未来技術の光と影。
SIYOU’s Chronicle




今回の問題で、過剰に反応している人の意見を聞いてみると、

「政府発表は信用できない。」

というものが大半である。

普段から、政治絡みの報道では、信用できないものが多いのは事実だ。

だがそれらは大抵、一議員の弁明であったり、政党の見解であったりする。

また、薬害エイズ問題を始め、過去の公害問題などで、政府発表に実態を隠蔽する意思が働いてしまったことがあるのも、また事実である。

だが、だからと言って、政府発表は全て何かを隠すために間違った情報を伝えており、ネットに反論があれば、それが全て正しい。

と思うのはどうであろうか?

少なくとも、今回発表されている、農産物から検出された放射線濃度の測定値については、全くの事実が伝えられていると思って間違いない。

全てについて測定しているわけではない。具体的な測定方法が不明なので、正しいかどうか判断できない。

などの反論があるようだが、この数値自体を疑っている者は少ない。

ほとんどの者が、それから導き出された政府の対応「『直ちに健康被害が出ない』『将来にわたって健康に影響を与えるような放射線量を受けることにはならない』と言いながらも、『こうした状況が今後も継続することが想定されることから、いまの段階でできるだけ摂取しないことが望ましい』として、出荷制限、摂取制限を実施していること」に不安を覚えている。

「安全であるならば、『出荷制限』『摂取制限』をする必要がないはずだ。それを実施するのは、危険があるのを、隠しているからに違いない。」と。

だが、そうであろうか?

今回の問題は数値がはっきりと発表されてるいので、検証がしやすい。また、発表されている数値自体には、大きな疑問を投げかけている人が少ないので、誤差はあったとしても、政府が意図的にコントロールしているとは、考え難い。

恐らく、政府が今回の施策の判断基準にしているのも、発表されている数値であろう。

私の考えでは、全く危険性はない。その理由は、下記の記事の内容から判断できると思う。

政府発表がウヤムヤなのは、万が一にも将来に何か起こった時に、責任を取るのがいやだから。で、ある。

それは、政府に限らす、マスコミ各社にも当てはまる。

こういう状況では、「安全である。」と言う方にリスクがある。

「大丈夫だ」と言っていて万が一にも何かが発生した場合、関連性がはっきりと提示されなかったとしても、世間は彼を糾弾し、損害賠償を求めるであろう。

「危険だ」と、断言してしまえば、それはそれで問題があるであろうが、「恐れがある」と言っておけば、全く何事も起こらなかったとしても、彼を糾弾する者はいないであろうし、損害賠償を求めるものも現れない。

政府発表が信用できないのであれば、自分でちゃんと調べて欲しいし、それが面倒なのであれば、少なくとも、政府・マスコミの発表に含まれたニュアンスを感じ取れるようになって欲しい。

「何か隠しているのよ。出荷停止になった地域の農産物は、全て危険に違いないわ。」
「いや、単にみな、腰が引けてるだけだろ。」

と。

ヨウ素は尿で排出 セシウムは筋肉蓄積も心配低い 長崎大・山下教授
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110323/dst11032321290069-n1.htm
 放射性ヨウ素はガス状で、呼吸などを通じて体内に入ると甲状腺に集まり、長期間にわたって蓄積した場合は甲状腺がんなどを引き起こす危険性がある。
 ただし放射性物質の量が半分になる半減期が約8日と短く、尿で排出されやすい。



核医学検査のQA
http://www.fmu.ac.jp/home/radtech/RI/RI_QA.html
Q16 患者さんは、放射線をどのくらいうけるのですか?
核医学診療の安全性
核医学検査を受ける患者さんは、放射性医薬品を投与されますので、ある程度の放射線被ばくがあります。核医学検査 1回あたりの被ばく量は、0.2~ 8ミリシーベルトで、エックス線検査と大きな違いはありません。核医学検査は、わが国全体で年間 180万件以上実施されていますが、放射線障害の事例は発生していません。また、最近 5年間の副作用調査によりますと、核医学検査 10万件あたりに 2.1~ 2.5件と、ごくまれに副作用があるという報告があります。副作用の内容は、発疹、嘔気、悪心、皮膚発赤、顔面紅潮、掻痒感出現などで、軽微又は中等度の副作用です。これらは、放射線による影響ではないことが確認されています。


(中)農産物の暫定基準値は、体に影響する数値の0・00005%
http://sankei.jp.msn.com/science/news/110322/scn11032218000005-n1.htm
 私たちは普通に生活していても年間約2・4ミリシーベルトの自然放射線を受けているが、暫定基準値レベルのヨウ素なら、その0・21%。さらに、一般に人体に影響する線量は、一度に約100ミリシーベルトとされているが、それに比べると、わずか0・00005%にすぎない。


