未来技術の光と影。
SIYOU’s Chronicle




※2021/8/29更新 動画を探している方は、こちらの記事をどうぞ

この休み、これ↓ばかり何度も見ている。(見ているのは本編の方だが)

【それって!?実際どうなの課】 次回予告(2020年4月29日放送)

レコーダーに「森川葵」で自動録画登録している。

それって!?実際どうなの課」の初回を観たのだが、森川がしゃべったシーンが殆どなく、お飾り的な印象であった。

以前、森川が主演していたドラマ(カカフカカ)で、ドラマ的にかなり観るのがキビしく、森川のためにかなりガマンして観ていたのだが、5話目くらいで脱落したことがあった。

「それって!?実際どうなの課」も、時折映る森川を観るためだけに、毎週30分、あまり興味のないバラエティ番組を観るのが耐えられそうになかったので、録画されても見ずに消していた。

「ダイス・スタッキング」あたりから、ネットで話題になっていたのでちょっと観てみることにした。

だが、これはもう、もの凄いことになっていた。

この回は、過去の偉業を振り返る所から始まっているので、これだけ見ても森川の「もの凄さ」が伝わって来る。

見逃し配信などあるかも知れないので、検索してみて欲しい。
それって実際 森川葵 - Google 検索

先生役の「達人」が「初心者には出来まい」と言いたげな究極奥義に、森川が挑戦しようとしてる場面で、MCの生瀬勝久が「(バラエティ的に)やっちゃ(成功しちゃ)ダメだよ、ホントに、その辺は」と、心配そうに見ているはじから、一発で成功させてしまう。

頭を抱える生瀬、「できちゃった」のナレーション、「スゴイねぇ」と立場のない「達人」を尻目に、「やった~ぁ、めっちゃうれし~い」と大はしゃぎする森川。

また別の「達人」が半年かかって取得したワザを「あっ、待って、出来ちゃった。」と、あっさりと実現。

「やめなさいよ、ちょっと」と慄く博多大吉。

「スゴいものを見せられたら、『やってやろう!!』みたいな感じになるの?」
「『やってやろう』って言うか、『あっ、私、絶対出来る』って思います。(キッパリ)」

恐らく、今までのバラエティのフォーマットからは、かなり逸脱した展開である。

番組からお願いして出演して頂いた先生の顔を潰しかねないので、先生を上回ってはダメ。が、恐らくはバラエティ番組での基本ルールであろう。

まぁ、実際には、そんな心配をする必要があるような場面に遭遇することなど、あるはずがないのだが、森川の出現によってそれが覆されてしまった。

「先生が半年かかろうが、そんなの別に関係ない?」
「はい、『出来ることは、もういつだって出来る』(キッパリ)」

この辺りで、「森川って、実はなんか、凄いヤツなんじゃないの?」との認識が出来上がった後も、さらに伝説を更新し続ける。

2回や3回なら、偶然もあるであろうが、これはもう『本物』である。

最近の回では、『達人』をコーチ役として呼んでいるので、森川が達人を超えてしまったとしても、それは『達人』のコーチが素晴らしかったから。と、『達人』の評価にも繋がるので、番組的にずっとやり易くなって来たようだ。

難度の高い技を、ごく短時間で習得してしまう森川。

付いた仇名が、バラエティの法定速度を守らない『ワイルドスピード森川』。

「それって!?実際どうなの課」のWikiによると、

プロデューサーの簑羽慶は、「手間と時間のかかる、ということを臆さないことと、正直な結果で勝負することを番組の約束事として、制作に臨んでいる」と話している

とのことである。

「バラエティって、こんなモンでしょ」との発想からは、決して生まれなかった偉業である。

これからは、ちゃんと観ます。

森川のその特殊能力ばかりが目に付きがちだが、実は森川、さりげない所でもかなり凄いことになっている。
続きは次回→『ワイルドスピード森川ジェットブレイク

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緊急事態宣言の延長が正式に発表された。

今日のNHKでの街頭インタビューは、「しょうがない」「しかたない」の一色であった。

「仕様がない」「仕方がない」

辞書には、

「理不尽な困難や悲劇に見舞われたり、避けられない事態に直面したりしたさいに、粛々とその状況を受け入れながら発する日本語の慣用句。」

とある。

「粛々とその状況を受け入れ」とあるが、納得して穏やかな心境に至っているのではなく、無力感を伴う「あきらめ」の感情である。

人々があきらめているポイントは何か?

