一週間経ち、大分落ち着いて来たので、筆を取った。
ことの始まりは「e+」での先行チケット販売であった。
以前、初日舞台挨拶の映画チケットが先行販売でも外れ、一般販売開始後数秒で、目の前で売り切れて悔しい思いをしたことがあったので、メールの案内に従ってチケットを申し込んだ。
数日して、当選の通知が来た。そこに記載されていた座席番号は「O-6」だった。
「『ゼロの6』?いや、『オーの6』だな。Oって、どのへんだよ。ABCD・・J」
指が足りなくなったところで、数えるのをやめた。
がっかりした。数えるまでもなく、末席だ。
「必ずしも良い席を保証するものではない。」との、但し書きがあったのは承知の上だが、これは、ひどい。
先行販売と称して、末席を売り抜けている。と、思われてもしょうがない。
舞台というものを観に行ったことがないので、ひょっとすると、良い席なのかもしれない。。。
いや、そんなはずは、ないよな。
ひょっとすると、チケット入手が困難な人気公演で、手に入っただけでも、奇跡なのかもしれない。
そう、言い聞かせて代金を支払った。
しばらくして、一般販売が始まったが、やはり、いくらでも良い席が空いている。
6,800円の舞台を2度見る余裕はない。
「なんか、もー、どーでもいーや。」
公演直前に、まだ、チケットの発行が済んでいない旨のメールが届いた。
ちょっと前にも来ていたのだが、もう、コンビニで代金を払っていたので、なんのことか解らずに放ってあった。
念のため、手元のチケットを確認すると、どうやらもう一度コンビニに行って、チケットを発行してもらう必要があるようだ。
なぜ?
全く分からない。
わざわざ手間をかけて、手数料のみ取ろうしていると思われても、しかたがない。
しょうがないので、コンビニに行こうとして、メールに書かれたチケット交換期限が、(錯覚なのだが)もう、切れているように思われ、やるせなくなった。
「なんか、もー、どーでもいーや。」
気を取り直して、チケットは入手したのだが、当日の朝になっても、気が晴れない。
本来なら、ワクワクするはずなのだが。
下北沢。始めて降りる駅だ。
ヤケに、人が多い。
苛立ちが募る。
入場して席に着くと、やはりそこは、後ろから2番目か3番目くらいだった。
「本多劇場は後ろの席でも見やすい。」とのネットの書き込みを読んでいたが、なるほど。ではあった。
いくらか落ち着いて来た。
演劇が嫌いなわけではない。
限られた空間で、限られた舞台装置/照明を工夫して、客に魅せる。
様式美というのとは、ちょっと違うと思うが、そう言った在り様が好きだ。
作品は、十分に面白いものであった。
出演している役者さんも、皆、好きなタイプだ。
主演の方。・・・すみません。誰だか解りません。
市川実和子。あれ?アナザヘブンの時から、全然変わってない。(いや、演技ぢゃなくて、容姿です。)
キンコメ今野。キンコメ時代から、凄く好きです。
HPの写真の印象とは違い、満島ひかりの役は、いかにも満島らしい役であった。
ハマり過ぎ。いや、敢えて言うと「満島ひかりという型」にハマり過ぎている。
何かがおかしい。
満島ひかりが舞台を演ったら、こんな感じじゃないかな?
という、そのままだ。
舞台装置の使い方、演技の流れ、途中にあるちょっとしたイベント。
なんか、何もかもが、「舞台って、こんな感じ?」という漠然とした想像の枠組みの中で進んで行く。
デジャヴとも、ちょっと違う。
客席の少し上の方から、観ている自分を含めて、劇場全体を俯瞰しているような印象が拭えない。
そうだ。これは、臨死体験だな。
多分、座席がかなり上の方。通常なら、天井に張り付いていなれば得られないようなアングルでの観覧であったためであろう。
ひょとすると、過去に臨死体験をしたことがあり、その感覚がデジャヴとして感じられたのかもしれない。
死期が近いのか。
ドッペルゲンガーは、既に見られている。
会社のオフィスは2Fと5Fに分かれているのだが、エレベータを待っていると、ちょうど入れ違いに下から上がって来た娘に、「え゛っ!!」と、凄くびっくりされた。
「何?」
「いや、たった今まで、下に居ましたよね?」
「いや、今日はまだ下には行ってないよ。誰かの見間違いだろ。」
「だって、今まで、話してたじゃないですか。」
「怖いこと、言うなよ。」
「パソコン持ってウロウロしてましたよね?」
確かに、部署が違うので、2Fでパソコン持ってウロウロしているのは、私ぐらいかもしれない。
幸か不幸か、私が2Fに着いた時には、もう、私はいなかった。
だが、パソコンを持ってウロウロしている人も、いなかった。
・・・
何が書きたかったのか、解らなくなって来た。
昨年から、夏休みは一斉休業になった。
お盆の月曜から水曜まで。土日を入れて、5連休だ。
仕事が忙しくて、最終日しか休めなかった。
せめて、なにか夏休みらしいスペシャルな事がしたくて、以前買ったまま開封していなかった「モテキ」のBlu-Ray BOX を観た。
何度観ても素晴らしい。
このドラマで一番不思議なのは、途中で入って来るダンスシーンとか、マンガのような演出とかに、全く違和感がないことだ。当たり前のようにそれが始まり、当たり前のように、次のシーンに繋がって行く。
普通だったら、何がしか、取って付けたような感じになるはずなのだが。
「鎌塚氏、すくい上げる」を観ていて、あぁ、あれは、演劇的な手法だったのか?
と、思った。(いや、独自に発明したのかもしれませんが。)
そんな思いもまた、既視感を体験する一助となっていたのかも知れない。
観覧後も、イマイチ気が晴れなかった。
生で彼女の演技を観たことにより、返って疎遠感が高まってしまった。
ドラマや映画で観る場合には、感情移入するのはその役であるし、素晴らしい女優さんだ!との、称賛の思いを抱いた所で思考が止まる。
だが、目の前で彼女の実在を感じてしまうと、演じている内容とは別に、そこにいる彼女のリアルで充実している人生が感じられ、自分との違いを見せつけられてしまうからであろう。
充実した人生を送っている人を見ると、「いいなぁ。」と思う。そこで考えを止めていれば、その充足感の一部が、こちらにも伝わって来て、良い気分になってくる。
「それに引き換え」と、考えを進めてしまうと、どうしても自分を卑下するような、マイナスな思いに囚われてしまう。
やはり、休養が必要なようだ。
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