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買いだめ自粛呼び掛けを=消費者団体に要請―蓮舫担当相(時事通信) - goo ニュース
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/politics/jiji-110317X350.html
 蓮舫消費者担当相は17日、消費者庁で消費者団体の代表らと会い、東日本大震災後に首都圏の店頭でも日用品が品薄になっている状況に関し、「品物が足りないのではない。震災前よりもむしろ供給は増えている」と述べ、消費者に買いだめ自粛を呼び掛けるよう要請した。

首都圏での給油待ちの車に因る渋滞が、未だ続いている。

漠然と、3連休の間には解消されるのでは?と、思っていたが、甘かったようだ。

私は、東京の近隣県に住んでいる。

先日、一つ先の駅まで自転車で買い物に行った帰りに国道を通ると、開店前のガソリンスタンドを先頭に、給油待ちの車が渋滞しているのに出会った。

先頭の10数台ぐらいはハザードを出していたが、段々とそれも見受けられなくなり、途中からは原因不明のただの渋滞と化してした。

既に見慣れた光景ではあった。

「これは、ガソリンスタンドがオープンしない限り、1ミリとも動かないに違いない。」

だが、その日に私が衝撃を受けた事実がある。

その渋滞にタンクローリー車が巻き込まれていたのである。

いつも、いい加減なことを書いているので、ネタにしか思われないかもしれないが、これは事実である。

結局、地元の駅へ向かう交差点では、周囲から集まって来た車で、全ての道が渋滞していた。

もしかすると、私が良く見かける渋滞は、ずっと同じものが解消されずに存在していたのかもしれない。

さて、仕事で車が必要な者も多いであろうが、デマに惑わされてこの騒ぎに加わっているものも多いものと思われる。

たぶん「原発が爆発したら車で逃げるしかない。家族を守るために、満タンにしておかなければならない。」と、言ったたぐいだ。

たぶん、「自粛?バカ言ってんじゃないわよ。家族守るために全力を尽くさないで、どうするの?」との電話なりメールなりが、流布されているのであろう。

「行った?」
「○○で10時から販売するらしい。」
「○○は2時間で給油できたらしい。」
など、など。

はっきり言って、彼らは情報網だと思ってメールを廻し、正しい事を言っていると思って、給油を勧めているのであろう。

だが、本当に関東地方から逃げ出さなければならなくなったとして、果たして車で逃げることが出来るのであろうか?

冷静に考えれば、ノーであるはずだ。

皆が満タンで出発するわけではない。

途中でガス欠になれば、給油できるあてもなく、車を放棄するものが出てくる。

そうなれば、一瞬にして、全ての道はマヒする。

恐らく殆どの者は、八王子まで辿り着くことすら出来ないであろう。

関西圏まで辿り着いたとして、そこから何処へ行く気なのか?

旦那不在で出発した場合、連絡をどう取るつもりなのか?

ルートの確認はしてあるのか?ガソリンがどれだけ必要か、確認してあるのか?確保してあるか?

それまでの食糧や必需品の確保は出来ているのか。

途中の道すがら、調達することは不可能だ。

それらを検討することもなく、ただ、ガソリンだけ給油したとしても「家族を守るために、私は全力を尽くした」との根拠のない満足感が得られる程度だ。

それとも、旦那への当てつけの材料が欲しいだけなのか。。。

ここは、一週間ガマンしよう。

スーパーに物がないのも、被災地の救援が進まないのも、流通がマヒしているからであり、その最大の原因が、給油待ちの車による渋滞であり、次が電車の運休による車へのシフトであろう。

流通がまともになれば、スーパーに物は戻るし、ガソリンも並ばずに給油できるようになる。

その間に関東地方から全員が逃げ出さなければならい事態に陥った場合、ガソリンが満タンの車だけあっても、生き延びることは不可能であろう。

是非、辻褄の合った行動をお願いしたい。

日本がもう少し落ち着いてから、今度はこの経験を生かし、それぞれの準備を始めて欲しい。

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放射性ヨウ素の水道水基準、乳児には厳格化(読売新聞) - goo ニュース
http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/nation/20110321-567-OYT1T00564.html
 厚生労働省は21日、乳児について、100ベクレルを超える放射性ヨウ素が検出された水道水の飲用を控えるように都道府県に通知を出した。
 通知では、粉ミルクを水道水で溶かして乳児に与える場合などに、ヨウ素が100ベクレルを超える水道水を使わないように求めている。

今度は水道水だ。

この程度の含有量であれば、全く問題ないものと思われる。

前回の私の言を借りれば、

「人体には全く影響がない。」と言っているのではない。

「今まで通りの生活には、全く影響がない。」と言っているのだ。

もちろん、記事にあるように、乳児の健康に対する考慮は必要だ。

だが、ちょっと想像して欲しい。

あなたの目の前にコップが2つあり、水筒からそれぞれに水を注ぐ。

片方の水を水槽に入れた所、泳いでいた魚が死滅したら、あなたは残りのコップの水を飲む勇気があるだろうか?

