しかし、世界で最初に人権宣言を出した国であるフランスのこと、当然、
こういうブランド化・グローバル化の動きに頑固に反発する人もいます。
南フランスのラングドックにあるアニアーヌ村は、その代表的な土地で、
ここの土地をアメリカの最大手ワインメーカーのロバード・モンダビが、
大量に買い占めようとしたことがありました。そのことは村民には事前に
通知されておらず、怒った村民はその年の村長選挙で、村民を裏切った
村長(社会党)を選ばず、共産党の対立候補を選んでしまったほどです。
この村長は、この年に選出された村長のうち、唯一の共産党の村長となり
ました。
この映画では、ワインのブランド化に反発しながら、昔ながらのワイン造りに
頑固にこだわるワイン職人さんが何人か登場しますが、どの人も実に味わいが
あって、深みのある意見を聞かせてくれます。ワイン造りのドキュメンタリー
映画のはずなのに、ヒューマンドラマでもなかなか聞けないような、枯れた
味わいのあるセリフ、情熱のほとばしるセリフ、自分の不完全さを露呈させて
一切恥じるところがない堂々としたセリフなど、見ていて目頭が熱くなるほどです。
ワインというのは、本来その味に均一性はなく、同じ畑で取れたワインでも、
おいしいワインもあればそうでもないワインもある。その土地その土地に
よって、芳醇な味になったり、力強い味になったり、柳腰の味になることも
ある。その個性を楽しむことが、ワインを飲む醍醐味なのだ、ということに、
職人さんや心ある関係者の人たちの言葉から気がつかされます。
心ある関係者、と書きましたが、このワインのブランド化に反対しているのは、
フランス人ばかりではないのです。アメリカの、しかもニューヨークにも
いました。ニール・ローゼンタールさんという、NYでワイン商を営むその
人は、昨今のパーカリズムによる悪影響を非常に危惧しています。このまま
では、世界中のワインから個性が消えてしまう、パーカリズムに屈する結果
としての味の改造により、今のワインの味は非常に不自然だ、と指摘しています。
私もこの映画を見て知ったのですが、最近のワインというのは、いわゆる
バニラの香りをつけるために、わざわざワインを香りの強い新品のオーク樽で
熟成させているのです。ワインの世界では、バニラのような香りが有難がら
れているので、その香りを強く感じられるように、こういうマキアージュ
(化粧)を施しているのですね。しかしこれは、消費者に豊かなテロワールを
味わってもらうための加工というよりは、「バニラの香りがするワインは高級」
というスノビズムを満足させているだけではないのか。
さて、この映画を見終わって、しばらく考えさせられました。確かに、
パーカリズムやブランド主義は、ワインの個性を奪います。しかし、
それがすべて悪いことなのだろうか。現実に、この流れのおかげでワインの
出来不出来の差は極小となり、世界中のそれほどワインにうるさくない
人たちは、安くておいしいワインが入手できるようになった現代の環境を
喜ぶかもしれません。あとは、おいしい食事があり、気の置けない人と
楽しい話題で盛り上がることができれば、それはそれで素晴らしいはず。
そして一方、この人工的な味のワインが増えてゆくことにより、ワイン職人
さんの心意気や腕、その土地のワインだけが持つ個性を味わえる、昔ながらの
ワインが減りつつある、ということもまた事実です。映画の中で、ワイン造り
には、詩人の心が必要だ、と言っていたベテランワイン造りの職人さんの
言葉が、深く心にしみこみます。気候による出来不出来も、土地の良し悪しも、
またひとつのテロワールなのだ。そういう心で精魂をこめて作られたワインで
こそ、ワインの何たるかを本当に味わうことができるのではないか。
現代人と同じで、あたりは優しいが中身がなく、よく味わおうとすると
背中を向けて逃げてゆく、そんなワインばかりになるというのは寂しい。
一方で、何事もコストダウンとスピードが要求される現代社会で、何十年も
熟成が必要な、時間のかかる高価なワインばかりというのでは、これも困る。
おいしければいいのか?
