駿 府 は 96 か 町

駿府はちぃっと覇気がないけぇが,御所(ごせ)っぽくていいじゃん【ごせっぽい≒平穏でせいせいしている様】

駒形商店街 その2

2009年02月28日 15時00分00秒 | 街かどのメヌエット
▽しずてつストアのある交差点を渡ると駒形通二丁目となります。
 ここからは電線が地中化されていません。それだけで日常的な雰囲気となります。
 ここまで来ると七間町の非日常的な雰囲気はなく、活気あふれる商店街とまでは言えないまでも、
地域の住民の生活を支える日常の買い回りの商店がまだまだ健在です。






▽ここは、たしか旧静岡市で最初のコンビニエンス・ストアだったのでは・・・
 進出阻止の騒ぎは、もう遠い昔のことです。
(駿府の商店街組織は、おっとりしているようでなかなか強力なのです。(笑))
 当初のローソンからショップ99に変わり、最近ローソン100に変わった。
 ショップ99がローソンの傘下になったためなのでしょう。





▽ロシア料理店もあります。





▽駒形の地名の由来の駒形神社です。





▽駒形神社裏に残る'60年代を思わせる風景(営業しているのは1軒のみか?)





▽まだ、七間町とつながっていない駒形通り
  緑色の線のあたりが、現駒形通一丁目・二丁目になります。(この時点では道路は未開通、ピンクは東海道)
 新通小学校は静岡市外に立地していたことになりますが、ほぼ同一の生活圏だったでしょう。


                     大日本職業別明細図(1927年、東京交通社発行・静岡市立図書館蔵)



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駒形商店街 その1

2009年02月26日 11時23分57秒 | 街かどのメヌエット
▽市役所横から始まる七間町通りが、ここ(駒形通一丁目1番街区)から「駒形通り」と名前を変えます。



今回はちょいと趣を変えて
フィールドワークというほど大げさなものではないですが
「駒形商店街」を歩いてみたいと思います。
駒形地区は、現駒形通一丁目や旧二丁町(にちょうまち)あたりを除き
江戸期は川辺村、安倍川村で駿府ではありませんでした。
(1889年大里村に、1929年静岡市に)

それでも、
江戸が本郷の“かねやす”を過ぎたら直ちに趣が全く変わって、
田舎の風景が広がっていたなどということがなかったように
駿府に連なる街並みなども少しはあったのではと想像されます。
明治後期には、ほとんど静岡市と一体化した街並みが形成されたようです。


旧東海道である七間町通りを県庁を背にして進むと
映画館のあるシネマストリートに達します。
旧東海道はここ(昭和通りとの交差点から一丁先)で
七間町通りと別れて直角に右折することになります。
右折せずにさらに一丁ほど直進すると
その昔は寺町通りにぶつかり
そこで道はどんづまりとなっていました。(狭い抜け道はあったようだ)


昭和の初め、七間町通りをさらに直進する道路が貫通し
その先の道路とつながりました。
これが今日の駒形通一丁目の通りです。

通り名は「駒形通り」ですが
町名は「駒形通○丁目」で「り」はおくらないのが正式です。

また、バス停がすべて「通」を省略して
「駒形○丁目」となっていることから分かるように
慣用的には「駒形○丁目」が使われ
正式町名の「駒形通○丁目」が使われるのは、
ほぼ公的書類だけに限られるようです。

通り沿いだけに付けられ町名ではないのに
住居表示実施の際、なぜ「駒形通」が採用されたのか
非常に不思議な気がします。

それはさておき
実際に駒形商店街を一丁目から歩いてみることにします。

一口に駒形商店街と言っても
どのあたりを指すかは一概に言えないと思いますが
(商店街組織としては七つほどあるらしい)
ここでは駒形通一丁目から六丁目までの
通り沿いの商店街を総称して駒形商店街を使うことにします。



▽駒形通一丁目では、“駒一”から“こまち通り”を名のっています。
 


▽一丁目は、まだ十分に七間町の続きという雰囲気を残し、電線は地中化されていてすっきりした街並みです。
昔ながらの商店も残っていますが、木造の家は意外に少なくビル化が進みつつあるようです。
ちなみに、右端に映っているマンションは、所在地は「駒形通一丁目」ですがマンション名は「七間町」を名のっています。
【写真の右手が県庁方面】