水道水には塩素が含まれている。

前述の例は大げさであるが、観賞魚を飼育している人ならば、水槽の水を交換する際に、水道水を直接使ってはいけないのは常識であり、必ず塩素を中和させる。

水道水に含まれる塩素が、人体に全く悪影響を与えないはずがない。

少なくとも、今日発表されている程度の濃度の放射能が与える影響よりも、既に水道水に含まれている塩素の与える影響の方が大きいはずだ。

でもそれは、国の基準値の許容範囲内なので、安全なのではないか?

今回の放射線濃度は、国の基準値を上回っているので、危険なのではないか?

日本中の全ての水道の蛇口から、病原菌の全く含まれない、塩素も全く含まれない水が出るようなサービスを提供することが、果たして可能なのであろうか?

可能だとして、それにはどれだけの国家予算を上乗せしなければならないのか?

であれば、水道水の安全性は現在のレベルで妥協し、その分をもっと他のことに使った方が良いのではないか?

国家予算は無限ではない。

基本的には、全てのことにおいて、安全性は妥協値である。

現代社会、特に都市部で生活するには、様々なリスクを容認する覚悟をしなければならない。

もちろん、リスクを軽減する努力は必要だ。

その努力の中には、情報を正しく判断する努力、正しい判断を下せるための基礎的な知識を習得する努力などが含まれる。

アトピー性皮膚炎に苦しむ子を持つ親など、現時点でも安全な水を入手するために、経済的/物理的/精神的に多大な努力を費やしている者が大勢いる。

東京電力は今、過酷な状況に立たされている。原発に起因する損害を、全て彼らに賠償させることは出来ない。

賠償額が大きくなればなるほど、彼らが他に回せる資金が減って行くことになる。

首都圏での計画停電による影響は、現時点ではあまり報道されていないが、甚大なものがある。

まだ、一週間が過ぎただけだ。

その間に、計画停電の状況下において、従来通りの経営を継続させる術を見出した企業は稀であろう。

みなが、「そのうち、元に戻るだろう」との、根拠のない楽観的な観測に基づいて、検討を先延ばししているだけである。

電力の復旧だけで、東電の体力は手一杯のはずだ。

それを国がカバーするにも、震災からの復興のために、既に増税が検討されている。

放射能汚染によって直接/間接に被害を受けた農家などは、我々が国民全員で守ってあげなければならない。

少なくとも、「まことしやかな」風評を盲信し、被害を拡大させるだけの過剰反応をしないように心がけようではないか。


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食品から放射性物質、県が出荷自粛求める(読売新聞) - goo ニュース
http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/nation/20110319-567-OYT1T00556.html
 政府は19日、東京電力福島第一原子力発電所の事故を受けて実施した食品のサンプル調査で、福島県川俣町の酪農家が提出した牛乳と、茨城県内の6市町村のホウレンソウから、食品衛生法の暫定規制値を超える放射性ヨウ素などの放射性物質が検出されたと発表した。

茨城県のほうれん草と福島県の牛乳の一部で食品衛生法の暫定基準値を上回る放射線量を検出
http://gigazine.net/news/20110319_spinach_milk/
 枝野氏は、検出された放射性物質濃度の牛乳を1年間とり続けた場合の被曝(ひばく)量はCTスキャン1回分程度、ホウレンソウはCTスキャン1回分の5分の1程度、と説明。「ただちに健康に影響を及ぼす数値ではないということを十分ご理解いただき、冷静な対応をお願いしたい」と訴えた。

風評被害。

いわゆる『デマ』だ。

今回の災害で、様々な『デマ』が流布されている。

ニュースで報道されている以外にも、地元のコミュニティーで交わされるものまで含めれば、どれだけの量の誤った情報が『真しやか』に流布されているのか?

