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流れに任せて

源義経公基礎知識④ 軍事の天才

2022-05-07 13:19:30 | 歴史、民俗

義経公の軍事における天才性はどこからきているのか。もちろん、義経自身が柔軟な思考の持ち主であったからなのですが、その発想の根底には、奥州で育ったことが大きな影響を与えているのではないでしょうか。

 

例えば一ノ谷の合戦。急な斜面を馬で駆け降りるなど、普通の発想では出て来ないし、馬の習性をよくしっていなければ、到底考えつかないでしょう。  

 

馬は群で行動します。ですから一頭が崖を降り始めたら、他の馬たちもつられて降り始める。

これはNHKの「歴史大実験」という番組で実際に検証した結果です。だから大河でやっていたように、まず馬を降ろしてその後人が降りるという方法なら、理屈としては可能なんです。

 

奥州は優良な馬の産地です。たくさんの馬が放牧されており、その馬たちの行動をよく見ており、習性をよく知っていた。

プラス柔軟な思考。

やはり、奥州で育ったことは大きいと思われる。

 

檀ノ浦。舟八艘分を飛び越えたという「義経八艘飛び」は伝説に過ぎないにしても、平氏の軍船を動かしているエンジンといっていい水夫たちを、弓矢で狙い撃ち殺してしまえば、舟は動けなくなる。

誰でも思いつきそうなことではあるのですが、これは当時の戦場の作法では、やってはいけないことだったのです。

でも義経公は勝つことのみにこだわった。そんな禁忌など知らん!勝てばいいのだ!勝てば!

 

 

結果、平氏側は大混乱。義経公の果敢な攻撃に、ついに平氏は敗れます。

 

義経公のお蔭で源氏は大勝利!しかし

 

義経公のあまりに性急過ぎる攻めに逃げ場を失った平氏側からは、海にそ飛び込み自害する者たちが続出し、ついには6歳の安徳天皇まで…。

 

本来なら安徳天皇と三種の神器を無事回収することで、朝廷側と有利な交渉を進めようとしていたであろう頼朝の意図は、脆くも崩れてしまった。

三種の神器のその後は以前記事にしました。ここでは繰り返しません。

 

義経公は天才。しかし天才というのは大概、なにか欠けている部分があるもの。

 

義経公の天才性が、義経公を窮地に追い込んでいく。

 

 

つづく。

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