新・日記どす(DOS)

写真は「ビートルズ」のヘルプごっこ(笑)~音楽からB級スポット訪問記まで、幅広くいろんなことを…笑いをこめて…綴ります~

西尾市の八ッ面山中腹に鎮座する久麻久神社を参拝する…

2022-12-31 07:25:14 | B級スポット

西尾市にあるッ面山

男山女山に分かれてまして…

そのど真ん中に

久麻久神社がありまして…

久しぶりにその久麻久神社を参拝する…

 

数年前に…ッ面山の男山女山に登ったことがありまして…

そのブログを下記に貼っておきますね!!

西尾市の八ッ面山に登る!!

さて

久麻久神社

創建は大宝年間(701~4)と伝えられ、延長5年(927)『延喜式』神名帳にもその名が記されているとのことで
古くは祭神が牛頭天王(素盞鳴尊)であったことから「大宝天王社」、地名から「荒川大宝天王」とも呼ばれ、八ツ面城主・荒川氏の信仰が厚かったとか…

さらに
徳川家康とも縁があるようで…

三河は一向一揆で荒れていた頃…
これを鎮めようとした家康は
市場姫を八ツ面城主荒川義広のところに嫁がせたんですね
義弘は家康の家臣として行動するも
途中で親戚関係の一向一揆方に加担し
家康と対立することとなる…
それがきっかけで…
家康の怒りを買い、八ツ面城から追い出されることとなったらしい…

3カ所の方向に鳥居があって…それをくぐって境内へと進むことができるようですが…

 

私が向かったこの鳥居をくぐった参道の傾斜が一番厳しいかもしれない…

 

 

ひぃひぃふぅふぅ…参拝したのは晩秋のことなのに…汗がにじんでくる…そんな足腰に負荷のかかる傾斜です…

 

 

とくに石段がなくなった後の参道の傾斜がきつい!きつい!!帰り道は、落ち葉でスベッテ、怪我せぬように気をつけなければ…

 

「医者に見放された病がお祓いでよくなった」みたいなご利益も噂にきくけど…どんなに重い病であっても、ここを登る体力は最低限必要だなと思いました…

(ちなみに必死に坂を登っていたその時に、そう思っただけで、実は私が登った反対側の鳥居のそばには、八ッ面山山頂にむかう道がありまして、路上駐車になりますが…そこに車を停めれば、こんな傾斜の坂を登る必要はありませんので、坂を登る体力がなくても、参拝可能ですよ…山の中腹にありながら、参拝者の体力にも優しい…久麻久神社です)

 

こちらが、参拝者の体力にも優しい参道にある鳥居と石標

 

 

 

私はひぃひぃふぅふぅ言いながらも境内に到着…

石柱門にはなにかが刻まれていたようですが判読不能…

 

この参拝した時期、2021年秋は、新型コロナウイルス感染症新規感染者数があまりにも急激に減りだした頃ですけど…念のため…この手水舎で、ひょっとしたら手にへばりついているかもしれない新型コロナウイルスいるかもしれないので…

おお、蛇口をひねって…と、ここで発見!!

新型コロナウイルス感染症が蔓延してから絶滅種となりつつある柄杓が…

私は…念のため…柄杓は使わずに…手水舎は眺めるだけにして、持参の手指消毒液で シュッシュ…

これで、ご祭神の須佐之男命さま、大雀命さま(仁徳天皇)、熱田大神さまも安心でしょう!!

 

 

「二礼二拍手一礼」

このまま、再度、新型コロナウイルス感染症フィーバーがおきませんように…須佐之男命さま、大雀命さま、熱田大神さま、なにとぞ!!

それと、もう一つ…いつまでも、このような登り坂が登れる体力を持ち続けれますように…と…

 

この拝殿の奥にある本殿は「重要文化財」

 

多くのみなさんは手前の拝殿を、本殿だと勘違いして、これが重要文化財だと思って帰られる方が多いとは、神社の関係者の弁…

私も、そう教えてもらわなければ、拝殿を本殿と勘違いして帰るところでした…

ではでは、参拝後は境内を、ぐるっと…

 

歴史の感じる狛犬…

 

驚き方が尋常ではない…なんか化け物でもみたかのような…心霊スポットとしても名高い八ッ面山ですからなにかみえたのでしょうか…

「阿吽の狛犬」…大抵、一体はお口を閉じてるんですが…ここは「阿阿の狛犬」になってるような…???

 

久麻久神社の案内板と雲母山碑

ここ八ツ面山は雲母(うんも・きらら)の産地だったのよ…

雲母(うんも・きらら)のために…
掘った穴が…雲母坑があちこちに…あるのよ…

先ほど心霊スポットと噂されてる要因の一つにあたるのかどうか知りませんが…神社の境内ではありませんが…八ツ面山の中腹には昭和6年に…
小学生の転落事故があったとの案内板が…





でも、これと、狛犬の表情に関連性はないと思われます…だって、どう見ても、あの狛犬…どうみても昭和6年以前に作られたものでしょうから…

 

「連理の枝のシイの木」といいまして
種類の違う樹木同士が絡み合って、一本の木に見えるとのこと

男女の間が永遠に睦まじく、変わることのない約束することを
「連理の契り」といい

今では…
このご神木が…
永久の愛を誓う…
パワースポットであるらしい…

いやあ…
私も…
夫婦円満が一番と…

心から…ご神木をなでておく…

境内社である御鍬社

山之神社

天満社と稲荷社

稲荷社には「きつね」さんがみあたらない…??

皇太子殿下御成婚記念の石碑

 

 

さてさて、御朱印ですが、ふらっと参拝して、御朱印がいただける確率は低く事前に電話をしていくと「書き置き」のものを用意してくださいます…

 

茶封筒を用意してくださり…その中に御朱印が

宮司さまから、御覧のようなありがたい一言が…

 

さらに「吉良荘800年の軌跡」の冊子までいただけて…

八ツ面山で雲母が産出されることから雲母(きらら)が取れる場所という事で吉良(きら)荘と名付けられたそうで…

宮司さまにはお会いできなくて残念でしたけど、直筆の文字からも温かさの伝わる…宮司さまの優しさをも感じたよき参拝となりました…

 

自然の中に溶け込んでいているかのような森羅万象の世界観が広がる久麻久神社

 

ぜひぜひ、機会ありましたらみなさんもぜひ…

 

帰り道は

運転する車中で呪文を唱えながら

「テクマクマヤコン、テクマクマヤコン、腰痛のおきない自分になあれ!!」

クマク(久麻久)神社、参拝直後だけに??

 

え、クマク??もとい、クラク(苦楽)を共にして付き合っていきなさいって…神様の声がきこえてきたような???

 

じゃあ、もう一つ呪文を

「テクマクマヤコン、テクマクマヤコン、新型コロナウイルス感染症にかからない自分になあれ!!」

クマク(久麻久)神社、参拝直後だけに??

え、クマク??もとい、マスクしなさいって…神様の声がきこえてきたような???

 

あ、勝手な想像でスミマセン!神様はクマク…もといウマク(上手く)オヤジギャグは言わないと思います…

 

えっ、ウマクないって…汗…

オチが…参拝(さんぱい)ならぬ…惨敗(ざんぱい)だー!!

 

年の瀬まで、しょーもないオヤジギャグ満載の、このブログにお付き合いありがとうございました…

来年も、引き続き、毎日、アップしていきますので、御贔屓のほどを…

 

では、よいお年を~

 

 

 

 


〇性に人気な施設第1位…「天空スパヒルズ竜泉寺の湯名古屋守山本店」に行く!!

