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あみの3ブログ

井田主馬ヶ城@富山市八尾町井田 令和三年(2021)6月21日

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標高約175mの山頂に築かれた山城です。江戸時代の歴史書「越登賀三州志」には、城主として斎藤主馬、あるいは主馬判官、斎藤左源太などの名があげられています。
斎藤氏は、南北朝時代から楡原保に勢力を有し、戦国時代中期には、井田館から城生城に本拠地を移しました。この城は、天文21年(1552)までには築城され、天正11年(1583)斎藤次郎右衛門と豊臣方の佐々成政が戦った城生城攻防戦以前に廃城を迎えたと考えられます。
本城は峯の南北に築かれており、中心的な曲輪は北側の峰にあります。ここには主郭(本丸)とこれを同心円状に一段低く取り巻く腰曲輪があります。西側は自然の急斜面、また北側から東側にかけては、人工的な二段の急斜面(切岸)と空堀によって守られています。、、、現地案内板より(富山県教育委員会)


井田館、主馬ヶ城、城生城、三者の位置関係を地図で示します。



豪族斎藤氏居館
井田館の記事は→こちら
後の本拠地
城生城の記事は→こちら



場所は富山市八尾町井田
八尾市街から細入方面へ県道25号線を通り、バイパスとの合流手前にあるJR高山本線井田踏切を渡った正面の山の辺りです。


県道25号線から林道に至る道がわかりにくいので詳細な地図を付けます。
県道25号線とJR高山本線が並行して走る区間で、「井田踏切」を渡るのがポイントです。

井田踏切を渡ると、直進「悪路コース(青色)」、、、未舗装凸凹下草ありと
左折してぐるっと回り込む、「舗装コース(緑色)」、、、途中寺院や広場があり舗装されて緩やか
の2コースが選べるので、往路と復路でコースを変えても良いです。



「井田踏切」
踏切の先の青い色の作業小屋が目印


自分は直進「悪路コース(青色)」を選択
踏切を渡ったら直進
その先Y字分岐(お墓のところ)で左折


途中の林道は未舗装で凸凹道です。


崖や落石もなく距離も短いので、そんなに心配しなくても良かったです。
程なくして「城址入り口」に到着。駐車スペースはほとんどないです。
この舗装道路を下って行けば、先ほど説明した、「舗装コース(緑色)」となります。


ちなみに帰りはそのまま下ったので「舗装コース(緑色)」であることがわかりました。
「城址入り口」の10mほど下にある「おわら歌碑広場」で車を停めたり方向転換するスペースは十分にあります。


登城前ですが帰り道の説明をします(笑)
「おわら歌碑広場」から緩やかな舗装道を下るとお寺と墓地が広がり、その脇を通ってJR高山本線と並行する農道に出ます。


黄色い外壁の家の辺りが先ほど渡った「井田踏切」です。
往路と復路で、ぐるっと一周してきたわけですね。



それでは登城報告に話を戻します(^^♪

「城址入り口」
現地説明板と城址入り口の標柱が建っています。


城郭からは密林に覆われほとんど見晴らしが利かないので、この場所が唯一の眺望ポイントと言ってもよいでしょう。



城址入り口は日当たりが良く下草が生い茂っており(6月なのでw)突撃には覚悟が必要です(;^ω^)


しかし森の中は日差しが少なく、その分下草も短く歩きやすい。
初めはキツイめの登りでしたがやがて緩やかとなり、土橋のような馬の背を通ります。



それではここで当日の行程を縄張り図で説明します。
安田城資料館提供(佐伯氏著城郭地図) ※ブログ管理者加筆


イラストマップが分かり易いですね。
主郭に設置してある説明板より


まず往路はB郭からA郭、C郭へと直線的に北から南へ縦断し、
C郭から下の帯曲輪を通り元来たB郭に戻る。
次にB郭の空堀を通ってA郭(主郭)に入り
A郭から往路と逆のコースでB郭を経て帰投する行程です。


B郭手前の「空堀」(外堀)


空堀の底とB郭側の法面に施された切岸



「B郭」
B郭削平地の奥が主郭
B郭と主郭の間にも空堀が施してある



手前がB郭、空堀を挟んでA郭(主郭)


A郭(主郭)下の「空堀」(内堀)



「A郭(主郭)」
説明看板が建っている。
日当たりの良い主郭は下草に覆われ、削平地の面積としては狭い。
井田前山の最高峰なので、当時は見晴らしが利いていた場所だったと思われますが、現在は雑木林に覆われ眺めは望めません。


主郭の南側尾根にも曲輪が伸びる



「C郭」


C郭の南端堀切


C郭南端


竪堀群



ここから主郭下の帯曲輪を通ってB郭へ戻ります。
帯曲輪の両端(B郭側とC郭側)は空堀で繋がっている。



C郭側の空堀の底を歩いて「帯曲輪」に向かう


この辺りの法面には北陸では珍しい畝状空堀群が見られるが、よくわからなかったです(;^ω^)


両脇に施された土塁が虎口のように見えます


帯曲輪削平地とB郭法面に施された切岸


空堀底部から見たB郭切岸


帯曲輪はB郭下の空堀に至り、来た道に戻る。



B郭から主郭(A郭)下の空堀へ降りて、空堀の底を歩く
道のように見えるのが主郭下空堀の底部で、右手が主郭法面の切岸


谷側にはいく筋かの竪堀が見られる


先ほどの帯曲輪から見ることができなかった、畝状空堀群かとも思ったがチョット違うかも。



「主郭虎口」
くねくねと何度もクランク(角度はあまり感じなかったが、曲がっている)を通って主郭に至る出入り口。
やはり、B郭から主郭下空堀を通って本丸へ登るルートが大手だという事なんですね。


主郭下に掘られた空堀


そこを駆け上がると主郭


往路で通った説明板のあるA郭
ここで城跡を後にしました(^^)/


南北に連なる尾根の頂上に主郭を置き、その周りを二重の堀で守っています。
主郭の周りと言いましたが360度の全周ではなく、尾根の東面の緩やかな斜面を防御するための二重の堀です。

尾根の北側から南に向かって城域を突き抜けましたが、実際の侵入経路は副郭(B郭)から主郭下の空堀を通って、反時計回りの螺旋状に駆け上るのが大手道だったことがわかりました。
そこには堀切や畝状竪堀群、S字クランク、両脇に土塁を積んだ虎口などの防御施設を巡らせ本丸の守備を固めていました。

平時は麓の井田屋敷に住まう国人(豪族)斎藤氏が、背後の井田前山に築いた有事の際に立て籠もるだったことがよくわかりました。


【井田主馬城】
《豪族斎藤氏の詰城》



名称(別名);いだしゅめじょう(主馬ヶ城、主馬之城)
所在地;富山市八尾町井田
城地種類;山城
標高/比高;175m/110m

築城年代;1552年(天文21年)以前
廃城年代;1583年(天正11年)以前
築城者;斎藤氏
主な改修者;不明
主な城主;斎藤主馬?、主馬判官?、斎藤左源太?
文化財区分;富山市指定史跡
主な遺構;曲輪、土塁、堀切、虎口、櫓台
近年の主な復元等;


※出典、、、
地図;
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