駿 府 は 96 か 町

駿府はちぃっと覇気がないけぇが,御所(ごせ)っぽくていいじゃん【ごせっぽい≒平穏でせいせいしている様】

やりすぎと放置

2011年05月29日 11時05分29秒 | 街かどのカプリッチョ
▽葵区七間町通り(呉服町二丁目1番地附近)


静岡市の街路樹は
秋になると徹底的に剪定の洗礼を受け
ほぼ丸坊主にされてしまひます。

落ち葉や道路標識が見づらくなるなどの問題は
あるとは思ひますが
どこもかしこも一律に剪定してしまふのは
やりすぎだと思はざるをえません。

夏になっても木陰をつくってくれず
貧弱な葉を申し訳程度に付けるだけです。




▽葵区外堀通り(追手町2番附近)


一方、こちらは街路樹の範疇(はんちゅう)には
入らないのかもしれませんが
歩道沿ひに植えられてゐるサツキです。

ササにおほひつくされて
肝心のサツキの花がよく見えません。
(年々ひどくなってゐます。)

多分、土についてきたササが繁殖して
サツキをおほふばかりになってしまったのでせう。

一般の街路樹の剪定とこのサツキの管理は
役所内の予算も所管も違うのでせうが
もう少しなんとかならないものなのでせうか?

静岡鉄道・新静岡駅のリニューアル

2011年05月27日 11時05分27秒 | 新静岡ターミナル
▽ 静岡鉄道 新静岡駅(葵区 鷹匠一丁目 1番)





新静岡ターミナルビルは
現在、再開発でビル建て替へ中ですが
それに合はせて新静岡駅(静岡鉄道・静岡清水線)も
リニューアル工事が施工されてゐます。

今週は1、2番線用ホームを一時的に閉鎖して
ホームの床や天井の工事が実施する風景が見られました。

閉鎖中は2番線の降車専用ホーム(3番線と同一ホーム)が
乗降に使われてゐました。

タチアフヒが咲き始めました。

2011年05月26日 11時05分26秒 | 街かどのメヌエット
▽一部発掘復元されてゐる本丸堀(内堀)に咲くタチアフヒ(葵区 駿府公園 1番)




夏の花、タチアフヒが今年も咲き始めました。

可憐な花というよりも
夏に向かってダイナミックに咲く印象ですが
ハイビスカスの仲間だと聞けば
納得するものがあります。



▽「双葉葵の小径」のフタバアフヒ



名前が「アフヒ(葵)」なので
徳川家とゆかりの深い
静岡市や会津若松市などの市花に制定されてゐます。

実際は、徳川家の葵の紋は
フタバアフヒ(双葉葵)がモチーフなので
タチアフヒの葉の形とは異なってゐます。

みかんの花咲く静岡

2011年05月21日 11時05分21秒 | 街かどのメヌエット



ミカンの花は見たことがないという人でも
「みかんの花咲く丘」という歌は御存知かもしれません。

この歌の誕生は
 1946
(S21)年8月、NHKの子ども向け番組(もちろん当時はテレビなどない時代)
公開放送が伊東市で開催された際
番組中に使うために創作されたものだということです。

当時のミカンの生産はまだ愛媛県が台頭する以前で
ミカンと言えば静岡県や和歌山県が両雄で
「静岡県といえばミカン」という連想はきわめて自然で
花が咲く時期ではないのにも関わらず
伊東市開催ということで
ミカンにちなんだ歌がつくられたのでしょう。
 
なんでも、作曲が間に合わず、東京から 伊東へ向かう列車
 (いわゆる湘南電車<80系湘南型>の登場前ですから
 当然EL
<電気機関車>
牽引の客車列車) 内で作曲され
その場で当時の人気童謡歌手の 川田正子(1934-2006)
歌唱指導したたそうです。

川田正子の歌唱力もあって
ただ一度の放送にもかかわらず
今日まで歌い継がれる
人気の歌になったということです。


それはともかく
現在、駿府公園
(2012年4月「駿府城公園」に改称)にある
家康公お手植えのミカンが花をつけています。

ミカンの花は
細長い小さな花びらで
お世辞にも見ばえのするものではありません。

数メートルも離れれば
咲いているのも気づかないほどの
せいぜい直径2センチくらいの白い小さな花です。

そのため
せっかく公園を訪れても
存外見過ごしてしまっている人も
多いかもしれませんね。


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ポプラの帷子(かたびら)

2011年05月18日 11時05分18秒 | 街かどのメヌエット


少しばかり見づらいかもしれませんが
よく見ていただくと
なにやら白い雪のやうなものが舞ってゐるのが
分かると思ひます。

これは、今の季節の駿府公園(駿府城址)の名物の
ポプラの種子です。
綿毛となって公園内を舞っています。




足元に視線を落としてみると
シロツメクサの葉の上に
雪の帷子(かたびら)のやうに
降り積もっています。
 
        