2022-12-30 07:34:15 | テーマパーク・温泉

人生の中で
温泉に浸って、ふにゃふにゃになっている時が
数少ない…???…幸せの一つだと思っている私…

 

でも、新型コロナウイルス感染症というものが世の中に蔓延しだしてからというもの

「3密」が危ないとか言われ…マスクを外した会食も危ないとか言われ、なんとなく混雑してそうだと行く機会がめっきり減っている…

「オンセン」は好きだけど「カンセン」は嫌なのよ!!(まあ、誰でもそーですが…)

でも、2021年10月のこと

この頃、新型コロナウイルス感染症の新規感染者数が急に激減しだしまして…

ならば…

行きたくて行きたくてたまらない日帰り湯

 

中でも、再度行きたくてたまらなかった日帰り湯

 

女性に人気NO1の施設

 

 

じゃあ、男性は第〇位なのか知りませんが、私の中ではNO1の施設

「女」の字を「土」にかえれば …ほらね!!

 

さてさて、バカは高いところに上りたがると言いますが…私、そのとおりの性格で…高いところに上っては、眺望を楽しみながら下界を見下ろすのが大好きで…

 

そんな経験が、天然温泉に浸りながら…素っ裸のまま…こんな感じの矢田川を見下ろすことのできる眺望が楽しめる日帰り湯がありまして…

 

それは、

「天空スパヒルズ竜泉寺の湯名古屋守山本店」

もう…いてもたってもいられなくなって…

に行ってきました!!

 

ただの「竜泉寺の湯」だけではなく「天空スパヒルズ」の言葉がついているのよ!!「天空」ですよ!「天空」!

 

さて入場券を購入、700円

さらに…今回は、前回、見送った岩盤浴「癒しの空間『forest villa』」の500円も…満喫するぞー!!合わせて1200円!!

 

さて手指消毒のみならず、検温チェック…

熱があったら風呂なんかにこないだろうとは思うものの…ここは「スパヒルズ」…

 

熱があると…体調が悪いと入浴する気にはならないけど、ここだと、ゴロゴロすることを目的にくる人もいるかも知れないので、ここは検温チェックは必要かも…と勝手に納得…笑

感染症対策もばっちりです!!

 

さてさて館内にはいると

「天空(てんくう)」とあるので「店(てん)で喰う(くう)」

 

 

これが、お店の中…天井は「木」なんだけど、光の加減で黄金のように光ってみえますなあ…

 

「大満足間違いなし…」とあれば、このランチを…

 

ああ、生きててよかった…と思える瞬間…ここで、ビールが呑めると幸せなんだけど…アクセスを考えると軽四でくるのが一番なので…呑めませんが…呑めなくても、ああ、生きててよかった…と思える瞬間…で間違いありません!!

「大満足間違いなし…」でありました…

その後は眺望が楽しめる天然温泉へと

 

ガラガラというにはほど遠い人の入りでしたけど…

うわー、いっぱいでこのお風呂には入れない!!なんてことはなくて…

ここにくるの2度目だけど…やはり思う…

守山区に住みたい!守山区に住みたい!守山区に住みたい!

できれば、「天空スパヒルズ竜泉寺の湯名古屋守山本店」の徒歩圏内に住みたいと思える…ほどの

凄すぎる露天風呂

もう「天然温泉ほたるの湯」を始めとした露天風呂に入って眺める眺望の素晴らしさは半端ない…約240度は大パノラマで、庄内川があり、市街地から山まで眺望できる…こないだ登った東谷山もはっきりと…さらに御嶽山まで…もう、まさに展望台から眺めるような素晴らしい眺望を温泉に浸りながら楽しめちゃう!!

傾斜の上にある温浴施設なので露天風呂からの眺めは最高で!!

ホント素晴らしすぎる!!

夜になると湯船に仕込まれたLEDがグラデーション点灯し、これがあたかも幻想的な蛍のよーにみえるようで、夜にもまた来たいぞーと心から思いました!!

もう顔面にあたる冷たい風がなんとも心地よくて

このパンプのよーな眺望が鮮やかに

 

 

バカは高いところに登りたがる!!まさに私そのとおりの性格なのですが…高いところに登ったつもりはなくてもいつのまにか、高いところにでちゃってたみたいな…

 

ちなみに女性風呂はここまでの眺望はないようです…

だって、きっと市街地のマンションとかで、天体望遠鏡等を用意したら、こちらの露天風呂がのぞけそうな、そんな大パノラマですからね!!

 

この眺望は、まさに竜泉寺城の織田信長の弟・織田信行気分が味わえる??あ、ちょっと喩える人がジミかも…

ああ、極楽!極楽!!!

極楽は…極楽は…竜泉寺にありました…

 

さらには湯船に仕込まれたLEDが点灯する泡のでる美泡の壺湯は、いつでも独占状態…

 

露天風呂のみじゃないよ

内湯には

もっと広い、高濃度炭酸泉…

極楽は…極楽は…竜泉寺にありました…

さらには、かなりぬるい感じのする

源泉の湯

 

私、人生をぬるぬるっと生きていきたいと思ってるので、昔からぬる湯が好きなのよ!!

極楽は…極楽は…竜泉寺にありました…

 

露天風呂の「天然温泉ほたるの湯」→「泡の湯」→「美泡の壺湯」→「露天炭酸泉」→内湯の「高濃度炭酸泉」→「天然温泉源泉の湯」を自在に渡り鳥…

自在に渡って…渡って

もう最高!!

極楽気分!極楽気分!!空を飛び去る飛行機も手が届きそうなほどにも感じられて

リアルに極楽に近い??感じも…笑

 

さてさて、その後は、岩盤浴「癒しの空間『forest villa』」へ…

 

ソーシャルディスタンスを保つため、岩盤浴は半分しか使えず、なかなか空かないので、タイミングが難しいんですけど…

「天」に近い??「天空スパヒルズ」にいたせいか、神様の目に留まったようで、ラッキーにも使用することができました…

 

いやあ、ポカポカの岩盤浴(がんばんよく)…いいねっ!

岩盤浴(がんばんよく)で気持ちもリフレッシュ!!明日からの仕事への「頑張る欲(がんばるよく)」が出てきそうな気も…

 

あ、嘘つきました…基本は「ぐうたら人間」ですので…仕事の「頑張る欲(がんばるよく)」はちょっと…

 

その後は…展望を楽しみながら、「癒しの空間『forest villa』」の中

館内でもこのように眺望が楽しめるスペースがあったのですが…すでに場所取りされてましたので…

野外コーナーでゴロンと…

 

あ、せっかくの眺望なのに…汚い足をお見せしてスミマセン!

 

 

なんなら私の視線で…一緒に眺望を…

 

 

あ、かえって私のキタナイ身体をお見せしてスミマセン!!…でも、入浴直後、身体もしっかり洗っていたので…キタナクはありません…

 

けど、この眺望だけをお見せすることに…

 

 

あれれれ、いつのまにか…眺望が全く見れなくなってました…まっくらで…まっくらで…

えっ??こんなに天気がいいのにって???

それは上の瞼と下の瞼がくっついてしまってまして…

 

要はウトウトしてしまって…

 

その後は…再度…眺望が楽しめる天然温泉へと

 

ガラガラというにはほど遠い人の入りでしたけど…

うわー、いっぱいでこのお風呂には入れない!!なんてことはなくて…

ここにくるのこの日、2度目だけど…やはり思う…

守山区に住みたい!守山区に住みたい!守山区に住みたい!

できれば、「天空スパヒルズ竜泉寺の湯名古屋守山本店」の徒歩圏内に住みたいと思える…ほどの

凄すぎる露天風呂

もう「天然温泉ほたるの湯」を始めとした露天風呂に入って眺める眺望の素晴らしさは半端ない…約240度は大パノラマで、庄内川があり、市街地から山まで眺望できる…こないだ登った東谷山もはっきりと…さらに御嶽山まで…もうまさに展望台から眺めるような素晴らしい眺望を温泉に浸りながら楽しめちゃう!!

