未来技術の光と影。
SIYOU’s Chronicle




録画してあった『心理試験』をさっき観た。

シリーズ・江戸川乱歩短編集 1925年の明智小五郎

の第2話だ。


第1話は『D坂の殺人事件』だった。

演出がちょっと面白い。

「面白いね。これ。」と、感心して観ていた。

満島の明智小五郎も、それなりに良かった。


そして、『心理試験』だ。

これ、

「ばっ、バカなんじゃないのぉ~~~~~~!!」

と、悲鳴を上げながら観ていた。

大絶賛だ。


正直、第1話の明智は、「満島ひかりが明智小五郎役」という設定(?)に、縛られていた感がある。

いったい、どこまでやって良いのか。

満島に男役を演らせるとしたら、どうしたら良いのか?

普通に男が演じるのを真似るだけでは、全く意味がない。

かと言って、女優が演じることによる演出効果を求めるだけでは、不十分だ。

『満島ひかり』が演じるのであるからには、それなりの演出をしなければならない。


「満島ひかりが明智小五郎役」というのが出発点になり、その束縛から逃れられていない。


だか、『心理試験』は違う。

出だしから、第1話とは趣が違う。

第1話のテイストで3話続くものと思っていたのだが、どうやら「同じお題で各話ごとに監督色を出して」といった企画のシリーズようだ。

実は、この企画の真のお題は満島云々ではなく、「ほぼ原作通り」にあったと思う。

「江戸川乱歩の原作を題材にする」だけでは、シリーズとしての統一感が生まれない。

そしてなりよりも、全く縛りのない状況であると、全てがその監督の感性のままに作られてしまい、結局はどかこで見たことがあるようなものに、落ち着いてしまいかねない。

そして、今回のお題で最も重要なのは『ほぼ』という言葉だ。

原作を忠実に伝えたいのであれば、誰かが朗読するだけで良い。

原作を忠実に再現したいがために、時代考証などにも忠実にした結果、ストーリーを追うだけの作品になってしまっては、各話を別々の監督に委ねる必要がない。

企画者も「縛りのある中での創意工夫からこそ、時として、全く新しいものが生まれる。」ことを期待して、「原作通り」を指定している。

だが、なにか面白いことを思い付いた時に「原作通り」との縛りがキツ過ぎると、せっかくのアイデアが十分に生かされない危惧もある。

「『原作通り』と、『監督の感性』がぶつかった時には、崩してもらって構わない。」

いや、もっと言うと

「ちゃんと『ほぼ』と言ってるんだから、各自、鋭く切り込んで来いよ。」

との挑戦が、ヒシヒシと感じられる。


『心理試験』

もうね。バカなんじゃないのっ!!と、叫びたくなるほどの出来栄えだ。

この場合の『バカ』とは「程度が並はずれているさま。度はずれているさま。」の意味の「バカ」だ。

「女優が明智小五郎役」とか、「満島ひかりが男役」とか、そう言った固定概念を全て振り払い、はたまた「満島ひかり」という肩書すら捨て去って、一人の奇特な逸材をどう料理するか?

監督の頭の中に出来上がっているイメージを映像化するにあたり、「老婆に嶋田久作」を思いついた途端に、もう他のものが考えられなくなるように、「この明智小五郎なら、満島ひかりじゃね?」と、そう思いついたら、もう他の誰も考えられなくなるような、そんなベストのキャスティングだ。

それでいながら、やはり、このドラマは「満島ひかり」なくしては、ここまで「バカ」になれなかったであろう。


満島が生き生きとしている。

恐らくは、満島のセリフ回しや所作には、かなり彼女の即興があると思われる。

「アドリブ」ではない。「即興」だ。

彼女の主義を主張するのではなく、監督のイメージを理解し、自分の求められているイメージを理解し、それに応え、そして監督のイメージすらも凌駕してしまうものを、ぱっ!と、演じてしまう。

とは言え、ぶっつけ本番でやる訳ではなく、「こんな感じでどーすか?」と生まれた即興の演技が、実は最終的には綿密に組み立て直されている。

最近の、いや、いままでの満島の中で、一番彼女の魅力が際立っている。

そしてまた凄いことに、そんな彼女が、作品の中で決して浮き立っていない。

原作を、朗読と演者のセリフに切り替えるという原則を一歩進め、同じ場面で同じ登場人物のセリフを、役者のモノローグからセリフに切り替えたり、原作の字幕表記を入れたり入れなかったり。

様々な工夫がテンポを生み出し、後半の満島の畳みかけるような演技が生き生きとして来る。

そして30分というドラマでありなが、ロケもちゃんとした所でしているし、衣装や小道具なども、イチイチ手が込んでいる。

「嶋田久作」の茶を勧める所作なども非常に芸が細かいし、エンディングの曲までもが、ジャストでハマっている。

こんなバカなドラマでありながら、いやそうであるからこそ、様々な才能を持ったスタッフが集結し、細部に至る綿密な配慮が施された結果、「程度が並はずれて」てまったのであろう。

また一つ、奇跡を起こしてしまったNHKに、今後も期待したい。

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