シロツメクサのツメクサは漢字で書くと「詰草」です。
  けっして「爪草」ではありません。
  これは、長いつる状の形状がパッキングとして適してゐたため
  江戸期、オランダから輸入されたガラス製品に詰められてゐたからで
  役目を終へたものが捨てられ帰化植物として広まったのです。

シズオカ×カンヌウィーク 2011

2011年05月15日 05時15分00秒 | 街かどのメヌエット





静岡市とふらんすのカンヌ市は姉妹都市です。

2012年に本格的開催を目指した
「シズオカ×カンヌウィーク」のプレイベントが
カンヌ映画祭が行われるこの時期に合はせて
静岡市街で行はれてゐます。

今年は昨年につづき2回目で
いろいろな催しのひとつが14日の午後行われた
七間町(しちけんちゃう)を南仏のマルシェに見立てた
「シズカン マルシェ」です。

静岡農業高校の生徒達が焼いたパンなどもあって
見るだけでも楽しいです。

15日の午後にも開催されます。

安倍川花火大会復活の証し

2011年05月14日 05時14分00秒 | 街かどのメヌエット



安倍川花火大会のポスターを見かけました。

なにをするにも後塵を拝するのが好きな静岡にしては
震災後、わずか数日で今年は中止と決定されたのには
いささか呆気(あっけ)にとられたのですが・・・

その後、なんでもかんでも自粛はいかがなものかという
県知事などの発言で復活が模索され
一転して実施するという報道があったのですが
中止劇のあまりのあざやかさの後では
なかなか信じられない思ひでした。

ポスターを見て
やっと一安心といふ思ひです。

ヤマボウシ(ミズキ科)の花とオリオン座のグランド・ジャット島

2011年05月13日 11時05分13秒 | 街かどのメヌエット
▽ 葵区 七間町 15番地附近




七間町のうち、映画館が建ち並ぶ旧三丁目は
「七ぶらシネマ通り」といふ愛称が付けられています。

歩道にはヤマボウシが植えられてゐて
今年も白い花をつけはじめました。

ヤマボウシはハナミズキの近縁種で
ハナミズキよりやや遅れて咲き始めるやうです。

「グランド・ジャット島の日曜日の午後」の壁画を背景に咲くのも
ことしが最後になるのでせうか・・・・

新静岡ターミナル(建物正面の囲ひがとれました)

2011年05月06日 15時00分00秒 | 新静岡ターミナル
▽北街道側からのビル


▽工事前、多くのバスが出入りしていたビルの角
 (完成後は一般車のビル内駐車場誘導路となり、バスはビル右手からとなるやうだ。)


▽図の左手が北街道




建設中の新静岡再開発ビルの
正面(北街道側)の囲ひが取れて
建物の外観を見ることができるやうになりました。

正面側(北街道側)の工事が進展していることと
北街道に面した歩道の復旧工事のため
建物寄りに歩行者の通路を確保する必要があるために
囲ひが取られたようです。

駿府公園にお茶のゆかりを見る

2011年05月05日 05時05分05秒 | 駿府のバラード
新茶の季節ということで
身近な駿府公園
(2012年4月、駿府城公園に名称変更)
お茶のゆかりを訪ねてみましょう。




現在栽培されているお茶のほとんどは
“やぶきた”という品種なのですが
このやぶきた茶の産みの親が
杉山彦三郎氏
(1857~1941)
その功績を顕彰する胸像碑です。

碑にも説明があるように
氏は現在の駿河区中吉田の生まれの民間育種家で
竹やぶ
(現:駿河区中吉田41番)を開墾して品種改良に取り組み
北側にあったのが“やぶきた”、南側にあったのが“やぶみなみ”と
命名されたというわけです。


戦後の1955(S30)年に
やぶきたが静岡県の奨励品種に指定されると
急速に普及し現在に至ったということです。

 
▽ 駿河区谷田159番地(現:中吉田41番)から移された駿河区谷田24番にあるやぶきた原樹

氏の出生地を有渡郡有度村とする資料が多いようですが
有度村の成立は1889年なので出生当時は「有渡郡中吉田村」だと思われます。
(現在の国吉田とするものもありますが 国吉田村は1889年豊田村となっていますのでちょいと疑問ですが、調べようもありません。
あるいは、1991年に中吉田地区、92年に国吉田地区の住居表示が実施されていますので町界が変わったということかもしれません。)
◇1889年有渡郡有度村成立(現在の駿河区と清水区にまたがる地域)
  郡名は「有」、村名は「有
◇1896年安倍郡有度村(有渡郡を廃止して安倍郡に併合)
 ◇1955年有度村全域を清水市に合併

 ◇1958年清水市の旧有度村のうち中吉田、平沢、中之郷の一部(現弥生町)、谷田の一部を静岡市に編入





こちらはマッケンジー婦人を顕彰するオブジェ(?)です。

明治末期から昭和始めにかけての時期は
アメリカ向けのお茶の輸出が大変盛んで
(戦争の影響で中止される1941年7月まで続いたということです)
そのお茶の輸出のお陰で
静岡市の製茶問屋は大いに繁栄したということです。

