昭和30年代後半から40年代前半の大相撲、まさに大鵬と柏戸の両雄が並び立っていた大相撲の黄金時代に、疾風の如く現れた、小兵横綱がおりました。栃ノ海晃嘉その人です。
176㎝で100㎏そこそこの小兵力士ですから、その身上はスピードと技の切れ味。前みつを両手でしっかり掴んで一気に寄る。あるいは、追い込んだ上で、鮮やかな出し投げや切り返しで、相手を仰向けにしてしまう。小兵であるが故に身に着けた「勝利のための型」でありました。
ここで登場するのが、いつもトンチンカンな意見を繰り出し続ける「横綱審議委員会」。小兵力士ながら、スピードと切れ味で横綱まで上り詰めた栃ノ海に対して、「横綱になったら、がっぷり四つで相手を受け止めるような相撲を!」と要請してきます。
がっぷり四つは、小兵力士の良さを殺す戦術であり、全くトンチンカンな要求なのですが、双葉山を範とする当時の相撲の理想像から、俄か相撲ファンで、かつ素人集団の横審の方々は、よくそんな主張をしていたもんでした。
結果、無理をしながらの土俵となり、直接は「怪我」が原因ではありましたが、このスピードスターの栃ノ海は、短命横綱で終わってしまったのでした。
その後も、突貫相撲を得意とした横綱琴桜なども、同じ理由で短命に終わっていますが、こうした悲劇を避けるべく、所謂「星の借り貸し」あるいは「星の売買」と言われる「無気力相撲」が蔓延る原因となりました。
この「無気力相撲」が撲滅されるのは、相撲協会が何度も苦しみながら、結果的には数年前の元貴乃花親方による改革騒動まで待つことになります。
元横綱栃ノ海の逝去の報に接して、まず思い起こされるのは、上記のエピソードです。小兵横綱として、短い間ですが、輝きを示した名横綱でした。安らかにお眠りください。合掌