人の力になりたいとの思いがあるものの、間違った知識に基づいているため、結果として害のある情報になってしまったもの。

軽い気持ちで書きこんだジョークが、思わず広まってしまったもの。

愉快犯が初めから悪意を持って、故意に流したもの。

いつの世にもあることではあるが、災害時はその影響は甚大だ。

政府発表にもどかしさを覚えるのは、「食べても全く問題ない。安全である。」と、はっきりと言わない点にある。

それは発表の内容に、一語でもあやふやな点があれば、それを衝き、反論しようとする輩が大勢いるからだ。

反論に一点でも正当性があれば、逆にその者の主張が、たとえ他の部分はまったくの間違いであったとしても、全て真実として伝搬して行ってしまう恐れがあるからだ。

それは単に「可能性がある」と言った程度の懸念事項ではなく、過去に何度も繰り返されている現実である。

政府発表は、あれで仕方がない。

だが、この期に乗じて農家を騙そうとする輩は、既に対象地域に向けて出発しているものと思われる。政府の迅速な対応が望まれる。


以下は、なんの科学的根拠もないし、本件に関して私が専門的な知識を持っているわけでもない。

「こんな考え方もある」程度に読んで欲しい。

「1年でCT1回分」云々の下りは、正確な数値に基づきながらも、安心感を与えようとの苦慮を伺えるが、如何せん解り辛い。

私の解釈では、10年くらいその濃度のものを食べ続けても、『今まで通りの生活には、全く影響がない。』と言えると思う。

「人体には全く影響がない。」と言っているのではない。

「今まで通りの生活には、全く影響がない。」と言っているのだ。

発表されていないが、震災前に普通に流通していた農産物にも、自然界に含まれる微量の放射線が含まれていたはずだ。

それと比べて、どれだけの量であるのか。

今の濃度のものを何十年も食べ続けたとしても、その結果は「ガンになる確率が上がる」程度ではないのか?

今の生産地のものを食べ続けたとしても、含有量は年々減って行くものと思われる。何年か後には、震災前の数値に戻っているはずだ。

影響が出る前に、汚染は消える。

それよりも声を大にして言いたいのは、日常的に煙草を吸っている者が今回のほうれん草を食べたとしても、健康に与える危険度がいったいどれだけ増すと言うのか?

病院の待合室に貼ってあるように、肺の中が真っ黒になるほどの汚染を容認しておきながら、『ベクレル』という聞きなれない言葉、ピンと来ない危険度を、過敏に警戒することのアンバランスさが異様に映る。

それは、喫煙者に限ったことではない。

今までに自分の食べていたものの安全性は、いったいどれだけなのか?

今回の放射線量の食物を摂取したとして、自分の健康上の危険度は、どれだけ悪化すると言うのか?

健康診断などで「酒量を控えるように」と指摘されたものは、自分の健康を心配するならば、「ほうれん草を食べない。」以上に、もっと効果的な対策があるはずだ。

子供の健康を心配するものは「汚染された牛乳を飲ませない。」以上に、「ジャンクフードを控える」など、もっと心配しなければいけないことがあるはずだ。

「運動不足を指摘されているもの」は、自分の体を心配するならば、もっと体を動かすようにするべきではないのか?

これらのことは、ほとんど全ての日本人に該当すると思われる。

「今まで通りの生活には、全く影響がない。」と言ったのは、そういうことだ。

既に抱えてる健康上の問題に、今回の問題が上乗せされたとして、いったいどれだけ危険度が高まると言うのか。

もちろん、放射能汚染を過小評価してはいけない。だが、政府発表を冷静に受け止めて欲しい。

そしてできれば、これを機会に、今までの自分の生活態度を見直してみるのも良いのではないだろうか。


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前から不満に思っていたことがある。

子供が大きくなってから、家族揃って出かける機会が減った。

今は車は、ほとんど週に一回の買い物の時にしか使用しない。

それも、休日のスーパー周辺の道路はとても混むので、あまり乗りたくないのが心情だ。

幸い、家から自転車で5分ほどの所にスーパーがあるので、基本的に車がなくとも、不自由しない。

だが、どうしてもバッテリーが上がってしまうのが気になって、週に一度は無理やり乗るような始末だ。

車検の時期が2月で冬場と言うこともあり、その頃にはバッテリーが疲弊し切っている。

今回は、車検の予約を入れた日の夕方に、エンジンをかけようとしたら、かからなかった。

ディーラーに取りに来てもらい、バッテリーは交換した。

「これって、何とかならないんですかね?」
「バッテリーのマイナス端子を外してもらうしかないですね。」
「それ、車に悪影響とかないんですか?」
「時計がリセットされるくらいですね。」

車種やカーナビなどの電装品によっては、もっと影響があると思う。

ネットで検索すると、
「ECUまでリセットされちゃうので面倒です。特にECUなんかは学習するまで燃料を多めに出すので、燃費悪化は避けられません。」(★ぷりんす村★~エスティマいじり情報サイト

