新・日記どす(DOS)

写真は「ビートルズ」のヘルプごっこ(笑)~音楽からB級スポット訪問記まで、幅広くいろんなことを…笑いをこめて…綴ります~

武田信玄最後の決戦地…野田城址に行く…

2022-08-16 07:00:11 | 歴史史跡

砥鹿神社参拝の後は

再度、飯田線のJR三河一宮駅に戻って、1時間に1本しかこないワンマン列車に乗る…

目指す行き先は、「野田城駅」

 

 

列車が停まったら開閉ボタンのスイッチを押して、そして、列車なのにバスのように整理券をとり…そして車内で切符を買う…

交通系ICカードの使えない飯田線…

 

なんか、こんな切符を手にしてるだけで、時代が昭和にタイムトリップしたように感じちゃいますなあ…

 

 

さあ、JR三河一宮駅から野田城駅まで4駅で到着…

 

 

もちろん、JR三河一宮駅と同様、無人駅です…

 

 

さあ、JR野田城駅で降りたとなれば、目指す場所はもちろん!野田城!!

「野田城駅前公衆トイレ」にこの案内板

野田城を囲む武田信玄を「鉄砲」で狙撃し、武田信玄が撃たれたと伝わる野田城

この伝説をもとにして作られたのが黒沢明監督の映画「影武者」だったんですね!

仲代達矢さんが武田信玄及び影武者役…

この映画、TV放送でみたような…みていないような…なんせ、今から40年前の映画だから、記憶は…曖昧

また、これを機に一度みてみたいと思いながら「野田城」へと向かう

 

「野田城駅」とありますが…すぐそばに野田城跡があるわけではなく、上記で示した地図のように、野田城まではひたすら歩きます!歩きます!!

約2キロほどは…まずは線路沿いに南下…

 

こののどかな…コンビニなど一切ない光景…線路と家屋をなくして、今歩いている路を畦道にしたら、野田城があった戦国時代のままの光景じゃないかな…と思えるほど…

黒沢明監督の映画「影武者」の舞台になった場所のそばなのに…観光化する気配も感じられない…「野田城駅前公衆トイレ」の案内板ぐらい…

 

でも、野田城を徒歩とほとほ目指す方は、きっとそれなりにいてるのでしょう!なんせ「野田城駅」と駅名になってるくらいですから、私のような城址マニアが放っておく訳がない…(笑)

 

優しい…案内表示板が分かれ道にありました…

 

 

続いては、公民館を左折…

 

 

 

目の前にみえる小山が、野田城かな…と思いきや

あの小山に鎮座するのは、千郷神社

 

 

それを廻りこむように通り過ぎると、もう一つ小山がみえてくる!!

 

 

これが野田城です…

さてさて、野田城周辺に行くと…この民家の奥に野田城に入っていく獣道があるような…

 

 

その民家の壁には、ごらんのような野田城の解説板が…

 

ホント土産店とか飲食店とかそんな場所ではなく、フツーの民家に掲示されてるこの「野田城址」の案内看板…

確かに、入っていく径がありますが…

 

 

 

うーん、ここにくる前に寄った「三河一宮砦」のことを思い出す…凄い蚊の大軍が襲ってきたのよ!!さらには、私の苦手とするニョロニョロも…

 

なんか、間違いなく…蚊の大軍は襲ってきそうじゃないか…

ここは、スマホのグーグルマップを起動すると…再度、舗装された路地に戻って、横断歩道がみえる緑色の家の手前に径があり、そこからアクセスできそうな…

 

曲がって少し歩くと左右に舗装された道が分かれてて、その中央には法性寺霊園の石碑と山門がみえる…

 

 

 

 

その分かれ道を右に進めば…

 

はい、野田城址に着いたノダ

 

それにしても、コンパクトにまとめられ過ぎな感じもする説明案内板

 

 

もう一つ、野田の戦の案内看板も、ばっさりと短い言葉でまとめられていて…

 

もう一つ立て看板も

「伊奈街道」と書かれていながら、記述されている説明は、野田城のこと…「伊奈街道」に関する説明板では一切ない…

 

