駿 府 は 96 か 町

駿府はちぃっと覇気がないけぇが,御所(ごせ)っぽくていいじゃん【ごせっぽい≒平穏でせいせいしている様】

08年歳末

2008年12月31日 12時31分56秒 | 街かどのメヌエット
一昔前は、年末はどこも31日まで連日夜遅くまで営業していたのが、
最近は様子が変わってきて、お役所なみに29日ごろから早々と営業をやめてしまう商店も増えたようだ。
まあ、そろばん時代は徹夜で仕事をしたという銀行も
最近は堂々と31日は休んでしまうご時世なのだから当然かもしれないが・・・・


▽100年を迎えるという社会鍋(救世軍静岡小隊)
 賛美歌312番(いつくしみふかき ともなるイェスは・・・)
 賛美歌461番(しゅわれをあいす しゅはつよければ・・・)
 前日までいらっしゃったトランペットの方、この日はいらっしゃらなかった 〔七間町・札の辻〕



▽売行きはぼちぼちのようだ 〔呉服町二丁目・青葉通り〕



▽駿府城東御門にも門松 〔駿府公園1番〕



▽バスも年末年始の「やる気なし(?)ダイヤ」〔七間町バス停〕
最終が19時31分っていくらなんでも早すぎでは・・・
  


▽浮月楼(慶喜公屋敷跡)も休業 〔紺屋町11番地〕

たこやきヨコヤマ

2008年12月30日 18時52分41秒 | 街かどのメヌエット


関西では街のあちこちにタコ焼き屋さんを見かけますが、
静岡市内ではあまり見かけることはありません。

全国展開するたこ焼き屋が街角やデパートなどに出店しても、
すぐに撤退してしまいます。

タコ焼きが嫌いということではないのですが、
それほど始終食べたいものでもないというのが一般的な市民の感覚なのかもしれません。
(駄菓子屋に“おでん”があるくらいなので、おでんの方が好みか?)

そんななかで紺屋町のヨコヤマはけっこう目立つ存在でした。
そのヨコヤマが11月で閉店してしまいました。

掲示されている閉店のあいさつによると60年間ここで営業していたとか
この店は包装紙にフランス語が書いてあったりしてユニークだったのに、
ちょっと残念です。




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まちかどの瓦斯灯

2008年12月28日 06時36分16秒 | 駿府のバラード
▽ はじめは七間町から


▽ 市庁舎右手のガス灯


 追手町
(おうてまち)5番1号にある静岡市役所本館の玄関口の3基のガス灯。

1934年建設の風格ある市庁舎にやさしい光がよくとけこんでいます。
ガス灯などそれほどめずらしいものではないと思っていたのですが
意外とどこにでもあるというものではないようです。

なお、車道を挟んで向かい側の外堀沿いの歩道にあるものは
ガス灯風の電気による街灯のようです。


▽ 市庁舎中央玄関(前を駿府用水が流れる)



▽ 夜のとばりに浮かびあがる“あおい塔” (さすがにこれは電気ですが・・・)
 青葉通りのイルミネーションもいいのですが
 こんな感じの風景の方が個人的にはやすらぎがえられます。


▽ 市庁舎前のほか駿府城巽櫓(すんぷじょう・たつみやぐら)前にもガス灯があります。
  昼間なので点灯していません(笑)


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けふのふじ

2008年12月26日 19時14分24秒 | 街かどのメヌエット


いやに寒いなぁと思ったら
静岡市役所前にある電光式気温表示板(正式名称は不知)によると
お昼近いというのに「8℃」しかありませんでした。

寒いというより冷たいです。
そのかわり空気がピーンと張っているので
富士山がよく見えました。

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街かどのノエル

2008年12月24日 12時40分15秒 | 街かどのメヌエット
23日の祝日、葵区の中央商店街ではあちこちでノエルにちなんだコンサートが行われました。

▽七間町会場
(他の会場は撮りませんでした(笑))




こちらはYWCA(Young Women's Christian Association)によるミニコンサート

▽葵スクエア(呉服町二丁目)




※以下蛇足
某掲示板で自国の国王の誕生日より
自分達と関係ない異教徒が信奉するおっさんの誕生日の「前夜祭」で
盛り上がっているのはおかしいという投稿がありました。
王制(?)と宗教と同列に扱っているのがまずおかしいと思うのですが
それはさておきクリスマスイブを「前夜祭」と表現するのは
やはりおかしいのではないでしょうか。
教会歴では日没とともに一日が始まるので
一般の暦でいう24日の夜はクリスマスの当日なのですから・・・・

