが、スピードスケート女子1500mで絶対的本命と言われていた高木美帆選手は銀メダル、今度こそと思われた女子ジャンプの高梨沙羅選手は風に恵まれることもなく4位に。さらに追い打ちをかけるように、ジャンプ混合団体では、ジャンプスーツの規定違反を宣告されて1回目の大ジャンプの点を失い、こちらも4位に。また、神の領域と思われたフィギュアスケートの羽生弓弦選手も然り。
つくづく思いますが、この大舞台の1回勝負で、きっちり勝つことの難しさを痛感いたします。
特に、滑走順序やその時々の風の影響が大きいノルディックスキージャンプや、アルペンスキーの回転・大回転・複合、また走法違反の基準が難しいショートトラックスケート、そして氷との相性で結果が変わるスピードスケートなど、一度の対戦で勝負をつけるのが難しい競技ばかり。
その昔、1972年の札幌オリンピックのアルペンスキーで、女子三冠を期待されたオーストリアのアンネマリー・モザー=プレルは、滑降・大回転ともに銀で、優勝できませんでした。W杯では年間総合王者を6回も達成した絶対王者でしたが、その最盛期であった札幌オリンピックでは勝てませんでした。
その際、彼女が残したのが「その時、最も強い者が勝てない」という五輪格言。
アンネマリー・モザー=プレルは、この8年後の1980年レイクプラシッドのオリンピックで、ようやく滑降の金メダルを取ることになりますが、既に全盛期を過ぎており、このシーズンを最後に現役を引退しています。
ちなみに、この1980年シーズンの年間総合王者はスイスのマリー=テレース・ナディヒ。8年前の札幌でプレルを破り二冠に輝いた『新星』でした。皮肉なことに、レイクプラシッドの時に最強だったナディヒが、今度はプレルに敗れるという役回りに。「その時、最も強い者が勝てない」という五輪格言を、今度はナディヒ自身が証明した形になりました。
北京オリンピックで金メダルを期待されて、それが実現できなかった方々へは、この時のアンネマリー・モザー=プレルの格言を贈りたいと思います。