新・日記どす(DOS)

写真は「ビートルズ」のヘルプごっこ(笑)~音楽からB級スポット訪問記まで、幅広くいろんなことを…笑いをこめて…綴ります~

「朱雀門ひろば」の「天平うまし館」と復原遣唐使船

2024-08-31 06:17:28 | B級スポット

「なんと(710)立派な平城京」のゴロ合わせで覚えた平城京が、

「国営平城宮跡歴史公園」「県営平城宮跡歴史公園」となって、どんどん、いろいろなものが復原されている2022年に、その跡地に行ってみると

「なんと(710)もだだっ広い平城京」とゴロ合わせを替えたいほど

広い!広い!!だだっ広い!!

 

さてさて、連日綴っている「平城宮跡歴史公園」の続き

 

平城宮跡遺構展示館平城宮跡推定宮内省に寄った後は

「朱雀門」へと

もちろん、だだっ広いので、この真夏の炎天下、歩くなんていった無謀なことはしません!!

平城宮跡遺構展示館のそばの駐車場から、「朱雀門」のある「朱雀門ひろば」の近くにある駐車場へと

 

あの…この「朱雀門ひろば」の近くにある駐車場だけ、有料で500円…

でも、ここまで停めてきた駐車場は全部、無料だったし、ハコモノも無料…かつ、この「朱雀門ひろば」はみどころいっぱいなので、この500円はもったいない気がしない…だって、遠くの駐車場に停めてたら、この「朱雀門ひろば」まで歩いて片道10分、往復20分のロスになるし…

ここは500円払ってでも、朱雀門をみるなら「朱雀門ひろば」の近くにある駐車場に停めるのがオススメ

 

さて、この駐車場に停めて、平城宮跡歴史公園、要は、そのだだっ広い平城宮跡にある「朱雀門」へと

 

 

さてさて、この「朱雀門ひろば」には朱雀門の廻りに、メインの展示史料がいっぱいの「平城宮いざない館」といったハコモノの他に「天平つどい館」「天平みはらし館」、 復原遣唐使船 のある「天平うまし館」、「天平みつき館」などのハコモノが密集してあるんですが

時間は1時半過ぎ…ここまで、何も食べていなかったのよ…

 

でも、このハコモノの中の「天平うまし館」が、唯一、飲食できるスペースのようで…というよりも、だだっ広い平城宮跡歴史公園の敷地内で飲食できるスペースはここだけ

あの…もちろん、平城宮跡歴史公園の敷地外になるけど、「朱雀門ひろば」の近くには飲食できるスペースはいっぱいあるんですけど…

せっかく「朱雀門ひろば」にきたからこの「天平うまし館」で食べようかなと…

 

まあ、めちゃめちゃ混んでたら、たぶんやめてたと思うんですけど…時間も午後2時前…そんなに混雑はしていなくて…

 

さてさて、レストランとカフェが並んでありまして、レストランはお値段もやや高めの設定で、しっかり食べれるよう…

でも、ここで食べちゃうと、ゆったりくつろいでしまって、その後のハコモノを廻っている途中で、閉館時間になっては、ちともったいないかなと思って…

気軽に食べれそうなカフェの方へ

「IRACA COFFEE」

珈琲と一緒に…このメニューが気になった

 

「シルクロードカリー」

 

 

はい、舌でシルクロードの旅気分を満喫しました…笑

いやあ、ここ空調も効いてて…外は炎天下でしたので、ほんと、休憩がてら、実に心地よいスペースでした…

隣の席のオジサンたちからの声が耳に飛び込んでくる…

「儲かり―(カリー)まっか」「ぼちぼちでんな」

「(シルクロード)カリー」だけにね???

 

さてさて、天平うまし館前には、海に面しない奈良県だけど「復原遣唐使船」があって、これ、無料で乗ることができちゃうんだな…

海に面しない奈良県に、この「遣唐使(けんとうし)船」…ここに復原すべきか、どうしようか、そうとう「けんとうした(検討した)」に違いない???

このスモークの演出、めちゃいいよね!!

 

 

こうやって、眺めてると、動かないことは分かってても乗りたくなっちゃいますよね…

 

ここは、安倍仲麻呂になった気分で…山上憶良になった気分で…乗船をば…なんせ無料なので…笑

復原にあたって…の解説パネル

 

「吉備大臣入唐絵詞」の絵を参考に復原した遣唐使船は、1隻の推定長さ25~30m・150人乗り…奈良時代の資料に「約600人を4隻の船で派遣した」との記録があったようで、4隻でまとまって航海へと…150人分の水と食料、荷物などを積載して…


しかし実際に復元された遣唐使船にのってみると、この船に150人も乗って、さらに食料や荷物等を積載すれば、そうとう窮屈な感じも…

復原遣唐使船の甲板に立てば

150人も、この船に乗ったなんて、とてもじゃないが、そう思えない…狭さ

この雑居部屋が寝泊まりできるスペース…10人も寝れないほどのスペースのようにも感じられちゃう…

 

賄い部屋…といっても、ここで調理してたというには、程遠い…でも、お湯は沸かしていたんだって…火事になった記録も残っているよう!

 

遣唐大使の部屋は特別に

のぞいてみました…

誰もいませんでした…(当たり前)

 

網代帆

主舵

船尾へと

 

碇の解説パネル

遣唐使船の構造の解説パネル

 

遣唐使船の積荷の解説パネル

 

150人、乗るには狭すぎる―!!これが、正直な感想…

乗船して、に向かった人たちは「ほんとうに…とうに無事つけるのかな…うわっ!とうとう、嵐がやってきた…」

きっと、航海しながら後悔してたに違いない

 

遣唐使船から眺める「天平うまし館」

さてさて「天平うまし館」には、「遣唐使の解説コーナー」がありまして

 

航海(こうかい)したことを後悔(こうかい)してたかもしれない

遣唐使人物列伝がここにパネルで公開(こうかい)

山上憶良(やまのうえのおくら

702年の遣唐使の随員として渡唐…帰国後、筑前守にまで昇進…柿本人麻呂や大伴旅人らと交流を重ね、「貧窮問答歌」など社会性のある歌を数多く残した歌人としても有名…

役所は、唐にちゃんと優秀な人材をおくらない(憶良ない)と…もとい…送ないとと思っていたことでしょう

 

多治比真人県守(たじひのまひとあがたもり

717年に玄昉、吉備真備、安倍仲麻呂、井真成らを率いて渡唐…4隻体制となった最初の遣唐大使…往復とも一人の犠牲者もなしという快挙を遂げたとのこと…720年、持節征夷大将軍に任ぜられ、蝦夷の乱を平定…

 

この人の快挙は「あがたもり」もとい「ものがたり」として、言い伝えられていったことでしょう??

 

犬上御田鍬(いぬがみのみたすき

最後の遣隋使として614年に渡り、630年の第1回遣唐使に薬師恵日らと共に遣唐大使として再び派遣された人…

相当、飲んべえだったかも…「のみすぎ」??あ、「のみたすき」でしたね

 

薬師恵日(やくしえにち

渡来人を先祖に持つ薬師。593~628年に唐に遣わされ、医術を学び帰国…唐との交わりの必要性を建言し、630年に遣唐使・副使として再び海を渡ったそうな…

彼は、きっとこの航海の記録を「えにち」??もとい「えにっき(絵日記)」に描いていたことでしょう??

 

高向玄理(たかむこのくろまろ

遣隋使、遣唐新羅使、遣唐使として3回渡航した人物…遣隋使の時は30余年滞在して帰国。乙巳の変では国博士となり、最高顧問に昇進…654年遣唐使として滞在中に死去…

相当、苦労したんでしょう…だから、くろうまろ…もとい…くろまろでした…

 

粟田真人(あわたのまこと

大宝律令の撰修に参画後、653年の遣唐使に留学僧として同行…702年、遣唐大使として再び渡唐。唐の則天武后から人柄、礼儀、知識の賞賛を得て帰国。中納言、正三位と昇進…

これは「まこと」の話

 

 

安倍仲麻呂(あべのなかまろ)

717年、吉備真備らとともに入唐…その才を玄宗に認められ、秘書監兼衛尉卿まで昇進。李白、王維らの文人たちと交わり、帰国の宴で詠んだ「天の原ふりさけ見れば…」は有名。結局、暴風に遭い、日本の土を踏めずにかの地で死去…

たぶん、友達がいっぱいいたんだと思われます…あべのなかまだろう(安倍の仲間だろう)??

 

藤原清河(ふじわらのきよかわ

752年に遣唐大使として渡唐。唐では清河と称し、玄宗の信を得て、唐朝の高官となり…幾度となく帰国を目指すが、暴風雨や安史の乱に妨げられ、唐で没する…

キモかわいい人物だったのでしょうか…もとい…きよかわいいでした…

そんな航海するのに、後悔するほど大変だったと思われる遣唐使船

「せんと」くんに乗ろうよ!と誘ったら

その大変さを知っているのか、乗りま「せんと」!…笑

 

 


ビールがワンコイン(500円)…2024年8月28日…バンテリンドームナゴヤで中日・広島戦

2024-08-30 04:30:09 | 中日ドラゴンズ

2024年8月28日
通勤帰りに…金山駅乗り換えで帰路には向かわず
JR大曽根駅へ…

そこから
バンテリンドームナゴヤへ向かう…

家に帰って
TVで阪神・横浜DeNA戦をみた方がいいかなとも思ったけど…

台風の影響による雨も上がっていたし…

それ以上に
この日のゲームは
ビールがワンコイン(500円)だったのよ…


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パノラマB席の入場料もワンコイン
バンテリンドームナゴヤは空調も効いてるし
帰りにちょいとふらっと居酒屋に立ち寄った気分で野球観戦をば


2024年8月28日
中日・広島戦

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過去には、健康に良かれと思って
スクワット応援までしたことがあるので
今まで、ここバンテリンドームナゴヤに来た時は
いつも広島カープ応援なんですが
この時点の首位は、広島カープ
間に読売を挟んで、限りなく優勝の可能性は低いけど
まだゼロじゃない
阪神タイガースが3位

となれば
この日は、もちろん、中日ドラゴンズ応援でしょう…


JR大曽根駅からバンテリンドームナゴヤに歩く途中にある
六所神社
その境内社である「龍神社」にて必勝祈願!!

