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駿 府 は 96 か 町

駿府はちぃっと覇気がないけぇが,御所(ごせ)っぽくていいじゃん【ごせっぽい≒平穏でせいせいしている様】

葵祭 (その2)

2009年05月11日 04時58分04秒 | 駿府のバラード
10日の葵祭のようすです。
この日はとても暑い一日でした。

▽ 行列の先頭です


▽ 猿田彦の足が高くあがります

▽ 途中で交代します

▽「鯔背(いなせ)」な若い衆(元若い衆もいるようですが・・・)
余談ながら“いな”とはボラの幼魚、つまり“いなせ”とは、いなの背びれのこと。
(江戸市中の友人の受け売り)

▽ 普段みる駿府衆とは違って威勢がいいです


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「葵祭」のおみこし

2009年05月09日 20時43分11秒 | 駿府のバラード
「葵祭」といっても京都のそれでなく
七間町の別雷神社(わけいかずちじんじゃ)のものです。
(一般的には“いかずちじんじゃ”とよばれている。)

毎年、5月13日、14日がお祭りの日ですが
おみこしの巡行(正式な言い方は渡御)
平日では担ぎ手の確保がむずかしいためか
10日の日曜日午後1時から
別雷神社ー七間町ー呉服町ー紺屋町ー小梳神社のコースで行なわれ
また9日の土曜日の夜は前夜祭として地元で実施されるようです。

この神社の祭りは
規模としてはけっして大きくはないのですが
いかにも町なかの神社らしく
どこか格式の高さが感じられます。

現在のこの神社の氏子は
中心部の12カ町なのですが
その昔は駿府96カ町の町年寄りによる自治が
ここで行われたという由緒ある神社でもあります。


▽ 9日土曜日の前夜祭のおみこし(音に注意)
 “みこし”も“おはやし”が加わると、とてもひきしまった感じになります。


▽ 葵区七間町14番地の6
 静岡大火あとの下石町通り(現青葉通り)の拡幅と横丁の開設に伴い大幅に境内が削られたようだ。
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一加番

2009年05月09日 04時26分24秒 | 駿府のバラード
▽ 一加番稲荷神社(葵区・鷹匠一丁目・8番)


駿府城は忠長が蟄居させらた後、城主が置かれませんでした。
そのため駿府城の警護のため加番がおかれました。
一加番、二加番、三加番のうち
一加番屋敷は最初紺屋町に置かれていたものが
由比正雪の乱をきっかけに
横内御門に近い位置(現、鷹匠一丁目)に移されたようです。

現在では屋敷跡など全く残っていませんし
区画整理で街区の形状など昔とは違ってしまって
当時の面影など全くないのですが
加番屋敷にまつられていた稲荷神社のみが残されて
現在に至っています。

この神社のお祭りが
今夕から明日10日にかけて行なわれるようです。
それほど盛大な祭りというわけでもないでしょうが
ちょいとのぞいてみようと思っています。



一加番稲荷の隣には、喫茶「ブーケ」があります。
神社のことを指すのに
「一加番」というよりブーケの隣の神社と言った方が
一般には分かりやすいかもしれません。(笑)

それはともかく
ブーケは、コーヒーを大きな手回しミルで
マスターがそのつどひいてくれるのが
好もしい感じがします。




こちらは、駿府公園内にある駿府城下の図です。
緑で囲った部分が一加番屋敷の位置です。



▽ 現在の街区符号で言うと、鷹匠一丁目1番の一部、2~11番付近だと思われます。

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天空の人

2009年05月08日 19時00分00秒 | 再開発

△ 紺屋町再開発ビル
すでに21階まで鉄骨が組まれています。



△ 当たり前のことなのでしょうが、
この天空のごとく高い場所で働く人がいるのですね。
あらためて感心してしまいます。
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あさの あふひく おふてまち

2009年05月08日 10時00分00秒 | 街かどのメヌエット


今朝8時過ぎの葵区追手町
職場に急ぐ人の波が途絶えることがない
ほんの刹那の都会的風景




▽こいのぼりは、ゆったり泳いでいます。
 県庁は屋根の方がうんと高いので、目立ちませんが・・・・


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5月5日のせいくらべ

2009年05月05日 21時00分00秒 | 駿府のバラード
▽富士山と左手に見える龍爪山(りゅうそうざん:竜爪山とも書く)
 〔雨天のきょうは全く見えませんでした。09年1月撮影したものです。〕