1918(T7)年、アメリカの貿易商社アーウィン・ハリソン・クロスフィールド商会
 
(1924年、J.C.ホイットニー商会を吸収し、アーウィン・ハリソン・ホイットニー商会となる) のマッケンジー氏は日本における支配人としてに婦人とともに来静し (当初は西草深町の英和女学院そばの洋館(現存せず)に住んだということです)
お茶の輸出に多大な貢献をしたということです。

1951(S26)年、マッケンジー氏が亡くなったあとも
マッケンジー婦人は静岡に残り
私財を投入して乳児院を経営するなど
静岡市の福祉事業に尽力され
1959(S34)年、旧静岡市の名誉市民第1号に選定されています。

このオブジェには何の説明もないのですが
婦人が存命だったころは広く知られた存在だったとは言え
知る人も徐々に少なくなっている現在は
お茶が結ぶ由縁を含めて
ぜひ婦人の顕彰文の設置が必要だと思うのですが・・・・


駿河区高松2852番地にある旧マッケンジー邸
静岡市に寄贈されて現在も公開されています。

 参考:静岡市HP、静岡県HP

東海道は七間町(しちけんちょう)の曲がり角

2011年05月04日 11時05分04秒 | 駿府のバラード
▽京(みやこ)方面へは、七間町と直角に交わるこの角を曲がる。(右手奥方面が東海道・人宿町商店街方面)


▽街道歩きの旅人のための手作りの標識
 (本来、市で設置すべきでしょうが、ここが旧東海道と知らぬ市職員もいる現状では期待する方が無理でしょうか・・・)


▽閉店のお知らせ


駿府の町の中心は札之辻です。
(現在、静岡伊勢丹がある十字路で江戸で言へば日本橋にあたる起点箇所)
この札之辻から京へ上るには碁盤の目状の町割り
七間町通りをまっすぐ進むことになります。

4丁(約440m)進んだところにある
(駿府の町割りは1丁ごとなので、本来は4つめの角だったが
 静岡大火後に間に小路が新設されたため現在は8つめの角)

十字路が東海道の曲がり角となります。

すなわち右手へ曲がると東海道
左手へ曲がると徳川宗家ゆかりの寺院である宝台院正面というわけです。

曲がらずに真っ直ぐ行くと寺町通りとぶつかる丁字路(ていじろ)となります。
(昭和の始めに駒形通とつながり貫通した)

したがって重要な十字路なのですが
都市化が進んだ現在では
ごく普通の目立たぬ交差点となってしまっています。

この交差点で唯一の目印となるものは
上の写真のクチーナ・スギヤマといふ商店です。

杉山金物店として
戦前からあったお店のやうですが
とうとう閉店してしまうようです。

この十字路の手前に建ち並ぶ映画館のほとんどが
この秋閉館してしまうのを見越しての
閉店なのでしょうか。

旧城下の町々が衰退していくのは
静岡市の都市計画が
旧城下を中心に見据えた視点が欠如していて
近年、静岡駅を中心にしたものになってしまっているので
仕方がないことなのかもしれません。



▽旧東海道は駿府城下を何度も直角に曲がって進む。
 (江川町交差点の部分は、御幸通り開通の際五叉路になるやうに付け替へられた)

F:札之辻  S:スギヤマ 

ヒトツバタゴ (ナンジャモンジャ)が咲きはじめました。

2011年05月03日 09時10分11秒 | 街かどのメヌエット
▽駿府城址・天守閣跡附近
(天守閣跡と言っても明治期に天守台も破壊つくされてしまったゐるので
 なにもないのですが(笑))





よその土地では
咲いたという便りもあった
ヒトツバタゴ(ナンジャモンジャ)の花ですが
静岡でも咲き始めたやうです。

説明板に
雪をかぶったようにとありますが
ちょいと離れて見ると
本当に雪をかぶったようです。




八十八夜のころ

2011年05月02日 23時24分25秒 | 街かどのメヌエット




夏の前ぶれがときおり
顔を見せる季節となりました。

静岡駅前広場にある
観賞用のお茶の木も
みる芽(やわらかな新芽)を
ぐんぐん伸ばしているやうです。





静岡市はお茶の産地であるとともに
お茶流通の町でもあります。

※その昔
一番茶のころには
静岡駅から茶町通り、安西通りに建ち並ぶ製茶問屋へ
お茶の見本缶をもった才取り屋さんが
競争のように自転車を走らせたということです。

今でも
全国で生産されるお茶の
実に三分のニはいったん静岡市内の
製茶問屋に集められ
仕上げ茶に加工されて
全国に出荷されます。

八十八夜の今の季節
静岡の町ではあちこちで
新茶の接待を受けることができます。




※昔のお茶の流通経路
生葉→荒茶製造業者→斡旋業者(才取り)→再製業者(輸送、保存に耐えられるよう火入れ)→産地問屋→消費地

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