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龍神大明神さま、頼むよ!!
と二礼二拍手一礼


さてさて、バンテリンドームナゴヤにつけば
早速、ビールでかんぱい(乾杯)
広島東洋カープのかんぱい(完敗)を心に描きながら…

いやあ、極楽!極楽!!!
JR大曾根駅から約15分歩いたから、余計に美味しいよね…
「オネーチャン!もう1杯!!」


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メンバー表交換
新井監督と立浪さん

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監督だけが先にきて
しんぱん員がなかなかやってこない珍しい光景
しんぱん員をしんぱいそうにみつめる両監督
おお、審判員がやってきた…

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まもなくプレーボール

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今日はカープのスラ様もきていたのね
ゴロゴロしてるから太るんだよ…
とこの日に限っては
中日ドラゴンズ目線…???

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さあ、いよいよゲーム開始
始球式は
川口春奈さん
こっちの方がゲームよりもテンションがあがるかも??

でも感想は一言、小さっ!!
って単に座席が遠いからやないか

川口はるな…というよりも…はるかかなたといった感じでした

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1球と言わず何球でも投げればいいのに…
1球投げただけで退場しまして(始球式だから当たり前っ!)


さあ、プレイボール
こちらは中日ドラゴンズのスタメン
4番、川越って、こないだの阪神戦でホームランを打った
それまで名前も知らんかった人やないか
それが4番??
立浪監督、相変わらず訳のわからないスタメン起用をするなあ…
あ、いかん!いかん!!
この日は、中日ドラゴンズ応援だった!!

ガンばれ、立浪ドラゴンズ

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こちらは
広島東洋カープのスタメン
中京大中京出身の若干御贔屓の堂林くんがスタメンなのね
でも、応援しませんよ!!
ガンばれ、立浪ドラゴンズ

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とかいいながら
早速2杯目…ですけど
いやあ、スタジアムでのむビールって、どうしてこんなに、美味しいのでしょう?


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さて、中日ドラゴンズの先発は
小笠原投手

立ち上がりは、上々

初回、広島打線を三者凡退

2回表、坂倉選手にヒットを許すも、堂林くんを、サードゴロ、ゲッツーにきってとって、この回も三人で封じ込み

3回表も三者凡退に、抑えるナイスピッチング

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広島東洋カープの先発は
床田投手

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初回の中日ドラゴンズの攻撃
先頭打者の岡林選手が、ピッチャー強襲ヒット
続く山本泰くんが送りバント
細川選手、サードゴロで
2死3塁と、先制のチャンスを迎えるも
なぜか4番の川越選手、ぼてぼてのピッチャーゴロで先制ならず

イニングの途中に出てくる
ビジョンで乾杯をさけぶ「ハンバーグ師匠」は来場しておらず、VTRでの出演でした!

明らかに、川口春奈さんの方がテンションあがったかな


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私は、「ハンバーグ師匠」のVTRに煽られて、三杯目!
もう、お腹がちゃぷちゃぷになるから、このへんで、やめとこかな
それにしても、ビールが旨い!

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気分よくして、みてると
カリステ選手が、先制ホームラン!
幸先、いいぞ!ドラゴンズ!

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しかし、喜んだのも束の間
広島東洋カープは1点を追う四回表
この回先頭打者の秋山選手ががセンター前ヒットで出塁
次打者・中村奨選手は初球にバントの構え、それをみて中日のサード石川昴選手が前進してきたところを、2球目でバスターを敢行
打球は遊撃手の横を抜けていくレフト前ヒットで無死1・2塁に…
次打者・小園選手が初球を送りバントを決め、1死二、三塁のピンチに… 末包選手こそ、岡林選手のファインプレーで助けられセンターフライでアウトを重ねたものの、2死後に坂倉選手がセンター前に逆転2点タイムリーヒットを打たれてしまう…


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その後は、両投手、落ち着いて
小笠原投手と床田投手の投げ合い
小笠原投手は、5回、6回とヒットは許すも危なげなく

一方の中日ドラゴンズ
床田投手に
4回裏、この回、先頭打者の細川選手がヒットを放つも
川越、カリステ、石川昴選手と後続続かず…凡退
5回裏も三者凡退

6回裏
この回先頭打者の岡林選手がセンター前ヒットで出塁
エンドランをかけた続く山本泰選手の打球はショートゴロになり
1死2塁のチャンス到来
細川選手がポテンヒットを放ち
1死1・3塁のチャンスを迎えるも
この日、4番の…4番の…なぜか4番の川越選手が
ショートゴロゲッツー
「川越」どころか「川で溺れてますがな」

7回表
広島の攻撃
1死後、矢野選手のヒット
床田選手、送りバントで二死2塁のピンチを迎えるも
小笠原投手危なげなく



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中日ドラゴンズのラッキーセブンもあっさり三者凡退

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8回表
小笠原投手
2死から、末包選手がツーベースヒットを打たれるも
坂倉選手を空振り三振に打ち取り
小笠原投手
8回を投げ、被安打9,2失点で降板

さて、8回裏の中日ドラゴンズの攻撃
1死後、代打の福永選手がヒットで出塁
ここで、広島は床田に替わって
ハーン投手

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ここで福永選手が2盗を決める
さらに岡林選手の内野安打は、広島ショート矢野選手の悪送球も誘って
1死1・3塁のチャンス到来

しかし、2番・山本泰選手のセーフティスクイズは堂林くんのチャージで、処理されて失敗


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なおも、二死一、二塁で3番・細川選手が見逃し三振に倒れ無得点に
1点が、とれない…追いつけない中日ドラゴンズ

「龍神大明神、どうした???」

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9回表、広島の攻撃
中日ドラゴンズのピッチャーは替わって
藤嶋投手
だけど、1死後、菊池選手のピッチャー強襲ヒットで
打球が当たり、急遽降板

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替わった橋本投手が後続を抑え

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さあ、9回裏
「野武士野球を見せてやる」
と言っているので
期待したのに

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栗林投手の前にあっけなく…沈黙…

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広島が勝って
この日、阪神タイガースは横浜DeNAにやられて最悪…
この時点で、首位広島東洋カープ、勝率で広島に下回る読売と5ゲーム差

ほぼほぼ絶望的だけど
広島東洋カープ、読売がどちらとも5連敗して
阪神が8連勝ぐらいすれば…まだなんとかなるんじゃないか…
諦めの悪い…私…
虎の「アレンパ」「アワヨクバ」





平城宮跡にある、「すいている宮内省」じゃなくて「推定宮内省」に行く!!

2024-08-29 05:49:39 | 歴史史跡

「なんと(710)立派な平城京」のゴロ合わせで覚えた平城京が、

「国営平城宮跡歴史公園」「県営平城宮跡歴史公園」となって、どんどん、いろいろなものが復原されている2022年

「なんと(710)立派な平城京」に行ってきた話の続き

 

ここまで紹介してきたとおり

「「なんと(710)広い平城宮」

広すぎて…広すぎて…北東の外れにある平城宮跡遺構展示館には、ほとんど人がいなかったんですが…

 

もっといない…誰もいなかったのが

平城宮跡遺構展示館のすぐ近くにある

 

平城宮跡推定宮内省

 

今回は、ここの紹介をば

 

かつてこの地に設けられていたと推定される「宮内省」の建物が、ここに復元されているんだな…

平城では、二官八省と呼ばれる役所がありまして

今と同じ仕組み、律令制における中央行政組織でありまして

二官というのは神祇官と太政官

その太政官の下に左弁官の中務、式部、治部・民部の4省と、右弁官の兵部 、刑部、大蔵、宮内の八省があって

その中の「宮内省」がここにあったと推測され、このように建物が復原されている訳

推定宮内省」とあるので、絶対ここにあった…と言い切れるものではないけど、たぶん、ここにあったんじゃないかな…といった感じなんでしょう

発掘調査の結果、奈良時代の間にも何度も建て替えられている事がわかっていて、これらの建物は奈良時代後半の「宮内省」を再現したものらしい…

宮内省は現在の宮内庁と同様、天皇家の身の回りに関わる業務を行う役所であったよう…

築地塀…どうやらこの塀で「宮内省」を囲っていたよう…ここでは、全部囲われず、一部の塀が復原されてる

 

この築地塀の門をくぐって、敷地内へ

 

「すいてい(推定)宮内省」「すいている宮内省」じゃないかと思えるくらい誰もいない…

敷地内には檜皮葺の脇殿や倉庫などの建物が復原されていまして
 
 
一部、中が覗けるようになってまして
内部にかつての役人の執務で用いられたと推定されている椅子・机・書類を置いた棚厨子などが再現されておいてありました
 
 
役所の仕事についての解説パネル
 
 
机は正倉院宝物(多足机)を参考に復原されたとのこと
 
 
役所の道具の解説パネル
 
 
ここは、ぜひとも当時の雰囲気をより醸し出す「役所にお勤めの人々」の等身大人形が欲しかった…
 
 
まあ、イラストはあったけど…
 
 
奥の方の建物は倉庫なのか…扉はしまっておりました
 
 
 
 
この建物、(南殿だと思われる…2つ連なっていました)は、日陰になってて、風が吹き抜けて、実に気持ちいい
 
 
 
 
 
風通しがめちゃよいのよ!!
 
