駿 府 は 96 か 町

駿府はちぃっと覇気がないけぇが,御所(ごせ)っぽくていいじゃん【ごせっぽい≒平穏でせいせいしている様】

旧ハンター住宅とYAMAHAのオルガン

2014年04月30日 04時30分00秒 | ちょいとお出かけ
▽ 神戸市・灘区・青谷町一丁目・1番











神戸市内に現存する異人館で最大規模のもののひとつといわれる
旧ハンター住宅です。

いわゆる異人館街といわれる北野町三丁目にあったものを
1964年に現在地へ移転、保存されています。
(現在の所有者は神戸市)

美しい外観と豪華な内装など
あらためて言うことはないのですが
この2階の部屋に1台の古いリードオルガンが
置かれていました。

この施設内には受付業務をする職員しかいなかったので
このオルガンの由来などたずねても分からなかったのですが
この邸宅のゆかりのものというより
戦前の古いオルガンがたまたまあったので
ここに設置されていただけかもしれません。

それでも静岡県人としては
オルガンに明記された
「YAMAHA ORGAN」と「HAMAMATSU」の文字に
歴史の重みを感じてしまいます。(笑)







建築年 1889年ごろ
構 造 木骨レンガ造2階建て(一部3階)外壁モルタル櫛目引
規 模 1階:263.749平米、2階:273.499平米、3階:(塔屋)9.023平米、計:546.271平米


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ひこばえ

2014年04月28日 05時05分05秒 | 街かどのメヌエット
▽ 駿府城公園のポプラ


▽ 駿府城外堀沿いのシダレヤナギ




2011年9月の台風では
駿府城公園の多くのポプラやヒマラヤスギの大木が倒壊しました。

倒れたもののうち針葉樹のヒマラヤスギは
根こそぎ倒れてしまったものが多かったのですが
広葉樹のポプラは幹の途中で折れたものもありました。

その残されていた切り株から
“ひこばえ”が芽ばえているものがあることは知っていましたが
最近、久しぶりに確認したところ
“ひこばえ”がかなり大きく成長していました。


ヒトと自然が共生した里山では
クヌギなどの広葉樹は薪などとして利用するため
10年ほどで伐採され
その伐採された切り株からは“ひこばえ”が芽生え
10年ほどするとまた元通りになり
このサイクルが繰り返されるそうです。

とは言っても“ひこばえ”の成長例を
身近に見る機会はなかなかありませんが
この公園でみることのできる“ひこばえ”で
ヒトと自然の共生にも思いをめぐらせることができます。



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駿府城 二ノ丸御門跡

2014年04月23日 23時23分23秒 | 駿府城址


静岡県庁裏手にある
駿府城中堀の二ノ丸橋です。

この橋は、本来の二ノ丸橋の位置から50mほど東寄りに
戦後、石垣を崩して新たに架けられたものです。


(静岡県が1957年に児童会館(1973年に静岡市へ移管)を公園内に設置するに当り
 利便性を高めるために静岡市が設置したものだということです)






こちら(矢印の間)が
本来の二ノ丸橋があった部分で
 ここには高麗門があったということです。
( わざわざ、ふさいでしまった意図がわかりません。
 しかもやっつけ仕事のように両側の石とは規格が異なる石で・・・・)
 
 この石垣の裏手、かつて二ノ丸御門があったところは
 今まで、それらしい保存が全くなされていませんでした。




▽ 中堀の内側(=二ノ丸)の渡櫓門跡西側から


 ▽ 同、東側から


 今回、坤櫓(ひつじさるやぐら)の再建に合わせて
二ノ丸御門附近も整備され
渡櫓門があった石垣の一部も整備され
 往時のよすがをしのぶことができるようになりました。
(できれば、本来の二ノ丸橋を再建し、人が通れるようにするとともに
 高麗門、渡櫓門も再建してほしいものですが・・・)

城跡らしさが少ない駿府城址では
貴重な空間になりそうです。



▽ 二ノ丸御門跡の説明板 (図の三重の堀のうち一番内側の内堀は失われてしまってい (一部は発掘 ) )