傾斜の上にある温浴施設なので露天風呂からの眺めは最高で!!

ホント素晴らしすぎる!!

夜になると湯船に仕込まれたLEDがグラデーション点灯し、これがあたかも幻想的な蛍のよーにみえるようで、夜にもまた来たいぞーと心から思いました!!

もう顔面にあたる冷たい風がなんとも心地よくて

 

バカは高いところに登りたがる!!まさに私そのとおりの性格なのですが…高いところに登ったつもりはなくてもいつのまにか、高いところにでちゃってたみたいな…

 

ああ、極楽!極楽!!!

極楽は…極楽は…竜泉寺にありました…

 

さらには湯船に仕込まれたLEDが点灯する泡のでる美泡の壺湯は、いつでも独占状態…

 

露天風呂のみじゃないよ

内湯には

もっと広い、高濃度炭酸泉…

極楽は…極楽は…竜泉寺にありました…

さらには、かなりぬるい感じのする

源泉の湯

 

私、人生をぬるぬるっと生きていきたいと思ってるので、昔からぬる湯が好きなのよ!!

極楽は…極楽は…竜泉寺にありました…

 

露天風呂の「天然温泉ほたるの湯」→「泡の湯」→「美泡の壺湯」→「露天炭酸泉」→内湯の「高濃度炭酸泉」→「天然温泉源泉の湯」を自在に渡り鳥…

自在に渡って…渡って

もう最高!!

極楽気分!極楽気分!!空を飛び去る飛行機も手が届きそうなほどにも感じられて

リアルに極楽に近い??感じも…笑

 

喰って温泉に浸って、ウトウトしてまた温泉に浸る…

 

私にとってはなんとも極楽な1日でした!!

 

強いて言うなら「癒しの空間『forest villa』」で漫画見ながらゴロゴロしたかったかも…やっぱり「オンセン」同様「カンセン」も気になっちゃうから…集中して漫画を読み気が起きなかったし…

それともう一つ…

ビールを呑みたーい!!!

 

はい、1時間半、軽四で走らせて…なるべく無駄に水分をとらぬよう…

 

で、家に帰っても温泉気分…この日のビールの旨かったこと!!

「ごくごく」のんで「ごくらく」だー!!

 

オチも決まって、そのまま夢の中へとオチたのでした…

 

 


金山南ビル美術館棟(旧名古屋ボストン美術館)で「ゴッホ・アライブ」(Van Gogh Alive)…後篇

2022-12-29 06:29:35 | 博物館・美術館

金山南ビル美術館棟(旧名古屋ボストン美術館)

ゴッホの展覧会

「ゴッホ・アライブ」(Van Gogh Alive)に行った…ブログの続き

 

続いてはエスカレータ―に乗って上の階の展示室へと

ここでは、オーストラリアの企画会社、グランデ・エクスペリエンセズが開発した「ゴッホ・アライブ」と呼ばれる映像のコーナー

マルチチャンネル・モーショングラフィックスとサラウンド音響、高精細のプロジェクターが組み合わされて…クラシック音楽が流れる中、ゴッホの作品の画像が、次々と壁や柱、床などに映し出される…

そして、美術館では考えられない…

ヨギボ風クッションに寝転がって、楽しめちゃうのよ…

いわゆる作品をみて歩き廻って疲れちゃう…なんてことはなくて…ゴロンと転がって、壁面のいろんなところに映し出される、ゴッホの作品を眺める…

そして、ただ、ゴッホの絵画作品が映し出されるだけでなく…モーショングラフィックス…すなわち…絵画が動くのよ…

この絵だと風車が廻ってたり…と

 

ヨギボ風クッションに寝転がって、ゴッホの世界観に包まれる

あ、別にこの絵画のカップルを蹴りたい訳ではありません!

 

みなさん、ごろっと横になって…なかには寝ちゃってる人もいたよう……

 

「花咲くアーモンドの木」

壁面だけでなく…床にも

ゴッホが日本の浮世絵に影響を受けた頃

おお、江戸時代…ええど!え江戸!…苦笑

 

途中から、時代順に絵画が映し出されていることに気づく…

「耳に包帯を巻いた自画像」

 

そして、「ひまわり」…映像ではさほど、この「ひまわり」を引っ張りはしてなかったです…あっさりと…

 

 

「夜のカフェ・テラス」では、まるで、この絵に私自身が、入り込んでいるようなそんな気分にさせられる…

「ファン・ゴッホの椅子」

そして、先ほど立体になってて、この絵の中で写真が撮れた「アルルのフィンセントの寝室」

 

なんとも幻想的な世界観

「ローヌ川の星月夜」…川に映る光が揺れ動くのよ

そして「星月夜」

「ガシェ医師の肖像」と「オーヴェール=シュル=オワーズの教会」

床に映し出される映像を撮ろうとしたら、お隣りの女子高生の足が目に飛び込んできて…なんかスミマセン!

このカラスはリアルに羽ばたいていました

そして、この映像の怒涛のエンディングへと…

と、また、映像は繰り返す…

 

今度はみる場所を替えて、女子高生の足が気にならない場所へと??移動…もちろんヨギボ風クッションに寝転がって……

途中からみたから、この辺は初めて観る映像…

映像エエゾー…汗

この辺りの映像から見た記憶が…

 

この映像で2度目の「花咲くアーモンドの木」

 

この絵の中の汽車はリアルに動く…

この映像で、2度目の「ひまわり」

「赤いブドウ畑」

映像、2度目の「夜のカフェ・テラス」

 

 

2度目の「ファン・ゴッホの椅子」

2度目の「アルルのフィンセントの寝室」

 

 

映像も後半…クライマックス

「ローヌ川の星月夜」

そして、「星月夜」

ゴッホが精神病院に入院していた時、窓から見える景色を描いたといわれるけど、実際には存在しない風景なんだとか…

「ガシェ医師の肖像」と「オーヴェール=シュル=オワーズの教会」

 

「カラスの飛ぶ麦畑」では、ラストにカラスが一気にはばたく…その映像は、目に迫ってくるようで、圧巻

ラストは肖像画、人物画で、この映像は〆る…

ああ、こんなに展覧会でリラックスできるなんて…もう、ずっとここに寝転がっていたい、そんな気にもさせてくれる…

ただ、仕事帰りに寄ってるので、お腹が空いてきたけど…もう、満腹状態でここに転がったら、気持ちよいゴッホの夢(どんな夢か想像つかないけど)がみられるんじゃないかな…

さて、これで、この映像を完璧に、ヨギボ風クッションに寝転がってみましたが…

壁一杯に繰り広げられるゴッホの映像は圧巻なので…伴うクラシックのBGMも心地よいので

今度は、後方の椅子に座って全体像を…みようと…もう一回

映像の中で、この汽車と煙は動いてるんだな…

「ひまわり」

 

 

そして、エンディング

ラストのコーナーでは、QRコードを読み込んだら、携帯の中では、この「ひまわり」の絵が…

 

 

飛び出した!!

以上、ゴッホの本物の絵画は、一つもない…

1枚の絵を眺めて、その背景も絡めて、あれこれ、妄想することは一切できない…

 

でも

フォトスポットはテーマパークの様相だし、マルチスクリーンを使った映像では、もう映画のように、映像が次々と飛び込んでくる感じで

寝転がってゴッホが実際にみた…もしくは心に描いた光景の中に迷い込んだような気分になれるところはよかったし

「インスタ映え」した写真は撮れるけど…(本物の絵だと撮影禁止ですからね)

 

個人的には、この値段を出すんだったら、ホンモノの絵をじっくり鑑賞する方が好きかなあ…

 

まあ結論は、従来の絵画鑑賞のつもりで行くと、違和感たっぷりだけど…アトラクションを楽しむ感じで行くと、大満足の展覧会かな…

チケット代はちと高かったけど…

 

そうそう、ヨギボ風クッションに寝転がって、楽しみたいなら、ド平日が絶対おススメですよ!!