こういうブランド化・グローバル化の動きに頑固に反発する人もいます。
南フランスのラングドックにあるアニアーヌ村は、その代表的な土地で、
ここの土地をアメリカの最大手ワインメーカーのロバード・モンダビが、
大量に買い占めようとしたことがありました。そのことは村民には事前に
通知されておらず、怒った村民はその年の村長選挙で、村民を裏切った
村長(社会党)を選ばず、共産党の対立候補を選んでしまったほどです。
この村長は、この年に選出された村長のうち、唯一の共産党の村長となり
ました。
この映画では、ワインのブランド化に反発しながら、昔ながらのワイン造りに
頑固にこだわるワイン職人さんが何人か登場しますが、どの人も実に味わいが
あって、深みのある意見を聞かせてくれます。ワイン造りのドキュメンタリー
映画のはずなのに、ヒューマンドラマでもなかなか聞けないような、枯れた
味わいのあるセリフ、情熱のほとばしるセリフ、自分の不完全さを露呈させて
一切恥じるところがない堂々としたセリフなど、見ていて目頭が熱くなるほどです。
ワインというのは、本来その味に均一性はなく、同じ畑で取れたワインでも、
おいしいワインもあればそうでもないワインもある。その土地その土地に
よって、芳醇な味になったり、力強い味になったり、柳腰の味になることも
ある。その個性を楽しむことが、ワインを飲む醍醐味なのだ、ということに、
職人さんや心ある関係者の人たちの言葉から気がつかされます。
心ある関係者、と書きましたが、このワインのブランド化に反対しているのは、
フランス人ばかりではないのです。アメリカの、しかもニューヨークにも
いました。ニール・ローゼンタールさんという、NYでワイン商を営むその
人は、昨今のパーカリズムによる悪影響を非常に危惧しています。このまま
では、世界中のワインから個性が消えてしまう、パーカリズムに屈する結果
としての味の改造により、今のワインの味は非常に不自然だ、と指摘しています。
私もこの映画を見て知ったのですが、最近のワインというのは、いわゆる
バニラの香りをつけるために、わざわざワインを香りの強い新品のオーク樽で
熟成させているのです。ワインの世界では、バニラのような香りが有難がら
れているので、その香りを強く感じられるように、こういうマキアージュ
(化粧)を施しているのですね。しかしこれは、消費者に豊かなテロワールを
味わってもらうための加工というよりは、「バニラの香りがするワインは高級」
というスノビズムを満足させているだけではないのか。
さて、この映画を見終わって、しばらく考えさせられました。確かに、
パーカリズムやブランド主義は、ワインの個性を奪います。しかし、
それがすべて悪いことなのだろうか。現実に、この流れのおかげでワインの
出来不出来の差は極小となり、世界中のそれほどワインにうるさくない
人たちは、安くておいしいワインが入手できるようになった現代の環境を
喜ぶかもしれません。あとは、おいしい食事があり、気の置けない人と
楽しい話題で盛り上がることができれば、それはそれで素晴らしいはず。
そして一方、この人工的な味のワインが増えてゆくことにより、ワイン職人
さんの心意気や腕、その土地のワインだけが持つ個性を味わえる、昔ながらの
ワインが減りつつある、ということもまた事実です。映画の中で、ワイン造り
には、詩人の心が必要だ、と言っていたベテランワイン造りの職人さんの
言葉が、深く心にしみこみます。気候による出来不出来も、土地の良し悪しも、
またひとつのテロワールなのだ。そういう心で精魂をこめて作られたワインで
こそ、ワインの何たるかを本当に味わうことができるのではないか。
現代人と同じで、あたりは優しいが中身がなく、よく味わおうとすると
背中を向けて逃げてゆく、そんなワインばかりになるというのは寂しい。
一方で、何事もコストダウンとスピードが要求される現代社会で、何十年も
熟成が必要な、時間のかかる高価なワインばかりというのでは、これも困る。
おいしければいいのか?