未来技術の光と影。
SIYOU’s Chronicle




少し前になるが、本屋を散策していて、衝撃的なタイトルが目に飛び込んだ。

「さよなら!伝説のソニー」

週刊ダイヤモンド2012年2/4号だ。

内容を確かめるまでもなく、レジに進んだ。

順番待ちのレジ横で、さらに追い打ちを喰らった。

「さよなら!僕らのソニー」

平積みされたその新書は、当時、ランキング2位であった。このヒットを受けてのダイヤモンドのタイトルだったようだ。

内容は本にゆずるとして、その中に気になる逸話があった。

創業者の盛田昭雄がニューヨーク五番街に開いたショールーム一号店。

その軒先に掲げられた日の丸を見て、現地駐在の日本人が涙を流した。という一節だ。

ピンと来ない。

戦後生まれの我々に取って、日の丸に対する思い入れは薄い。

我々が「日の丸」と聞いて連想するのは、街宣車を彩るそれであり、あまり良い印象が思い浮かばない者が殆どであろう。

「君が代」に至っては、それを聴くのはオリンピックで誰かが金メダルを取った時だけだし、自分で歌う機会など、学校を卒業してしまえば、皆無である。


卒業式のシーズンになると、国歌斉唱を拒否する教師と、なんとか従わせようとする側との葛藤がニュースになる。

国歌斉唱を拒否する行為に、どんな意味があるのか?

正直、誰かに踊らされているとしか思えない。

「日の丸」、「君が代」の強制が、国粋主義に繋がるので危険だ。との論調なのかと思っていたが、最近はそれを強制することを問題視しているようだ。

そもそも、拒否する教師が問題になるほど多くなければ、強引とも取れる強制策など不要だったはずだ。

「五匹のさるの寓話」のように、既に問題の本質からかけ離れ、代理戦争の様相を呈している。


震災後、「がんばろうニッポン!」との標語が持て囃された。

これも、ピンと来ない。

そもそもの根底に、我々は自分達の住む国を「ニッポン」だとは思っていない。という事実がある。

「にほん」だ。

我々は「ニッポン人」ではない。「にほん人」だ。

話す言葉は「にほん語」であり、決して「ニッポン語」ではない。

日本を「ニッポン」と呼ぶのは、バレーやサッカーなどの国際試合の場で、「がんばれ、ニッポン!」と応援する時だけだ。

「ニッポン」を背負っているのは、選手達であり、応援している自分はその中に属していない。

あくまでも傍観者として、高い位置から「ニッポン」に声援を送っている。

言葉尻を「がんばろう」に変えてみても、その傍観者的な感覚は、変わらない。


若者に限らず、戦後生まれの世代に取って、「愛国心」というものはすでに失われている。

戦後の日本をコントロールしたGHQなりマッカーサーなりが行った、日本を骨抜きにするための戦略の賜物であろう。

もはや、日本に、「愛国心」は残っていない。

そんなことはない。と、思われるかもしれない。

だが、もし、取引先の会社を訪問した時に、受付に大きな日の丸が掲げられていたら、「ここ、ヤバいんじゃないか?」と思うに違いない。

自分の国の旗が掲げられていることが、異様に思える国。

そんなお国柄に、愛国心の芽生える土壌はない。


真の愛国心を育てるには、学校教育の場が大事な役割を果たす。

「日の丸の強制反対」に賛同して、卒業式で規律しない生徒がいたとして、それを見た教師はどう思うのか。

自分の主張を理解してくれたことを喜ぶのか。

「もっと、ちゃんと、自分の頭で考えろよ。」と、思うのか。

文字通り日の丸を旗印にして、侵略戦争に突入して行った日本。

そのような轍を二度と踏まぬためには、国民一人一人が、ちゃんと自分で考え、物事の真贋を正しく判断し、政治の暴走に声を上げることができるようになることが一番ではないのか?

それにはやはり、小さい頃からのちゃんとした教育が必要不可欠であろう。


今、ソニーから、サムスンやLGなどへの頭脳流出が続いている。

それは、ソニー一社に限ったことではない。

既に海外勢に主導権を奪われた産業は多いし、今後もその領域は広がって行くであろう。

愛国心の名のもとに、彼らに日本に留まれと言っているのではない。

このままでは日本は震災からの復興はおろか、産業の衰退を指を咥えて見ていることしか出来ない。

戦後既に67年。

いつまでも彼らの策略に従って、骨抜きのままクネクネと生きていられるほど、世界の情勢は甘くない。

「君が代の強制反対」などと、仔細なことで争っている余裕などないはずだ。


ここに私の好きな一本のビデオがある。

Beyonce - Let's Move! 'Move Your Body' Music Video Official 2011

昨年、オバマ夫人とビヨンセが組んで行った肥満撲滅キャンペーンのために作られた、プロモーション用のビデオだ。

ビヨンセらしい、陽気でパワフルな仕上がりがワクワクする。

後半に全員で星条旗を振っているシーンがある。

見ていて胸が熱くなる。

これを日の丸に置き換えて、似たようなビデオを作ったとしても、全く違和感のない国になれる日が来るのか?

