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あみの3ブログ

長光寺城@滋賀県近江八幡市長光寺町 令和四年(2022)5月6日

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瓶割山城遺跡(かめわりやまじょういせき)
東近江市と近江八幡市にまたがる瓶割山の山頂に位置します。主な遺構は、三か所につくられた三か所の曲輪で、それぞれの間は堀切で区画されています。各曲輪の周囲には小規模な曲輪が設けられ、さらに竪堀が掘られています。自然の地形を巧みに利用し、部分的に石垣が作られています。城内で最も規模の大きな石垣は、一の郭の北西にある高さは約6mのものです。
 瓶割山城は、古くは長光寺城と呼ばれ、応仁の乱のさなかの応仁2年(1468)年に、近江守護佐々木六角髙頼と対立した佐々木四郎政尭(まさたか)により築城されたとされ、詳細は不明ですが、天正4(1576)年の安土城の頃には廃城になったと考えられます。当城の北北東約5Km先には佐々木六角氏の本城である観音寺城があり、政尭の時には守護髙頼の観音寺城に対する城として、また、織田信長が観音寺城を攻略した後には、その支城として周辺地域の抑えの役割を果たしたと考えられます。
 瓶割山の山名は、元亀元年(1570)年に、柴田勝家が近江守護佐々木六角義賢と戦った際に、城中の水がめを打ち割って城兵を奮い立たせ、戦いに勝利したことから「瓶割の柴田」の異名をとったという伝承に由来します。東近江市教育委員会、、、(現地説明板より)


場所は滋賀県近江八幡市長光寺町
名神高速竜王IC下車、国道477号線にて「西横関」交差点を右折し、国道8号線(旧中山道)を近江八幡市方面へ進みます。「日野川」「白鳥川」を渡り、「六枚橋」交差点で県道14号線へ右折。3~400m先の「長福寺町」交差点で左折すると、道は山の裾野にあって広大な工業団地の裏手に進みます。
右手山側に「日吉神社」があり、その石段の先に城址登り口があります。


工業団地裏側の道路沿い、山の裾野に新たに付けられた登り口。
しかし、駐車するスペースがありません。



なので、従来からある登り口へと向かいました。
工業団地裏側の道路から、日吉神社へ向かう曲がり角。


この角から20mほど先の左手に、日吉神社の鳥居が建っています。


鳥居の下が参道になっていて、車で入れますが狭いです。
参道の先が登城口ですが、その手前右に入ったところに神社の駐車場がありますので車を停めさせていただきました。



参道の先にある階段を登ります。


本殿の左手奥が城址登り口です。



登城道
踏み板が取り付けられ、整備されている印象です。


途中荒れた場所や急な上り坂があります。先人が取り付けた赤い目印テープを頼りに進みましたので、迷うことはありませんでした。



尾根の分岐
案内看板に従って城域に進みます。



ここで当日の行程を縄張り図で示します。
福永先生作図、近江の山城を歩く「長光寺城」より(ブログ管理者加筆)



併せて、現地説明板の縄張り図も載せておきます。




登山道からの侵入ルートは、緑色の矢印で示した北方向からです。
縄張り図の「Ⅴ」郭、現地説明板の「三の郭」方向からとなります。



「Ⅴ」(三の郭)、、、登城道のある北側の尾根に築かれた郭と防御施設


堀切



竪堀





土橋



武者隠し



米蔵







「Ⅰ」(一の郭)、、、北尾根・南尾根・西尾根の中心に築かれた主郭、最も広い面積を有する
遊歩道からの入り口


現地案内板と説明板


削平地





「Ⅰ」から「Ⅳ」郭(旧三の郭)へ、、、東尾根に築かれた郭と防御施設と井戸



古井戸



地蔵群



「Ⅳ」郭



竪堀
南面の掘られた大きな竪堀



北面に掘られた二重の竪堀





土橋と虎口(掘り込み枡形虎口)



現地説明板によると(旧三の郭)



ここで引き返し、井戸跡から主郭北東側の崖下に降りてみました。
この斜面には岩盤がむき出しになり、岩がゴロゴロと転がり落ちています。



その中には「矢穴」の加工跡が見られるものがあり、もしかしたら石切り場の跡なのかもしれません。




主郭に戻り、そこから南尾根を目指します。
主郭北西端から「Ⅱ」郭方向
大きな堀切に見えますが自然地形でしょうか
左右に竪堀を施し尾根を狭くした防御施設、「馬の背堀切」



竪堀に降りてみてみると、土橋にも見えます。



この馬の背堀切の右手に高石垣があります。
主郭南端の西面にあたります。


高さは約6m


現在は南西端の一部にしか残っていませんが、当時は西面一帯を取り巻いていた事と思われます。



高石垣の上にある主郭からの眺望
琵琶湖と城下町に、石垣で覆われた城の威容を見せつける狙いがあったんでしょうね。






「Ⅱ」の郭(二の廓)、、、南尾根に築かれた郭と防御施設・石垣



朽ちた案内看板



竪堀



虎口(三角点のある辺り)



南端
自然地形を活かした堀切でその先の「Ⅲ」郭に至る尾根を遮断している。



後世の石垣
対面する「Ⅲ」郭方向より全景



南面石垣



南東隅石垣





「Ⅲ」郭、、、南尾根最南端の郭と防御施設



尾根の左右に掘られた竪堀
東面竪堀



西面竪堀



尾根最先端
現在は遊歩道の東近江市側下山路となっています。



「Ⅲ」郭からの眺望



政尭の時には守護髙頼の観音寺城に対する城として、織田軍に落とされたのちは、観音寺城を攻める「付城」として利用されたと考えられています。
織田家臣の柴田勝家が在城したさい、六角勢に城を包囲され籠城したことでも知られています。
しかし短期間の在城で、城の改修はほとんどなかったようです。




【長光寺城】
《ちょうこうじじょう》

名称(別名);瓶割城、瓶割山城
所在地;滋賀県近江八幡市長光寺町
城地種類;山城
標高/比高;235m/120m
築城年代;室町期、応仁2年(1468)
廃城年代;天正4年(1576)
築城者;佐々木四郎
主な改修者;
主な城主;佐々木氏、柴田勝家
文化財区分;
主な遺構;石垣,郭,縦堀、虎口、枡形虎口、土橋、井戸、石仏、
近年の主な復元等;


※出典、、、近江の山城をゆく「長光寺城」
地図;
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