 
さて、この宮内省の中心的建物であると思われる
 
「正殿」については復原されておらず、礎石のみが置かれていました…
 
 
 
 
いやあ、礎石だけ残っていて建物がないだけに、風が通って気持ちがいい…
 
ホント、風通しがよいのよ!風通しがよいのよ!風通しがよいのよ!
 
 
それに比べたら、今の政治家のみなさんの「風通し」の悪いこと…
 
新興宗教との関連性、オリンピック関連の後だしじゃんけん的に露わになった、お金にまつわるキタナイ話…国民の反対を押し切ってやっちゃう国葬に莫大な税金を投入…
 
もう、政治をこの青空のこの礎石の上に腰かけて、国会とかやったら…さすがに、居眠りする国会議員はいなくなると思うよ…
真夏は熱中症の危険性があるから、水分補給だけは忘れずにして…真冬は、防寒をしっかりしてもらって…
ここでやれば、国民の苦しみがよくわかるはず???
 
ホント、日本の政治はよくない…よくない…よ宮内(くない)
 
はい、お後がよろしいようで…

「平城宮跡遺構(いこう)展示館」に遺構…もとい…行こう!!

2024-08-28 05:56:21 | B級スポット

「なんと(710)立派な平城京」のゴロ合わせで覚えた平城京が、

「国営平城宮跡歴史公園」「県営平城宮跡歴史公園」となって、どんどん、いろいろなものが復原されている2022年

その「なんと(710)立派な平城京」に行ってきた話の続き

平城宮跡資料館に立ち寄って、その後「第一次大極殿南門」「第一次大極殿院正殿」「平城宮跡復原事業情報館」などを歩いて廻ってみた後には

同じ平城宮跡にあるのに…歩いてではなく、一旦、平城宮跡資料館そばの駐車場に戻って…軽四で…車を走らせて

平城宮東院庭園へ…

その平城宮東院庭園の駐車場から、また軽四に乗って、その北の方にある

平城宮跡遺構展示館

ここも手前に駐車場があって、どこの駐車場も無料…

コスパ最強で…実にありがたい…

奥に「第一次大極殿」の建物がみえますなあ

 

どどんと大きい平城宮跡の看板

これは、踏むこともできちゃう!!進撃の巨人気分が味わえる…マップ

もちろん、平城宮跡遺構展示館も平城宮跡内にありますから、ぶらぶら歩いても歩けない距離じゃないんですけど…

訪ねたのは2022年、夏…

溶けるくらいに暑かったのよ…

平城宮跡遺構展示館内はもちろん涼しい…

 

かつ、ここも、入館料無料!無料!!私の大好きなタダ

絶対、遺構??もとい…行こうと思っちゃう…

 

さてさて、先ほど、東院庭園に入った時も行いましたが、ここでも体温測定&手指消毒…

新型コロナウイルス感染症が蔓延して遺構…もとい…以降、このような対策をとられているハコモノ、実に多いですよね…

 

さて、入場すると「北棟」から

「内裏と第二次大極殿」のコーナー

「第一次大極殿」ではなくて「第二次大極殿」

それは、聖武天皇が恭仁京へ遷都した際に移築され恭仁京大極殿となり…さらに、紫香楽宮などを経て平城京へ戻った聖武天皇は、新たに大極殿を再建した…それが「第二次大極殿」

天皇の居住空間である「内裏」

その内裏(中心部)遺構模型

黄色で囲った部分が建物模型範囲ということで、その

内裏遺構模型がどどんと…

 

もう…それは、圧巻の一言

このジオラマは、内裏正殿

大極殿や朝堂が瓦葺き礎石立ちの中国風の建物であったのに対して、「内裏正殿」は檜皮葺の掘立柱建物という日本古来の様式で作られていたとのこと

奈良の一刀彫りので表現された人形も並べられてて、当時の雰囲気が伝わってきますよね…

今日は「あっつぅ(暑い)」と口にしてるに違いない??

この「内裏正殿」の廻りを「築地回廊」が囲む

 

回廊をながめて回廊(帰ろう)…いやいや、まだ入ったばかりやがな…

「築地回廊」の奥に「内裏正殿」

もう眺めているだけで飽きない!飽きない!!あたかも、奈良時代に、その場にいるかのような気になってくる

 

そして、もっと圧巻なのが

「遺構露出展示」

遺構の「穴ぼこ」は建物の柱穴を示したものとのことで、土に穴を掘り、直接、柱を打ち立てた掘立柱の形式で建物が建てられていたらしい…

発掘された遺構面が、このハコモノの中で…空調が効いた快適な空間の中で眺めれちゃう…

遺構変遷

「730年(天平の初め)頃から770年(宝亀の初め)頃にかけて4~5期の変遷があることがわかります。」との案内表示

その遺構の順番が色分けされて

 

これは奈良時代のあいだに建物が何度も建て替えられたことを指し示したもので、月日の流れに応じて変遷があったことがよく分かる

不明期も、今度訪問したときには不明期じゃなくなっていたりして…

内裏にあった井戸

大きな木をまるごとくりぬいて枠が作られているようで

でかいどー!!

第二次大極殿の説明解説パネル

その屋根の部分の復原

ご覧のような鬼と丸

瓦の色の濃淡があって濃い部分は当時の、白いところは復元したのよう…よく昔のものと、かわらなく復元したなあ…と、今「かわらなく」と言いましたが、ここに「かわら」はあるんですけど???

平城宮第二次大極殿基盤の南北断面の剥ぎ取り

第二次大極殿の「基壇」を発掘した際に現れた土の断面ですな…

地層の下から順に、「前身掘立柱穴」「第1版築土層」「第2版築土層」…そして「礎石跡」

 

「地層」よりも「剥ぎ取り」との言葉に敏感に反応してしまう私…頭頂部を気にしながら…???

そうそう、ここ平城宮の北東の端っこに、このハコモノがあるせいか、タダなのに…タダなのに…観光客が少なくて…なので、じっくりと「遺構」を見学できますよ!!

 

以上で「北棟」を後にして

続いては「中棟」へと…

その通路の右側の中庭には

「石柱」…

大正時代に「第二次大極殿跡」に建てられたものらしい

 

「中棟」は

「様々な役所」といった役所にまつわる展示品のコーナー

この展示室も誰もいないので、ゆっくりと、かつ、まったく新型コロナウイルス感染症の心配なく眺めれちゃう…

このモニターの映像をみれば、平城宮の役所のことについて、よーくわかる!!…この映像エエゾー!!

大きく分けてまず「二官」神祇官と太政官があり、太政官の下に左右からなる「八省」

左弁官局管轄の中務省・式部省・治部省・民部省

右弁官局管轄の兵部省・刑部省・大蔵省・宮内省が連なる構成

いど(再度)…井戸

 

奈良時代においてレンガを積んだ独特の建築であったと推定される「塼積官衙(せんづみかんが)」付近から出土した井戸枠

方形のものと丸型のものが並べて展示

先ほどの「内裏の井戸」ほどデカくはないけど、それなりにデカいど

「塼積官衙(せんづみかんが)」の説明解説パネル

そのレンガを積んだ独特の建築であったと推定される「塼積官衙(せんづみかんが)」遺構の模型

 

この遺構の模型の奥…黄色で囲まれた部分は、模型で建物が復元されていまして

塼積基壇建物の復元模型

 

 

これが「目かくしの」…「へー」と頷く私…汗…もっと、ひねらんと!!

 

奈良の一刀彫の人形のオジサン

お腹が痛くてトイレに行きたいんやけど…と、我慢していそう???

「お奈良が…おならが…」…この発想、小学生か!!

 

「第二次大極殿」と「民家」の瓦の重さなどの違いが比べれちゃう展示…

でも、新型コロナウイルス感染症の影響でしょうか、触れてはだめだけど、見た目だけで瓦の違いが伝わってくる

 

「酒造司」の排水用の木樋の解説パネル

 

「酒造司」…お酒を造る役所の解説パネル

 

塼…奈良時代のレンガのよーなものですな

これらは、建物の基盤に積まれた塼

 

瓦…

鬼瓦

土器の解説パネル…読んでるだけでドキドキしますな???