さてさて、城跡の入り口には、当時のものではないと思われる(当たり前)冠木門が

 

この径なら問題なく入っていけそう…

ここで、虫よけスプレーを再度かけまくって…(笑)

 

さてさて、野田城は1508年菅沼新八郎定則が築城し、その後、子である定村、孫の定盈まで、菅沼3代の居城となった城

一方、1572年には武田信玄率いる武田軍が、徳川家康の所領である遠江及び三河に攻め込み、「三方ヶ原の戦い」では徳川家康を撃破!その勢いで翌年三河へ侵攻し、野田城を包囲する…

それが「野田城の戦い」

徳川方の野田城城主の菅沼定盈は、500あまりの兵とともに野田城に立て籠もり、包囲した武田軍の攻撃に対して籠城作戦に…

この地形を生かして、さらには本丸、二の丸、三の丸が一列に並んでいる要は、三の丸を落とさないと二の丸に攻めることができず、二の丸を落とさないと本丸を攻めることができないという…連郭式の縄張りの城で、約3万の武田軍の攻撃に粘り強く耐える…

武田軍も攻めあぐねつつも攻撃を繰り返す…

武田信玄は、甲斐から金山掘りを呼び寄せて地下道を掘り、水の供給を断つ手段に出る…

さすがに水の供給を断たれた菅沼定盈は野田城にて1ヵ月ほど籠城作戦で戦うも降伏を決意…城主・菅沼定盈は、捕虜として武田軍に連行されることに…

武田信玄の死後、再び徳川氏のものとなり、1574年三たび菅沼氏が城主となったが、1590年、 菅沼定盈が関東移封されたため廃城となった…とのこと

説明は以上なノダ

 

さてさて、城址に足を踏み入れれば、もう私のような城址マニアにはタマラナイ…

はっきりと分かる…当時のままの堀切が残っている!!

それも冠木門をくぐって、城址に足を踏み入れたらすぐに…

 

この堀を超える土橋を渡ったら、そこが本丸で…

本丸に入る手前には、さらに冠木門が…

 

本丸にある野田城の碑…

 

これよりも手前の土塁にコーフンしちゃう城址マニアの私…

 

ちなみに、この石碑の手前に横たわっている石は

 

 

城主・菅沼定盈が馬に乗る時に使った石だとか…いつもわざわざここにきて、馬に乗っていたとは思えないけど、2.3度は利用したのかも知れんなあ…と思いつつ

 

本丸址を眺める

 

 

すると、片隅に「城内井戸」の案内表示が

 

落ちないように??囲ってあります…

 

 

 

武田信玄が金山を掘る職人を使い、野田城の側面に穴をあけ、城内の井戸の水脈を絶つことに成功…その作戦でこの井戸が枯れてしまって困ってしまっていたのでしょう

 

本丸と二の丸の境目…主郭北側には稲荷社が

 

その奥には

祠がありました…

野田城稲荷

 

他には、観光化しようと一時期は思ったのでしょうか…

おそらく映画「影武者」の公開時くらいの頃…1980年くらい…

たぶん、その頃に建立されたと思われる「あづまや」(休憩場所)

 

この被さっているブルーシートの中はなんなんでしょう??

発掘途中なのか…仲代達矢せんべいが売っていたお土産屋のあとなのか…

 

 

さて

その本丸に興味がより注がれる立て看板が…

 

 

信玄公、狙撃場所

野田城を攻めていた時、武田軍は昼夜問わず攻撃を繰り返していた訳ではなく、夜は休戦して…その時、この野田城から美しい笛の音が聞こたらしい… 

武田信玄はこの笛の音色を楽しんでいたとか…

一方野田城内では 「笛を吹くと武田軍の偉そうな人物がいつも城外の対岸に聞きにくる」と噂が広がっていたとか

ある夜、その武田軍の城外の対岸に立っている笛をききにきた人物に向かって、この場所から鳥居三左衛門という鉄砲名人が狙撃したそうな…

すると、命中したらしく、武田軍は大騒ぎになったとか…

この方こそ、武田信玄だったらしい???

