夫婦で新しい人生にトライしてます~日本編

15年ぶりにカナダから帰国。終の棲家と選んだ北海道美瑛町から日々の生活を綴ります。

相撲の行司

2023-04-01 08:29:52 | ブログ

時々利用している美瑛町立の体育館内にこんな展示物があり、何だろうと近づいてみると「第31代木村庄之助」寄贈とありました。美瑛町出身者のようです。こういう人が美瑛町にいたのだと感心して眺めました。

それで、式守伊之助、木村庄之助って相撲の行司として名前だけは知っていますがそれ以外は何も知らないので、この機会に色々とググってみました。

そもそも行司というのはどのようにすればなれるのだろうかということですが、最初から力士としてではなく行司になりたいとして各相撲部屋に所属することから始まるのだそうです。それも19歳までにという制限付きなので高校を出たら直ぐ相撲部屋に就職し、そこで部屋の雑用係などをしながら行司会なる組織で行司の作法を学び、いずれ日本相撲協会から行司として推薦されるのを待つということです。年に1人くらいということですからかなりの狭き門です。我が町の木村庄之助も立浪部屋に所属していました。

そこで行司となると、力士と同じように階級社会で最初は序の口から序二段、三段目と昇進して行き、幕内、三役の次は力士なら大関、横綱となるところを行司の最高位は立行司という役職になり、その立行司には現代では式守伊之助と木村庄之助の2人が収まることになっています。

式守伊之助と木村庄之助では木村が上で、我が町の第31代木村庄之助もその前は第32代式守伊之助を襲名していました。行司は65歳定年制があり、この人は先代が定年後63歳で木村庄之助を襲名し65歳の定年まで勤めました。軍配裁きが的確で知識、指導力にも優れた人物だったそうです。と言ってもまだ83歳でご存命です。

彼の後には当然32代以降も木村庄之助は襲名され続けているのですが、2015年3月場所で37代が引退した後木村庄之助は不在となっています。本来ならば現在の第41代式守伊之助が襲名すべきところなのでしょうが、この人は軍配差し違えなどが多くてそこには到達出来ないでいるそうです。

行司の待遇は、序の口で月給12、3万円、立行司で50~60万円、これに諸手当や衣装代が支給され立行司で年収1500万円程度。会社勤めとあまり変わらない気がしますが、下積みが長く、伝統社会でしきたりも厳しく大変な職業ではあるようです。

あまり相撲は見ませんが、こういう目で見て見ることも面白いかも知れません。

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