 

 

文房具

 

写真右は役所の仕事道具である硯

役所名が書かれた土器

その破片…

書類として使われていた木簡

さて、「中棟」の展示室を出て、中棟の建物と南棟の間のスペースには

「礎石」が集められてあって

これらは、平城宮の北西に位置する佐紀池付近から出土したもので、柱を立てるためにしつらえられた「柱座」を加工した礎石もみられる…

さて「南棟」に入ると

どどんと建物の中いっぱいに

塼積基壇建物の遺構露出展示が

 

さすが、遺構展示館…そのネーミングどおりの遺構がそのまんま…このハコモノの中に…

建物の基盤、そして、その通路らしきものがよくわかる…

「北棟」の掘立柱の柱穴がある「遺構」と違って、奈良時代のレンガ(塼)が並べられた遺構で、発掘調査の結果、無数の塼によって形成された基壇や通路を持つ建物がこの場所に存在していたことがわかり、この形態からここに存在した建物を「塼積官衙」(せんづみかんが)と呼んでいるとのこと

「塼積官衙」は平城宮にあって珍しい建物らしく、天皇の住まいである内裏やそれに付設する宮内省と隣接する場所にあったらしい

もし、ここが復原されたらのイメージ図

版位の塼(レンガ)

左側には「公事」、右側には「私事」と刻まれている…

「儀式のときや日常の仕事で、役人の立つ位置を示すもの…二つの塼は日常用のもので、公事のところで公の事務、私事のところで休暇届など個人的な事務をあつかっていました…」との解説

公私の区別がこの頃からしっかりとなされていたんでしょうね…きっと…

今の国会議員さんも、奈良時代の律令政治ををみならってほしいものです…

 

屋外にも塼積基壇建物の遺構露出展示…柱の一部が復原されているようで

 

一部、防水シートが被されているところもあって、お詫びの説明板もありました…

屋外にあった塀…

 

以上で、「平城宮跡遺構(いこう)展示館」の紹介はおしまい…

遺構(いこう)を残して、そのまんまを伝えようと、この「遺構(いこう)展示館」の意向(いこう)がよく伝わってきて、かつ人出も少なく…感染症対策も安全!!

遺構(いこう)がそのまんまでみられて、平城宮跡を感じれる場所として「さいこう(最高)」だから…ぜひ、「遺構(いこう)展示館」にいこう!!

と、いこう(遺構)のオヤジギャグを畳みかける

今回のブログに、へいこう(閉口)…汗


奈良時代をリアル体感…平城宮東院庭園に行く!

2024-08-27 05:52:25 | 歴史史跡

「なんと(710)立派な平城京」のゴロ合わせで覚えた平城京が、

「国営平城宮跡歴史公園」「県営平城宮跡歴史公園」となって、どんどん、いろいろなものが復原されている2022年

「なんと(710)立派な平城京」に行ってきた話の続き

平城宮跡資料館に立ち寄って、その後「第一次大極殿南門」「第一次大極殿院正殿」「平城宮跡復原事業情報館」などを歩いて廻ってみた後には

同じ平城宮跡にあるのに…歩いてではなく、一旦、平城宮跡資料館そばの駐車場に戻って…軽四で…車を走らせて

平城宮東院(とういん)庭園を訪ねました…

平城宮跡資料館から平城宮東院(とういん)庭園までは、同じ平城宮内にあるといっても西の端から、東の端ですから…とおいん(遠いん)です!

 

さてさて、東院庭園そばの駐車場に停めて

歩いて、東院庭園を散策

…とその前に…駐車場のそばに、基壇が復元されている光景が目に留まる

ここは小子部と呼ばれるがあったらしい…「ちいさくべもん」と読むらしい…おそらく門は大きくなかったと思われるって、読んだそのまんまやないか!でも、ドラえもんよりは大きかったんじゃないかな…って、ドラえもんの大きさを知らんけど…なにか「もん」題でも??

この門の跡がみつかったことで平城宮が正方形ではなく東に張り出した形であることが判明したらしい…

さてさて

特別史跡「平城宮」の案内看板

この奥の連なる大垣の右に見える門が

東院南門(建部門)

平城宮東院の南中央に開く門で、平城宮の十二門のうちの一つ

今回のブログで綴りたい…東院庭園

写真、右奥が東院南門(建部門)


東院庭園は、昭和42年に平城宮東張出し部の南東隅に発見された庭園跡のこと…

奈良時代を通じて「東宮」と呼ばれたようですが、孝謙・称徳天皇の時代には特に「東院」と呼ばれていて

称徳天皇はこの地に「東院玉殿」を建て、よく宴会や儀式を催していたそうな…

称徳天皇は女帝…聖武天皇を父とし、母は光明皇后…738年に皇太子となり、749年に即位した天皇

「続日本紀」に記される平城宮の「東院」にあたることから「東院庭園」と名付けられまたそう…発掘調査の結果、東西80m×南北100mの敷地のなかに洲浜敷の池が設けられ、その周囲に建物が配されていたことが判明したそうな…

復原整備が進み、2010年特別名勝に指定されたとのこと

 

この東院庭園の手前の建物は、受付とちょっとした資料館となってまして…

受付があるといっても、検温及び手指消毒…

あ、そうそう、平城宮のこういったハコモノに入るごとに、何度も検温及び手指消毒はお願いされちゃいますよ!!

 

でも、この庭園も入園無料!!私の大好きなタダ!タダ!!なんですよ!!コスパ最高!!の平城宮であります…

さて、この資料館の展示物を紹介

東院庭園には、我が国最古の築山石組がみられたそうで

その遺構模型

遺構の模型なので、さっぱり凡人には伝わらない展示品

「東院」の説明解説パネル

称徳天皇はこの地に「東院玉殿」を建て、よく宴会や儀式を催していたとの記述はもちろん、光仁天皇の「楊梅宮」はもとより、聖武天皇の「南苑(南樹苑)」もこの場所を中心に営まれていたと考えられるとか…

「東院庭園の発掘調査」の解説パネル

「庭園内の建物跡」の解説パネル

いやあ、このセピア色の写真が古めかしさを感じていいですなあ…って、観る視点が違うって

「東院庭園の

「庭のはこうだったんじゃないか」…いろんないけん(意見)がでたのでしょう!!…発掘時「勝手にいじってはいけません」と叱られる発掘調査員もいたかも??

鳳凰文鬼瓦…でかっ!こんな鬼瓦、初めて観たかも…

そもそもこの瓦の図が鳳凰で「鬼」じゃないやん!

 

獣面文鬼瓦…

こちらは鬼瓦っぽいですなあ…

 

平城宮東院庭園の遺構(いこう)のジオラマ…

このような遺構(いこう)の平城宮東院庭園が昭和42年に庭園の遺跡が発見された以降(いこう)…どのように復元されているのかをみに行こう(いこう)!!

正直…無料では申し訳ないくらいの…まるで奈良時代にタイムスリップしたかのような美しさでした…

おお、妄想の中で、私を待っている???女帝称徳天皇がみえるかのよう…

まるで、貴族になったような気分…

池の奥が、この東院庭園のメインとなる中央建物

まるで舞台のような構造の建物

中央の建物には、池泉東岸から架かる平橋が繋がっています

私は貴族じゃないから…渡ることはできません!いや、私に限らず…一般観光客は渡ることができません!!…あの建物の中にいるかも知れない女帝称徳天皇に会うことはきません???

背景に一枚、記念写真をば…まあ、妄想の中では、称徳天皇とのツーショット???

 

隅楼…2階建てであったと推測され、復原されたとか

 

この隅楼(この日はクソ暑い夏)…日陰がありがたい…笑

 

そこから、中央建物を池越しに眺める…

 

反橋から…眺める…

あの建物の中に称徳天皇がいらっしゃるのでは、と妄想しちゃうので、ついつい、何度も眺めてしまう…

中央建物前、反橋の右が、先ほどジオラマで眺めた我が国最古の

築山石組

 

 

東院(とういん)庭園は、平城宮東張出し部の南東隅にあるため、「第一次大極殿南門」「第一次大極殿院正殿」からも「朱雀門」からも「とおいん(遠いん)」ですが、絶対足を運び価値あり…

貴族になった気分で「奈良時代」を心底体感できちゃうから…

え??貴族…というよりも「き(気)」が、すっかり「ぞく(俗)世間」に揉まれちゃってる…「貴族」とは程遠い存在だということに

「きぞく(貴族)」…もとい…「きづく(気づく)」

私なのです…


「第一次大極殿院正殿」「第一次大極殿南門」を復原した技術がよく分かる…「平城宮跡復原事業情報館」に行く!

2024-08-26 06:36:14 | B級スポット

「なんと(710)立派な平城京」のゴロ合わせで覚えた平城京が、

「国営平城宮跡歴史公園」「県営平城宮跡歴史公園」となって、どんどん、いろいろなものが復原されて

2010年の「平城遷都1300年祭」に合わせ、「第一次大極殿院正殿」「朱雀門」などが復原され、さらに、この2022年3月には「第一次大極殿南門」も復原されている…

それらが復原されていく様子がよく分かる

特に「第一次大極殿院正殿」「第一次大極殿南門」の復原したその技術や匠の技などがよく分かる

「平城宮跡復原事業情報館」に行く

正直言うとノーチェックで、たまたま歩いてたらみつけたハコモノだったけど

な、なんとここも入場無料、要はタダ!!私の大好きなタダ!…で、中は空調が効いてて、めちゃ気持ちいい!!もう、これは立ち寄った方がいいに決まってる…夏の平城宮…外はめちゃ暑いのよ!

ゴロ合わせで年号を覚えるなら、「なんと(710)アツイ平城京」に変更したいくらい暑いのよ!!

さて、館内に入ると、涼しい!!