「政府が決めたことだから『しようがない』」

一見、そう言っているようであるが、もし、他に良い手段があるにも関わらず、政府が間違った対策を取っているのであれば、その感情は「しょうがない」と言う諦めの感情ではなく、「何で、〇〇しないんだ!」との、怒りの感情であるはずだ。

人々が直面している『困難』はもはや、初めの頃に良く聞かれた「ずっと家に居るとストレス溜まる~ぅ。」などの、目先のことしか考えられなかった時期の能天気な気分ではなく、このまま外出自粛が続けば、日本の経済が破綻し、自分の生活にかつて経験したことのないレベルの困難が押し寄せて来ることが、ようやく誰の心にも自分のこととして実感されるようになったが故の恐怖だ。

そして、それを解決する名案が誰にもないことを、野党の今まで通りの与党をただ批判するだけで何の解決策も提示出来ない答弁を聞けば聞くほど、「あぁ、やはりこれは、誰も解決策を持っていないんだ。」との絶望感をともなって、脳が理解するレベルから、心が実感するレベルに達してしまった。

では、日本経済を破綻から守る方法は、本当にないのか?本当に、誰にも何も思いつかないのか?

いや、実は誰にも、その方法は解っている。

自粛規制を大幅に解除し、経済活動を再開すれば良い。

だが。

そう、「だが」なのだ。

だが、それを実行した場合には、多数の命が犠牲になる。

多数の命を犠牲にしてまで、自分達の暮らしが楽になることを望んでも良いのか?

少なくとも、「そんなことを言ったら、他の人に何と思われるのか?」との恐怖の方が大きいので、「もうひと月待てば、感染者が0になって、何事もなかったかのように前の状態に戻れるかも。」との、淡い期待を根拠に、危険を冒してまで、自分からその考えを発することを、先延ばしにしている。

では、改めて問おう。

人の命を守るために、そこまでしなければならないのか。

日本での現在の基準は恐らく、「医療崩壊を起こさないレベルを死守する。」である。

出来る限りの対策を施して、それでも死亡者が出てしまうのは、仕方がない。

だが、医療機関、空き病床、各種機材や人材や物資が不足しているために、正常時であれば救えるはずの命が救えなくなってしまうような状態を『医療崩壊』と定義して、そのような状態に陥らないことを死守すべきラインとして、全てが回っているようである。

だが、果たしてそれは、正しいことであるのか。

建物の中に生存者が居ることが解っていても、火の回りが早く、消防士に命の危険がある場合には、消防士の出動は禁じられる。

いわゆる「2次災害」を防ぐためのガイドラインがある。

その場では「なんで、娘を助けに行ってくれないんだ。まだ、生きているんだぞ!」との、誹りを受けたとしても、消防士の身の安全は確保されている。

医療現場にこれを当てはめた場合、医療従事者に命の危険がある場合には、瀕死であっても患者の治療は禁じられるべきである。

物資不足により感染の危険性がある場合。

長時間労働による「過労死ライン」を超える場合。

それら全てが当てはまる。

現在の医療現場を消防士に当てはめれば、大規模な火災現場で取り残された人々を救うために、消防士が睡眠もロクに取らずに、防火服が足りないのでバケツで水を被りながら、ただ正義感のみで火の中への突入を繰り返し、実際に何人もの消防士が落命しているにもかかわらず、誰も止めずにただ「がんばれ、がんばれ」と応援しているようなものである。

ちゃんと責任のある者が、このような行為を止めなければならない。

ある一定の基準を設け、それを超える場合には患者を見捨てなければならない。

そしてその基準の中には、経済的な要因と、その他大勢(いや、ほとんどの国民の)幸せな暮らしを守る。と言う使命も含まれている。

「人々の幸せな暮らしに危険が及ぶ場合、諦めなればならない命がある。」

その基本事実を明らかにして、ガイドラインを打ち立て、経済活動を再開しなければならない。

「すぐにパチンコ屋を再開しろ」などの些末なことを言っているのではない。

小学校の閉鎖は、子供の感染を防ぐためではなく、学校という密な場で、感染防止対策などに気が回らない子供たちを媒介として、感染が広まるのを防止するのを防ぐために、絶対に必要なことである。