▽ 静岡県庁別館21階展望ロビーから



お茶の新芽も伸びてきました

2014年04月21日 21時21分21秒 | 街かどのメヌエット



静岡県庁本館前で咲き誇っている静岡県の花、ツツジです。




ツツジのはなやかさにはかないませんが
そのツツジのそばにはお茶(植物名ではチャノキ)も
植栽されています。

ここはあまり日当たりがよい場所ではないので
お茶にとっては必ずしも最適な環境ではないのかもしれませんが
それでも季節に合わせるかのように
けなげに“みるい”新芽を延ばしていました。


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八重のサクラとツツジ

2014年04月18日 08時08分08秒 | 街かどのメヌエット

▽ 沈床園(英語のサンクンガーデンの方が意味がわかるようです(笑))の位置

▽ サクラの園から沈床園内のカリヨンの塔方向

▽ カンザンという種類だと思うのですがはっきりわかりません。



花の乏しかった冬が終わり
温かくなると1週間単位で花の主役が次々と交代するようです。

駿府城公園の中央にある沈床園の北側には
1964年に個人から寄贈されたというサクラが植えられていて

(当時、60本のサクラが寄贈されたということです)
サクラの園(?)となっており
1週間ほど前まではソメイヨシノが咲き誇っていましたが
今は葉桜となって代わりに登場したのがヤエザクラです。

ヤエザクラは厚化粧のような感じで
個人的にはあまり好ましい印象ではなかったのですが
清楚さとは違うこのサクラならではの
個々の花の主張があっていいのかもしれません。

なお、駿府城公園の樹木には比較的ていねいに
樹木の名称を書いた名札がつけられているのですが
ここのサクラたちには寄贈されたものゆえか名札がありません。

ヤエザクラの品種の判別は
その違いが素人にはむずかしく
品種名がわからないのが少々残念です。




公園内でヤエザクラと同じころ咲きだすのがツツジですが
特にキリシマツツジは早いようです。

キリシマツツジはあまりにも色鮮やかで
春というよりも初夏の先取りのようです。
ちょいと目立ちすぎかもしれません。



同じツツジの仲間とは言っても
ドウダンツツジは控えめなので
普通のツツジと同じ場所にあると
気が付かないことも多いようです。

ひとつひとつはスズランのようで
愛らしいのですが・・・・


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駿府博物館の移転

2014年04月15日 15時15分15秒 | 街かどのメヌエット
▽ 葵区・紺屋町(こうやまち)・15番地



駿府博物館というと
その名称から駿府城近くにある公立の施設のような印象ですが
実際は静岡駅近くの国道1号沿いにある
静岡新聞社の傍系財団が運営する民間の施設です。

1961年、当時の静岡新聞社の社長の蒐集したものを
 寄付する形で創設されたということです。
(一種の節税対策だという人もいますが)

この博物館は
静岡新聞の旧社屋だったものを利用したものですから
 建物自体は築60年以上経っているのでしょう。


 いずれ建て替え等の話が出るのではと思われていましたが
いよいよ具体化しつつあるようです。

博物館はこの秋
登呂三丁目にある静岡新聞社のビル内に移転
現在行われている企画展がこの地における
最後の展示になるということです。

それはともかく
駿府博物館という名称は
この際、改称したらどうでしょうか

駿府を冠する名称は公立と間違えられやすいうえ
移転先は、今でこそ開けた地域とはいえ
旧郡部であり駿府市中ではありませんから
駿府というのはいささか抵抗があります。

所在地が登呂三丁目だから登呂博物館ではどうだろうかと思いましたが
登呂博物館では登呂遺跡内の博物館と同名になってしまいます。

駿河区内にあることから駿河博物館とか
あるいはいっそのこと○○博物館と言った昔ながらの名称よりも
もっとスタイリッシュな愛称的な名称でもいいかもしれません。

まあ、素人があれこれ言っても
おそらく改称など考えていないのでしょうが(笑)

中心市街地から老舗が消えていく・・・・

2014年04月11日 11時11分11秒 | 街かどのメヌエット
▽ 葵区・呉服町二丁目・5番地




呉服町二丁目の創業140年と言われる桑名屋履物店の跡です。

なにやら工事をしていたのは知っていたのですが
閉店の告知などもなかったので
単なる改修工事だと思っていたのですが
きょう、工事中の壁に安心堂ブライダルが5月2日オープンの告知がされていて
桑名屋が閉店したことを知ったのでした。

(閉店の告知がなかったということは
何らかの形で継続するということかもしれませんが)