これだけで、もうすでに満足…笑

 

まさに体調も「かいふく、げんき(回復、元気)」そう略して「ふく、げん」してくるこのハコモノ

まずは、休憩がてら堪能する

このシアターでの

CG映像は、平城宮「第一次大極殿院正殿」の場所(史跡)における約10分間の時空を超えた旅…

「なんと(710)アツイ平城京」の映像から

何もなくなった畑となり…その後、2010年の「平城遷都1300年祭」に合わせて「第一次大極殿院正殿」が復原

さらに、2022年、今現在の映像、「第一次大極殿南門」が復原され、東廊が工事中であるその過程のCG映像

この映像エエゾー…笑

映像を見終わった後には

第一次大極殿院のジオラマ

このように、復原する予定のようで、今は「第一次大極殿院 正殿」「朱雀門」「第一次大極殿 南門」しかないので、今後「楼閣(東楼・西楼)」、さらには、廻りを囲む回廊「築地回廊」を造っていくんですね…

 

続いては、復原事業の展示スペースへと

大極殿の屋根の上にある、一瞬、金のシャチホコと間違えそうだった「鴟尾(しび)」

「鴟尾(しび)」を近くでみると…デカい!デカい!!

そして、金ぴか…にしび(西日)に照らされてきっとキラキラと輝いていることでしょう

 

組物…まるでパズルのよう…基本的には「継手・仕口」とよぶ木を組む技のようで

装飾性をおびた錺金具(かざりかなぐ)

錺金具は伝統技能を継承する工匠によって約1年かけて製作され

扁額は等身大

 

 

本瓦葺

奈良時代の瓦は平瓦と平瓦の間を丸瓦で覆う伝統的で格式の高い「本瓦葺」

焼き物である瓦は一枚ごとに形状が微妙に異なるため、本瓦葺は、どの瓦をどこに置くか見極めることも、匠の技

 

 

宮大工の仕事の巧みな技…技術や方法もよーく分かりました!!

 

第一次大極殿院建造物復原整備工事の取り組みなど分かりやすく紹介されているこのハコモノ…

先にここを訪ねてから、「第一次大極殿院正殿」「第一次大極殿南門」を見た方が、ただ、デカい!素晴らしい!といった感想以上のものが感じられたかもね

今回のブログは、ここまで…

へー、いじょう(以上)へいじょう宮だけにね!

 

外に出れば、ムワンとした、この蒸し暑さ…真夏というのに、梅雨時みたいなこの湿度…

真夏の平城宮のこのクソ暑さは、へー、いじょう(異常)だー!!

 

やっぱり、語呂合わせは

「なんと(710)アツイ平城京」で…


「なんと(710)立派な平城京」…「第一次大極殿 南門」「第一次大極殿院 正殿」に行く!

2024-08-25 01:09:52 | 歴史史跡

「なんと(710)立派な平城京」のゴロ合わせで覚えた平城京が、

「国営平城宮跡歴史公園」「県営平城宮跡歴史公園」となって、どんどん、いろいろなものが復原されている2022年

「朱雀門」、「第一次大極殿院 正殿」さらに、この2022年3月には「第一次大極殿 南門」も復原されている…

ということで

「なんと(710)立派な平城京」を観に行ってきました…

 

先に平城京資料館に立ち寄って「なんと(710)立派な平城京」について、知ったかぶり??になった私は、そこから歩いて

「第一次大極殿 南門」及び「第一次大極殿院 正殿」へと

 

だだっ広い…平城宮内

 

遠くに見えるのは平城宮の正門である

「朱雀門」

 

目の前を電車が走ってますなあ…近鉄奈良線…近鉄電車のようで…

 

もちろん、朱雀門まで、この何もない平城宮内を一直線に歩けば「朱雀門」へ行けますが、まあ、行っちゃうと、平城京資料館近くの駐車場に停めたので、またこの夏の炎天下の中、戻らなくちゃいけなくなるってことで、朱雀門は、後で、軽四で向かうことにして

じゃーん!今から向かうのは

2022年3月に完成した…私が訪ねた時は、2022年夏のことだから…

比較的出来立てほやほやの

「第一次大極殿 南門」

開門時間は10時から…この門の目の前についたのは9時50分ごろだったから10分ほど、炎天下の中で待ちました…

 

間口22.1m、奥行き8.8m、高さ約20mと朱雀門よりやや小さい礎石建ちの復原建造物であるとのこと…

でも、そばに立てば十分デカいけど…

この門が10時になれば、開くようで、それまでの時間潰し

南門復元の見どころの解説パネルを読んだり

「南門のかたち」

入母屋造の二重門

意味もなく…いや記念にと…朱雀門をバックに、腕が痛くて上がらない腕を精いっぱい上に上げての「バンザイポーズ」をしたり

10時になりました…開門~

 

「平城宮第一次大極殿院」の正門に当たる「大極門(南門)」

屋根には、金ぴかの名古屋城の金のシャチホコを彷彿させる「鴟尾」が…

この門の正面奥に見えるのが「平城宮第一次大極殿院」

その裏側…

奥にみえるは朱雀門…

 

もう風通しがよくて昼寝できそうなほど??気持ちがいいのよ…

その後、「西楼」、「東楼」、「築地回廊」、「内庭広場」を順次整備していくことが決定しているようで、お隣りの「東廊」は、これから工事に差し掛かるよう…

さてさて、「大極門(南門)」をくぐった後には「平城宮第一次大極殿院」へと…

柵があって、奈良時代の貴族のように、一直線にはいけませんが…

向かう途中にある

解説パネルを眺めながら

「国営平城宮跡歴史公園」…広い…広い…

これを眺めながら、歩いてではなく…軽四でぐるっと廻ろうかと思った私

「第一次大極殿院」の復原整備事業

ぐるっと回廊ができて囲われるようになるには、あと何年かかるんだろう??

「第一次大極殿院」の荘厳な正面

また、東廊、西廊ができると…「第一次大極殿 南門」を眺めるこの雰囲気が変わるかもね…

案外、この何もないところに、ポツンと建ってる「第一次大極殿院」のこの光景は、「今」じゃなければ見れない光景かも知れないな

 

「第一次大極殿院」というからには「第二次大極殿院」もありまして、東側に位置するもうひとつの「大極殿」の大規模な遺跡があって、その遺跡は石の基壇のみが復元され、建物は一切ない状況…そのうち「第二次大極殿院」も造っちゃうかもしれないな…

写真は、もちろん、「第二次大極殿院」は跡地だけですから…「第一次大極殿院」

あれれれ、一瞬、中には入れないのか…外から眺めるだけか…と思いきや…

 

裏側から、中に入れるようになっていました…

中に入るのは、入場無料ですよ…タダ!タダ!!ありがたや!ありがたや!!まあ、税金で賄っているのでしょうが…この時、話題になってた「国葬」にウン十億円使っちゃうことを思えば…ウンと「正しい税金の使い方」だと思えちゃう!!

 

おお、外回廊から、先ほど眺めてきた「第一次大極殿 南門」がみえる!

こんな立派なお殿が建立されていたらしいのに、奈良時代にこの「大極殿」が実際に平城京に存在した期間は、わずか30年ほどであったらしい…

ここで、30年ほど使用された後、平城京が「恭仁京」に遷都された際に移築されてしまったとのことで、わずか5年で恭仁京から、再び平城京に遷都した後も、「恭仁京跡」に残り、「山城国分寺」の金堂として用いられたため、第一次大極殿が再び建設されることはなかったよう…その後の「大極殿」は、現在基壇のみが復元されている、今は建物のない「第二次大極殿」に場所を移したとのこと

ここでは、「朝議」の空間、すなわち天皇の即位式や、外交使節に対する謁見を行うなど、国家機構を支える最も重要な儀式を行う場所であったらしい

貴族(役人)は炎天下の中、立たされて、このイラストをみただけでも、暑そうです

「鴟尾」…出土品はないものの…おそらく…金銅製であったと推定されていることから

「鴟尾(しび)」の輝きは、しびれるほど…汗

屋根の中央に設けられている「大棟中央飾り」の模型

 

 

このような「宝珠型」に変化していったと言われる飾りは、実は平城宮跡では発見されていないそうだけど、当時の技術水準などを踏まえ、復元大極殿では法隆寺の「夢殿」の宝珠を参考に製作、設置されることになったそうな…時空を超えれるなら、元明天皇や元正天皇に聞きたいぞ…屋根の中央に設けられていたのは、これが正解か否なのか

 

さて、この建物、大極殿の中央には

八角形の「高御座(たかみくら)」と呼ばれる天皇がお座りになる場所が…ドドンと…

「なんと(710)立派な平城京高御座(たかみくら)」でしょう??

これをみたか!みくらべてみよう!!!って、何と見比べたいのか、さっぱり意味不明ですが(ただ高御座(たかみくら)のオヤジギャグを言いたかっただけですが…

これをみれば「なんと(710)立派な…」と言いたくなります!!」

 

廻りには四神・十二支図が描かれているよう…高御座が八角形であるのは、中国の八方位陰陽説の影響かな

 

最後は貴族…万葉歌人になったつもりで

高欄から内庭を眺める

「大極門(南門)」よりもインパクトがある工事現場…

 

左奥の山は春日の三笠山(御蓋山)で

 「あまの原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも 」

阿倍仲麻呂がこの和歌を詠ったのは、明州(現在の寧波)で開かれた餞別の宴でのことだったらしいけど…ここからみた三笠の山のことを思い出して詠ったのかも??…そうではないかも…とは、ボランティアスタッフのおじさんの解説

ここは、遣唐使の阿倍仲麻呂がここで詠んだことにしちゃった方が??歴史の妄想ロマンが広がりますよね…

広々とした大空を仰ぎ見れば、今まさに帰ろうとしている故郷平城・春日の三笠山でかつて見た月と同じ月が昇ってきている…との意

しかし、仲麻呂の乗った遣唐使船は難破し、当時は唐の領内であった安南漂着…都の長安に戻った仲麻呂は帰国を断念し、再び唐で官吏としての道を歩んで、二度と平城京に戻ってくることはなかったとか

ここは、私も、万葉歌人になったつもりで

阿倍仲麻呂のように一首、詠もうじゃないか…

 

「あんまりだ ふりさけ見れば かすってる 馬群のヤマに 沈むツキかも 」

 

 

競馬をやれば、馬連で買えば、1着3着…かすってるけど、全然当たらず、ツキなくどんどん沈んでいく…の意…

お粗末っ!!夏の札幌競馬なんか…大嫌いだ!!??