寝転がってゴッホの世界観に入り浸る…これ、この展示の1番の快感ですから…

 

ああ、定時帰りしちゃったものだから、明日から溜まったしゴッホ??もとい…しごと(仕事)頑張らないと…

でも無理して、体調を崩すことのないように…

読者のみなさんも、ゴッホ、ゴッホと咳がでる流行病に気をつけてくださいね…苦笑

 


金山南ビル美術館棟(旧名古屋ボストン美術館)で「ゴッホ・アライブ」(Van Gogh Alive)…前篇

2022-12-28 06:07:08 | 博物館・美術館

金山南ビル美術館棟(旧名古屋ボストン美術館)

ゴッホの展覧会

「ゴッホ・アライブ」(Van Gogh Alive)に行く

没入型展覧会???

 

聞いたことのないような言葉だけど、

な、なんと「ゴッホ」のホンモノの作品は一つもない…

なので、従来の展覧会のイメージで足を運ぶと、肩透かしを食らうかも…

行った正直な感想は…というと…「展覧会」ではない…

 

街のイルミをみる感じ…そこに、ゴッホの作品が映像で絡んでいる感じ

 

…もしくは、数か月前に「ジブリパーク」に行ってきたけど…

あ、一応リンクして貼っておきます…お時間あれば、どうぞどうぞ!

 

ジブリパーク「ジブリの大倉庫」…B級スポットマニアの私が、今、話題の超A級スポットに行く…前篇

 

ジブリパーク「ジブリの大倉庫」…B級スポットマニアの私が、今、話題の超A級スポットに行く…後篇

 

たとえば、その「ジブリ」が「ゴッホ」に替わって

「ゴッホパーク」に遊びに行った…そんな感覚なら楽しいと思う…だって、映像で絵画が動いたりしてたからね…

飾ってある絵を一枚一枚ゆっくり鑑賞する従来の展覧会をイメージして、足を運ぶと、なんじゃこれ…と、ひっくり返る感じかな…と

 

さてさて、ゴッホと言えば有名な画家

私も以前、愛知県美術館での特別展「ゴッホとゴーギャン展」に行ったことがある…その時のブログもお時間あったらどうぞ…

 

絵画なのに映画を観終わったような感動が残る…愛知県美術館での「ゴッホとゴーギャン展」

とにかく、これを読み返したら思い出したように大混雑で、ましてや、この冬の新型コロナウイルス感染症が、蔓延する中では、混雑は避けた方がいい…

そう思って…そうそう、この展覧会、嬉しいことに夜8時まで開館されている…

ということで、混雑を避けるために

あえて、あえて、みなさんが遊びたくない月曜日に、職場を定時サッサして、夜6時ごろから、約1時間半ほど楽しんできた訳

はい、大正解でした!案の定、空いてました!!

 

やっぱり、こういった展覧会は、ド平日に限る!!…とか言いながら、私もド平日は仕事なんですけどね…

 

さて、入場料は前売りで、2300円、ちと高い気も…

でも、ゴッホの生涯を辿りながら絵を眺めると心から惹かれる…愛知県美術館でのゴッホの特別展では、絵画なのに良質の映画をみたような感想が残った…前回のゴッホの特別展では、そんな印象を持っているので、前売り券を買ったときでも、高いとは思わない!

この展覧会についての解説板

世界の展示のあり方を変えるとありますなあ…わくわくわくわく

 

彼がファンゴッホさん、19歳

 

ゴッホの略歴の解説パネル

線画で描かれると,老けているような…

さて、館内へと

そうそう、館内写真・動画OKなんです…

まずは、といえば、まるでイルミを眺めているような世界観

作品なんぞ、どこにもありません!

ゴッホの作品「星月夜」 をイメージした幻想的な「ひかり」の空間が、鏡によって、果てしなく広がっているように…みえる!!

鏡なので、私が写りこんでしまう

床、もしくは天井とこの電飾を一緒に1枚の写真におさめれば、インスタ映えする「星月夜」の世界観

…って、これ、インスタじゃなくて、ブログですけど

そんな「星月夜」の作品をイメージした線画

他には「ファン・ゴッホの椅子」の作品をイメージした線画

さらには、ゴッホの代表作「ひまわり」

 

 

続いては、この「アルルのフィンセントの寝室」の画が

立体で再現されちゃってる

 

 

立体なので、角度を替えれば…御覧のように

QRコードを読み込んだら、携帯の中で、ゴッホのイラストが「寝室」の中を、動き回るよ…まあ、それだけのことだけど…

で、立体なので、このゴッホの画に私も入れちゃう…

ここはゴッホになった気分で…いや私、精神は病んではいなくて、左耳を切りそいだりはしないけど…

「アルルのフィンセントの寝室(しんしつ)」にて、しんしゅつ(神出)鬼没の私

続いては

ゴッホの「ひまわり」をイメージした展示

ゴッホの「ひまわり」は、花瓶の中のひまわりでこんなに咲いていないやろー、なんかウクライナみたいだな…というのが正直な感想

はやく、いち早く、しょーもない戦争が終わってほしいと…心から願う!!

インスタ映えする「ひまわり」の世界観

…って、これ、インスタじゃなくて、ブログですけど

 

鏡なので、私も写り込む…

そうそう、ド平日の夜なので、この「ひまわり」を独占

これぞ「伊藤咲子さん」の「ひまわり娘」ならぬ「ひまわりおじさん」

それにしても喩えが昭和過ぎる―!!

 

さてさて、御覧のように「ゴッホ」の絵は複製すらありません!

まるで「ジブリパーク」ならぬ「ゴッホパーク」のような感じ…

 

QRコードを読み込んだら、携帯の中で、ゴッホのイラストが「ひまわり畑」の中、動き回るよ…まあ、それだけのことだけど…

 

この後は、ゴッホの有名な画についての解説パネルがずらーっと並んでいました

「ローヌ川の星月夜」

「赤いブドウ畑」

「耳に包帯を巻いた自画像」

 

先程体感した「ひまわり」

「自画像」

「オーヴェール=シュル=オワーズの教会」

「カラスの飛ぶ麦畑」

これらの画のパネルはしっかり眺めて心に留めておいた方がいい…というのは、この後体感する最新技術のマルチチャンネル・モーショングラフィックスを眺めている時に、ああ、この絵だ!と、その記憶と結びつくから…

この絵に関しては、実際にカラスが襲い掛かるように飛び散るのよ!!

「夜のカフェ・テラス」

「ファン・ゴッホの椅子」

 

「アルルのフィンセントの寝室」

先程、この絵の中に入りました!!このベットに腰をおろして…

「アイリス」

「星月夜」…これも先ほど、ガラス張りの迷路のような空間を歩きました…

「花咲くアーモンドの木」

浮世絵に影響を受けてる作品です…

「ガシェ医師の肖像」

以上の解説パネルを、誰もいないソーシャルディスタンス100パーセントのこの空間で眺めたら

これで、この階の展示はおしまい…正直、なに、これ!と思ったのがここまでの感想…

この後は、上の階への展示室へと…

ブログも引っ張って、続きは明日にね!

 

 


比叡山延暦寺…横川地域の参拝記…定光院と元三大師御廟と…

2022-12-27 06:33:49 | 歴史史跡

比叡山延暦寺…横川地域の参拝記の続き…

森の小径をぐんぐん進むと、このお地蔵様が濃厚接触してる祠のある三叉路に出くわす

 

 

左に行けば…元三大師御廟を通って、駐車場の方面に…右に行けば…

定光院へと…それは往復して戻ってこないといけないけれど

 

 

でも定光院…ちょっと気になっていたのよ!!

