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駿 府 は 96 か 町

駿府はちぃっと覇気がないけぇが,御所(ごせ)っぽくていいじゃん【ごせっぽい≒平穏でせいせいしている様】

「横内川跡」 の碑

2009年05月25日 07時00分00秒 | 路傍のいしぶみ (碑)
▽横内川跡を記念する“いしぶみ”
(しずおか信用金庫横内支店前:葵区 太田町33番地)



▽太田町は・・・
市町村制度ができる前:有渡郡南安東村太田切
市町村制度発足(1889年):安倍郡豊田村南安東太田切
1908年10月静岡市に合併:静岡市南安東(太田切)
1915年11月町名変更:静岡市太田町(現葵区)



現在は道路下の暗渠(あんきょ:地下埋設の水路)となってしまって
その姿を全く確認することができませんが
かつて、北街道(きたかいどう:県道静岡清水線)沿いの
水落町(みずおちちょう)から上土(あげつち)の巴川まで横内川が流れていました。

現在の水落町交差点附近では
駿府城のお堀の水が文字どおり横内川に落ちていたということです。


▽PKの「街道ぶらり旅(08年10月09日放送)」から(戦前の風景だと思われる。)


上記の写真のように横内町(よこうちちょう)、太田町(おおたまち)、銭座町(ぜんざまち)あたりでは
北街道の真中を横内川が流れていて生活用水としても利用されていたようです。

さすがにこの風景は知らないのですが
さらにその先の沓谷(くつのや)から上土(あげつち)にかけて
現在の道路幅の南半分を占めるほどの大規模な川となって流れていた記憶はあります。

大昔はともかく
当時('60年代はじめ)は、お世辞にもきれいな川とは言えないような状態でしたので
けっして、いい印象ではありませんでしたが
もし道路の幅員を36mぐらいにして真中を浄化された川が流れていたりしたら潤いのあるいい通りになったかもしれません。


コメント (4)
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