「背くらべ」の歌を作詞した海野厚(うんのあつし 1896~1925)は、
豊田村字曲金(まがりかね:現、駿河区曲金二丁目)の生まれです。

この「背くらべ」の2番の歌詞にでてくる
雲の上まで顔出して、てんでに背のびしている遠いお山とは
曲金あたりからよく見えた富士山と龍爪山のことだと言われています。

そう思いながらこの歌を歌ってみると
いっそう感慨深いものがあります。



▽母校の西豊田小(駿河区曲金二丁目8番80号)にある「せいくらべ」の歌の碑
〔1987年、静岡市教育委員会(児童会館)発行「ひとつの碑(いしぶみ)から(文学編)」から〕


▽駿府公園の沈床園(中央の庭園)にあるカリヨン


こちらは、駿府公園にあるカリヨンで
静岡ライオンズクラブの寄贈により1988年に設置されたものです。

毎正時にメロディーが打ち鳴らされます。
そのメロディーに
海野厚の作詞した「背くらべ」と「おもちゃのマーチ」も
採用されています。

でも、そのような説明は一切ないのは少々さびしいです。
それにずいぶん前からペンキがはげています。

寄贈を受けたものなので
市としてもあまり予算をさきたくないのかもしれません。
また、駿府公園整備計画との兼合いがあるのかもしれません。

それでもペンキの塗り直しと
郷土の誇り、海野厚に関する説明板の設置をぜひしてほしいと思います。

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みどりのおもてなし(新茶まつり)

2009年05月03日 19時00分00秒 | 街かどのメヌエット
毎年、5月3日・4日の連休に
七間町や呉服町などでは、シズオカ・サンバカーニバルが行われます。
当初は七間町単独の行事として始められたものが
今では中心商店街全体に広げられました。


▽ 葵スクエア前(呉服町二丁目)、人垣でよく見えません。
(手を上に伸ばして撮影したものです。)


一方、青葉通りでは“みどりのおもてなし”と題して
毎年同時期に「新茶まつり」も行われています。


▽ 静岡新茶まつり2009の会場


会場では、静岡市の本山茶(ほんやまちゃ)をはじめ
県内各地(袋井、掛川、菊川、牧之原、富士等)のお茶を飲むことができます。
清水の両河内茶はさすがで、とてもあまくておいしかったですよ!

もちろん、各ブースで販売もしています。
たいてい80~100グラム1,000円程度です。

但し、会場で行なっている手揉みの実演のものは
30グラムで1,000円とちょいと高いです。
でも、本当はもっと高いものかもしれませんね。

あすは天気がよければサンバカーニバルの方はパレードが
実施されますが(きょうは、各拠点での演技)、
新茶まつりの方もぜひのぞいてみたらいかがでしょうか。

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府中・江尻間の立場 (たてば)  その3

2009年05月01日 15時00分00秒 | 駿府のバラード
立場:その1
立場:その2 のつづきです。



JR線によって旧東海道は途切れてしまっていますが
JR線の南側のここを目指してさらに進みたいと思います。

右手(西方向)へ折れて跨線橋を通るルートもあるのですが
今回は左手(東方向)に折れたところにある地下道を通っていこうと思います。

JR線沿いに数百メートル進みます。
静鉄線のガードの先に
北村地下道という名の地下道があります。
北村というのは、多分、栗原の小字(こあざ)ではないかと思われます。

▽地下道の入口です。


▽内部のようす。(夜間は一人歩きはやめた方がいい雰囲気です。)


▽南側へ出たところにある注意書きです。
まあ、注意にこしたことはないですが限度があります。(笑)




南側に出たところには「旧東海道記念碑」がありますが

1 1962年国鉄操車場の建設のため東海道が分断されてしまった。
2 1990年の静清土地区画整理事業(草薙地区の区画整理)で
 静鉄線「県総合運動場駅」東側の約300mが失われてしまった。

ということで、1991年6月に静岡中央ロータリークラブが静岡市へ寄贈したものだということです。

寄贈はいいのですが、お役所はこの種のものの管理は、ほとんどしないのが通例です。
そこでロータリークラブでは地元老人会に依頼して、
清掃や花を植えて常にきれいになるようにしているということです。



▽来た方向を振り返ります。
 黄色の線の方向が失われてしまった旧東海道だと思われます。
(写真の右手に、通ってきた地下道の出入口があり、写真手前方向が清水方面です。)
1960年ごろの地図を見ると、ここには踏切があって、なんとバス路線にもなっていたようです。



▽由来記によると・・・
この記念碑の石(この説明の書かれた石ではなく、隣の「旧東海道記念碑」と書かれている碑のことだろう。)は、
追手町の市役所静岡庁舎(新館)のところにあった静岡御用邸で使われていたミカゲ石でできていることが
書かれています。
なお、静岡御用邸は1940年の静岡大火の際、周囲はほとんど消失したなかで懸命な消化作業で守られましたが、
1945年6月20日未明の空襲では、なす術もなく焼失してしまいました。



▽御用邸のあった場所は・・・



▽分断及び失われた旧東海道(青い線)


 (つづく)


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