今は全く想像すらできない。

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奇跡が起きたのは、3月17日放送の『ゴッドタン』であった。

「照れカワ芸人更生プロジェクト」の第3弾。

第1弾から出演している彼女達の圧倒的なパワーには、うすうすと心を踊らされていたのだが、今回のそれはもう、世界に通じる。いや、世界遺産レベルのパフォーマンスだった。

いや、世界中探しても、『ゴッドタン×ももクロ』のこの崇高なクオリティに、少しでも近づける者はいない。

もちろん、企画を持ち込んだ山里のカン。

先導して、全員を高みに引き込んだ日村。

後ろから叱咤激励で全員を高みへと追い込んだ設楽。

そういった自由な場を提供できた「ゴッドタン」。

そして、全力でそれに答えていた『ももクロ』のメンバー。

それらの、どれか一つでも欠けていたならば、今回の奇跡は起こらなかったであろう。

デビュー当時?のバナナマンの演劇のような芸風とシュールなネタは、私には非常にツボであったのだが、いかんせん風貌に似合わぬ真面目な印象が、イマイチ一般ウケしていない様子であった。

「ゴッドタン」で見かけるようになってから、特に日村の吹っ切れ方が、「あー、この人。こーゆーのもちゃんと凄いじゃないか。」と、関心していたのだが、17日の放送での日村の登場シーンには、改めて、彼の凄さを思い知らされた。

さて、『ももクロ』だ。

前人未到の荒野を、なんでもアリの独自のパワーで切り開いている「ゴッドタン」であるが、すでに他の追従を全く許さない高みに達している。

「ゴッドタン」が縦軸でその高みを極めているとすると、第1弾、第2弾の彼女達は、その高さを押し上げる役割でしかなかった。

だが今回の放送での彼女達のそれは、その高さを押し上げつつ、横軸方向に一気にその領域を広げてしまった。

10+10=20 ではなく、10×10=100。

そこに組み込まれた『ももクロ』だが、彼女達以外にこのポジションを埋められる者はいない。

れにちゃんが突出しているのに目が奪われがちだが、他のメンバーもかなりのレベルにある。

ノリの良い歌と踊り、振り。そして設楽のフリに即効で反応できる即応性と柔軟性。

ひょっとすると、どちらかを出来る者は他にもいるかもしれないが、両方を兼ね備えた者は、他に思いつかない。

全力で生きてきた結果得られた宝物を、5人が皆持っている。

ゴッドタンでしか彼女達を知らない分、そのコスプレ風でありながら、完成度の高い衣装も相俟って、彼女達が人類を超えた、全く新しい何かに思えて来る。

彼女達、そしてバナナマンの二人と、ゴッドタンに携わっている全ての人に贈りたい。

「奇跡的じゃなくて、奇跡そのものだよ。」


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一月以上。いや、ほぼ二カ月振りに休みを取った。

「人生の折り返し地点を過ぎた。」という表現がある。

年齢的にはとっくに過ぎているのだが、それに伴う充足感とか、達成感が全くない。

もう、他のみんなはゴールしている時間帯にも関わらす、ただ一人、スタート地点からほど遠くない所を、走り続けている。と、言った感覚だ。

もう、すっかり日も落ちた国道脇。

ランナーや見物人はおろか、人は全くおらず、車だけが終始横を走り抜けて行く。

スタッフも垂れ幕のたぐいも、既に全て片付けられているので、果たして自分が今走っているのが、本当に正しいコースであるのか?ゴールに向かっているのか?全く分からない。

ただ、焦燥感のみがある。

そもそも、何のために走っているのか?


私の趣味は映画鑑賞と読書だ。

読書はほとんど時間が取れない。昨年買った本は、ほとんど手付かずだし、定期購読している科学雑誌は、まだ、震災前に発売された号を読んでいる。

唯一、年に2~3本。劇場で映画を観ることを、人生最大の贅沢にしているが、手っ取り早く元を取ろうとの意識が働くので、どうしても大作映画を選んでしまう。

深夜寝る前に、歯を磨いている間の数分間。

思わず点けたテレビでイイ感じの映画をやっていると、そのままずっと観ていたくなる。

特に観ようと思って観たわけでもない映画。たまたま出会った映画に浸る。

そんな贅沢な時間の過ごし方が許されていない。

過去には、そんな感じで、出会った印象に残る映画が2本ある。

『あの頃ペニーレインと』

『ディナーラッシュ』


この休みには、絶対に観ようと思っていたDVDがある。

Amazonで、満島ひかり関連の商品で見つけた「さよならぼくたちのようちえん」だ。

購入したのは、かなり前なのだが、ゆっくりと観たくてずっと手付かずであった。

2週間ほど前に、満島ひかりの公式サイトで、18日の昼に再放送することを知った。

せっかくDVDを購入したのだから、是非、その前に観ておきたい。

正直、満島ひかりが出ていなければ、私が絶対に観ることがないタイトルだ。


素敵なドラマだった。

ストーリーも申し分ない。

子供達も皆達者だ。芦田愛菜という名の子が人気だ。程度の認識であったが、なるほどだ。

満島ひかりも、私の大好きな満島ひかりであった。いや、それ以上だ。

脚本は「それでも生きて行く」と同じ坂元裕二であった。

撮影も素晴らしい。

この感動を伝えたくて、キーを取った。

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