駿 府 は 96 か 町

駿府はちぃっと覇気がないけぇが,御所(ごせ)っぽくていいじゃん【ごせっぽい≒平穏でせいせいしている様】

進む駿府城址の石垣修復

2011年01月31日 01時31分32秒 | 駿府城址
このカテゴリーの記事はこちらにあります。



駿府城址中堀(二ノ丸堀)からの巽櫓(たつみやぐら)です。






その巽櫓の西側の中堀(二ノ丸堀)の石垣修復が
かなり進んでいます。

すでに石垣の8分目ほどの高さまで積まれています。








こちらは外堀(三ノ丸堀)追手門横です。
当初は中堀より進んでいた印象があったのですが
中堀に比較するとやや遅れているようです。

足場の悪さが要因なのかもしれません。


〈追記〉


こちらも外堀(三ノ丸堀)ですが
場所は北側の水落町(みずおちちょう)向え側の石垣です。

ほとんど完成に近いようです。


歩行者地獄になりかねません

2011年01月29日 09時29分29秒 | 街かどのラプソディー
▽歩行者天国実施区間=呉服町通り線、=七間町通り線、=御幸町伝馬町地区)

東京の秋葉原の歩行者天国の復活が話題になりましたが
葵区の中心市街地でも
土曜、休日の午後に歩行者天国が実施されています。

実施されているのは
呉服町通り線、七間町通り線、御幸町伝馬町地区の3か所です。


七間町通りも呉服町に近い区間はそこそこ賑わっている。

このうち七間町通りは
呉服町通りに近い区間はそこそこ人通りも多いのですが
呉服町通りから遠ざかるにつれて人通りが少なくなり
車道を利用する人はほとんどいなくなります。

旧東海道沿いの七間町は、かつては街の中心で
それゆえに映画館や飲食店が立ち並んでいたのですが
静岡駅からやや離れていること
映画館の吸引力が昔ほどではないことなどから
昔ほどの賑わいがなく
 空き店舗も目立ち始めています。


▽歩行者天国実施中の車道を堂々と走り抜けていく車両

そんなジリ貧状態を反映してか
商店街の指導も徹底しないようで
呉服町通りから離れた末端の区間では
歩行者天国の際に車道に置かれる車止の出し入れがルーズで
それゆえに横丁からの車両が
右折、左折で七間町通りへ入り込んでくることが
しばしばあります。

もちろん、横丁には右左折禁止の交通標識が
歩行者天国の時刻に合わせて
自動的に掲出されるようになっているのですが
狭い横丁の高い位置にあるため
 見にくいためか見逃されてしまうようです。


 
車止めの出し入れの徹底や
標識をもう少し見やすくする工夫が必要だと思われます。
 
(車止めが置かれていないことや
  交通標識が見にくいことは侵入してよい理由にはなりませんが)


進入する車両も
車道を歩いている歩行者が少ないため
何の疑問も持たず
スピードを格別下げることもなく走り抜けていきます。

このまま
歩行者天国を実施しているのは
かえって歩行者に危険で
 歩行者地獄になりかねません。


 
たまたま現場にいた警察の交通巡視員らしき人(正確な身分は不知)
実情を訴えたのですが
驚いたことに現場が歩行者天国であることすら
知りませんでした。

やる気のない商店街と
歩行者の安全確保に意識が向かない警察

惰性で実施されているような歩行者天国は
本当に危険です。

七間町・東宝会館リニューアル工事

2011年01月18日 18時18分18秒 | 街かどのメヌエット


七間町通りを中心とした地域に映画館が集積することとなったのは
慶喜公の警護のために静岡へ来た江戸の町火消、新門辰五郎が
関わった芝居小屋の玉川座(のち、小川座を経て若竹座)が
旧寺町三丁目にできたのがその起源だと言われています。
こちらの七間町のHP参照)
(余談ながら、新門辰五郎は慶喜公の警護を清水の次郎長に託して1871年東京へ戻った)


その七間町通りに
2月23日~27日開催の
シズオカ_シネマパーク_フェスティバルのフラッグが
掲げられました。

七間町の映画館のうち静活系の映画館は
この秋、鷹匠町(たかじょうまち)へ移転し
七間町から撤退すると言われています。

街かどから映画館が消えても
来年以降もこの催しは継続されるのでしょうか?








静活系の映画館がなくなると
七間町に残るのは
東宝会館だけになるのですが
その東宝会館では現在リニューアル工事が行われています。

リニューアル工事をするということは
たとえ静活系の映画館がなくなったも
この七間町に残るという決意表明のようにも思えてきます。

かろうじて
七間町の栄光が保たれるということでしょうか・・・  

せっかくの駿府公園案内板も・・・

2011年01月17日 23時59分59秒 | 街かどのカプリッチョ

09年11月17日の記事で取り上げた駿府公園内の案内板ですが
いささか旧聞ながら去年の初夏のころ
公園内の他の個所のものも含めて書き変えられました。


▽アヴァン


▽アプレ



たしかに方角の位置が一般的な北を上にしたものに直され
現在地の表記も正しいのものなりました。




でも、日本語に併記されているものが
あいかわらずローマ字表記なのは
なぜなのでしょうか?

公共施設名などはともかく
売店を「Baiten」、至静岡駅を「Itaru Shizuokaeki」などと
表記する必要性などあるのでしょうか?

