未来技術の光と影。
SIYOU’s Chronicle




どうやらハードルを上げ過ぎていたようだ。

2メートル50センチ位か。

人間が越えることが出来る限界を越えてしまった、第一弾の「心理試験」、第二弾の「黒手組」。もしかするとそれを越えるものが出てくるのではないかと、目一杯ハードルを上げて待っていた。

恐らく、これが第一弾であったのなら、かなり満足のいったデキ、ひょとすると絶賛していたかもしれないレベルの作品では、ある。

31日に、一度このエントリーで感想を書き始めたのだが、気に入らない部分のみを細々と書き連ね、なんか自分でも悲しくなって来たので、記事を消した。

ちょっと間が空いて、少し気分が落ち着いて来たので、再び筆を執った。

まず、今回一番残念だったのは、監督色が希薄なことだ。誰かが「もう、あまりふざけたことはしないでくれ」と、手綱を締めてしまったかのようだ。『屋根裏の散歩者』『人間椅子』にてザワ付かせてくれた渋江修平ですら、『人でなしの恋』で剛速球ど真ん中の乱歩の世界を描いてしまった。

普通に観ていたら、全て同じ監督にて撮られたものだと思われてしまうであろう。乱歩の世界観を表現するノウハウが確立されてしまったかのようだ。

象徴的なのが「お勢」の衣装だ。



洋装に帯締め。洋装と和装の折衷を、敢えて馴染ませることなく異質な雰囲気を残し、日本と西洋、新しいものと古いもの、さらに一歩進めて、その遊女風の化粧により清楚さと淫靡さとまでが一つの姿に同居している。

選曲もまた、ベストにキマっている。

その時代の曲をそのままかけても、馴染みがないので、懐かしいとはビタ一文感じられない。

だが今回のそれは、その匙加減が絶妙で、懐かしさの中枢をダイレクトに突き、その結果として大正ロマン/レトロモダンな雰囲気に、我々の意識を誘ってくれる。もうね、天才としか言いようがない。

だが、クドカンのVersaceのガウンなどは、同様の効果を視覚面から与えてくれるはずなのだが、なぜか乱歩の公式の中に納まっているかのように、あまり新鮮味が感じられない。んー、それは、私だけかも知れないが。

さて、やはり無視出来ないので、それぞれ一点だけに絞って苦言を。


『お勢登場』

蓋の裏に書かれた「オセイ」の文字を格二郎に見られた時点で、「バレたかっ?躱せるのか?」と、ハラハラドキドキするのがこの作品の山場であり、それをイケシャアシャアと、咄嗟の嘘で躱して見せるお勢の悪女振りに、皆が爽快感を覚えて幕引きとなる。そういう作品だと思う。

タイトルに「登場」という言葉が使われているのは、お勢をヒーローとして扱っているからだ。

機智に富んだお勢が、それまでそれに気付かないはずがないと、白々しく感じられることの無いように、前半で格太郎が爪で蓋を引っ掻く描写が執拗に描かれる。普通なら、ドンドン叩くと思うんだけど。

そこはしっかりと描写しておきながら、肝心のラストがすっと流されてしまうので、爽快感がない。なんとなく、終わってしまっている。


『算盤が恋を語る話』

ホクロを付けると、コントになってしまう。ただのコントになってしまうんだよ。

満島の算盤の扱いのアドリブすら、あまり深みの無いコントに見えてしまう。


『人でなしの恋』

人形の口を動かしてはいけない。これで一挙に、「人形がしゃべる」という稚拙なホラーに成り下がってしまう。

完璧であったのに、なぜ?興覚めどころではない。

陽月】の人形。今回のドラマで一番の衝撃だ。

高良健吾が満島よりも人形を愛することがやめなれないとのファンタジーが、俄然、血肉に染み渡った、リアルなものに感じられる。よくぞ、こんな人形を探し出したものだ。いや、作った人が凄いのは当然として。

良く「能面は見る角度で色々な表情を魅せる。」と、伝統文化万歳!との崇拝の対象となるが、【陽月】のそれは、能面が8ビット時代のドット絵のキャラ程度に感じられるほどの妖しさと気魄に満ち満ちている。

表情が豊かとかのレベルではない。生身の役者さんですら、観る者にこれだけのインパクトを与えられる表情が出来る者はいない。

人形であるが故に特権的に持つことのできる高みが、仏像のようにただひたすら崇高なものを目指すのではなく、そのベクトルの先に妖艶さ耽美さが加わることによって、もうこれは、人間の心の深い闇に隠された、その更に奥にある広い世界の隅々までを見通す力を持ってしまった。

そんな神の具現とも言える眼差しを持った人形の顔を、人間の手で加工するなどは、本体を破壊すること以上の冒涜である。


最後になるが、全体として小ネタが多い。と言うか、小ネタで終わってしまっている。

『心理試験』での口紅は、恐らく最初に満島が提案した時は、最後に塗るとの案であったと思う。

ここは明智が謎解きをしていく場面であり、謎解きをしながら、実は探偵であるとの素性をバラして行く場面である。

明智が徐々に変装を解いて行く様は、物語の展開と密に相関しているので、物語の主流とは関係のない小ネタが、ただクスッとして終わってしまう一過性のものに過ぎないのに対し、その延長にあるネタは、観ている者の心にグッサリと突き刺さって来る。

これ、最後ではなく、最初に口紅を塗るとのアイデアは、恐らく佐藤佐吉監督によるものだと思う。

天啓だ。

こんな発想は、人間には出来ない。神からの啓示が必要だ。普段からの善行の賜物であろう。

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