との記述もある。私の車種の場合「パワーウィンドウの初期化」が必要なようだ。

「スイッチとか、付けられないんですか?」
「電圧が高いので、簡単には行きません。」

とのことであった。

しかし。だ。

それに、それほど高度な技術が必要とは思えない。

ネットで検索してみると、『バッテリーカットターミナル』なる商品が存在することが解った。
http://www.amazon.co.jp/STRAIGHT-ストレート-バッテリーカットターミナル-D端子用-80-104/dp/B002WR52AW

ネットの質問サイトで「自然放電の方が大きいので、そんなもの付けても気休めにしかならない。」と、平気で回答している例があったが、今の車は自然放電より『暗電流』による消耗の方が格段に大きいはずなので、そんなことはあり得ない。

近所のカー用品店に買いに行って驚いた。

「『バッテリーカットスイッチ』ってあります?」
「何ですか?それ?」
「バッテリーのマイナス端子に取り付けて、スイッチを廻すことによって、バッテリーの消耗を抑える部品なんですが。」
「・・・少なくとも、うちにはありませんね。」

そんなに、特殊なものなのであろうか?

『バッテリーカットターミナル』は、部品に取り付けられているダイヤルを手で回すことにより、オン/オフを行う。

そのダイヤル部分が、車内のダッシュボードに付いていれば良いのではないのか?

バッテリーオフに伴う様々な障害の殆どは、不揮発性メモリにデータを残すことにより、防止出来るのではないのか?

もちろん、個人で出来ることではない。だが、自動車メーカー/電装品メーカーが真剣に取り組めば、いとも簡単に出来ることだと思う。

「買い物で荷物が一杯の時にリモートロックが使えないのは不便」

「買い物で荷物が一杯」の時に、あなたは家の玄関のカギを、どうやって開けているのか?

それを、不便と感じることが、一年にどれだけあると言うのか。

それに、荷物が一杯で困るのは、通常は帰りにスーパーで車に乗ろうとした時だ。

スーパーで駐車してる間は、オンにしておけば良い。

恐らく一番の問題は、これでオフにしたとしても、バッテリーが絶対に無くならない訳ではないことだ。

長期間オフにしたままであったために、いざと言う時にエンジンが掛らない。とのトラブルが頻出する恐れはある。

だがそれは、現状でも普通に起こっていることだ。

バッテリーが上がる前に、意識して車に乗るようにしている人も多いであろうし、私の様にうっかりとバッテリーを上げてしまう人も多いであろう。

JAFの「平成22年度年末年始の主な出動理由TOP10」によると、「過放電」が2位の「落輪」の3倍以上と、ぶっちぎりだ。
http://www.jaf.or.jp/profile/news/file/2010_38.htm

この頻度が軽減されることは、間違いないと思われる。

誰でも手軽に自家用車が手に入る現状では、日曜ドライバーの比率はかなり高いと思われる。

日曜でなくとも、主婦が買い物にしか使用しない。との家庭も含めると、日本の車社会において、『バッテリーカットターミナル』が、燃料の節約などに貢献する役割は非常に高いはずだ。

どう考えても、それほど大きな障害があるとは思えない。

そして、もう一つ欲しい機能がある。

バッテリー駆動の携帯機器には、必ず付いている『バッテリー残容量』表示だ。

「そんなもん付けたら、それに暗電流が必要だろ?」

市販の「乾電池チェッカー」のような仕組みで、ボタンを押した時のみ通電し、バッテリーの残容量によって赤・黄・緑のLEDが点灯するような装置であれば、暗電流は不要だし、安価に取り付けられるはずだ。

なぜ、自動車メーカーが取り組まないのか?

なぜ、行政が指導しないのか?

自動車メーカーの戦略的問題なのか?

行政的な規制があるのか?

安全性に懸念が残るのか?

いくら考えても、それほど大きな問題があるとは思えない。

恐らくは、メーカーの快適性をウリとする戦略から外れていることと、行政が指導するには、あまりにも瑣末なことであるからのような気がする。

『バッテリーカットターミナル』の使用を強制する必要はない。

車内から操作出来る『バッテリーカットターミナル』の装着を、メーカーに義務付けるだけで良いのではないか。

ここは真剣に検討して欲しい。

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Fukushima 50に世界中からエール #jishin
http://www.gizmodo.jp/2011/03/fukushima_50_jishin.html
福島第一原子力発電所に最後まで命がけの任務で残った50人に、海外で「Fukushima 50」という名がつきました。
16日朝、敷地内の安全な「地域」に避難させると枝野官房長官が発表したのが「敷地外に避難した」と誤訳のまま報じられ一時は混乱を招きましたけど、正午過ぎの会見で「10:40am過ぎから11:30amまでの小一時間退避しただけで4号機の火災現場に戻った」ことが明らかに。
それ以降は、「まだ残っていたのか!」「なんてこったい」、「真のヒーロー」、「がんばれよ!」とネットはFukushima 50の無事を願うエール一色となっていますよ。