シャボン玉ホリデー

2008年12月23日 19時20分32秒 | 街かどのメヌエット

12月23日(祝日)午後の七間町通りです。
舞っているのは、もちろん雪ではありません




七間町商店街の企画の
シャボン玉発生器による
シャボン玉が舞っているものです




七間町商店街のちょっとしたアイディアなのですが
シャボン玉は科学館のサイエンスショーなどでも
よく使われるように
なにか人の心に躍動感を与えるアイテムのようです。


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吉見書店ビル

2008年12月20日 07時49分35秒 | 街かどのメヌエット

七間町の吉見書店ビル、「Since1879」が誇らしげです。
創業が1879(M12)年というと
県内はもちろん全国的にも老舗中の老舗の書店ということになるでしょう。

でも、今は七間町に店舗はありません。
5~6年前、4階に事務所・外商関係だけを残して貸ビルとなり、
店舗は竜南店(葵区・千代田四丁目)と県立総合病院内(葵区・北安東四丁目)だけに
なってしまいました。


 

吉見家は、なんでも先祖は江戸の直参で御鑑定組頭をつとめた家柄で、
江戸の文人として名高い大田南敏(蜀山人)も親戚すじに当るとか。

書店の初代は、明治始めに徳川宗家の静岡学問所の教授として静岡へ来て、
いったんは東京へ帰ったものの静岡の文化に貢献したいと
静岡で書店を始めたそうです。
(戦前は旧呉服町二丁目(現:呉服町一丁目3番地~5番地附近)にあったようだ)



その吉見書店ビルでこの秋ごろから耐震工事が行われていましたが、
工事中の表示の注文主に吉見書店の名と並んで
隣接の静岡伊勢丹の名があったので
工事完了後は伊勢丹の売り場になるのかなと思っていたらやはりそのようです。



それまでのテナントが撤退して工事が始まったとき、
吉見書店の復活を願う者としては、復活はありえないとは思いつつも、
もしやとほのかな期待を込めたりしましたが
やはりそういうことにはなりませんでした。

それにしても
流行に左右されない品揃え
いつも流れる古典音楽
しっかりとした栞
新券での釣銭などを思い出し
「いい本屋だったなぁ」と思うのでした。


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夜の常磐公園と青葉通り

2008年12月18日 09時48分31秒 | 街かどのメヌエット
▽ 常磐公園噴水
音楽も流れる。以前は割合大きな音量であったが、
最近は、かなりそばに行かないと気が付かないくらい音量が絞られている。
付近にマンションがたくさんできたので配慮しているのかもしれない。
 

 

 


▽ 青葉通りのイルミネーション
 <期日は1月末まで、55羽の白い鳥と1羽の幸せの青い鳥が・・・

▽ 呉服町側から常磐公園方面

▽ 逆方向から
 正面は静岡市役所・葵区役所(あちこりの窓から灯りがもれています.残業大変ですね!)

▽ 日本平動物園からシロクマのロッシーくんが出張


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寺町四丁目(てらまち よんちょうめ)

2008年12月12日 03時43分05秒 | 駿府96か町のいま
▽常磐公園の噴水(周囲も人工的で無機質な雰囲気)


▽あまり手を付けられていない公園の東側では毎日青空将棋が・・・
(たしか、その昔にはこのあたりに相撲の土俵もあったような気がする)


▽公園と反対側の北側の街並み(戦前は商店が建ち並んでいたのだろう)


旧「寺町四丁目」は、現在、通りの南側はすべて常磐公園になっています。
現在の公園には、多くの寺院が立ち並んでいた様子をしのぶこようなものは全くありません。
強いていえば、噴水の上のカリオンがやや寺院風に造られていることでしょうか。

常磐公園はすべて寺院跡であるので、
20年ほど前、常磐公園の再整備の工事の際、かなりの遺骨が出てきたことが話題になりました。
もうここが寺町だったという認識がない人がほとんどとなってしまい、
市民のなかには、遺骨が出たことを空襲の犠牲者ではと勘違いしている人もいるようです。
(そういう例も皆無ではないとは思いますが)

現在の常磐公園及び真正面に市庁舎まで延びる青葉通りは、あまりに人工的すぎるように思われます。
噴水もただ金をかけて作ったという感じでくつろげませんし・・・
せっかくの植栽も噴水の裏側に追いやられているので目だたつ、当然噴水との一体感もありません。
夜間の噴水の光のパフォーマンスも、まあきれいなことは確かですが、何度も見たいというほどのことはありません。


旧「寺町四丁目」は、現在の駿河町、常磐町二丁目の各一部、常磐町三丁目1番の大部分で、東西の通り沿い約1丁半の町でした。(町名変更は1945年)


