駿 府 は 96 か 町

駿府はちぃっと覇気がないけぇが,御所(ごせ)っぽくていいじゃん【ごせっぽい≒平穏でせいせいしている様】

「やぶきた茶 発祥の地」 の碑(いしぶみ)

2013年04月23日 18時00分00秒 | 路傍のいしぶみ (碑)
▽ やってきた電車はお茶ならぬ、午後の紅茶のラッピング(笑)


▽ 津島神社(駿河区中吉田(なかよしだ)41番)


今年は3月の気候が良好だったため
お茶の生育が例年より1週間ほど早いようで
早くも市内のお茶の小売店では新茶を売り始めました。

ここは静岡鉄道・県立美術館前駅近くにある津嶋神社
それほど大きな神社ではありませんが
実は、お茶の品種のひとつである
「やぶきた茶」発祥の地なのです。

現在栽培されているお茶の品種のうち
 最も多いのは「やぶきた」という品種ですが

(全国で生産されるお茶の7割以上、県内では9割が「やぶきた」だと言われています。)
この「やぶきた」というチャノキは
 現駿河区中吉田の篤農家杉山彦三郎
(1857 - 1941年)氏が
竹やぶを切り開いて栽培していた茶園の北側のものから選抜した優良品種です。

つまり、現在、全国で見られるお茶畑のチャノキのほとんどは
 ここがルーツというわけです。



▽ 「やぶきた茶発祥の地」の碑(いしぶみ)


▽ 「やぶきた茶88年の記録誌」を刻んだ碑



この神社の鳥居の向かい側あたりに
その茶園があったということですが
 静岡鉄道の線路と幹線道路
(南幹線)に挟まれた地域であるため
宅地化が進んでしまった現在、その面影は全くありません。

そんな環境ゆえに
神社の道路沿いに建てられた「やぶきた茶発祥の地」の碑が
かえって誇らしく自己主張しているように思えてきます。

また、同地には
「やぶきた88年の記録誌」の碑もあり
こちらは「発祥の地」の碑よりも前の
やぶきた茶が選抜されてから88年目の
 平成8年
(1996年)8月8日の日付が刻まれ
 どこまでも88夜にちなんだ「8」にこだわりを見せています。
(笑)

なお、やぶきたの原樹(原木)
県立美術館への道路沿いに移植され
 保存されています。


▽ やぶきた原樹 (駿河区谷田(やだ)24番)




ミライエ七間町

2013年04月21日 09時00分00秒 | 街かどのメヌエット
▽ 七間町通り(旧七間町一丁目)



ここは七間町通りの中央
 県庁側の札之辻交差点から1丁半、反対側の昭和通り交差点からも1丁半の地点です。

 (七間町通りは2ブロックで1丁、1丁≒108m)

 その昔は地球儀のアーチがあり
村上開明堂や静清信用金庫の本店もあったりと
七間町の核となる箇所だったことでしょう。

 ここにあるビル(写真左側)の1階には
メガネスーパーが入っていたのですが数年前に呉服町二丁目に移転
その後はテナントが入っても長続きしなかったようです。

このビルが今年初めから改修工事をしていたのですが
ほぼ完成したようです。





▽ ミライエの看板が取付けられた。


 ▽ 1階の正面のテナントが決定したようだ。
     (横丁側の一番奥にはすでに開店した店舗がある)



 
最近、そのビルに「静岡市まちづくり公社・ミライエ七間町」の看板が付けられました。
なにゆえ民間のビルに公社の看板がと思ったのですが
どうやら公社でこのビルを取得し
七間町の中核のビルにしようということのようです。

あらてめて言うまでもないですが
旧東海道である七間町通りは
江戸期から駿府の街の真ん中を走る言わば背骨であり
 (呉服町通りや両替町通りはその肋骨)
映画館はもちろん、多くの金融機関も七間町通りやその近隣に立地
1960年代までは静岡一の繁華街でした。