TVでの記者会見からしか福島原発の状況が伺えないもどかしさから、批判的&無神経なことを書いてしまった。

本当に申し訳なかった。

現場職員の働きは、文字通り「命がけ」の仕事であり、連日連夜の肉体的疲労/精神的緊張のうえに、上部からの重圧という過酷な状況だ。

今仮に「現場職員がもっと専門的な仕事に専念できるように、ホースを4Fまで運ぶなどの比較的簡単な作業を、分担してくれる者を募集」とのアナウンスがあった場合、応募できるだろうか。

気持はあるが、家族のこと、仕事のことなどを考え、実際には踏み切れない。

しかも「十分頑張った。もう家に帰って休んで欲しい。」とも言えない。

彼らに頼るしかない。

彼らにお願いするしかない。

こんな当たり前のことに、思い至らなかった。

今はただ「頑張って欲しい。」「無事であって欲しい。」と、祈ることしかできない。

皆で声援を送ろう。「頑張って!!」

皆で祈ろう。彼らの無事と、トラブルが収束し、彼らがゆっくりと休める日が早く来ることを。



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2号機 再び核燃料すべて露出

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110315/t10014676411000.html
東京電力によりますと、福島第一原子力発電所2号機で、14日午後11時ごろ、原子炉の中の気体を逃がして圧力を下げるための弁が閉まり、炉の中の圧力が高まったため、原子炉を冷やすための水を送られなくなったということです。このため、原子炉の水位が急激に下がり、再び核燃料がすべて露出した状態となったとみられるということです。

原子力発電所関連の記者会見を見ていて、いつも漠然とした不安を感じていた。

なにか、おかしくないか?と。

23時ごろのニュースで、「職員が目を離していた隙に、燃料が切れ、海水を注入しているポンプが止まり、水位が下がり、燃料棒が露出した。」との報道にも耳を疑った。

「ポンプを止めない。」は、その時点での最優先事項ではないのか?
燃料切れの時刻を予測するのが、それほど難しいことなのか?
これだけ失態の上に失態を繰り返している中で、余りにも幼稚過ぎる。
緊張感のカケラも感じられない。

だが、0時過ぎのニュースはもっと衝撃的だった。

「原子炉の中の気体を逃がして圧力を下げるための弁が閉まり、炉の中の圧力が高まったため、原子炉を冷やすための水を送られなくなった。このため、原子炉の水位が急激に下がり、再び核燃料がすべて露出した状態となったとみられる」

解説員の方が、一生懸命解りやすく説明しようとしても、あまりにも明白なことであるので、記者会見の準備をしている数分の間に、同じ事を3度も説明してしまった。良くガマンした。

「圧力が高まると水位が下がり、燃料棒が露出するので、圧力を下げるために、弁を開くしかない。」

これを理解するのに、それほど高度な教養はいらない。

ここ何日も、その手の話は何度も聞いている。

そもそも、3号機の時には、その弁を開けるのに、どれだけの時間がかかったのか?

それがひとりでに閉まってしまったのか?

いや、閉まらないように、ちゃんと監視していなかったのか?

疑問は尽きない。

だが、それ以上に恐ろしかったのは記者会見の内容だ。

まず、5種類の試料を配るのに、相当手間取っていた。

あまりにも時間がかかるので、一度スタジオに戻し、その間に前述の解説員からの説明があった。

そして、いざ、記者会見が始まると、中央の責任者と思われる人が、手元の資料の下線部分の解説をいくつかしたが、全て、本件とは関係のない、もっと前に報道されている内容の繰り返しばかりであった。

その場にいた記者も良くガマンした。いつになったら、今回の件に触れるのか?

