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源義経公基礎知識⑤ 平泉へ還る

2022-05-09 07:56:52 | 歴史、民俗

一ノ谷の合戦の後、義経公は朝廷より「検非違使」に任命されます。

 

検非違使とは京都の治安維持に努める軍事警察のようなもの。武士の出世の足掛かりとなる役職で、大変な栄誉でした。

 

義経公は頼朝も当然喜んでくれると思った。

 

しかし、頼朝は自分の許可を得ずに、家人が勝手に任官することを禁じており、義経公の行動に激怒します。

 

義経公には「兄弟」だからという甘えがあったのかもしれません。しかし頼朝から見れば義経公は兄弟といえど家人の一人。秩序を破ったことを簡単に許すわけにはいかない。

 

頼朝はプロの政治家。一方の義経公は軍事の天才ではあっても、政治のことはわからない。それに肉親と離れて育ってきたが故に、肉親の情に餓えており、ついつい甘えてしまい部分はあったでしょう。

 

結局義経公は鎌倉へ入れず、京都での暮らしを余儀なくされます。

 

京都の朝廷は義経公を巧みに取り込もうとするし、頼朝には義経公に対して疑心暗鬼が芽生えてくる。「義経は謀反を起こすつもりではないのか!?」

 

頼朝はついに、義経公に刺客を放ちます。

 

これを辛くも逃れた義経公は、態勢を立て直して頼朝と戦うため、九州を目指します。しかし乗り込んだ船が台風に巻き込まれ難破。義経公は僅かな手勢と吉野の山中に逃れます。

 

朝廷は頼朝にせっつかれ、義経公追討の院宣を出している。謀反人となってしまった義経公を匿ってくれるとしたら誰か。

 

思いつく人物はただ一人。

 

奥州に独自の文化を築き、若き日の義経公を育ててくれた人物。

 

奥州平泉三代目御館

 

藤原秀衡公。

 

義経公一行は山伏姿に身をやつし、一路平泉を目指します。

 

 

つづく。

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