▽ 葵区・呉服町二丁目・2番地


一方、こちらはまだ閉店はしていませんが
4月末で閉店を告知している手芸のマツナガです。

(郊外店のみ継続して、呉服町本店を閉めるようです)

ここ10年くらいの間に
老舗(しにせ)といわれる店が次々閉店して
代わりにテナントを入れるという形態に街が急速に変化しているようです。

地価の高いところでは
昔ながらの商売では固定資産税に見合うような売り上げを確保するのもむずかしく
静岡らしい肌ざわりの店が商店街から消えて
どこにでもあるようなのっぺらぼうな街になっていくのも
仕方がないのでしょうか・・・・


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南禅寺界隈 別荘群のシダレザクラ

2014年04月10日 10時10分10秒 | ちょいとお出かけ




京都の東山
南禅寺界隈には別荘群があります。

明治の廃仏毀釈で南禅寺の広大な境内地は
このあたりを工場用地にするという計画で
明治新政府に没収されました。

その後、工場用地としての活用はされないこととなり
この用地は富裕層に売却され
今日の15邸の別荘郡が形成されることとなったのでした。

そのなかのひとつが清流亭といわれるお屋敷です。

もちろん非公開なのですが
このお屋敷は東側の道路に面した部分
(50m以上あると思われます) が前庭となっていて
そこにはシダレザクラが道路に沿って植えられています。

ちょうどそのサクラが満開となっていて
その見事さにこれを目当てにここを訪れる人も
多いようです。

廃仏毀釈は不幸な出来事ではあったのでしょうが
こうしてサクラを楽しめるのも
そのおかげというのは少々皮肉なことながら
なかなか“おつ”なものです。



15邸の別荘郡のうち
現在京都市が管理している旧山縣有朋別邸の「無鄰菴(むりんあん)」のみ
一般公開されています。
ただ、お役所の管理下なので庭の手入れが他の別荘に比べると
やや難があるのが残念です。(けっして手入れが悪いわけではありませんが)
そのほか碧雲荘(へきうんそう)と流響院(りゅうきょういん)が
公募抽選制で年に数回公開されることがありますが
応募倍率が10倍以上のようで難関のようです。


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祭りの主役 「お踟(おねり)」

2014年04月07日 07時07分07秒 | まつり・イベント
4月10日、少々加筆しました。

▽ 廿日会祭の山車は、4月1日から
(最近は3日からに短縮されることが多くなった)4日までは各組それぞれ旧市内を巡行するが、
 5日には古式稚児行列に従って、すべての山車がそろって浅間神社へ向かう。



▽ 各山車は必ず与力・同心役(正装)が先導









浅間神社廿日会祭(はつかえさい)のお踟(おねり=山車の巡行のこと)では
面踊りは山車から身を乗り出して行なわれますが
静岡以外ではこのような形式は見かけないようです。

(廿日会祭とは旧暦2月20日に行なわれていたのが名の由来で
 明治の神仏分離以前は建穂寺の稚児による舞が奉納されたということですから
 仏教のお会式との融合だと思われます。)


この廿日会祭に呼応して始められたのが静岡まつりなのですが
華燭に満ちた官製の行事の方に市民の関心は向きがちで
庇を貸して母屋を取られるごとく
本来は祭りの主役であるお踟の存在感は
薄れてしまっています。

駿府城下の各町で所有されていたといわれる山車は
明治期の混乱
(江戸から徳川宗家が移封された地である駿府は逆賊側の立場)
戦前の静岡大火、戦争による空襲を経て多くが失われ
現在は、近年建造された1台を加えてもわずか5台で
数年前まであった牛による山車の牽引
(山車を牛が曳く例は江戸、京都、駿府にしかないという)
なくなってしまっています。

また、各町の所有でなくなって
神社側からの貸与のような形になってしまったため
山車そのものに対する愛着も
他市の祭りに比べきわめて稀薄となってしまっています。

静岡まつりの日程も
かつては廿日会祭に合わせて4月1日から5日だったものが
4月初めの土曜・日曜に設定されるようになったため
暦の関係で廿日会祭と合わない年さえあります。


▽ 6日に実施された市庁舎前での踟勢揃い:神武天皇を載せた現存するなかで最も大型な山車(宮ケ崎町が所有していたという) 