横川の駐車場から横川中堂に行く途中にも、こんな案内看板があったし…

 

 

地図アプリ見たら、そんなに遠くはなさそう…

この徒歩約15分と書かれた看板のところから、間違いなく10分以上は歩いているはずだし…あと3分くらいで着くだろうと…そう思って…

定光院の方へ足を進めることに…

そのときには、気づかなかったけど…

比叡山での最後の最後の…修行???が待ち構えていました…

それは地図アプリからは読み取れない下り坂…

ひたすら石段を下る!下る!!!…

いや、下りっぱなしならなんてことないけど…引き返さなくちゃいけないってことは、その分、登らなくてはいけない…

もう下り坂も半端なく…急なのよ!!…

この時点で、歩数2万歩は確実に超えてる…ただ、2万歩歩いただけじゃありませんよ!!参道といってもアップダウンのある山道を何度も歩いてきた訳ですから…

まさに修行じゃ!!…ホントキビシイ!!

ただでさえ、この誰もいない…誰ともすれ違いさえしない静寂の中、膝だけが大爆笑してる??のに…

 

もう…ほぼ限界にきていた…もうこれ以上、下ったら、大爆笑している膝が、笑い転げて、登ってこれないかもしれない…

ただでさえ、昼食抜きで比叡山の参中、あっちウロウロこっちウロウロしてきて…まさに…疲労困憊そのもの…

やめよう!引き返そうと思った…

そのとき…あと100メートル…のこの道標…

 

 

100メートルならいける!!

 

おお、着きました!着きました!!!

定光院…仏様はいらっしゃるけど…参拝客は誰もいません!!

ひっそりと…静寂のなかに佇んでいる感じで…なんか凛としたものが感じられてきた甲斐がありましたな…

仏様の御力でしょうか…あんなに大爆笑してた膝も黙っています…先程感じてた披露困憊が微塵も感じられません…

 

一礼して山門をくぐる

 

 

 

池があって、そこには祠…

 

日蓮聖人ご使用の手水鉢とのこと…

そんな日蓮聖人がご使用された???水で泳ぐを眺めて…一休み!一休み!!

心の中で松山千春さんの「鯉」もとい…「恋」を歌いながら

♪ 愛することに疲れたみたい~

いや、歩くことに疲れているのよ!

♪男はいつも待たせるだけで、女はいつも待ちくたびれて

いや、「待ちくたびれて」いるんじゃなくて「歩きくたびれて」いるのよ!

 

新しめの祠…

正面には、日蓮聖人の像が…

その右側には研修道場として用いられていそうなお堂

 

その手前にある祖師堂には堂内に入っての参拝が可能でした…

 

このお寺は天台宗の寺院だが、管理は協定により日蓮宗が行っているとのこと…というのも、16才の時に清澄で出家得度し、名前も蓮長となった日蓮聖人は、20歳から32歳までここ比叡山の横川・定光院を中心に諸宗遊学されたとのこと…

日蓮聖人が青春を過ごしたお寺なんですね!

祖師堂では、もちろん、「南無妙法蓮華経」とお題目をお唱えになられ、立教開宗なされた日蓮聖人が祀られていました…

 

合掌…

 

さてさて、その後は帰り道…

静寂の中…石段を上るたびに…膝が大爆笑…

ひぃひぃふぅふぅ…ひぃひぃふぅふぅ…ひぃひぃふぅふぅ…ひぃひぃふぅふぅ…ひぃひぃふぅふぅ…ひぃひぃふぅふぅ…ひぃひぃふぅふぅ…ひぃひぃふぅふぅ…ひぃひぃふぅふぅ…ひぃひぃふぅふぅ…

 

ちょっと休憩…水分補給して

ひぃひぃふぅふぅ…ひぃひぃふぅふぅ…ひぃひぃふぅふぅ…ひぃひぃふぅふぅ…ひぃひぃふぅふぅ…ひぃひぃふぅふぅ…ひぃひぃふぅふぅ…ひぃひぃふぅふぅ…ひぃひぃふぅふぅ…ひぃひぃふぅふぅ…

 

ちょっと休憩…水分補給して…ちょっと休憩…水分補給して

 

ひぃひぃふぅふぅ…ひぃひぃふぅふぅ…ひぃひぃふぅふぅ…ひぃひぃふぅふぅ…ひぃひぃふぅふぅ…ひぃひぃふぅふぅ…ひぃひぃふぅふぅ…ひぃひぃふぅふぅ…ひぃひぃふぅふぅ…ひぃひぃふぅふぅ…

 

ちょっと休憩…水分補給して…ちょっと休憩…水分補給して…ちょっと休憩…水分補給して

 

ひぃひぃふぅふぅ…ひぃひぃふぅふぅ…ひぃひぃふぅふぅ…ひぃひぃふぅふぅ…ひぃひぃふぅふぅ…ひぃひぃふぅふぅ…ひぃひぃふぅふぅ…ひぃひぃふぅふぅ…ひぃひぃふぅふぅ…ひぃひぃふぅふぅ…

 

行きの10倍…20倍…30倍…の時間を要して、なんとかお地蔵さんが濃厚接触していた三叉路に辿り着く…

まさに「比叡山」で修行そのもの…こんな毎日を過ごせば、みるみる瘦せるに違いない…

ちなみに昼食食べずに歩数2万5千歩…ちなみに、この日1日だけでも1キロ痩せてました…

ここで、息を整えながら…誰も通っていない森の小径を…駐車場方面へと…

 

その途中には…今回の比叡山延暦寺巡礼最後の参拝場所になるだろう

元三大師御廟

良源こと元三大師が眠っているお墓…

もう、誰もまわりにおらず…小鳥のさえずりや虫の鳴き声以外では静寂が支配しています…

石鳥居と実に立派な石灯籠がありまして…

 

手水舎は枯れています…

 

奥にはお堂が…元三大師御廟拝殿であります

 

そのお堂をぐるっと裏手に廻ると、ちょっとした石段があって…その上には第二鳥居…

手前にはかわいらしい仏塔

 

この鳥居をくぐったところに、元三大師のお墓がありました…

 

元三大師は、当時スーパーマリオのような存在だったのでしょう??

お墓はマリオが喜ぶ「きのこ型」でした???

それにしても、もう森に溶け込むような感じで…崖との境界線にお堂及びお墓が建立されていました…

 

 

駐車場に必死の思いで、辿り着いて今回の比叡山延暦寺参拝はおしまい…

歩いて歩いて…膝が大爆笑しながら…23978歩…

なにか食べたいぞ!!呑みたいぞ!!!

比叡山延暦寺で、心からそう思って…ヤマを降りました…

 

 

東塔エリアの「現在」、西塔エリアの「過去」、横川エリアの「未来」と廻って、「瑠璃堂」では「迷い道くねくね」

 

比叡山延暦寺の参拝って渡辺真知子さんの「 迷い道 」みたいだなと思いつつ

 

さすが仏様いっぱいの仏教の世界では「母なる山」と呼ばれている比叡山延暦寺…

即、願いが叶って???大津SAでちゃんぽんを食べて、ついでにソフトクリームを食べて生き返った気がしたことを最後に記しておく…

 


比叡山延暦寺…横川地域の参拝記…横川中堂~恵心堂~元三大師堂~

2022-12-26 06:17:36 | 歴史史跡

比叡山延暦寺参拝…

とにかくひろい!ひろい!!伝導大師のみこころほど広い…比叡山延暦寺

比叡山頂から東側斜面にかけて、三塔十六谷三千坊と言われるほどの大寺でして

三塔とは「東塔(とうどう)」、「西塔(さいとう)」、「横川(よかわ)」の各エリアのこと

この山全体をすべて火攻めにしたなんて、織田信長もさぞ大変だった??だろうな…と思いながら???東塔エリア、そして西塔エリアを参拝し終わったところ

で、時間は、昼食も食べていないのに…昼食も食べていないのに…昼食も食べていないのに…午後2時…

水分だけで食事もとらず…まるで散策が修行のようになってますがな…

かつ西塔エリアでは、弥勒石仏を探すのに迷って迷って…瑠璃堂に行くのに迷って迷って…余分に1時間程は歩いているので…足は棒のよーになってて

…まるで散策が修行のようになってますがな…

 

さて、問題はこの後、どうするか…ということ…

延暦寺は、午後4時半で閉まってしまうのよ!!食べたら、あと一つ残した横川エリアには行けなくなっちゃう!!