寺町四丁目(赤線の部分)には五つの寺があった。


▽こちらは、青葉通りと似た性格の大阪市の都心に帯状に広がる「うつぼ公園」
このように、噴水はただ大きいばかりでなく周囲と調和していた方が心がなごむ



寺町三丁目へ


方位の表記について
駿府の町割りは方位に対して傾いているので、
JR線や国道1号を東西に見立てた方位がよく使われているのですが、
ここでは(特に碁盤の目地区)、より実際の方位に近い
「札の辻を起点にして城のある方向を北」とした方位の表現をします。
したがって寺町通りは東西、七間町通りは南北の通りということになります。

その他
記事内容は誠実に書いているつもりですが、内容の正確性を保障するものではありません。

子狐も聞いた子守歌

2008年12月09日 12時45分21秒 | la musique
「ね~むれ ねむれ 母の胸に
 ね~むれ ねむれ 母の手に・・・・・」

この歌詞はもちろん、シューベルトの子守歌の冒頭だ。
まだ物心が付くか付かないくらいの大昔、
ボクが通っていたカトリック系の幼稚園では
部屋から、よくこのメロデイーが流れていた。

先生がリードオルガンでこの曲を弾きはじめると
不思議なことに騒がしかった部屋が
たちまち静かになって
みな小さな椅子(そのときは、もちろん小さいとは思わなかったが)に
きちんとすわってオルガンの音に耳を傾けて聞いていた。

当時は、子守歌ということさえ知らず
なんとなく心地よく聞いていただけだったが
大人になってからふと思い出し
そうだったのかと気づいたことであるが
これは先生が、声高に「静かにしなさい」と言う代わりに
シューベルトの子守歌を弾いていたのに違いないのだ。

音楽によって何の恣意的な思いもなく
感性を揺り動かされたということだろう。
今でも時々思い出すと感動すら覚える情景である。

▽最近の七間町(本旨とは関係ないですが)

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MESSIAH

2008年12月08日 06時54分36秒 | la musique
今年もヘンデルのオラトリオ「メサイア」が演奏される季節です。
この曲の持つ普遍的な訴える力強さが、たとえクリスチャンでなくとも感動を持って聞くことができる要因なのでしょう。
まさに至福の享受といったところでしょうか。
ハレルヤコーラスのところでは聴衆も立って聞くことが慣例になっているのですが、
会場では2割程度の方が座ったままなのは、ちょいと気になりました。
もちろん、身体に障害があったり高齢で立つのが大変な方もいらっしゃったのでしょうが
ちょいと多すぎるのではと思ったしだいです。


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静岡清水線の100年のあゆみ展

2008年12月07日 06時13分54秒 | 電車・バス

静岡鉄道・静岡清水線の100年の歩み展が28日まで
新静岡センター7階で開催されています。
懐かしい写真や子どもたちのかいた絵など、小規模ながら興味深い展示です。
清水区出身の春風亭昇太氏の撮った写真もありました。

この展示で、子どものころのおぼろげな記憶だった
新静岡駅の前の外堀の角に交番があったこと、
狐ヶ崎遊園地の池の上にあった茶屋が「ちゃっきり亭」という名前で
あったことが確認できました。

なお、静岡鉄道では静岡・清水線の100周年であって、
静岡鉄道自身の100周年ではないとしています。
(大日本軌道を買収して静岡鉄道の前身「駿遠電気(株)」創立は1919年。)


▽ ついでに(新静岡センターからの富士山)


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寺町三丁目 (てらまち さんちょうめ)

2008年12月05日 15時30分30秒 | 駿府96か町のいま
▽戦前、右手のマンションのあたりに「若竹座」があったという。(国道1号方面を臨む)
(戦後、映画館(国際劇場)ができ、その後静岡で最初のボウリング場となり、閉鎖後長らく空き地となっていた。)


旧「寺町三丁目」は、七間町通りと丁字路(ていじろ)となっていたため、
寺が立ち並んでいた反対側(北側)は、かなり繁華な町だったようです。

寺町三丁目と四丁目は原則からはずれた約1丁半の町となっています。
これは三丁目と四丁目の南側に多くの寺院が集積していて、
実質的に北側だけの片側町となっていたためかもしれません。

また、現駒形通一丁目1番のマンションが建っているあたりには、
戦前は若竹座という芝居小屋があり賑わったということです。
芝居小屋の発生は、
江戸期に寺の境内を使って見世物などを行っていたものが
恒常的になっていったものなのでしょうか。

これらが寺町から七間町通りにかけて見世物小屋や芝居小屋ができ、
さらにそれらが昭和の時代になり
七間町通りに映画館が集積することにもつながっているのでしょう。

往年の、寺町三丁目とそこから丁字型に延びる七間町通り界わいは、
東京の浅草のような静岡一繁華な町だったことが想像できます。


▽寺町附近には菓子屋がたくさんあったという。
創業が1830年代という馬場製菓(現:駿河町7番地の1)は、現在は「茶飴」の店としてが有名だが、
かつてはいろいろな菓子を製造し市中の菓子問屋などに卸していたのだいう。