だが、その期待も空しく、ついに一言も触れることなく、「私からは以上です。」で終わらせようとした。

記者からの質問を浴び、しかたなく後ろにいた担当者が説明をはじめたが。

何らかの理由により、弁が閉じた。水位が『ダウンスケール』している。

記者の質問に対しても、「今、弁が開いているのか、閉じているのか、私には解らない。」

私は、マジでこう、思った。

いくらなんでもおかし過ぎる。この茶番には、絶対に公表できない真実か隠されているに違いない。

たぶん、武装したテロリスト集団と、たまたま休暇で福島第一原子力発電所に遊びに来ていたブルースウィルスとの間で、弁を巡る命をかけた攻防戦が繰り広げられているんだろう。と。



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菅首相、14日からの輪番停電実施を了承(読売新聞) - goo ニュース
http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/nation/20110313-567-OYT1T00546.html
 菅首相は13日夜、首相官邸で会見し、東京電力に対して、14日から停電を計画的に行う輪番停電を実施することを了承したことを明らかにした。

いま。明るさを届けたいぼくらにできること #setsudencopy #jishin
http://www.gizmodo.jp/2011/03/_setsudencopy_jishin.html
被災地でがんばっている方々の助けとなるように、広い範囲での節電が求められています。昨日はヤシマ作戦でみんなの節電力が高まったと思いますが、この気持ちはこれからも持ち続けなければなりません。
現在#84MA、 #yashima、#yashimasakusen110313などのTwitterハッシュタグで様々な節電テクニックが投稿されています。またtumblrの#setsudencopyには、多くの節電を呼びかけるポスターデザインがあつまっています。

『ヤシマ作戦』
http://yashima.me/

「新世紀エヴァンゲリオン」に登場した作戦の内容になぞらえ、ネットで広がった節電運動だ。

「不謹慎だ。」との批判があるらしい。

批判記事を読んでいないので、以下私の主観になるが、被災地で多くの人が悲しみ、苦しんでいる中で、安全な位置からお祭り騒ぎをしている。との印象を与えるのであろう。

だが、そうであろうか。

不謹慎との批判を受けるのを承知で言わせてもらえば、今回のような災害が発生すると、妙にハイな気分になり、ウキウキとした気分にすらなってくる経験は、誰にでもあると思う。

これは、人類の祖先がまだ洞窟で暮らしていた時代、いや、恐らくはもっと以前の生物の時代から、延々と受け継がれて来た特性であろう。

絶望的な状況に襲われた時、悲しみに打ちひしがれ、粛々と洞窟の奥でうずくまっているばかりでは、過酷な運命に翻弄されてしまうであろう。

そんな時に、理不尽な昂揚感に包まれ、外部の脅威をも恐れず、食糧を求めに洞窟を出て行った者。

生存に適したのは後者であり、我々は彼らの子孫なのだ。

現代社会は、電気なしでは成り立たない。

「一日に3時間くらい、電気が止まってもどーってことはない。」

確かに、一日に3時間。ネットもテレビも冷暖房も照明もない生活は、ちょっと我慢すれば良いレベルだ。マンションの高層階に住んでいるものは、かなり不便であろう。

だが、問題は冷蔵庫だ。

今回の件で、冷凍食品などを買い貯めた者も多いであろう。果たして、1日に3時間の停電に、冷凍食品は耐えられるのであろうか?

そしてそれは、スーパーの冷凍倉庫や、各流通過程の全冷蔵/冷凍設備に対して懸念される。

「被災者の惨状に比べれば、どうということはない。」

確かにそうだ。だが、だからと言って、全員が悲しみに打ちひしがれて、じっとしている必要はない。

いや、むしろ、動けるものは、積極的に自分の出来ることを推し進めて行くべきではないのか。

一部の者には、アニメのノリで、ちゃらちゃらとお祭り騒ぎをしている程度にしか映らないかもしれない。だが、彼らの心の底に「我々の力で、何かできることをしたい。」との強い思いがあることを忘れてはならない。

政府や官僚ばかりに任せていたは、ごく単純なことさえ遅々として進まないことは、今回の一連の政府報道で、思い知らされた。

我々に今出来ることがあれば、進んでそれを実行して行くべきであるし、それがうまく機能するのであれば、進んで仲間を増やしていくべきである。そのためにどんな手段が有効か?答えは一つではないし、その時の運やタイミングでも変わって来る。

様々な人が様々な工夫を凝らし、その中から実効性の高い手段が生まれて行く。

被災地に物見遊山でやって来て、記念写真を撮るような行動を「不謹慎」と言う。彼らの行動は、なに一つプラスの結果を残さない。

だが、『ヤシマ作戦』の考案者には、現状をなんとか良くしたい。そしてそれを自分一人に留めず、他の人にも広めて行きたい。との、ポジティブな信念がある。

『ヤシマ作戦』に反対な人は、どうか、彼らの真意を汲んで、賛同せずとも、邪魔をしないで欲しい。

そして、さらに言うならば、あなたたちの『作戦』を展開して欲しい。

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スーパームーンで人類滅亡の日は近い!(たぶん俗説)
http://www.gizmodo.jp/2011/03/_320.html
3月20日は月がこの18年で最も地球に接近する日(近地点・遠地点計算機によれば地球から35万6577kmの地点を通る)―しかも満月なので、きっと波は逆巻き天は風巻き地は揺れ人類滅亡でしょう。
...と予言してる人もいるので、ここではちょっと詳しく見てみましょう。