▽賃貸マンションの1階に入る“しずてつストア(旧ウオチョー)”。
しずてつストアのなかでは面積は狭小ながら、営業時間は夜11時までの長い営業時間です。




▽駒形通一丁目附近
(現駒形通一丁目は、1961年、戦災復興による区画整理完了により、
駿河町の大部分に旧駒形通一丁目の一部を併合して「駒形通一丁目」となりました。
なお、駿河町であった部分は、戦前は「寺町三丁目」でした。)



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丸子宿場まつり

2009年02月23日 06時03分33秒 | 街かどのメヌエット



3月8日(日)に駿河区の丸子六・七丁目の旧東海道を中心に「丸子宿場まつり」が行われるそうだ。
(地元の人には自明のことであるが、「丸子」は「まりこ」と読み、その昔は「鞠子」とも書かれたようだ。)

そのキャンペーンが2月22日(日)、静岡駅前地下広場で行われていた。

最近はあちこちで地域おこしのまつりが行われるようになったが、
事前にキャンペーンまでするのはめずらしいと思われる。
地域住民だけでなく、広範な参加をということだろう。

当日は、朝市や“かむろ”に扮した小学生の行列などの行事のほか
11時からJA跡地で“むかご”の入った丸子汁なるものが
500食、無料で振る舞われるそうだ。

このところの“なたねづゆ”気味の天候が心配されるが
雨天決行で行うということで力が入っているようだ。






まりこしゅく
丸子宿
▽1889年
→市町村制度発足で安倍川右岸の16カ村といっしょになり有渡郡長田村(うどぐん・おさだむら)
▽1896年
→有渡郡長田村から安倍郡長田村に
▽1934年
→長田村が静岡市に編入

手描きの映画看板

2009年02月20日 20時34分34秒 | 街かどのメヌエット
▽2月19日まで開かれていた「シズオカ シネパパーク フェスティバル」
今ではめったに見ることのない手描きの映画看板が展示されていました。
現在のコンピュータ処理のものとは違いスマートさには欠けますが
おどろおどろしいまでの訴える力も否定できないような気もします。








▽アカデミー賞受賞のスター気分で歩こう!
 (街路に敷かれたレッドカーペット)

金魚屋閉店と“はらドーナッツ”開店

2009年02月18日 17時42分30秒 | 街かどのメヌエット
▽ 七間町・金魚屋陶苑の最終日(2月15日)



▽ 近ごろ多い、関西風の「させていただきました」式過剰敬語がないのが、かえって好感がもてる。
  さりげなくしたためてあるが、なかなかの達筆(2月16日)



▽ 60万円の九谷焼の飾り皿は売れなかったようだ。
 (もともと、店のディスプレイも兼ねていたのかもしれないが・・・・)




▽ こちらは、青葉通りの“青葉通交番”近く(常磐町二丁目4番地の5)に開店した“はらドーナッツ”(2月17日)。
最初に見たときは「ばら」だと思ったが、よくみたら「はら」であった。(笑)

「はら」というのは神戸・湊川の原豆腐店由来で、ヘルシードーナッツということでけっこう有名らしい。
(21日追記:その後お客の切れることがほとんどないほど繁盛しているようで、今朝も行列ができていた。)

それはともかく、青葉通りは静岡大火後に下石町(しもごくちょう)通りを防火路として36m幅に拡幅した通りなので
昔からの商店などなくなってしまい、なんとなく町のにぎわいが感じられない通りである。

半世紀以上たった近年、呉服町通りに近い方は店舗が増えつつあるが、遠ざかるにつれさびしくなる。
特に昭和通りを超えると閑散とした街並みであるので、こういう店が増えるのはよろこばしい。

寒さと日本平

2009年02月17日 17時51分21秒 | 街かどのメヌエット
▽葵区某所からの日本平です。
 この風景内の背比べでは
 紺屋町再開発ビルの方が高くなってしまっています。



きょうは、日中の気温が8度(葵区某所)で
とても冷たかったです。
県東部の沼津などでは雪が降ったとか

これが本来の気候かもしれませんが
土曜日(14日)に最高気温26度を記録し
初夏を思わせるほどで
その後月曜の昼まで暖かかったので寒さが身にしみます。


余談ながら
県庁所在地の年間の雪や“みぞれ”が降る日数(量は関係なく観測された日数)は
多い順に
1 札幌市、2 青森市、3 盛岡市、4 秋田市、5 山形市
だそうです。