20代の山梨の女性の例を上げるまでもなく、子供に感染防止について期待することは出来ない。ルールを与えて、家に閉じ込める必要がある。

9月新入学とし、子供の外出自粛はそれまで継続。

公園などの利用方法も厳密に規定し、3密が作れない状態を確保した上で、徐々に子供に外出の機会を与える。

「ECMO」は、他に手の打ちようのない重篤な状態になった場合に使用するのではなく、「ECMO」を使用すれば、助かる可能性が高いに場合にのみに使用する。

医療関係者の負担を減らす改革は絶えず実行するが、彼らの勤務時間は、厳格に守られなればならない。

マスクや防護服が十分に確保出来るまでは、彼らの「出動」は禁止されなければならない。

そのために死亡者が出たとしても、それは「2次災害(2次感染ではない)」を防ぐためのガイドラインによるものであり、彼らの安全は「安全側」に確保されなければならない。

「人命第一」

その、全く基準のない人々の妄信が、いともた易く日本を崩壊させる。

ひと昔前であれば余命をとうに過ぎた者の、ひと昔前であれば「大往生」と称えられた死を、少し先に延ばすためだけに、他の人々の幸せな暮らしを危機に晒して良いのか?

「人命第一」「人の命は一番尊い」などの宗教的な妄信以外に、正当な理由があれば、教えて欲しい。


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NHKのニュースの冒頭で、

医療従事者への偏見や差別が問題となっていることについて、「決して許されず、看過できない」と述べ、啓発活動を強化する方針を示しました。

との報道があった。

良く分からないので検索してみると、酷いことになっている。

nhkニュース 医療受持者への差別 - Google 検索

一方、こちらの記事では、アメリカでの素晴らしい逸話が紹介されている。

【新型コロナ】医療従事者が“コロナいじめ” にあう日本、ヒーローになるアメリカ

日本では、クルーズ船などで待機している人に対して「ありがとう」のメッセージを送ったとの報道は聞いたことがあるが、医療従事者やライフラインを守る人々に対して「ありがとう」を伝えたとの報道を、私は聞いていない。

良く「インフルエンザ」だって年間何千人も死んでいるのに、コロナだけなんでそんなに騒ぐの?

との疑問を聞くが、一番大きな違いは「インフルエンザ」で病院が満床になって、手当出来ない状態になることはない。と、言うことだ。

最善の手を打って、それでもダメであった場合には仕方がない。

だが、医療崩壊が起きて(既に起きている)、人手や医療機器が不足しているがために、適切な手当さえ出来れば救えるはずの命が失われて行くのが耐え難い。

外出自粛などの措置を講じて、感染の速度さえ押さえてもらえれば、後は我々がなんとかする。

その医療従事者の「矜持」によって、世界は支えられている。

今回のコロナ禍に対して、最前線で戦っているのは、彼らだ。

彼らの誇り、プライド、そして自分の命と引き換えに、ほとんど眠る間もなく、それこそいつ終わるか先の見えない中で、献身的な活躍を続けている。

東京圏の病院は「感染患者でひっ迫」 新型ウイルス専用治療室の内部

彼らの戦いをサポートするための「外出自粛」が、なぜ出来ないのか。

彼らを称えるどころか、あらぬ中傷で非難するとは、なんたることか。

ありがとう、もう休んで下さい。

あなた達はもう十分務めを果たしました。

果たしました。などの言葉では表現出来ない激務であったでしょう。

もう、前線から退いて下さい。

あなたたちに、それが出来ないのは分かっています。

だが、援軍は来ません。

後は、彼ら一人一人に、自分の身を守ってもらいましょう。

危機を迎えなければならない人は、発症しても騒いではいけません。

それで死ぬなら、寿命と思い、残りの人生を全うして下さい。

ICUは、子供たちのために空けておきましょう。

それまでは、ゆっくりと休んで下さい。

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