それでも今年は昨年とは少しばかり違いがありました。
廿日会祭の方が静岡まつりに合わせたのか
日程を1日延ばして6日(日)までになったことです。

その結果、家康公が家来を引き連れた花見の行列を再現したという
大御所花見行列に合わせて、市庁舎前でのお踟の勢揃いが実現したことです。

(昨年は行われなかった)

大御所花見行列の前座のような扱いは
本来の主従が逆転したようでどうかと思われますが
奇をてらうものにばかりに一所懸命で
伝統行事にあまり興味をしめさない市当局にしては
この程度でも上出来だというべきなのかもしれません。

それにしても伝統行事であるお踟の巡行に対して
牛による山車の牽引の復活や
ややくたびれているものがある一部の山車の三方幕の更新に援助するぐらい
してもいいのではと思われます。

話は少々違うのですが
大御所花見行列は
行列の最後がどうも尻すぼみな感じで締りなく
なんだこれで終わりかという印象です。

そこで市で家康公又は竹千代君の人形を載せた
少人数でも曳くことができるようやや小ぶりの山車を制作して
行列のしんがりで有終の美を飾れば
楽しいものになるのではないでしょうか。

お囃子や面踊りの伝統を受け継ぐ意味でも
意義があると思うのですが・・・・。

(川越市の祭りでは、静岡と同じ江戸型の山車が曳きまわされますが
 市所有の山車もあり、山車を所有しない町の子供たちが参加できるようです。)


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駿河小町

2014年04月06日 17時17分17秒 | 街かどのメヌエット


おなじみの祭りのパレードに登場する「駿河小町」です。






実はサクラにも駿河小町が存在するのですね。

上はスルガザクラ(駿河桜)
名の由来は三島の遺伝学研究所生まれであるためとのことです。

(三島は駿河国(するがのくに)ではなく伊豆国(いずのくに)ですが、一般的には静岡県≒駿河なのでしょう。)

下がその変種であるため
スルガコマチ(駿河小町)と命名されたようです。

静岡市内では見かけないサクラですが
名前から言って、ぜひ静岡市内にも植樹してほしいものです。


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夙川  (しゅくがわ)  のサクラも満開でした

2014年04月04日 04時04分04秒 | ちょいとお出かけ









阪神間には瀟洒(しょうしゃ)な住宅街となっているところが多いのですが
夙川もそんな街のひとつです。

夙川というのは本来は川の名前ですが
駅名などにも採用された結果
地域を表す名称ともなっているようです。

この夙川沿いの
北は阪急苦楽園駅付近から
南は阪神香櫨園駅付近までの3キロにも渡って
サクラが植えられていて
阪神間随一のサクラの人気スポットになっています。

地元民でない者には
開花時に訪れるのはなかなかむずかしいのですが
たまたま開花時に関西を訪れた機会に
足を延ばしてみました。

阪急電鉄の夙川駅を降りると
平日にもかかわらず
駅からのお花見に向かう人の列がつづき
人気の高さを実感させられました。

サクラはソメイヨシノを主体にしながらも
ところどころにサトザクラのようなヤエザクラもあって
桜並木にアクセントを添えています。

また、土手からばかりでなく
川のすぐ脇にも降りられる区間もあり
川の流れに沿って渡ってくるすがすがしい風の冷気を感じながら
サクラ色に染まった(みなも)を見ながら歩くのも
他のサクラの名所にはない好もしい印象でした。


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チューリップの絵文字

2014年04月03日 03時03分03秒 | 街かどのメヌエット





先日、掲載したオランダ大使館から贈られたチューリップですが
絵文字がわかりづらかったのですが
別の角度から(前回は工事中でこの方角からは撮れなかった)撮ってみました。

これだと元絵の形がよくわかります。

(青い花のチューリップはないので代わりにムスカリが使われいます。)



▽ チューリップの植えられている位置( 印)


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竹千代君(たけちよぎみ)もおめかし

2014年04月02日 02時02分02秒 | 街かどのメヌエット
▽ 葵区・黒金町、静岡駅前広場の竹千代君像

徳川家康公顕彰四百年記念事業の一環でしょうか
 竹千代君
 (家康公の幼名)もおめかしをしていました。

 もちろん紋は「三ツ葉葵」です。
 (笑)