この記事が GIZMODE JAPAN にアップされたのが、2011年03月10日 22:30。
その半日ほど後に今回の地震が発生している。

超常現象の信奉者は声高に唱えるであろう。
「そら、当たった!我々の主張は正しい!」と。

記事本文にも記述があるが、科学擁護派はこう答えるであろう。
「そんなものは偶然に過ぎない。科学的根拠はない。」と。

では、どちらが正しいのか?

地球潮汐が地震の引き金に
http://wiredvision.jp/archives/200410/2004102606.html
何十年にもわたる考察を経て、ついに強力な潮の力が地震の引き金になる可能性を示す証拠が発見された。
 関連性を確認したのは、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)と日本の防災科学技術研究所(NIED)だ。研究チームは、過去の地震記録と人工衛星による潮汐観測の結果にもとづいて、海岸線に沿って延びる特定タイプの断層付近で、満潮時に大地震の発生する確率が干潮時の3倍になるという事実を発見した。


詳細は『地球潮汐』で検索して欲しいが、『国立情報学研究所学協会情報発信サービス』によると、

潮汐というと,一般には海面が1日に2回上下する潮の満ち干,すなわち海洋潮汐のことを思い浮かべるであろうが,固体の地球も,海洋潮汐と同じように弾性変形を起こしている.この固体地球が潮汐変形する現象を地球潮汐と呼ぶ.

つまり、地殻は一日に2回の周期で、観測可能なオーダーで、膨らんだり凹んだりしている。

今回の様な大地震は、プレートテクトニクスが唱えるように、プレートが沈み込む際に陸地側のプレートを引きずり込み、そこに溜まったストレスが『なんらかの切っ掛けで』一気に解放されるのが原因である。

『地球潮汐』力がその『なんらかの切っ掛け』になる可能性は非常に高いと思われる。

輪ゴムで空のバケツを吊るし、そこに砂時計のように一定の速度で砂を注入する。
放っておけばいつかはゴムが切れる。
砂を入れ始めると同時に、5秒おきに棒でバケツを叩いたとすると、棒が当たった瞬間にゴムが切れる可能性が高い。

巨大地震が発生するタイミングと、地球と太陽や月の位置とに関連性があると唱えるのは、それほど突飛な考えではないし、科学的な根拠は与えられると思う。

さて、冒頭の話題に戻ろう。

「スーパームーンで人類滅亡の日は近い」のか?それともそれは「単なる偶然であり迷信に過ぎない」のか?

これをどちらかに決定しようとすると、結論は得られない。

それは、どちらにも正しい部分があり、どちらにも間違っている部分があるからだ。

通常の議論であれば、双方の言い分の落とし所を探り、和解点を求めて歩み寄りが行われる。

たが『超常現象VS科学』などの論争の場合、どらが正しいか?を決着するための論争となり、答えが得られぬまま、感情的な争いに発展して行く。

それは「どちらの神が正しいか?」を決するための『論争』が、多くの人命が失わる『紛争』に発展していく様に似ているとも言えよう。

対立する2つの意見がある場合に、どちらか片方が100%正しい。というケースはほとんどあり得ない。

「100%私が正しい。」と主張する者があれば、それは、自分の意見に人を引き入れようとしているに違いない。

皆も気を付けて欲しい。

私の考えは、100%正しいのだから。


以下、簡単に調べてみた。月齢は「月齢カレンダー」を参照した。

地球を中心として、太陽を12時の方向に据えると。

関東大震災
1923年(大正12年)9月1日(土曜日)午前11時58分
満月(8/26)と新月(9/11)のほぼ中間
月は8時の方向と微妙だが、震源地は12時の方向。

阪神淡路大震災
1995年1月17日 午前5時46分
満月
月は6時の方向。震源地は9時の方向。
大潮の干潮時と思われる。

今回の地震は、『なんらかの切っ掛け』が発生したのは、
9日の地震時と思われる。
2010年3月09日11時45分
新月(3/5)と満月(3/20)の間
月は1時30分の方向と微妙だが、震源地は12時の方向
干潮
http://www.data.kishou.go.jp/db/tide/suisan/suisan.php?stn=OF&ys=2011&ms=02&ds=25&ye=2011&me=03&de=11&S_HILO=on&LV=DL#hilo


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