平城宮へ行く!!まずは、平城宮跡資料館へ…

2024-08-24 00:36:13 | B級スポット

「なんと(710)立派な平城京」のゴロ合わせで覚えた平城京が、

「国営平城宮跡歴史公園」「県営平城宮跡歴史公園」となって、どんどん、いろいろなものが復原されている2022年

「朱雀門」、「第一次大極殿院 正殿」さらに、この2022年3月には「第一次大極殿 南門」も復原されている

ということで

「なんと(710)立派な平城京」を観に行ってきました…

ゴロ合わせ以外は、藤原京から遷都した…大宝律令を制定した…その前に元明天皇(女帝)が即位した…その後、元正天皇(女帝)が即位した…くらいしか平城京のことを知らない私…

ここは、まず平城宮跡資料館に立ち寄って、平城宮に対して、豊富な知識を蓄えた方がより楽しめるでしょう

ここは入った方がいいよ!!夏でもエアコンが効いていて涼し!涼し!!

かつ、ありがたいごとに、私の大好きな…無料なのよ!!…要はタダ、タダ…いやあ、感無料…もとい…感無量

実は、このオヤジギャグの中には、平城京から長岡京を経て,794年平安遷都を行った桓武(かんむ)天皇も散りばめられていたのがわかったかな…

桓武量…汗

入ると巨大スクリーンに浮かび上がるCGの平城京

そして、平城京と平城宮の解説パネル

 

平城京の北の端にある政治や儀式の場で、天皇がいらっしゃったのが平城宮ですよ!!

奈良時代のはじまり…

「納豆(710)食べるよ!平城京」と覚えました…あれ、「なんと(710)立派な平城京」と覚えたんじゃないんかい??

足元には、平城京のマップ…

 

「進撃の巨人」になった気分が味わえるよ??

この解説板の奥には、私の大好きな??ジオラマのコーナー

関係ないけど、小山卓治さんと高橋研さんの共作「ジオラマ」はいい曲だよ…

長岡京への「遷都」…早く解体「せんと」と思っていたのでしょう

 

瓦の解体

 

今も昔も働くすがたは 「かわらない」…って、かわら(瓦)は、手元にあるんですけど

 

掘立柱の抜き取り

大変そうです…右端のオジサン、そこに立ってるなら手伝ってくれよ!!…と柱(はしら)を抜いてる二人は思っているはずです…

右端のオジサン「ワシはしらん(知らん)!」なんてね

続いては、1000年以上の時空を超えて

「発掘」のジオラマ

たいくつ(退屈)」ではなく「はっくつ(発掘)」です!

ふくつ(不屈)」の精神で「はっくつ(発掘)」しているみなさんの中には、「暑くて、私はくつう(苦痛)だ」と思っている人もいることでしょう…

 

実測のジオラマ

測量は、大変で暑さにやられて、そく(即)りょうよう(療養)休暇をとる人もいるんじゃないかと…

図面作成

「ごめん!さ、くせー??」…おならをしてしまったようで…でも言葉にしたけど、廻りに誰もいませんが…

 

整備のジオラマ

まあ、復原が完成したときのジオラマ

ぼっちの歴女

ヘイ!嬢、今日暇??」とナンパされるかも

ヘイ!嬢、今日…そう、へい、じょう、きょう…だけにね…)

「田舎から、へー、じょうきょう(上京)したんだ…」と語り合っている三人組…へいじょうきょう(平城京)だけにね

平城宮のジオラマ

大極殿のジオラマ

手前の建物が大極殿院南門

奥が「大極殿」

 

 

上記のジオラマは1996年の研究成果をもとにしたもので、現在の研究成果とは異なっているそうな…南門の屋根の形とか、違うんだって

「官衙復原展示コーナー」

平城宮の役所

役所の内部を復原

ここは、働いている人の様子を表す等身大人形が欲しかった

机の上にここまで、置かれているのなら

ちなみに、等身大人形よりも、もっと伝わりやすい…笑…映像でみることができます…この映像「エエゾー」

これらは、当時の文房具…

平城宮で働く人々

役人、兵士、その他の人々と…

この解説パネルの下方は、出土品

古代日本の九州南部に居住した人々のことを「隼人」と呼んでいたそうで、その盾…

続いては、宮殿復原展示コーナー

東院庭園…でしょうか

いやあ、喰って飲んでますなあ」

まあ、嫌な奴だけど、上司だから酒をつぎにいかないと…

今も昔も変わらぬ光景ですな

誰もいない…宮殿復原展示コーナーと思いきや

いました!いました!!リアルな等身大人形が…

 

この女性は元明天皇(女帝)、もしくは元正天皇(女帝)

この男性は、何かミスをした…不倫をしている…そんな表情を浮かべていますな…へいじょう宮で…へいじょう(平常)心ではないような…

復原されてる寝室

 

あの方の、不倫現場のようにも思えちゃう…

屛風…「坊主が屏風に上手に坊主の絵を描いた」

言いたかっただけです…実際は、噛んでスムーズには言えなかったけど…

書斎・居間

 

居間…

これらは、囲碁盤、双六盤

映像で再現…

赤の着物の貴族…囲碁よりも関心事は、このおねーちゃんですな…碁石よりもオネーチャンを囲いたい…なんてね

書斎

でも、このオネーチャンは、青色の服をまとった貴族に気があるようで

平城宮の三角関係…これは、へいじょう(平常)心では、みていられない…この後、ドロドロになっていくのか…

食卓

めちゃ美味しそうなもの食べてますなあ…

でも、あの赤の着物の貴族は、こんな食事よりもあの娘を食べたいと思っていることでしょう??

 

でも、この女性は、青色の服をまとった貴族と恋に落ち…

娘を二子、もうけたそうな…めでたし…めでたし…

いや、赤色の服をまとった貴族の復讐劇が…

心乱れて、「へー、異常、狂(へいじょうきょう)」…笑

「研究室のコーナー」

けして、三角関係の行方を研究したコーナーではありません!

木簡の展示

墨で文字を書くために使われた、短冊状の細長い木の板…まあ、お手紙のよーなもの…

紙の普及とともに廃れていったものだけど

あの…赤色の服をまとった貴族は、木簡に「恨みます…」と書いたに違いない…って、どこまでひっぱるねん!

 

百万塔

この解説パネルをみれば、百万塔が作れちゃう!!

 

 

♪百万塔のバラバラになったものをあなたにあなたにあなたにあげる~

by加藤登紀子さん…って、そんなゴミみたいなもの、いらんがな…

 

百万塔と

そんなゴミのような残材

都の暮らし

須恵器、土師など

落書きも盛んだったようで

顔を描いた土器…好きなあの娘の顔をかいて、ドキドキ…汗

 

まじない

けして、万馬券が当たりますようにと、この土馬を持っていた訳ではないでしょう??

赤色の服をまとった貴族がもっていそうな「恨みます…」といいたげな人形…おそらく、その後、真っ二つに…???

国際交流…遣唐使によって、唐のものが、この平城宮に…

唐の青磁…これ、本唐??…もとい…本当に「唐」のもの

新羅の土器…手にして、ドキドキしたのは間違いないでしょう

唐三彩の枕は「貸出中」でした

奈良三彩の解説パネル

ところどころ、失っているのに、このジグゾーパズルのように復元する努力が素晴らしい…ふくげん(復元)にうまくいかなくて、イライラして、ふきげん(不機嫌)になったこともあるでしょう??

平城京、藤原京出土軒瓦の解説パネル

朱雀門の軒瓦

第一次大極殿の軒瓦

東大寺の軒瓦

薬師寺の軒瓦…

微妙に違いがあるのね…

木簡や木製品の分析に年輪年代学的手法を応用する…

へー、年輪で分かるんだ…とただの感想

災害考古学…

この解説パネルを読むとさー、いがい(意外)と勉強になる…

さいがい(災害)だけにね…

持ち運びに失敗して折れ曲がちゃった…んではないんですね!!

さて、ここからは考古化学コーナー

図化機

赤外線を使う…

これで、実体験できる…はずだったんですが…

新型コロナウイルスのせいで…

光のしくみ

蛍光をみることができる…はずだったんですが

これまた、新型コロナウイルスのせいで…

エックス線も…

「エックス」「バツ」にみえる!!

このルーレットもさわらないでね…

年輪のしくみ

このものさしも触れない

 

なにも、触れることができない…

新型コロナウイルスなんて大嫌いだ!!「オミクロン」だなんて、新型コロナウイルスに「お」といった敬語(丁寧語)をつけるから、いい気になってるんだ???「ミクロン」でいいのに???

