国宝の城を訪れるのはこれが初めて。
正面からではなく横から入るのね(笑)
入母屋造りの屋根の中にあって天守には唐破風を取り入れているが、普請を急ぐため寺院から移築したという話を聞いたことがある。
やはり木造天守は風格がある。階段も上層に上るにつれ角度が急になるのは福井の丸岡城でも経験した。
玄宮園・彦根城博物館を見学、歴代城主の武具や宝物も素晴らしいが、「赤備え」という足軽から総大将まで全身赤色の鎧兜で揃えた軍団の様子は迫力がある。
赤備えのルーツは武田信玄の騎馬隊であり、徳川家康によって武田家滅亡後、軍功があった井伊直政が井伊家再興の褒美として旧武田軍団を賜ったものである。
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彦根城のマスコットゆるキャラのひこにゃんの頭には、この赤備えで彦根城主井伊家当主に受け継がれた甲冑の「天衝脇立」をかぶっている。
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【国宝の天守に表御殿や庭園が彩を添える】
彦根城は徳川四天王の一人、井伊直政琵琶湖湖畔に城を築こうとしたが意志半ばで死んだため子の直継は彦根山を城地と定めて、慶長12年(1607)に店主など主要部分を完成させた。築城は徳川家康の支援を受けて天下普請で行われ、佐和山城や大津城など周辺の廃城から用材や石材などを調達、急ピッチで進められた。しかし城下町まで含む城の完成には20年余りの歳月を要した。三重三階、華麗な装飾を施された天守は明治維新の廃城令も戦災も免れ文化財保護法による城郭国宝に指定された。
【彦根城】
《琵琶湖に臨む井伊家14代の堅城》
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名称(別名);彦根城(ひこねじょう)別名金亀城(こんきじょう)
所在地;滋賀県彦根市金亀町1-1
城地種類;平山城
築城年代;慶長9年(1604)
築城者;井伊直継、直孝
主な城主;井伊氏
文化財区分;国宝、国指定特別史跡、国指定名勝
天守の現状、形態;望楼型、三重三階 木造(現存)
地図;
※出典、、、日本100名城 公式ガイドブック・日本城郭協会監修(学研)