一方、少ない順では
1位の那覇市なのは当然として
静岡市が堂々の2位です
「雪見遠足」が行事として定着しているのも当然かもしれません。

※2006年、総務省「統計でみる都道府県のすがた」
(2月8日付け朝日新聞掲載から)

バスとバリアフリー

2009年02月15日 08時58分44秒 | 電車・バス
▽しずてつジャストラインのこのカラーのバスは、低床バスです。
静岡市内では、旧カラーの従来型のバスの方が少ないくらい増えていて、
バリアフリーの観点から喜ばしいことです。




▽都市型のシェルター付きのバス停も増えています。
雨天のときなどバスを待つのが楽です。
必要性に応じて設置というより
設置しやすい場所にと言う傾向は否めませんが(笑)




▽でも、このバス停の時刻表の文字は非常に小さいのです。
多分、コンピューターで一枚の大きさに収まるように、自動的に出力されているためなのでしょう。

特に休日用の時刻表は新聞の活字より小さいのではと思われるほどです。
老眼の人には、ほとんど判読できないでしょう。

どうやら老眼はバリアフリーの対象にはなっていないようです。
低床バスの購入費に比べれば、
字の大きな時刻表にするくらいは、ほとんど問題にならない程度の経費でできると思うのですが・・・

いっそのこと
老眼鏡か虫めがねをバス停に備え付けてもらいましょうか(笑)


伊東小室桜

2009年02月14日 09時35分04秒 | 街かどのメヌエット



早咲きと言えば河津桜ばかりが有名ですが
駿府公園(駿府城址)にも早咲きのサクラがあります。

駿府公園内の紅葉山庭園近くにある
「伊東小室桜(いとうこむろざくら)」がそれです。

「伊東小室桜」は、伊東市の小室山で発見された早咲きの桜で、
現在、小室山には150本ほどがあるそうです。

駿府公園にも2007年、大御所400年祭を記念して1本が植えられました。

当初、単に「小室桜」と言っていたのを
最近「伊東小室桜」と頭に伊東を冠するように変更したようです。
経緯は分からないのですが
遅咲きで有名な京都仁和寺の御室桜(おむろざくら)と
紛らわしいからでしょうか・・・

とにかく、たった1本とはいえ
大きく育って駿府公園の名物になってほしいところです。


追記:
今日(14日)の最高気温26度という2月としては異常な暖かさ
この暖かさで、早く散ってしまわないかな心配です。




駿河のひいな

2009年02月09日 09時00分00秒 | 街かどのメヌエット



このところ、春がすぐそこまでと思わせるほど
比較的温かい日が続く静岡です。
(最低気温5度、最高気温15度)

静岡市の伝統工芸品などを売る
静岡駅・アスティー静岡内の「駿府楽市(市の第三セクター)」で
静岡のひな具・ひな人業の業者による
「ひなまつり展」が開かれてます。

全国的な地名度は
岩槻などに比べると今ひとつなのかも知れませんが
静岡市を中心とした地域は、ひな具・ひな人形の“一大産地”なのです。
(都道府県別の生産高では、静岡県は岩槻市などをかかえる埼玉県に次ぐ)

特に、ひな具の90%、ひな人形の胴柄の70%は
静岡産だということです。

最近は住宅事情から
コンパクトなものが好まれるようで
ヒナ段がそのまま収納箱になるものもあるとか

静岡のひなまつりでは、
男の子が生まれた家には
大きな天神様の人形を贈る風習がある地域があったのですが
最近はそういう風習も
非常に少なくなりつつあるようです。

(参考:静岡市HP)





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新静岡ターミナル・その後

2009年02月07日 15時00分00秒 | 新静岡ターミナル
ターミナルビル建て替え工事に伴い
新静岡駅の3番線が2月1日から閉鎖され、
1・2番線のみの使用となりました。
そのため、一部のダイヤの修正が行われました。

3番線の線路上に張り出している
駐車場棟を撤去するためだと思われます。



△新静岡駅(一番左側が3番線)




地階の改札口は、3月31日で閉鎖され
4月からは地上に改札口が設けられるということです。

改札口の場所は
現東バスホームの中央付近で
そのため東バスホームに工事用の囲いができ
ホームに沿ってバス利用者用の迂回通路ができました。


△東バスホーム(2月5日)、JR静岡駅方面を臨む





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「なんずら?」って

2009年02月07日 03時00分00秒 | 街かどのラプソディー
▽静岡駅方面を臨む



呉服町通り線の終点、静岡駅前紺屋町付近です。
工事(国土交通省の施行のようです)の内容について
説明が掲示されていました。


静岡方言らしきフレーズは
こういう言いまわしはありえないだろうと
思うところもあるのですが
ここでは問わないことにしましょう。(笑)