また、こればいいやん!!とも思うけど…

東塔エリア、西塔エリア、そして横川エリアと、すべてのエリアを巡拝できる「諸堂巡拝券」を千円で購入してるけど…

もし、別日に、横川エリアだけ行こうとしても、ひょっとしたら千円かかるかもしれない…

それ以上に、比叡山ドライブウェイ・奥比叡ドライブウェイの通行料金がめちゃ高かったのよ!!

 

なんか、参拝しないともったいない!!と思う気持ちが、すでに澱んでますが…やっぱり、もったいないと思って…

 

これも修行じゃー!!!

そんな気持ちで比叡山延暦寺横川エリアへと…

 

 

いや、お金がもったいない!!という気持ちだけではなくて…

源氏物語・宇治十帖にでてくる「横川僧都」

このお坊さん、この横川で修行されていた僧侶で

内縁の夫・薫と匂宮との三角関係に悩み自殺を図った浮舟を助けたのが、この「横川僧都」なんだな

まあ、若い頃にはそれなりに源氏物語にハマってた私(国語の先生ですからね!)にとっては、100パーセント空腹状態であっても、せっかくのこの機会立ち寄っておきたかった訳…

 

これが、マップ…広そうだぞ…棒と化した足にはっぱをかけて…(笑)

 

 

 

 

さてさて、この横川エリア、親鸞聖人、道元禅師、日蓮聖人縁の地ということもあって

この比叡山延暦寺のお家芸…

東塔エリアでも…西塔エリアでもみた参道に続く…絵パネルが…

 

 

まずは道元禅師

ご誕生

8歳のときに、深く世の無常を感じるなんて、どげんなっとるの?(突然博多弁!)…どげんなっとるの?(どうげん(道元)なっとるの?)

比叡山での得度

そうそう宗(そう)僧(そう)が渡ったんですね!

キビシイ参禅修行の後、悟りをば

禅の教えの開示

興聖寺の開創

 

永平寺の建立

ついでに私のブログもどーぞ!!

福井県にある曹洞宗大本山永平寺を参拝する…前篇

福井県にある曹洞宗大本山永平寺を参拝する…後篇

木の芽峠の別れ

永平寺に移って10年目にて、体調を崩されたようで

入滅

 

続いては、親鸞聖人

 

親鸞聖人は9歳で出家…道元禅師は8歳だったし、凄すぎる!!

比叡山のこの横川エリアで修行!

京都の六角堂にて百日間の参籠

ここで、今後の歩む道を聖徳太子に尋ねられたとか

 

法然上人と門弟になった親鸞聖人

 

このシーン、五色園でみたことがありますなあ

下は、五色園の写真!!

このシーン、五色園でみたことがありますなあ

 

下は、五色園の写真!!

東国伝道

 

教行信証

そして、お亡くなりに…

 

あ、読者のみなさん、親鸞聖人のテーマパーク、五色園のブログも一緒に…こちらの方が詳しいかも???

ああ、最高に楽しい宗教テーマパーク、五色園…その1

ああ、最高に楽しい宗教テーマパーク、五色園…その2

もう、これだけで、道元禅師、親鸞聖人について、一晩でも熱く語れそう??なのに…

 

さらに、日蓮聖人

 

 

日蓮聖人の得度は11歳!!

定光院を住居にしてたんですね

立教開宗

辻説法では…瓦石が飛んでくるなんて…

龍の口法難

平頼綱により幕府や諸宗を批判したとして佐渡流罪の名目で鎌倉の松葉谷草庵にいた日蓮を捕縛し連行、翌日、日蓮を土牢から引き出し斬首しようとしたが、江ノ島方より光の玉がやってきて、光の衝撃で振り下ろした刀が折れ、首を刎ねることができなかったという

佐渡流罪

国諫

見延山思親閣

日蓮聖人が9年の永きにわたり法華経の読誦と門弟たちの教導に終始した身延山久遠寺… その身延山の山頂にあるのが、奥之院思親閣

61歳にて、ご入滅

 

この絵パネルを眺めつつ参道を歩いていれば

池があって…その池は「龍ヶ池」

そして池の真ん中に橋が架かっていて、そこにある小さな祠は

龍ヶ池弁財天社

「龍ヶ池八大龍王」さまが祀ってあります

 

こんな小さな池ですが、悪さをする大蛇がいたらしく…

 

毒気を吐く大蛇がいて、その大蛇には不思議な力があって大きくなったり小さくなったりすることが自在にできたらしい…元三大師さま(良源)は、それを大蛇に自慢げにみせてもらって、大きくなれば、驚いてみせたり…で、気分がよくなったところで、手のひらくらいに小さくなれるか…と尋ねれば、「もちろん」と大蛇が小さくなったところを、元三大師さまが観音様の念力により封じ込められ、弁天様のお使いとして龍神になり、神通力を善業にむけ、訪れる人の道中安全と心願成就の助けをされているそうな

ちなみに「その手に乗るな」という言葉を日常使いますが、この言葉は元三大師の手のひらに大蛇が乗ったことに由来するとか

 

「龍ヶ池の龍神が現れて 池を清浄に 我を助けよ と述べられた夢告により浚渫工事一式を奉納する」との石碑

夢の中に龍神様があらわれ「池をきれいにして…我を助けよ」と龍神様からお告げがあったようで…

きっと、何度も夢に出てきたのでしょうか…一度だったら忘れてしまうよね…??

「龍ヶ池」を見下ろす高台に建立されているのは

根本如法塔

まあ、行くのに御覧のような石段を上るので、ちょいときついんですが…苦笑

 

根本如法塔は慈覚大師(円仁)が書写した仏教の経典を後世に伝えるために塔中に安置し祈念する塔で、慈覚大師が大病を患い死と向かい合いながら824年~832年間に如法写経をされた所に建てられているとのこと

もともとは、慈覚大師(円仁)が根本杉のほこらの中で始めた法華経書写にちなみ、写経などを納める堂として造られたのが根本如法堂…その根本如法堂の跡に、このような多宝塔の如法塔が建立されています

廻りの木はモミジで秋にくると最高でしょうね…

 

そのモミジに負けずにと??真新しく朱で塗られた小さな祠が石段の途中の脇にありました…

神御社でありました

 

さてさて「龍ヶ池」のそばには、やせすぎやろ!とツッコみたくなる真田幸村がおりまして…

 

根本如法塔の向かい合わせの石段を上るところにみえるのが

横川中堂

懸崖に建つ横川中堂

正式には「首楞厳院」と言い、根本観音堂とも呼ばれているお堂

慈覚大師(円仁)が伝教大師の教えに基づいて848年に創建し

円仁が入唐する際、暴風に遭遇し、あわや大海に没せんとした時、観音力を念ずると観音菩薩が現われ、暴風がおさまったといわれ、帰山後、一堂を建てて観音様を祀ったのが横川中堂の始まりだそうな…

本尊は、円仁作とされる聖観音菩薩
一緒に毘沙門天と不動明王も祀られていました…


円仁は最後の遣唐使の遣いの一人で…この横川中堂は遣唐使船をモデルとした舞台造りになっているとのこと

海に浮かんでいるような感じも…するようなしないような

 

海に浮かんでいるようにみえるかどうかは、読者のみなさんの方で検討し遣唐使)てもらうことにして…笑

 

 

そんな横川中堂の前にも…比叡山延暦寺でよく見かける光景…

そう絵パネルが…

このコーナーでは

恵心僧都(源信)

比叡山横川の恵心院に住して、冒頭に記した源氏物語の「横川僧都」のモデルになった僧ですな…彼によって浄土思想が盛んになり

 

「閻魔大王の裁き」をうけ

悪いことをしてると地獄へ…

私は、温泉に浸ってると、知らず知らずのうちに、ここに行ってることよくあります??

