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源義経公基礎知識⑥ しづやしづ

2022-05-11 07:48:40 | 歴史、民俗

義経公は軍事の天才だが政治には疎い。時の後白河上皇は義経公を巧く取り込み、頼朝を牽制しようとしていたのでしょう。これ以上頼朝の力が増しては平氏の二の舞になる。上皇はそれを怖れた。

しかし義経公にはそれがわからない。頼朝は頼朝で、声望が増していく義経に対して疑心暗鬼が沸いてくる。

「九郎は自分(頼朝)に取って変わろうとしているのではないか?」

両者の間の亀裂は決定的なものとなってしまう。

 

さて、義経公は京を逃れて後、吉野山中や京都近辺に潜伏し、反撃の機会をうかがっていました。その間に、正室である北の方こと里(郷)との間に一女を儲けています。

一方、愛妾の静もまた身ごもっておりましたが、こちらは吉野山中で捕えられ、鎌倉に護送されてしまいます。

静が義経公の子を宿していることを知った頼朝は、「産まれた子が女であれば助けるが、男であれば殺す」と告げます。

男であれば必ず後々の遺恨となる。自分自身が平氏を憎み続けたように。

武家の棟梁としての、政治家としての、頼朝の非情な決断でした。

この時代の武士は、ヤクザやマフィアとほとんど変わりません。舐められたら終わり、殺るか殺られるかの仁義なき非情の世界。

政権を磐石にし、トップであり続けるためには必要だと、頼朝は断じた。

はたして、産まれた子は男の子でした。

赤子は産まれてすぐに静からひきはなされ、鎌倉の由比ヶ浜に、生きたまま棄てられます。

鎌倉時代は気が滅入る話が多い……。

 

 

鎌倉の鶴岡八幡宮落慶法要の際、神楽の名手であった静は、御神前で舞うことを強要されます。

静の目の前には、愛しき我が子を、義経公との愛の結晶である我が子を殺した頼朝と、その御台所政子がいる。

静は舞い始めます。「しづやしづ」と歌いながら。

愛しき義経公が、私のことのみ「しづやしづ」と呼んでくださっている。義経公への溢れるばかりの愛を歌い舞う。白拍子である静は、自らの芸をもって、頼朝に捨て身の「いくさ」を仕掛けた。

頼朝よ、お前などには決して屈っせぬ!

 

鎌倉幕府の公式歴史書『吾妻鏡』によれば、この時頼朝は激怒しますが、政子の執り成しにより静は赦され、解放されたとあります。同じ女性として、静の想いに心打たれたということでしょうか。

解放された後の静の消息は、伝えられていません。

 

 

反撃の機会をうかがう義経公は、京都近辺におよそ2年間潜伏しますがいよいよ追い詰められ、平泉への逃亡を決断します。

 

山伏姿に身をやつし、僅かの手勢と妻子を連れて。

 

 

 

つづく。

 

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