鬼やらい

2009年02月04日 06時30分24秒 | 街かどのメヌエット
▽豆まきの前には舞殿や拝殿では神事が行われている。
 静岡浅間神社(宮ケ崎町102番地の1)



新聞やTVで報道される神社や寺での節分は
もっぱら、絵になる有名人による豆まきのシーンばかりです。

静岡浅間神社での節分行事でも
静岡市の無形民俗文化財に指定されている
“おにやらぼう”という行事が行われているのですが
この地味であっても興味深い行事の
報道に接したことはありません。
(見逃しもあるとは思いますが)

2月3日の節分の日
現地には各社から多くの記者が来ていましたが
その後に始まる豆まきに登場する
有名人をとらえようと待機していて
おにやらぼうの行事に
カメラを向ける記者は皆無でした。

TV等で報道されている世の中の出来事で
実際に報道されているものは
絵になるもの、センセーショナルなもの、
極言すると金になるものだけで
事実のほんの一部にすぎないのかもしれません。


▽合図と同時に鬼と書かれた戸板を「おにやらぼう」で懸命にたたく




▽葵区出身の水鳥選手・潮丸など知っている顔も・・・

Auf Wiedersehen

2009年02月01日 06時00分00秒 | 新静岡ターミナル
▽午後3時から南口プラザで閉店のイベントが行われた。
さよならではなく「また、お会いしましょう」 )


▽午後6時、蛍のひかりの大きな斉唱と拍手に送られていよいよ閉店。
 現場に行ったのが遅く、人垣で正面(反対側)からはとても撮れませんでした。(笑)



「新静岡センター」が
電車とバスのターミナルである鷹匠町一丁目71番地
(現在は住居表示で鷹匠一丁目1番1号)に
開店したのは1966(S41)年5月15日でした。

当日はあいにくの雨天にもかかわらず
15万人の入店者でごったがえしたということです。

この数字は、大都市ではさしてめずらしくもないのでしょうが
当時の静岡市の人口は37万人ほどで
単純計算でいうと市民の4割が来店したことになる驚異的な数字です。

当時は、行け行けどんどんの高度成長期の真っただ中で
開店からわずか4年後の1970年に裏側の民有地を買収し
売場面積が開店当初の約2倍に増築増床されました。
(特に地階部分はバスターミナル直下にも拡大されたため、大幅増床となった。)
閉店時の建物の姿は、ほぼそのとき完成されたと言えます。

なお、同時にバスターミナルも、バスの流れをスムーズにさせるために
建物と平行に配置されていた島ホーム(現中ホーム)を縦に改め、
面積も大幅に拡大されました。

市民からは単に「センター」とよばれている「新静岡センター」ですが
この「新静岡センター」というネーミングは公募で決められました。
今となってはやや垢ぬけしない名前ですが
メルサとかサンプラザといった愛称が施設に付けられるようになる、はるか以前のことで
当時は横文字が入っているだけでモダンな感じだったのでしょう。

ちなみに、ほぼ同時期に開店した県内の同種の施設では
「富士急名店会館」「遠鉄名店ビル」といったネーミングで
やはり時代を感じさせます。

その「センター」が42年たち
建て替えのため1月31日でいったん閉店しました。
最終日は開店の日にも劣らぬと思われるほどの人出で
地階の食品売り場ではお昼過ぎの時点で多くが完売状態
書店では本は定価販売なのにレジに長蛇の列でした。

建て替えのためとはいえ、
そこにあることが当り前になっていたものがなくなってしまうことは
やはりさびしいものです。

2011年秋には新しい施設となって
我々を迎えてくれるということですから
楽しみに待つことにしましょう。
「Adieu」ではなく、「Au revoir センター」、「Auf Wiedersehen センター 」です。

▽北側の正面玄関


▽バスターミナル側から(向こうに見える右手のビルは県庁別館、その隣は東館)


▽県庁別館展望室からのセンター(最終日の撮影ではないですが)


▽秋から毎土・日曜ごとに行われていた閉店記念の行事
(閉店64日前のこの日は県立静岡E高校が出演)


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