新宗教『空飛ぶスパゲッティー・モンスター』:宗教学者が討論
http://wiredvision.jp/news/200711/2007112723.html
『空飛ぶスパゲッティ・モンスター』の姿は滑稽かもしれないが、米国宗教学会年次大会では非常に真剣な論議が交わされた。
[編集部注:『空飛ぶスパゲッティ・モンスター教』とは、オレゴン州立大学物理科の卒業生ボビー・ヘンダーソン氏が創始したパロディカルト。2005年米国カンザス州教育委員会が、公教育において、進化論と同等に、『インテリジェント・デザイン論』も教えるべきだとしたことに抗議するために始められた。アフリカ回帰の宗教運動『ラスタファリアニズム』をもじって、自らの運動を『パスタファリアニズム』と呼ぶ。]
なぜ、「公教育において、進化論と同等に、『インテリジェント・デザイン論』も教えるべき」であるのか。
キリスト教は元より、全くの無宗教者である私には、理解できない。
だが、そんな私にも、一つの信念がある。
「信仰心は尊い。」
そもそもは「雨乞い」や「病魔退散」と言った「ご利益」を求めて、宗教は発達したのかもしれない。
だが、その即物的な部分は科学が担い、宗教はより崇高な心を求めて昇華して来た。
「聖書」の存在目的は、人々に神の存在を信じ込ませることにではなく、最終的には、正しい心の在り方を伝え、それを人々に実践してもらうことにあるのではないだろうか。
そもそも神の考えを、我々人類が全て理解できるはずがない。
人間の知性を遙かに凌駕する思想を民衆に伝えるためには、比喩や例え話を用いて、それを彼らに理解できる言葉で語る必要がある。
個々のエピソードの内容が、史実として必ずしも正しいとは限らない。だがそれは、聖書の欠点ではないし、一部に寓話的要素があったとしても、それが即ち、聖書が全てが「作り話し」であることを表してもいない。
聖書に書かれていることが、全て真実であることに拘る必然性が感じられないし、それを声高に語る口調には、事の本質を見失ったかのような寂しさを感じる。
人を餓や病魔から救うには、やはり科学の力が必要だ。
だが、科学が暴走するのを食い止めるには、健全な心が求められ、それを養うのは宗教の役割である。
どちらかだけでやっていくことは出来ない。
いずれにせよ、科学万能の社会であっても、宗教が重要な役割を占めている背景には、そもそもの発端に崇高な思想があること忘れてはらない。
「猊下。本日は極めて重大なご報告に上がりました。」
「珍しく、控え目な面持ちですね。」
「ええ。我々は長年、科学的見地と宗教的見地の食い違いから、対立して参りましたが、今日こそは、長年の確執に終止符を打つ、記念すべき日となるでしょう。」
「それは、大変喜ばしいことですね。」
「教会と財団とは、この古代の電子アーカイブの中から発掘された壁画に描かれている、我々と対峙している神の姿を巡って、長い確執がありましたね。」
「ええ。あなたがたの『この形態は生物学的にありえない。』との論証は、何ら物的証拠がなく、お互いの同意を得ることはできませんでした。」
「はい。思い余った先代会長の遺志を継いで、わが財団では、全惑星探査に乗り出しました。」
「その副産物としての数々の発見によって、あなた方の財団は天文学的な利益を上げることになったのですね。」
「はい。そう言った意味では、感謝し切れないほどの恩義は感じております。」
「全探索を終え、神の御姿を宿した生命体が存在しないことを証明するには、後、500年ほどかかると聞いていましたが。。。」
「ええ、そのはずでした。ですが昨日、銀河系の辺境の惑星を探査中の探査機から、この画像が送られて来ました。ご覧頂けますでしょうか。」
「・・・。これは、正しく、神の御姿ですね。」
「ええ。」
「神は実在されたのですね。お会いすることはできるのでしょうか。」
「残念ながら、生物反応はまだ探知されておりません。ですが、発見されたアーカイブの中には、神々の活動されているご様子が収録されている、膨大なデータがあるようです。」
「あなた方の『太くなったとは言え、上下合わせて4本に退化してしまった触手に見られる肉体的退化と、中央部に申し訳程度に残っている「脳塊」の残滓から見て、仮に存在したとしても、知性的な活動は、極めて限定的なものに限られてしまっているに違いない』との見解は、やはり、神を冒涜するものであったわけですね。」
「ええ。我々の思い上がりを痛感しております。やはり、神の教えの原初には、崇高な目的意識があったことを忘れてはいけませんね。」
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