たしかに一般的な英語表記とした場合は
英語を母国語とする人にしか理解できない
という考え方もあるかもしれませんが
ローマ字表記をすることで理解できる外国人よりも
地図上に表記する程度の一般的な英語表記なら理解することができる
英語を母国語としない外国人の方が
はるかに多いのではと思われるのですが・・・・


また、東御門や巽櫓
(たつみやぐら)内部や紅葉山庭園を見学するための入口が
案内されていないのはどうしたことなのでしょうか。

入口
(チケット売り場)
初めてここを訪れる人には分かりづらく
うっかりすると見逃されてしまう位置にあります。

せっかくの案内図が役立たつなのは
いかにも残念なことです。

出初式の華燭

2011年01月13日 13時13分13秒 | 街かどのメヌエット
消防組織には常備の消防署以外にも
その補完的役割を果たす消防団組織があります。

団員は専任ではなく
ボランティア精神でその役割をになっています。

静岡市には
静岡地区に39分団
清水地区に19分団
蒲原地区(旧由比を含む)に7分団の組織があり
団員の定数は3000人近いそうです。

消防団の消防車も出初式に集結していますから
その数はかなりのものになります。

当然ながら所在地も市内一円にありますから
なかには普段あまり目にすることのない所在地名が書かれた車両もあります。



静岡第4分団です。
土太夫町(どだゆうちょう)は茶町通りにあり
駿府96カ町に数えられる江戸初期からの町名です。

古くからの町名ですが
昔ながらの狭い町域であるため
普段この町名を目にする機会はあまりなく
市民でも知らない人がいるかもしれません。




こちらは静岡第18分団、新幕とあります。

新幕は葵区瀬名の小字(こあざ)ですが
静岡市では、小字は行政上の地名としては扱われていないため
普段はバス停や近隣公園などにその名が散見される程度で
その地域の住民しか知らないものがほとんどです。
(葵区の「南字唐瀬」や駿河区の「高松字登呂」のように「唐瀬◯丁目」「※登呂◯丁目」などと
 住居表示実施の際に採用された例もありますが)

新幕は、現在の住居表示町名で言うと
瀬名六丁目あたりのようです。




それはともかく
出初式の終盤の華燭と言ったら一斉放水でしょう。

花火を合図に
中堀沿いの道路に縦列した60余台の消防車から
一斉にお堀に向かって放水されます。




そのすさまじいばかりの勢いで
数百メートル先までたちまち見えなくなります。




放水が終わって
式典がすべて終了
消防車が帰路につきます。

さすがに60余台もとなると
引き上げも見ごたえがあります。



※高松以外にも有東、石田、下島、西島の一部も「登呂◯丁目」に編入されています。

湾岸署からも 

2011年01月12日 12時12分12秒 | 街かどのメヌエット
消防出初式には
各消防署の御自慢の消防車の
展示も行われていました。

各消防車が一堂に会して展示される機会は
なかなかないと思われますので
興味深く見入っている人も多かったです。
 


▽これが湾岸署(正確には湾岸消防署ですが・・笑)からです。
_湾岸消防署(清水区横砂)の「大型化学ポンプ自動車」




清水消防署(清水区東大曲町)の「特別高度工作車」




千代田消防署(葵区東千代田二丁目)の「救助工作車III型」




追手町(おうてまち)消防暑(葵区追手町)の「はしご付消防ポンプ自動車」






なお、静岡市の消防署は上記以外にも
日本平消防署(清水区村松)、石田消防署(駿河区石田三丁目)があり
分署、出張所(一般市民にとってはいずれも消防署という認識でしょうが)は17か所にあるようです。


(つづく)

消防出初式

2011年01月11日 11時11分11秒 | 街かどのメヌエット
▽駿府城中堀の東御門(高麗門)


旧静岡市の出初式といえば
かつては1月15日と
全国的な基準からいうと
やや遅い日に行われるのが通例でした。

これは、1月15日が
中心市街地の大半を焼き尽くした
静岡大火(1940年)の日であったためです。

この慣習も大火から半世紀近く経過したあたりから
一般的な1月初旬に行われるようになったようです。



▽2,000人を超える消防団員の整列





今年は1月9日に駿府公園(駿府城址)で行われました。

静清(せいせい)合併を経て消防組織も大所帯となり
参加者は2000人以上、
集まった消防車は60台を超える数です。



(つづく) 

七日の七間町の七草粥

2011年01月07日 11時07分07秒 | 街かどのメヌエット
七間町 7番地ではなく13番地附近(協力:くもじい)







松の内が明ける七日
各地で氷点下を記録した寒い朝だったようです。

七間町(しちけんちょう)では
恒例の七間町の「七」にちなんだ
七草粥の無料サービスが今年も行われました。

地味ながら
2001年から続いているということですから
もう11年も続いていることになります。

御相伴にあずかった方
きっと今年1年、無病息災でいられることでしょう。

2011年の初日の出

2011年01月01日 08時00分00秒 | 街かどのメヌエット


2011年の最初の朝はとても冷たいです。

市庁舎前の温度計は0度
近くの公園の池には氷が張っていました。

そんななか県庁別館21階にある展望室へ急ぎます。




きょうの日の出は6時54分

まだ少々時間があるので北の方向に見える
夜明け前の富士山を臨みます。




雲が多いせいか
公式発表の日の出の時刻より数分遅れで
東南東の方向から昇る
2011年の嚇々(かくかく)たる初日を確認することができました。

謹賀新年(国宝久能山東照宮と沢屋の静岡張子のフラッグ)

2011年01月01日 00時00分00秒 | 街かどのメヌエット
▽呉六名店街(呉服町旧六丁目)



謹賀新年

国宝の「久能山(くのうざん)東照宮」と静岡張子の「祝鯛」
梅屋町(旧東海道・人宿町商店街通り)の沢屋で作られている「祝鯛」は
向き合った形がなかなかユニークですね。