東京に行った際、東京駅で少し時間があったので、近くの美術館を探したらここがあった。
『にんげんだもの』
20代の頃、仕事でミスをして落ち込んだ時、そのことを友人に電話で話したら、しばらくして送られてきたのがこの本だった。
なんというか、しょぼーんとしている私の横に並んで座って、「まぁ、ねー、あるよねー、落ち込むよねー」と一緒に落ち込んでくれたり、一緒にとぼとぼと歩いてくれるような本だった。
その後、相田さんの作品はメディアでどんどん取り上げられて有名になっていき、そのうちこの本を開くこともなくなっていった。
今回は、「30数年ぶりに会った知り合いがむっちゃ立派になっていた」といった感じの美術館訪問だった。
丸の内南口の改札を出て、徒歩10分。
東京国際フォーラムの地下1階にある。
地下道からも行けることが帰りにわかった。
立派な場所に飾られていたけれど、どの作品もあの頃のように気持ちに寄り添ってくれることを再確認した。
というか、若いころは感覚で感じ取って慰められていたが、今はより深いところ、諦観についてようやく共感したというか…。
詩の中で時々打ち明けているように、人物が高潔でないところも「『にんげんだもの』ねー」と距離が縮まった。
相田さんの作品について批判はいろいろあるようだ。、
達筆なのになざと下手に書くのはどうなのか、とか
わかりやすい言葉を並べただけ、とか。
この上の詩、お手本のような達筆で書かれたら、どう感じるのかな。
かすれ具合を見て、ルイ・アームストロングの声を思い出した。
彼のあの声だから持ち味倍増になったり魅力が醸し出される歌って多い。
相田さんも、きれいな声じゃなくて、絞り出すようなだみ声で、思いを伝えたかったんじゃないかな。
わかりやすい言葉であることへの批判は、私はちょっと共感できないが、
難しい言葉を使いこなすことに挑む人、わかりやすい言葉にしようともがく人、「みんな違ってみんないい」(金子みすゞ)。
久しぶりに出会った知り合いは、いろんなことを教えてくれました。