静岡市のHP等で見られる静岡市の地図など
みな静岡駅を中心にしているのですが
もともとの静岡の町の成り立ちを考えると
七間町通りと呉服町通りが交わる札之辻こそ
 中心にすべきだと思われます。(笑)

それはともかく
どういう経緯かは知りませんが
 七間町の真ん中に市の関係する公社(ミライエ)が注目したということは
映画館の大半が撤退して衰退著しい七間町にも
少しはミライがあるのでしょうか・・・・





サクラからツツジへ (主役の交代)

2013年04月17日 18時00分00秒 | 街かどのメヌエット


「目には青葉」 というと
5月のイメージですが
最近は温暖化のためか
4月に入るとケヤキの青葉が
目にしみいるようになるようです。




遅咲きの八重のサクラは
まだ見ることができるとは言え
そろそろサクラは見納めのようです。


▽ 駿府城址二の丸堀(中堀)

 (内堀と言う人もいるが、三重の堀のうち、内堀は歩兵第34連帯誘致の際埋め立ててしまった堀であるので
  中堀という方が適切)





サクラに代って
早くも静岡県の花であるツツジが咲きそろってきました。

昔は5月の花というイメージだったような気がするのですが
4月の花にイメージの変更が必要のようです。






陽気がよいので動物たちもちょいと一休みのようです。




路傍にはポピーの花も・・・・



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ハナミズキが満開

2013年04月14日 17時00分00秒 | 街かどのメヌエット








ハナミズキは「静岡市の木」
もともとは「清水市の花木」だったものが
合併で静岡市の木となったものです。

そのためか市庁舎呉服町通り側にあるの葵スクエアに
植えられているハナミズキは
ツジツマを合わせるかのように数本のみです。

(旧静岡市の木はケヤキだった)

市の花木であることをアピールするには
あまりにも中途半端な数です。

せっかく植えるなら
花の時期には通りがかりの市民が目を見張るほどの本数を
植えればいいのにと思うのですが・・・・



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京に花を求める(3) 妙心寺塔頭・退蔵院のシダレザクラ

2013年04月13日 09時00分00秒 | ちょいとお出かけ
その1はこちら
その2はこちら

▽ 名園「余香苑」



JR嵯峨野線・花園駅近くにある妙心寺(右京区・花園妙心寺町)
 広大な境内地を有し46もの塔頭
(たっちゅう)があります。

退蔵院もそのひとつで
南門から一番近いところにあり分かりやすいです。

 退蔵院は国宝の山水画・瓢鮎図
(ひょうねんず鮎の漢字の元の意はナマズ。 瓢箪鯰ということわざを図示したもの)
知られていますが
余香苑と名付けられた庭園もなかなかのものです。

昭和の小堀遠州と言われる中根金作氏の設計によるもので
それほど広大ではないのですが
視覚的に奥行感を感じさせる工夫がなされていて
その凝縮された庭園の美しさを楽しむことができます。


▽ 庭園の入口にあるシダレザクラ、足元の枯山水の庭には花びらが積もっています。





この庭園自体の美しさもさることながら
今の季節のお目当てはなんと言っても庭園入口にあるシダレザクラでしょう。

庭園の入口を入ったすぐの正面にあるので
意表を付かれて心がときめきます。

天から地面に垂下するごとくしだれるサクラを見るとき
これだけで十分堪能した気分になります。

余談ながら、庭園内には
「すごいじゃん~~」「来ていい~っけじゃん~~~」・・・と
静岡弁が飛び交っていました。
 「そうだ・・・」の某鉄道会社の募集したツアーなのでしょうか。
(笑)

浅間神社廿日会祭の古式稚児行列

2013年04月08日 12時00分00秒 | まつり・イベント




 ▽ 以前は稚児が乗る輿を8人で肩にかついでいましたが、
  今年から輿を台車に乗せてかつがなくてもいいように省力化(?)されたようです。
  たしか、京都の葵祭もこのような形で実施されていました。アイディアの教示を受けたのでしょうか・・・