▽安立寺のあった附近を貫通する現駒形通一丁目の通り(安倍川方面を臨む)
駒形通りが七間町通りとつながったのは大火後かと思っていたが、1935(S10)年ごろのようだ。
右手、奥の現しずてつストアのあるところには、戦後、マルというダンスホールがあってにぎわったとか


▽明治期と思われる寺町附近の地図
地図は重要な情報だが手作業であるがゆえに間違い等も散見される。
寺町四丁目の四が抜けているのは単なる脱落か、はたまた寺近くゆえの意図的なものなのだろうか?
(四が死に通じるなどという迷信は明治期以降だと思われるが、すでにそういう考え方が
この地図にも反映されているというのは考えすぎかもしれないが・・・)
平屋町・江尻町の表記はあきらかに1ブロックずれている。
平屋町は1丁先のブロックで、平屋町とあるは江尻町、
江尻町とあるは下魚町(下魚町は1丁より長い町だった。)の誤りである。
寺の境内の広さは地図どおりというより、位置を示す程度にとらえた方がいいのだろう。
ピンクの部分が三丁目、青緑の線は現在の駒形通り


旧「寺町三丁目」は、現在の駒形通一丁目1番~4番、常磐町三丁目1番、駿河町の各一部
で東西の通り沿い約1丁半の町でした。(町名変更は1945年)



方位の表記について
駿府の町割りは方位に対して傾いているので、
JR線や国道1号を東西に見立てた方位がよく使われているのですが、
ここでは(特に碁盤の目地区)、より実際の方位に近い
「札の辻を起点にして城のある方向を北」とした方位の表現をします。
したがって寺町通りは東西、七間町通りは南北の通りということになります。

その他
記事内容は誠実に書いているつもりですが、内容の正確性を保障するものではありません。

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静岡駅前バスターミナル

2008年12月05日 12時10分52秒 | 電車・バス
▽工事中のバスターミナル

▽工事施工後

静岡駅前のバスターミナルが、やや進化してきたのでお知らせします。
(この言い方は剽窃かな?(笑))

写真は、11月22日、23日に実施されたバスターミナル内の舗装工事のようすです。

この舗装工事は、当初5月下旬に、
交通規制の影響が比較的影響が少ない土・日の二日間を使っての工事を予定していたのですが、
雨天のため延期され、以後予定した期日がやはり雨天で次々に延期され、
大幅に遅れてこのほどようやく実施されたものです。

予定の工事は終了したようですが、
まだ、国道1号に面している部分は未実施のため、
現在静岡駅前周辺に分散されたいるバス停を集約し、
バスターミナルとして全面的に機能するのは、来年春になるようです。

それにしても静岡駅前の地下道・広場関連の工事は、
足かけ5年の長期となり、どうしてこんなにかかるのかと、
工事関係の知識を持ち合わせない素人としては少々あきれてしまうのですが・・・


▽こちらは進化する前(路面がかなり傷んでいる)


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黄金饅頭その後

2008年12月04日 12時09分24秒 | 街かどのメヌエット
▽ 静岡名物協会の店の表示が誇らしげ
 
黄金饅頭は、静岡以外では「大判焼き」「今川焼き」「回転焼き」・・・・・・
などとも言われるようです。
戦後、清水中浜町の「一休茶屋」で黄金饅頭を焼いていた方
(黄金饅頭の命名はこの人だとか)が独立して、
1953(S28)年に七間町の横丁(谷沢漆器店の倉の前の、
かつてウインナという喫茶のあった隣)
黄金饅頭の店「三休」を開いて一世を風靡したそうです。
(いうまでもなく、当時は映画館の集積する七間町は、静岡一の繁華街でした。)
 
当時、清水の「一休」は、黄金饅頭の製造を静岡の三休にまかせたので、
毎日何往復も静清国道をオートバイで走り清水まで運んだそうです。
 
'60年代に入り、時代の変化で商品構成や業態を変えながら、
場所も新静岡センター内など変遷し、
今は屋号も「三休」を「三久」と変え、
静岡駅構内のアスティ東館(新幹線改札口裏)で飲食店を営業しています。
残念ながらもうここで黄金饅頭は買えません。
 
[参考:七間町町内会発行「七間町物語」]
 
※ 宮ヶ崎町(浅間通り)に、一休茶屋というラーメンと黄金饅頭の店があるのですが、
関係あるのかどうかは残念ながら知りません。
 
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