撃った鉄砲は「鳥居三左衛門砲」じゃなくて「信玄砲」と命名されて、設楽原歴史資料館にありまして、その写真のあるこのブログも、ご一緒にどうぞ!!

 

ほぼほぼ設楽原決戦地の近くにある「設楽原歴史資料館」に行く!

さてさて、信玄を撃った場所にこうして立っているなら、今度は信玄が撃たれた対岸の場所に行かなくちゃ!

場所は、野田城址のお隣りの法性寺の境内にあるという…

ちなみに、法性寺にあるこの山門は、もともとは野田城の城門だったらしい…

 

山門をくぐると左手に

野田城戦死病没者慰霊供養塔

さらには、自然に還ろうとしているような石仏が…ところどころに…

 

 

 

 

これらの石仏も野田城戦死病没者に向けて建立されたものでしょうか…

こちらが法性寺の本堂

 

曹洞宗のお寺で山号は龍谷山

本堂の扉は鍵で閉まっていて、合掌することはできませんでしたので、ガラス越しに合掌をば…

 

こちらは休憩所??

参拝者休憩所のみならず…水子地蔵菩薩&願掛け不動明王の表示

 

 

窓には思い切り蜘蛛の巣がはっていて、とてもじゃないが、この中で休憩したい感じはしませんが…

中に入ると

おお、水子地蔵菩薩さまと…

 

その右側には願掛け不動明王さまがいらっしゃいました…

 

ちょいとアニメっぽい感じがしたのは、赤の彩色が鮮やかだからでしょう!

 

 

でも、いくら仏様とお近づきになれるからといっても、ここでは休憩する気にはちょっと…埃っぽいような…

 

おっと話が逸れてますね…

法性寺の境内にある…信玄が撃たれた場所は…というと

 

この参拝者休憩所&お堂の

 

 

向かって左側の獣道…を登っていくのよ…

 

案内看板も、御覧のように…

 

 

「信玄が鉄砲で撃たれたという場所」

もう山道をひたすら登っていく感じでして、案の定、武田軍のように私を包囲する蚊の大軍も襲ってきますが…

 

 

ここまで、きたら引き下がれない…ススメ!!!

おお、たいして登らなくても到着しました…この山道の行き止まりの地点には石祠が二つ…その奥には墓碑のような石標があるようにも見えますが、草が覆い茂っててはっきりとはわかりません!

 

 

案内看板…

もう一つの案内看板は、草木に覆われていました…

 

奥の柵の向こうは、工場の敷地のようで…

ここに武田信玄が笛の音を聴きにきていたなんて、歴史のロマンをかきたてるじゃないか…

で…ここで撃たれる…

どうだろう??野田城の鳥居三左衛門という鉄砲名人が狙撃した場所からは100メートルも離れていない…月夜の夜だから…月明りで人影がはっきりとみえたのかな…

でも、どーして撃たれた場所は、ここだって断定できるんだろう??1メートルほど離れた場所だったかもしれないじゃないか…ホントは撃たれていないかも???

ググると武田信玄を撃ったのは鳥居三左衛門であったり鳥居半四郎と書かれているのもあったりして…集団で武田信玄を狙っていたのかな

当たったのは、俺の玉だ!俺の玉だ!と鳥居三左衛門と鳥居半四郎がお互い譲らず言い張っていたのかな…

もう私のような妄想城マニアにはたまらなくオイシイエピソード…

 

現在、武田信玄の「狙撃説」は実は否定されているようだけど、

蚊に喰われながらも「痒い(甲斐)の山々日に映えて~」「武田節」???を口ずさめば

ここに立てば「武田信玄」がここで撃たれたのが…作り話でなく…事実のように思えてくるのです…

武田信玄の死因は、肺結核説や胃癌説が有力のようだけど、きっとここで玉が当たって、肺結核や胃癌になったんじゃないかってね???

 

オチは

天才バカボンの父親ふうに

「これでいいノダ」…(笑)