たった2センチの骨からわかること

包丁をあてた跡と言われれば、そんな跡が残っているような気もする…

この発見、大変そうで、ホント骨が折れそうですな…

 

大極殿に設置された「高御座復元模型」

左右の人はなぜか顔を隠してて、なんか風俗店の写真パネルみたいだなと思いつつ

その横側から

平城宮 東朝集殿

置かれている人形は「奈良の一刀彫り」だそうで…

田舎から「へー、上京」してみたものの、毎日、同じことの繰り返し…いやになっちゃうな…といった声が聞こえてきそうな…

創建時の唐招提寺講堂

講堂(こうどう)での、この行動(こうどう)…汗

「今夜、呑みにいこう、どう??」…なんてね!

 

鎌倉大修理後の唐招提寺講堂

講堂(こうどう)での、この行動(こうどう)って、ただ、ボーッと立ってるだけじゃん

 

さて、休憩スペースにあった

今、話題沸騰中の古代のボードゲーム「かりうち」

今、話題沸騰中とあるけど、私、初めてこのボードゲームの名前をきいたけど…

これが、そのゲーム…

ボードゲームなので、一人では楽しめない…誰か、対戦相手になって…笑

このゲームやったことがないので、オモシロいかどうかの感想は…また「かりうち」に??…もとい「そのうち」

実は、このゲーム以上に気になったのは

この協会会長の「かりうちポーズ」

まるで「カニうちポーズ」のような「かりうちポーズ」

このゲームをやると、こんなポーズをしたくなるのかな…気になる!気になる!

「かりうんち」じゃありませんよ!「かりうち」

 

 

そう、最後に紹介するのは、これ、ほんまかいな…と思われた展示品

「かりうんち」…ならぬ…「うんち」

木の棒でお尻を拭いていた??痛そう…葉っぱの方がよさそうなのに…とは素朴な私の意見!!

それにしても「うんち」の展示品見て、急にテンションがあがるなんて、私の思考回路は、小学生並み…汗…のようで

 

最後に…平城宮跡資料館のキャラクター大集合…

右端のキャラをのぞいて、全体的にメタボのようで??

 


「国宝殿」とは思えぬモダンな、スタイリッシュなハコモノ「春日大社国宝殿」に行く!

2024-08-23 06:24:34 | 博物館・美術館

春日大社への参拝途中に

参道(さんどう)で、こんな案内看板が目に留まったので

チラシには「絶対の勝利が予知できない戦場に赴く時、内外から何時くつがえされるか測り知れない平和の永続を願う時、武士たちは神々に祈りとともに宝物を捧げるのです…また春日大社に伝来する古文書や記録からも、鎌倉幕府や豊臣政権、徳川幕府が春日の神々に篤い信仰を寄せていた事を伺うことができます…」とある

歴史にちょっと興味のある私…この年、2022年のNHK大河「鎌倉殿の13人」も楽しみにしている私なので

参拝後に、寄ってみようかと、家内に声をかければ、家内も賛同(さんどう)してくれたので

 

「春日大社国宝殿」へも行ってきました…

 

「春日大明神に祈る時代を変えた兵 頼朝・義経から幕末まで」

の特別展

 

国宝殿」ですよ!国宝!!!

白雪姫の「ハイ・ホー」の替え歌で

♪コクホー コクホー ララララララン~

と心の中で口ずさみながら

 

さて、私が参拝したのは2022年の真夏のこと

こういった真夏の参拝には、ここ「春日大社国宝殿」に寄った方がいい…

なんといってもめちゃ涼しいの…もう温暖湿潤気候の不快なムシ暑さ…これから「ハイ・ホー」ならぬ「カイホ―(解放)」されるから

1階で映像をみながら、まったりすることもできるし…

 

めちゃ綺麗な素敵な新しい、神社の「国宝殿」とは思えぬモダンな、スタイリッシュなハコモノ

なんでも2016年にニューリアルしたハコモノのようで

ハコモノの屋根は社殿のよう

 

入り口には石灯籠(とうろう)

灯籠の横をとおろう…汗

いや、涼しくて…「汗」がいっぺんにひいていく感じ

 

さて通路を進むと

 

まずは、映像のコーナー

なんだか、ぱっと見、よく分からないけど…

 

暗闇の中に光と水で聖地を表現した「神垣」と称される映像展示空間

よく分からないけど、神様が誕生した瞬間をイメージで映像で映し出されているような…

う~ん、よくわからないけど、雰囲気は伝わってくる

その「神垣」と称される映像展示空間のエリアを通り過ぎると

目でみて分かりやすい…デカいということが分かりやすい

この太鼓は「鼉太鼓」と呼ばれる屋外での「春日若宮おん祭」の舞楽で使用されている打楽器

デカい!デカい!!!

ただし、これはレプリカ…

ホンモノの展示は2階の展示室にありました!重要文化財の「鼉太鼓」

それは、撮影禁止!!というか、2階の展示室の「国宝」はともかく、すべてのものが撮影禁止!でございました…

 

「鼉太鼓」は源頼朝寄進の伝承があり、鎌倉時代の作と伝わっているとか…とにかくデカくて総高が6m58㎝もある巨大な太鼓

龍や鳳凰の彫刻も見事で

鎌倉時代以後新調されたとの記録もなく、修理しながらも昭和51年まで「春日若宮おん祭」で使われてきたとのこと

 

さて2階は

通常の展示品プラス「春日大明神に祈る時代を変えた兵」の展示が、大展示室と小展示室に分かれてて、そちらに…

「鼉太鼓」のホンモノは、大展示室にどどんと展示されていました…

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のブームにあやかって???鎌倉殿、北条氏のものも…

北条時政注進状案とか梅花皮包腰刀とか

 

目玉は「国宝」

源義経が奉納したと伝わる「籠手」

これは鎌倉時代のもの…

細かな菊の花の透かし彫りが…めちゃ豪華絢爛

他には、楠木正成が奉納したとされる甲冑…これも国宝…

他には足利尊氏のものだったり足利義満のものだったり、豊臣秀吉のものだったり

撮影禁止で、メモもとっていないので、そんなところが心に残った感じかな…

とにかく涼しくて…涼しくて…気持ちよくて

それだけが、心に残ってる…

 

こうした展示パネルを眺めながらも…

 

国宝殿のお隣りにはカフェ「鹿音」が併設されていて

涼むだけなら、そちらの方がよかったかも…笑

 

でも、カフェに寄ったら♪コクホー コクホー

とは口ずさめないけどね…

 


奈良の春日大社を参拝する…本殿の「特別参拝」篇

2024-08-22 06:06:16 | 歴史史跡

約1300年の歴史を持つ世界遺産

奈良の春日大社を参拝

今回は、春日大社の拝殿、本殿の「特別参拝」(500円)のレポをばだらだらと…

 

春日大社の「南門」

その前に玉垣に囲われてあるのが「出現石」

若宮の神様をあらわす赤童子がこの石から出現したという言い伝えがあるとか…

20メートル先の「如意石」まで、目をつむって歩くなんて…この参拝客の多さ、実行すれば、間違いなく人にぶつかってご迷惑をおかけすると思われます…

ご祭神と由緒の案内看板…

ご祭神は
・第一殿 武甕槌命さま
・第二殿 経津主命さま
・第三殿 天児屋根命さま
・第四殿 比売神さま

では、この南門をくぐって

幣殿・舞殿と呼ばれる「参拝所」から

二礼二拍手一礼

 

おお、この奥、中門の手前にある、御神木、杉の木の圧倒的な大きさに驚かされる…

御神木の中の御神木って感じ…

だって、お賽銭を受ける奥、果てしなく本殿、神様のいる場所のめちゃ近くに、樹齢700年を越す巨木が立っているのよ!!

 

参拝所(幣殿・舞殿)向かって右側にみえる境内社は

青榊神社…写真左…と辛榊神社…写真右

青榊神社のご祭神は青和幣さま

辛榊神社のご祭神は白和幣さま

その奥に見えるは、中門、御廊

もう朱の社殿が青空に映えて、また、緑とのコントラストも素晴らしく…なんとも言えぬほどの美しさ

 

南門を入ってすぐ、近くにある青榊神社、辛榊神社とは参拝所(幣殿・舞殿)挟んで反対側にある

「砂ずりの藤」

「砂ずりの藤」は、樹齢800年に及ぶともされる「藤」

5月上旬ころにはさぞ、美しいのでしょうな…この「砂ずりの藤」は鎌倉時代後期に描かれた絵巻物である「春日権現記」にも記されているそうな

それをこえると「西回廊

 

かいろうをとおってかえろう!!

いや、まだかえりません!

