最近の七間町交差点 2012年03月14日 14時14分14秒 | 街かどのメヌエット ▽ 葵区 七間町 (旧金魚屋跡から旧三丁目方面) 七間町交差点から見たオリオン座跡地(塀の向こう側)です。 映画館跡地は3箇所とも建物の撤去がだいぶ進みほぼ更地状態になって囲いが一段と低くなっています。 先月まであった交差点角のコイン式駐車場も最近撤去されたため ますます見通し(?)がよくなっています。 この駐車場跡地(塀の右側)も この状態から察すると隣のオリオン座跡地といっしょに 一画地として再開発されるのでしょうか・・・・追 記 (2020年6月20日)通りすがりさんにコメント欄で「大協和マーケット」でなく「協和マーケット」が正しいとご指摘いただきました. #七間町 #シネマストリート « セノバ前の北街道に横断歩道... | トップ | 春の息吹(駿府城址のヤナギ... »
13 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 Unknown (ぱす) 2012-03-15 23:15:14 オリオン座、消えてしまいましたか。昔、親戚から観覧券を貰ってアメリカ映画の「バニッシングポイント」を観ました。白いクーペに乗る主人公がトラックを追い越したら逆切れされてそのトラックに追い回されるストーリーで、小市民の身近に落とし穴がの警鐘でしたかね。民家に冷房が普及してなっかた頃で、夏休みのオリオン座館内は涼しかった! 返信する Unknown (静岡っ子) 2012-03-15 23:22:38 共和マートにあった、赤いソーセージのおでんが懐かしい。 返信する >ぱす さま (あおい君) 2012-03-16 06:32:31 デパートがまだ全館冷房されていなかった頃から映画館には冷房が入っていたような気がします。映画館はかっこうの避暑地でした。 返信する >静岡っ子 さま (あおい君) 2012-03-16 06:34:34 協和マートはいつも混雑していた記憶があります。ああいう形式のマートは、ほとんど残っていませんね。 返信する マーケット (たまご酒) 2012-03-16 20:40:49 正式には、「大協和マーケット」という名称のようです。(七間町物語より)青葉小学校低学年時代に翌日の遠足に持ってゆくお菓子を入口近くのお菓子屋さんで買ったことが思い出されます。購入金額の上限が決まっていた貧しい時代でした。この「L字型」だったマーケットは、いつ頃閉店したのでしょうね?こういう形態は今で言うショッピングモール(たとえばセノバ)の原型の非常に小規模なものなどと勝手に考えてしまったりしています。 返信する 大協和マーケット (あおい君) 2012-03-17 04:42:25 ▽遠足のお菓子は100円以内とか決まっていましたね。▽交差点の角が駐車場になってからも、マーケット跡地と一番角は所有者が違うらしくL字型の土地が確認できました。今は一帯化されてしまって跡地の形も分からなくなってしまいました。▽大協和マーケットがなくなったのはバブルの頃だった気がします。(うろ覚え)その頃とすると20年くらい前でしょうか。ああいう寄合式のマーケットは昔はあちこちにありましたが静岡市内では駒形とか田町あたりに数件残っているだけかもしれません。 返信する マーケットの買い物カゴ (ラジオ) 2012-03-19 11:55:31 このマーケットで、お菓子を買うときは、今のコンビニの様な買い物カゴではなく、ボール紙の空き箱だったと記憶しています。遠足のお菓子は100円まで。しかし、バナナはお菓子とはしない。というオシャレな規則もありましたね。 返信する 空き箱で買い物 (あおい君) 2012-03-20 09:44:28 空き箱に欲しいものを入れるという話は当時の状況が目に浮かぶようです。今のコンビニエンスストアは小奇麗ではあるかもしれませんが、猥雑さが一切排除されているのがつまらないような気もします。 返信する 協和マーケット (通りすがり) 2020-06-18 23:22:41 七間町物語が間違っています「協和マーケット」が正しい名称です 返信する 協和マーケット (通りすがり) 2020-06-18 23:24:10 七間町物語が間違っています「協和マーケット」が正しい名称です 返信する 協和マーケットno (通りすがり) 2020-06-19 18:16:16 エラーが出て2回書き込まれてしまいましたURLリンク先に昭和30年代の七間町界隈の商店街地図(当時の電話番号入り)があり、左下の方に協和マーケットの記載があります。 返信する 協和マーケットの証拠 (通りすがり) 2020-06-19 18:17:49 とタイトルに書こうとしてIMが英語になって途中で送られてしまいました。 返信する Unknown (Unknown) 2021-03-10 01:05:33 協和マーケットの入り口の京極堂さんの塩煎餅がたしか50円でよく買いました。となりの揚げ物屋さん、となりの惣菜屋さん、肉屋さんはなくなって長崎チャンポンのラーメン屋さん、一番奥はおでん屋さん、八百屋さん、婦人服屋さんのシバタさんは今ではお子さんがセノバのビームスやってますね!懐かしい!角が紳士服の三好屋さんだった!筋向かいの金魚屋さんのならびの大国屋さんのラーメン、甘味もとても美味しかったです! 返信する コメントをもっと見る 規約違反等の連絡 コメントを投稿 ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
映画館はかっこうの避暑地でした。
ああいう形式のマートは、ほとんど残っていませんね。
名称のようです。(七間町物語より)
青葉小学校低学年時代に翌日の遠足に
持ってゆくお菓子を入口近くのお菓子屋さんで買ったことが思い出されます。
購入金額の上限が決まっていた
貧しい時代でした。
この「L字型」だったマーケットは、いつ頃閉店したのでしょうね?
こういう形態は今で言うショッピングモール(たとえばセノバ)
の原型の非常に小規模なものなどと勝手に考えてしまったりしています。
▽交差点の角が駐車場になってからも、マーケット跡地と一番角は所有者が違うらしく
L字型の土地が確認できました。
今は一帯化されてしまって跡地の形も分からなくなってしまいました。
▽大協和マーケットがなくなったのはバブルの頃だった気がします。(うろ覚え)
その頃とすると20年くらい前でしょうか。
ああいう寄合式のマーケットは昔はあちこちにありましたが
静岡市内では駒形とか田町あたりに数件残っているだけかもしれません。
遠足のお菓子は100円まで。しかし、バナナはお菓子とはしない。というオシャレな規則もありましたね。
今のコンビニエンスストアは小奇麗ではあるかもしれませんが、
猥雑さが一切排除されているのがつまらないような気もします。
「協和マーケット」が正しい名称です
「協和マーケット」が正しい名称です