これらの絵パネルのそばには

赤山宮

赤山宮で祀られている新羅明神は中国の赤山に鎮座していた仏教の守護神で慈覚大師(円仁)は勅許を得て唐に留学し、中国の赤山にて新羅明神を学んだそうな…
10年間の厳しい修行を無事終了できたのはこれらの守護神のおかげであるとして、赤山新羅明神を天台仏法守護神として祀っているとのこと

 

 

一念寺跡…この地には横川中堂の政所があり、1907年に高浜虚子はここの政所に籠り、小説『風流懺法』を執筆したそうな…
その小説中の主人公の小僧・一念から「一念寺」と名付けたものの、その後、焼失したかようで…その跡地

さらに…西塔エリアの釈迦堂前でもみつけました…

平和地蔵菩薩様

アントニオ猪木の「1,2,3、ダー!!」の「3」のときのポーズ??ですね??

 

 

さてさて、源氏物語マニア??の私にとって、行ってみたいお堂が、源氏物語の「横川僧都」のモデルになった恵心僧都(源信)がいらした恵心堂でして、そちらに向かって足を進める…

空腹の中、完全なる修行状態であります…

まさに比叡山の苦行…親鸞の…道元の…日蓮の気持ちがちょっとだけわかる??ような気がする…

徒歩とほとほ歩いている途中目に留まったのが

「虚子の塔」

 

高浜虚子が延暦寺に滞在した経験を基に書いた「風流懺法」…この比叡山をこよなく愛した俳聖を称え、昭和28年にこの塔が建立されたとのこと

 

続いては参道の分かれ道…三叉路にある

横川鐘楼…

朱が眩しいほど

江戸時代中期の1687年に造営されたもの

突けるようにも思えましたが、一打〇円とも書かれてなかったので、やめときました…

この横川鐘楼を目印に右に曲がると…

 

秘宝館

伊勢にあった「元祖国際秘宝館」のような類では絶対ないと思われます…

建物は閉鎖…廃墟になってました…

 

 

その手前には

海軍通信学校慰霊碑建立地

 

 

お目にかかったことのない方々ですが…合掌

 

さてさて、徒歩とほとほ歩いて…歩いて…棒と化した足を無理無理動かして…

ついに…ついに…比叡山横川エリアの中では、ここに一番立ち寄りたかった

恵心堂(恵心院)へと

 

 

おお、ここに源氏物語・宇治十帖にでてくる「横川僧都」が住んでいたのか…と妄想が広がる!広がる!!…と言っても、比叡山延暦寺の広さほどには広がりませんが…

 

そんな石碑も…

「源氏物語」の横川僧都遺跡…とありますなあ…

 

 

恵心堂(恵心院)

実際は恵心僧都(源信)の旧跡で、現在は阿弥陀如来が安置され念仏三昧の道場となっているよう…堂内にはこの写真のような阿弥陀如来さまがいらっしゃるのね…

お堂は開扉されていないので…外から眺めるだけですが…

恵心僧都(源信)の「往生要集」の解説板

「宇治十帖」

…もう一度読んでみたくなりました…ここに立ち寄ったその瞬間は確かにそう思ったんだけど…最近、そもそも本を読むという行為すら、憶えがなくて…苦笑

さてさて、ここからは再度歩いてきた参道を引き返して、横川の鐘楼を通り過ぎて、さらにとほとほ徒歩で歩いて

元三大師堂(四季講堂)へと

元三大師堂(四季講堂)は慈恵大師(元三大師)良源の住居跡に建てられたお堂で、、春夏秋冬それぞれの季節に法華経を論議することが始められて以来、「四季講堂」と呼ばれるようになり

ご本尊は当初、弥勒菩薩像を安置していましたが…

現在は慈恵大師(元三大師)の画像が祀られるようになり

「元三大師堂」や「横川の大師さん」などと呼ばれるようになっているとのこと…

元三大師堂の前にある石碑

碑に記載されている絵は「角大師」…夜叉の形相をかたどり、2本の角が生えている…

この「角大師」とは「慈恵大師」でもあり「元三大師(良源)」のことでもあり…

良源は1月3日、元旦三日に亡くなったことから、「元三大師」と呼ばれているようで…

さてこの良源こと、「元三大師」がなぜ、「角大師」と呼ばれているかというと…良源は、全国に疫病が流行したとき、疫病神からこの難儀を救うため、
禅定(坐禅)に入り念ずると、だんだんと骨と皮だけの鬼(夜叉)のような姿になってしまったそうな

良源が解脱の修行をしているとき、求道者を嫉んだ悪鬼が、妖術を仕掛け修業を妨害したものの、断食修業を続けていくうちに、やせ衰え、骨と皮だけになり、自ら鬼の姿に化し悪鬼を払いのけたとか…

良源は、弟子達にその姿を写しとらせ、病魔を退散させることを願って、家々の戸口に貼るよう命じたそうな…
後に、このお札が貼ってあった家は、一切の厄難から逃れたとの謂れがありそれ以後は、「角大師」の御札は魔除けとして、門口にはられたりしているそうな…

「角大師」…新型コロナウイルス感染症退散にぴったりの、まるでワクチン以上の存在感のある仏様じゃないか!!…ここは念入りに…念入りに…お賽銭を奮発して…「元三大師堂」で合掌しなくちゃ!!

「元三大師堂」の山門をくぐる…

 

 

まずは、手水舎で…手を浄めなくちゃ!!それ以上に、ひょっとしたら手に新型コロナウイルスがへばりついてたら、大変ですからね…

 

水がヒヤッとしてて、心まで浄められるような気が勝手にしちゃいます…

 

 

もう…消えかかっていますが、この絵は「元三大師(良源)」で間違いんしでしょう…

 

 

正面の元三大師堂を囲むように、旧恵雲院と鶏足院灌室は、向かい合っていて…「向い堂」とも呼ばれているらしい…

  

 

ではでは、正面の「元三大師堂」にいらっしゃる「角大師」さまにむかって合掌!!