▽ 浅間神社前(宮ケ崎町)へ到着。
  もう1台の山車の木花咲耶姫は故障(この山車だけ可動部が電動)らしく姿をお見せにならない(残念)





旧暦2月20日に行われていたため廿日会祭
(はつかえさい)と言われる静岡浅間神社の祭り
現在は4月1日~5日に行われ
最終日の5日には県の無形民俗文化財に指定されている稚児舞楽の奉納が行われます。

それに先立ち、輿
(こし)に乗った稚児が山車(本年はやや少ない3台)を従えて
午前11時に紺屋町の小梳神社を出発し
(七間町の別雷神社と隔年)浅間神社に向かいます。
(かつては必ず山車と踊り屋台の2台1組で、いずれも牛が引いていたのですが
 最近は屋台は省略、牛による牽引も2007年の青葉連を最後に見なくなってしまいました。)

これは、江戸期までは安倍川西岸にある建穂寺を出発した稚児を
安倍川東岸の安西五丁目で町衆の山車が迎え
にぎやかにねり歩いて浅間神社へ向かったものを
明治になり神仏分離にともない現在の形になったものです。

内容的には毎年同じであり単に人が変わるだけで
何の面白みもないと広言する向きもありますが
奇をてらうことなく同じことを愚直に繰り返す、これこそ伝統でしょう。

この伝統ある言わば祭りの花である行事に対して
静岡市当局の冷淡さは
他都市の祭りに対するそれと比較すると
あまりにも際立っています。



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京に花を求める(2)(京都府庁中庭のサクラ)

2013年04月07日 09時00分00秒 | ちょいとお出かけ
その1はこちら
その3はこちら

▽ 京都府庁の中庭(上京区 下立売通・新町西入)




谷崎潤一郎の「細雪」は芦屋が舞台なのですが
芦屋周辺にもサクラの名所はたくさんあるのに
「サクラは京都にかぎる」と登場人物に言わしめて
毎年の恒例行事にしている京都へのお花見の様子を
絵巻物を見るかのような文章で綴られています。

サクラそのものの美しさもさることながら
サクラに似合う寺院などの風格ある建物とが一体となって醸しだす調和が
より一層サクラの美しさを際立たせていることもあるのかも知れません。

 京都府庁の旧本館は1904
(M37)年に建てられ
 1971
(S46)年まで現役の本館として使われ
以後も会議室や展示スペースとして使われ
現役の官公庁の建物としは最古のものだそうです。

そういう意味では
京都府庁中庭のサクラは
歴史を重ねた建物の存在自体が必然化して
サクラの花と見事な和声を奏でているようです。

年に何回か建物公開の期間が設定されるのですが
サクラの咲く3月下旬から4月上旬にも公開されます。

訪れたときは
残念ながら中庭中央のメインのシダレザクラは
すでに盛をすぎていましたが
他に何本かあるシダレサクラは満開で
十分楽しめました。

▽ カタモリザクラ


シダレザクラのほかに
 カタモリザクラ
(容保桜)という
ヤマザクラもあります。

これは京都府庁が
京都守護職上屋敷跡にあることから
 命名されたものです。


京に花を求める (1) 凛として咲く法然院のツバキ

2013年04月06日 09時00分00秒 | ちょいとお出かけ
▽ 法然院参道 (左京区・鹿ケ谷御所ノ段町)

 
サクラ見物の大勢の人でにぎわう京都の哲学の道から
 少々山側
(東)に入ります。
お目当ては谷崎潤一郎の墓があることでも知られる法然院です。

この法然院の伽藍内は通常非公開ですが
春と秋の1週間だけ公開されます。

伽藍周辺等にはいつでも立ち入ることができ
それだけでも雰囲気等は十分味わうことができますが
できれば伽藍内を見てみたいと思っていました。
 






 
本堂や方丈庭園など見所がたくさんあるのはもちろんですが
本堂北側の中庭は心がときめくひとときです。

 というのは、整然と植えられた三銘椿
(五色散り椿・貴椿(あてつばき)・花笠椿)の巨木が
迎え入れてくれるからです。

美しく整備された庭に凛として咲く大輪のツバキ

しじまのなかに無音の音楽を奏でるように花びらが次々と落ちて
庭にも美しい模様をつくっていきます。

心のアルバムに貼りつけたい刹那です。

 