「釣燈籠」が古の風を運びつつ…実に神秘的で…これは、西回廊の内側にあたる場所の光景…

 

西回廊沿いには3つの門が並んでおり

南側の「慶賀門」が、かつては春日大社への正式な参入門となっていたとのこと

西回廊の中央部にあるのが「清浄門」

西回廊の北側にある門が「内侍門」

 

西回廊

下の写真は「内侍門」

かつて宮中から春日大社に派遣され、神様にお仕えしていた「斎女」・「内侍」の通用門として用いられていたそうな

 

西回廊のそばには

「桂昌殿 」

将軍徳川綱吉の生母桂昌院が「天下泰平之御祈祷」のために寄進した祈祷所

四脚門

明治時代に桂昌殿の後方部分が増築され、社務所として使用されていたときの正門

 

酒殿

酒弥豆彦神さまと酒弥豆売神さまがお祀りされているお殿

ここは、神前にお供えする「お酒」を醸造する「酒造場」で、現在もここで醸造しているらしい…

再度、春日大社の「幣殿」「舞殿」の方に戻る…

その途中

「清浄門」から「移殿」「直会殿」そして奥の「中門」を覗く…

「幣殿」「舞殿」の方に戻った理由

それは、神様のいらっしゃる春日大社の本殿へ近づこうと…「特別参拝料金」500円を払ってでも、神様に少しでも近づきたいと思った訳

特別参拝は、した方がいい!「春日大社」にいくなら「特別参拝」を…神様にお近づきになれるし…「幣殿」「舞殿」からでは見れない、イロイロなものが拝観できるから

 

さて500円をお支払いして

まず目に留まるのは「奉神獻鹿」の石碑

その横には井栗神社

ご祭神は高御産霊大神さま…

安産の神様…アンザンならぬ「サンザン」な目に遭ってる私…

ここは手を合わせて二礼二拍手一礼

中門、御廊

この奥には、写真撮影禁止の本殿が

本堂のすぐ南側にある小さな広場のことを

「林檎の庭」と呼び

その名前の由来は端に植えられている平安時代に高倉天皇が献木したことにちなむ、この「林檎の木」(現在は2代目)に由来するものだとか

 

さて、もうめちゃ木になる…もとい…気になる「大杉」

御廊と比べても、いかに巨木かがよくわかるでしょう…

「社頭の大杉」と呼ばれるこの御神木は、春日大社本殿の南西側に建つ巨大な杉の木で、幹回りは8メートルほど、高さは約25メートルにも及び、樹齢は800年以上だとか…

青空と御神木と中門と…

 

さて御廊、中門の近くには

「手力雄・飛来天神社遥拝所」

ここには、本殿の近くにあり直接参拝できない勇気と力の神様である手力雄神社と「空の旅の安全を守る神様」飛来天神社

 

写真は、順路に沿って

東回廊

あまりの朱の美しさに思わず…撮りたくなっちゃう

回廊の途中で「二礼二拍手一礼」

 

さらに進むと

御蓋山浮雲峰遥拝所は、春日大社の本殿近くに伸びる「東回廊」の外側に設けられている遥拝所

この遥拝所は、春日大社の「裏山」でありかつ「神の山」である「御蓋山」へ向けて崇拝することのできる場所で、この「御蓋山」は「禁足地」であり原則一般参拝者は立ち入ることが出来ない…そんな御蓋山に「最も近づける」場所

「鹿島神宮」の神様である武甕槌命さまが白鹿の背に乗り奈良へと旅立たれ、「御蓋山」の頂上である「浮雲峰」に天から降り立たれたという話が春日大社の「創建神話」に残されているとのことで

 

 

向きを換えれば、回廊東北角の築地

春日大社の大宮は東・西・南・北回廊に囲まれているが、この東北角だけが、板葺の築地塀になっていて、古代春日大社の大宮は四囲を築地塀で囲まれていたが、平安時代の1179年に築地塀は現在のような回廊に改築されたとのこと…


ただ、御本殿からみて東北(丑寅)の方角にあるこの部分は鬼門にあたるため、回廊への改築を免れたと伝えられている…
尚、この築地塀は御本殿に属するもので、御蓋山浮雲峰遥拝所は、御本殿から東南東となり鬼門とは関連しない…との案内解説板

再度、東回廊をちょいと進んで

「桂昌院」奉納の灯籠

「桂昌院 」は徳川五代将軍綱吉の生母

いやあ、歴史を感じますなあ

御廊に、ぶ…奈良だけに「ならぶ」…「釣燈籠」

これは直江兼続奉納の釣燈籠

灯籠に書かれた「越後国直江山城守息女敬白」の文字などから、兼続は1588年、主君の上杉景勝らと春日大社を参拝し、1600年、娘の「於松」の名で釣り灯籠を奉納したらしい…

宇喜多秀家寄進釣燈籠

関ケ原の戦い(1600年)での負けちゃった西軍副大将

藤堂高虎奉納釣燈籠

藤堂高虎は、黒田孝高、加藤清正と並び、「築城三名人」の一人と称された伊勢津藩の初代藩主

徳川綱吉寄進灯籠

 

「館林宰相正三位 源綱吉御 室」と刻まれていて

将軍になる前は館林藩主だった徳川綱吉…最後の「室」は正室の信子のことを指しているそうな

さて、中門へと…中門奥に「本殿」…

この本殿は撮影禁止…

最初、この中門が、本殿だと私は、勘違いしてましたが…

ここにて、再度「二礼二拍手一礼」

先程、幣殿・舞殿と呼ばれる「参拝所」で「二礼二拍手一礼」したけれど…ここの方が、ウンと神様に近いので…

「クズ」とも「カス」とも思われていそうな私が神社で参拝…

これぞ「カスが神社」???…と参拝後、ついしょーもないオヤジギャグを思っちゃうところが、まさに「カス」そのものである私

でも、少しでも、心温まる日々が多く続きますようにと…たいしたことが何も起きない日々が続きますようにと…

「カス」である私が…そう…「イカす」私??が…そう願掛けをして…

 

その後は、触れてみたかった

御神木!御神木!!御神木!!!

「本社大杉

 

いやあ、心底、御神木からパワーをいただけた気がしたよ…

パワーが漲って、このいただいたパワー、おおすぎる!!…苦笑

この「本社大杉」には

岩本神社

ご祭神は、「住吉三神」の表筒男命さま、中筒男命さま、底筒男命さま

その後、移殿にても「二礼二拍手一礼」

移殿は春日大社本殿・若宮社の式年造替時には一時的に神様をお祀りする場所…今は若宮様が遷座された御仮殿である「移殿」

そう、参拝したときは若宮神社は20年に1回の修理、「式年造替」中なので、このお殿の中には、若宮神社の神様が

殿内は写真撮影禁止

御廊と移殿を挟む場所は「捻廊」と呼ばれていて

「捻廊」は、御廊を移殿を結ぶ渡り階段のこと

さて、「内侍門」の近くには

風宮神社

ご祭神は級長津彦命さま、級長津姫命さま

罪や穢れを「風」によって吹き流して下さるお祓いの神様

ぜひとも、新型コロナウイルス感染症も吹き流してほしいものだと手を合わせつつ

椿本神社

ご祭神は角振神さま…

全くもって、存じ上げていない神様だけど、魔物・天狗・災難などから春日大社をお守り下さってる攘災神(守護神)さまなんだって

この奥は、後殿になっていて

末社の近くまではいけないものの、後殿の前から拝むことができます

後殿は門に近い場所から「佐軍神社」・「杉本神社」・「海本神社」の3社が並び、高台には「栗柄神社」が、そしてそのそばには「八雷神社」がみえました…

左から順に「佐軍神社」「杉本神社」「海本神社」

「佐軍神社」のご祭神は布津之霊大神さま

「杉本神社」のご祭神は大山咋神さま

「海本神社」のご祭神は大物主神さま

左に「栗柄神社」と中央に大きく「八雷神社」

「栗柄神社」のご祭神は火酢芹命さま

「八雷神社」のご祭神は八雷大神さま

 

多賀神社

ご祭神は伊弉諾命さま

鎌倉時代に東大寺の復興に尽力した重源上人が近江多賀神社の御神託により長寿でありながらも復興を成し遂げることが出来たという伝承があり、「延命長寿」にご利益があるとのこと

宝庫

「内侍門」から賽銭箱越しに、外を撮影

その横、西回廊の内側には、釣燈籠がずらっと

 

 

さて、その後、参拝路に従って進むと

私のような「虎党」…阪神タイガースファンにとっては、テンションのあがる、まさに「ご神域」が…

それが、ここ

藤浪之屋」

いやあ!藤浪晋太郎くんを祝うようなお殿じゃないか!!

節分の日と8月14日・15日に行われる春日大社の一大行事である「万燈籠」の風景が常時再現されているといった、阪神タイガースの藤浪晋太郎くんとは、何の関係もなさそうな「藤浪之屋」ですが…

もう入ってみてびっくり…実に幻想的で…

もう…これだけでも「特別参拝」500円分の価値はあるといってもいいくらい!!

テンションがあがる!あがる!!

バンテリンドームナゴヤで、藤浪晋太郎くんが、勝利投手になったときくらいにテンションがあがる…

 

「春日大社」とはなんの関係もないけど

このブログも、お時間あればどうぞ!どうぞ!!

藤浪くんの復活が「生」で観れた幸せ…2022・8・27 …バンテリンドームナゴヤで中日・阪神戦!

万燈籠再現、藤浪之屋

この黒い幕の奥には

実に幻想的で…

 

しばらく…ここでボーと、立ちすくんでいました…

藤浪くんが優勝勝利投手になった、その瞬間を脳裏に浮かべながら??

その後は、直会殿に「本殿の大杉」の樹木が建物に突き刺さっているのに驚いたり…

御神木なので、痛めないように、屋根に穴をあけてまで木を生かしていることに、ちょっとした感動を覚えたりと

 

「本殿」一帯のエリアの「特別参拝料金」は、十分に価値あり…

見どころいっぱい!!

そして、これは中門、本殿ではありませんよ!!

私のように…勘違いしないでね…

あ、別に勘違いしてたからって、困るようなことは、なにも起きませんけどね…

以上、参拝を終え、回廊をとおって、かえろう!

それにしても、朱が眩しい春日神社は、めちゃめちゃ、いかすが!「かすが(春日)」!