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魚津市街地の北東に位置し、天神山(163m)と呼ばれる独立丘陵上に築かれた山城です。山頂には大きな二つの曲輪があり、本丸と二の丸に相当します。本丸の中央部には、一段高く設けられた櫓台があり、魚津城を望むことができます。また本丸の南側には、眼下を流れる片貝川に沿って長大な土塁が設けられています。さらに山頂から山腹にかけて、大小さまざまな平坦面や土塁が今も残っています。
天正10年(1582)の「魚津城の戦い」では、上杉方が守る魚津城が織田方の軍勢に取り囲まれていたおり、救援に駆け付けた上杉景勝が陣を敷いた城として知られています。
天神山はかつて「松尾山」と呼ばれていましたが、室町幕府足利義材が都の乱を逃れて千光寺に身を寄せていた時に、持っていた店腎臓をこの山に祀ったことから「天神山」に名を改めたと伝えられています。また、山頂からは弥生土器が見つかっており、二世紀後半に起こった倭国大乱に関係する遺跡とも考えられています。黒部市教育委員会、、、現地案内板より
場所は富山県魚津市小川寺
北陸道魚津ICから県道52号線を右折し一旦国道8号線に出ます。国道8号線を黒部方向に進み「吉島西」交差点を右折し「吉島」交差点を県道128号線に沿って左折。片貝川を渡って4~500m行くと県道330号線の分岐に出ますので右折し、北陸新幹線高架を過ぎた辺りからぶどう園が続きます。そこから100mほどで「魚津市歴史民俗博物館」の案内看板がありますので山に向かって右折です。細い坂道ですが舗装されていますので、城址駐車場まで車で行けます。
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天神山周辺のイラスト、、、現地案内板より
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県道330号線「魚津市歴史民俗博物館」の案内看板
山に向かって林道を登る
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「魚津市歴史民俗博物館」
斜面に建つ白亜の巨塔
当日は富山県がマンボウのため休館となっていました。
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山頂登り口にある宗教法人?の施設
駐車場となっています
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山頂登り口にある「青山佐渡守・豊後守親子の墓」
加賀藩前田家の家臣 青山氏2代の墓
青山(佐渡守)吉次は尾張出身で前田利家に仕え、1587年 越中 魚津城代に任じられ城下町を整備し、
青山(豊後守)長正は佐渡守吉次の養子で、魚津城代を継承した。
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墓の横には「天神山城跡への近道(急坂)150m」の道案内標識が建っています。
自分はオーソドックスな左側の登り道を選択。
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山頂の手前で、「本丸方向」と「ロータリー・石仏群方向」との分岐がありますが周回コースとなっているので、どちらからでも一周することができます。
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当日の行程を縄張り図にて説明します。 佐伯先生著;越中中世城郭地図Ⅱ(ブログ管理者加筆)
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天神山城跡3D鳥瞰図、、、現地案内板より(ブログ管理者加筆)
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先ずは山頂の主郭を目指します。
◆二の丸
最初に現れたのは現地案内板にある「二の丸」
現在はお堂が建っています。
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右側が「二の丸」、左側は「本丸」
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◆主郭
二の丸方向から見た「主郭」平坦面
二の丸より一段高くなった削平地、奥の方に鉄塔が建っています。
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主郭に建つ天神山城跡碑
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◆櫓台跡
本丸南側に一段高くなった部分があります。現在祠が建っています。
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櫓台の最高点に建つ「三角点碑」
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虎口にも見える土塁
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櫓台跡からの眺望
遠く魚津市街地と富山湾が見渡せます。当時は魚津城が手に取るように見えたのでしょうね。
眼下の谷側斜面一帯に「南面・階段状小曲輪群」が広がる
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本丸南西面に伸びる土塁
櫓台から西側副郭(?)に至る南側斜面一帯の50m位に渡って続く土塁
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尾根が下った先に西側副郭(?)があります。右端に土塁の先端が見えます。
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◆西側副郭(?)
現在はロータリーとして削平・改修されたようで、どのくらい往時の姿を留めているのか分かりません。
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この南西隅には「高円用水(200m)」の案内看板が設置されています。これは城の「水の手」だったんでしょうか?3Dイラストの「井戸」とは関係ないのでしょうか?よくわかりません(;^ω^)
副郭の谷側斜面には「南東側階段状小曲輪群」が広がっています。
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◆天神山の石仏様(霊場)
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現在このロータリーには石仏が安置されています。
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山頂との分岐からロータリーへの参道は周遊コースにもなっており、以前は車でも来られたんでしょうね。
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分岐からロータリーへの中腹道路沿いにはたくさんの石仏が安置されています。以前は旧道沿いに安置されていましたが、中腹道路の舗装工事に伴い現在の場所に移設されました。総計二百仏があり、一日で本霊場巡りができるそうですよ。
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◆竪堀
現在石仏が並ぶ北面の斜面には「横堀」と「竪堀」で防御されていたと考えられています。
「横堀」は中腹道路の建設で破壊されてしまったのでしょうか?
主郭下斜面に掘られた、東側の竪堀
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同、西側の竪堀
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分岐からロータリー方向に進むと竪堀地蔵の案内標識がある。
右手斜面は本丸下の法面に掘られた竪堀
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中腹道路から北西方向の眺望
現在は「魚津カントリーゴルフ場」の芝生コースが見えるが、手前の斜面には「北西側階段状小曲輪群」が広がっている。
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本丸・二の丸の西側は宗教法人のビルや、博物館のビルが建設され、遺構は破壊されていますが、もしかしたら西側斜面にも「階段状小曲輪群」があって、本丸を囲むように周囲には曲輪が階段状に構築されていたのかもしれませんね。
【天神山城】
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名称(別名);てんじんやまじょう(萩城)
所在地;富山県魚津市小川寺
城地種類;山城
標高/比高;163.1m/60m
築城年代;16世紀後半
廃城年代;16世紀後半
築城者;上杉氏
主な改修者;
主な城主;長尾小四郎景直
文化財区分;黒部市史跡
主な遺構;曲輪・切岸・竪堀・土塁・横堀・井戸
近年の主な復元等;
※出典、、、越中中世城郭図面集Ⅱ
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