▽ サクラが咲く谷崎の墓 (肉眼ではきれいなサクラだったのですが・・・)




せっかくなので
谷崎潤一郎の墓にも掃苔
(そうたい)していきましょう。

なお、ツバキの咲くこの時期
法然院近くの通常非公開の「安楽寺」「霊鑑寺」も公開されています。



「ひつじさるやぐら」バス停登場

2013年04月02日 09時00分00秒 | 駿府城址

▽ 「駿府城ひつじさる櫓」バス停 (葵区 追手町(おうてまち)9番)

▽ 工事の進捗状況 (2月末現在)


 
静岡市が“しずてつジャストライン”に委託運行している
自主運行バス「駿府浪漫バス」のバス停「法務局・合同庁舎前」が
4月1日から「駿府城ひつじさる櫓」に変更されました。

 駿府城坤櫓
(ひつじさるやぐら)
今年度中に完成予定でいまだ工事中なので
ちょいとフライング気味のような気もするのですが
PRを兼ねているというのなら
 お役所にしては珍しいことで歓迎すべきことでしょう。

 

 余談ながら、東御門・巽櫓(たつみやぐら)の内部見学の入口は
 東御門から入ると垣根で見通せない位置にあるため非常に分かりづらいのですが、 駿府城公園内に何箇所かある公園案内図には東御門・巽櫓への入口(チケット売り場)の
表示がありません。
 (わかりづらいせいか、何十年も静岡市民をやってる人でも
 内部を見学できることを知らない人がいるようです。)
坤櫓をPRをしようという意気込みがあるくらいなら、公園内の案内図へ巽櫓入場口の位置を明確に記載すべきでしょう。
 多分、案内図の作成は公園を管理するセクションで、巽櫓を管理するセクションと違うため、
他セクションの仕事に気をを使うようなことをしないからなのでしょうが・・・・
 

▽ バス停近くの路傍のスミレ




かえってきた 「Den bill」

2013年04月01日 09時00分00秒 | 街かどのメヌエット
▽ 御幸町側のディスプレイ


▽ 江川町通りから
(当然ながら売り場は撮影禁止なので、入口から見える範囲で)




江川町通りと御幸町通りの交差点にあるいわゆる電電ビル
その1、2階を占めていた商業床「電ビル」が「Den bill」としてかえってきました。

市が出資していた
第三セクターの静岡商業振興ビル株式会社(愛称:電電ビルニュータウン)は、
5年前に解散し閉店、40年を超える歴史に終止符を打ちました。

空き店舗となった跡は新静岡センターの建替えに伴う仮店舗等として使われていましたが
それも新静岡セノバ(新静岡センターの後身)の完成に伴い一昨年秋に閉店。

その後長い間ビル前は
主要交差点前にもかかわらず
活気の乏しい街かどとなってしまっていました。

昨年夏ごろからリノベーションと称する工事が行われていましたが
ほぼ完成し、一部が3月27日にオープンしました。

名称も「電ビル」から「Den bill」
1階は「ファッションストリート」
2階は「フードストリート」となっており
一部がオープンした1階を見た範囲ではシンプルでスタイリッシュな内装で
ワンランク上の女性客をターゲットにしているのでしょうか・・・

なお、この商業床の「Den bill」の管理運営は
静岡鉄道の関連会社が行っているようで
ポイントカードや駐車場等のサービスは新静岡セノバと
共通化しているようです。



▽ 館内案内
(2階はまだオープンしていない)


▽ ビル全景 (葵区 御幸町4番地)



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