未来技術の光と影。
SIYOU’s Chronicle




ティム・クック:誇りをもって、自らゲイであることを認めたい
http://jp.techcrunch.com/2014/10/31/20141030apple-tim-cook-proud-to-be-gay/

AppleのCEOであるティム・クック(Tim Cook)が、Businessweekに自ら執筆した記事の中で、自身がゲイであることを公表した。ゲイであることというのは、あくまでもプライベートなことだ。しかし自身のプライバシーを公表することで、自身の性向について悩んでいる人の助けとなったり、あるいは差別の撤廃に向けて資するところがあるのであればと考えて、今回の行動にいたったのだそうだ。


『LGBT』

Lesbian(レズビアン)、Gay(ゲイ)、Bisexual(バイセクシュアル)、Transgender(トランスジェンダー)の略であり、性的マイノリティを示す言葉であるが、肯定的な意味合いで使用される。

欧米でこそ、かなり理解が進んでいるが、日本ではまだまだだ。法律的には、例外的に戸籍上の性別の変更が認められるまでにはなっているが、肉体的な性転換手術を受けた上での、極めて例外的な措置に留まっている。

『LGBT』に対して余り良く思わない者は、倫理的/道徳的な理由からではなく、男同士/女同士が絡み合う様が脳裏をかすめ、生理的な嫌悪感を感じる者が大半であろう。その感情は自然なものだ。だが、それが絶対的に正しいものであるかと言うと、単なる多数派の感情に過ぎないと、私は思う。

「社会にはそう言った問題があり、それにより苦しんでいる者がいる。ひょっとすると気付いていないだけで私の身近にもいるかもしれない。彼ら/彼女らの抱える問題を理解してみよう。」

そんな肯定的な思いから「男の身体を持ちながら心は女性ということは、果たしてどんな気持ちなのだろうか。」と、考えてみたとしても、すぐに先程の生理的な問題が潜在意識に、または、はっきりと意識に昇り「やはり、わからない。」と、思考停止状態に陥ってしまうのが普通ではないのか。彼ら/彼女らに対する理解が進まないのは、恐らくはそういった理由に依るところが大きいと思う。

だがここでちょっと視点を変えて見よう。以下の文章は男性向けに書いているので、あなたが女性であるなら男女を入れ替えて読み進んで欲しい。


ちょっと想像してみて欲しい。

仮にあなたが男性であったとして(女性の場合には男女を裏返して)、あなたは合コンなりお見合いパーティーなりに参加している。

なぜかあなたは女性側の席に座っている。そう、女性の体を持った男性の気持ちになって考えてみよう。

隣には結構好みの女の子が座っているにも関わらず、あなたに話しかけてくるのはその下心を隠し切れない男ばかりだ。

酒が進んで来れば、手相を見ようと言って手を握ろうとしたり、何かにかこつけて肩を抱こうとしてくる。

そのような状態がずっと続くことになるのだが、果たしてそれに耐えられるだろうか?

「もう二度と、このような場には来るまい。」

そう決心するに違いない。

彼ら彼女らの抱える問題の第一は、それだ。「女性の体をしていても心は男」であるとは、そういうことなんだと思う。逆も然りだ。


時が経ち、あなたに非情に仲の良い女友達ができたとしよう。勿論あなたにはそれ以上の感情があるのだが、それを告げることなど、とても出来ない。

時に彼女の見せるそぶりや言動に、友情以上の何かを感じ、ある日意を決して告白してみる。だがそれはやはり、あなたの勘違いであり、彼女の顔面は蒼白となり

「そんな目で見ているとは知らなかった。気持ち悪い。もう友達ではない。」

捨て台詞を残してさる彼女の後ろ姿に、心が張り裂けそうになりながら、あなたは心に誓うであろう。

「もう誰も愛さない。」、少なくとも相手に自分の思いを告げることなどしない。と。

それが、彼等、彼女らの抱える問題の二番目だ。


やがてお大人になり、幸運にもあなたは同じ趣向の伴侶を得ることができた。

自分には到底叶わぬ夢と諦めていただけに、その至福感はひとしおだ。

結婚などの形式的なものは望まない。彼女と一緒に暮らせればそれ以上の幸せはない。

だが一緒に暮らし始めてやはり、買い物に出た時に手を繋いで歩いたりしてみたい。周囲の目を気にしてそれは我慢だ。

十分に気を付けていたつもりだったにも関わらず、ある日、仲良くしてもらっていたアパートの管理人さんから

「私はそんなの気にしないのだが、気持ち悪いので追い出してくれとの声が多数ある。なんとかならないか?」と、宣告される。

どこで知ったのか「風紀に関わる。一緒に仕事したくない。との声が多数ある。社内の不穏な空気を抑えるのに忙殺され、もう私の手には負えない。」と、退職を促される。

社会的な理解不足により、仕事や住む所すらままならない。

いったい、それ程の仕打ちを受けなければならない何をしたというのか。

それが、彼等彼女等の抱える第三の問題だ。


私はゲイではない。言い寄られたら、流石にそれは拒否するし、その日から彼との人間関係がギクシャクは、するであろう。

だが、上司なり部下なりにゲイであることをカミングアウトされ、友達の一人として伴侶を紹介された場合には、ごく普通に接することが出来ると思う。

勿論、彼らの性格により、気が合う/合わないはあるだろうが、それは一般の人とて同じだ。

彼ら/彼女らの性的な嗜好のみで、さも、それが正義であるかのように声高に否定するのは、やめようではないか。


自分の信じる神のみを正義と信じ、他者を全否定することから、紛争が始まり戦争に発展する。

隣人を愛せよ。と、誰かが言っていた。

それは多分、人類を幸せに導くための基本の一歩であると思う。

そしてあなたも、その人類の一人なのであるから。

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