 

 

新型コロナウイルス退散を願って…新型コロナウイルス退散を願って…新型コロナウイルス退散を願って…新型コロナウイルス退散を願って…新型コロナウイルス退散を願って…新型コロナウイルス退散を願って…新型コロナウイルス退散を願って…

感染者の量が減少しますように…(量が減で…りょうげん(良源)

医療が元気になりますように(療が元で…りょうげん(良源)

 

さてさて、中2国語の教科書にも載っている兼好法師の「徒然草」…

横川で出家した兼好法師は、元三大師堂(四季講堂)にも縁があって、元三大師堂の随筆を吉田兼好が「徒然草」に書いたということを標す案内看板も…

第238段(原文)

人あまた伴ひて、三塔巡礼の事侍りしに、横川の常行堂の中、竜華院と書ける、古き額あり。『佐理・行成の間疑ひありて、未だ決せずと申し伝へたり』と、堂僧ことことしく申し侍りしを、『行成ならば、裏書あるべきし。佐理ならば、裏書あるべからず』と言ひたりしに、裏は塵積り、虫の巣にていぶせげなるを、よく掃き拭ひて、各々見侍りしに、行成位署・名字・年号、さだかに見え侍りしかば、人皆興に入る。

(訳すと…)

大勢で比叡山の三塔を巡礼した。横川にある常行堂の中に『滝華院』と書かれた古い額がある。『この額の作者は、佐理であるか行成であるか、今では分からないと言い伝えらえています』などと、案内の僧がもったいつけていうので、『行成なら裏書きがあるはず。佐理なら裏書きがあるはずない』と言ったら、額の裏は塵がつもり、虫の巣で良く分からなくなっている。その汚れを払って拭いて見ると、行成の位署や名字、年号まではっきりした裏書きが見えて、みんなに感心された。

…そんなに面白い段ではないけど…苦笑

ここに時空を越えれば兼好法師がいたんだと…思うと…なんかテンションがあがってくるような…

私は…血液ドロドロで…兼好法師…ならぬ「けんこうほうき(健康放棄)」みたいになってますけど

 

元三大師堂は、おみくじの発祥の地としても知られているんだな…


現在のおみくじの形は、元三大師が考え出したものとされ、観音菩薩から授かった言葉が原点なんだとか…

でも「元三大師堂」のおみくじは、自身で引くのではなく、事前予約制…さらに当日、悩み事を紙に記し、僧呂と面談…読経の後、僧侶によっておみくじが引かれ、それが読み解かれるというものらしい…

 ちょっと、悩み相談、人生相談に似ている感じかな…

もちろん、マメな性格ではない私…おみくじの事前予約してませんし、お堂の中で、そういった仕組みを知らせる案内表示から理解しただけのことだけど…

そんな「おみくじ発祥の地」の石碑…

中尾吸江さんの句碑

「霧がくれ杉かくれゆく比叡の僧」

 

さてさて「元三大師堂」のそばには

道元禅師得度霊跡の石碑が…

覗くと…どんどんどんどん石段を下りていく感じ…石段を下りるということは、帰り道は登るということで…足が完全に棒となっているので、悩みましたが…せっかくのこの機会…手を合わせに、行こう(降りていこう)じゃないか!!…行きはよいよい帰りはコワイ…ことは目に見えますが…

木々が茂っている中、ひたすら石段をくだる

 

獨股水…昔は、ここを手水舎代わりに使っていたのでしょうか

 

ここは慈恵大師(良源)の本坊であった寂静坊の跡地…そこは曹洞宗を伝えた道元禅師の得度の地でもあるようです…

 

そもそも、横川エリアは東塔エリアに比べて、参拝客が少ないのだけど、ここは、他に誰もいません!!

承陽大師得度霊蹟の石碑

承陽大師とは、道元のこと

承陽大師之塔

大圓鏡

得度霊蹟の由来が刻まれた石碑

いつ建てられた看板かわからないけど、この看板の汚れ具合…「道元さまご生誕800年」から数年は経っているように思われる

 その後は…ひぃひぃふぅふう…膝が大爆笑して???静寂のこのワビサビの感じられる空間なのに…膝が笑って、やかましい???

そう、先ほど降りてきた石段をひたすら登る……ひぃひぃふぅふう…

なんとか…「元三大師堂」前まで、登り切りまして

さらに先へと足を進める…

 

箸塚弁財天 

池は見当たらないけど…それどころか手水舎も枯れちゃっているけど…ここに弁財天さまがいらっしゃるようで

 

元三大師が最澄にならって千人の僧を招いて食を供し法会を営む「千僧供養」を行い、その際に使った箸を埋めて弁財天を祀ったのが始まりだそう

さらに森の小径を歩くと

比叡山行院

修行道場なので立入禁止

小径を挟んでそのほぼ反対側には

甘露山王社

 

 

 

祠は新しく…最近建て替えられたよう…

 

さてさて、森の小径をぐんぐん進むとこのお地蔵様が濃厚接触してる祠のある三叉路に出くわす

 

 

左に行けば…元三大師御廟を通って、駐車場の方面に…右に行けば…

定光院へと…それは往復して戻ってこないといけないけれど

 

 

でも定光院…ちょっと気になっていたのよ!!

横川の駐車場から横川中堂に行く途中にも、こんな案内看板があったし…

 

 

地図アプリ見たら、そんなに遠くはなさそう…

この徒歩約15分と書かれた看板のところから、間違いなく10分以上は歩いているはずだし…あと3分くらいで着くだろうと…そう思って…

定光院の方へ足を進めることに…

そのときには、気づかなかったけど…

比叡山での最後の最後の…修行???が待ち構えていました…

続く…

 


比叡山延暦寺…西塔地域の参拝記…(迷った!迷った!瑠璃堂!)

2022-12-25 05:58:38 | 歴史史跡

比叡山延暦寺参拝

とにかくひろい!ひろい!!伝導大師のみこころほど広い…比叡山延暦寺

比叡山頂から東側斜面にかけて、三塔十六谷三千坊と言われるほどの大寺でして

三塔とは「東塔(とうどう)」、「西塔(さいとう)」、「横川(よかわ)」の各エリアのこと

 

この山全体をすべて火攻めにしたなんて、織田信長もさぞ大変だった??だろうな…と思いながら???東塔エリアを一通り廻ったところで

 

東塔エリアは「現在」を体現、それに対して「過去」を体現している西塔エリアへと…

 

西塔拝観入口にある

五重照隅塔

「一隅」じゃなくて「五重」の「隅」を照らす??…そうとう明るいなってことじゃなくて「みなさん個々が、思いやりの心を持って一隅を照らす人になる」との願いが込められているそうな

その横には

傳教大師御遺戒「我が師を述べよ」と刻まれた石碑

そして

「弁慶の飛び六法 勧進帳を観て」なる草野天平さんの詩碑

作者の草野天平は、詩人草野心平の弟、比叡山に篭って詩作していたそうな

参道左には「聖光院跡 親鸞聖人住持の寺」なる石碑

9歳で出家した親鸞は、ここ聖光院に住して修行に励んでいたようで

その横には「箕淵弁財天」…もう鳥居からして歴史を感じさせてくれます…

さてさて西塔エリアのマップを眺めていると

東塔エリアには、東塔があったのに…西塔エリアには「西塔」なる建造物はないんですね…

 

 

まずは…浄土院へと向かってみることに…

まあ、こんな杉並木の間をとほとほ徒歩で歩いていくわけですけど…東塔エリアに比べれば、ほとんど人が歩いていないというか…

おかげで静寂の中での小鳥や虫のさえずりが心地よい…直射日光もあたらず…歩きやすくて…

 

でも…思いの外、歩く!歩く!!ひぃひぃふぅふぅ…

ようやく到着…ついた!ついた!!浄土院

もう私にとっては歩くことが修行のように思えてくる

さて浄土院は

伝教大師最澄上人の御廟所

庭がきれいに整えられていて、ワビサビを感じますなあ

裏口から入るようになってますが…

 

こちらが、本来の山門

 

 

 

 

弟子の慈覚大師円仁が中国の五合山竹林院を模して建立した比叡山中で最も清浄な聖域…最澄さまが眠ってるんですね…合掌!!

 

 

中は立ち入り禁止どころか…立入厳禁でした…

 

 

この先にあるのが山王院堂

地図アプリでググってみたら、そんなに遠い感じがしなかったので、向かってみたけど…ただし、地図アプリではわからない…強烈な石段が待ち受けていました…ひぃひぃふぅふぅ…

 

山王院堂は天台宗第六祖・智証大師圓珍の住房で小さなお堂

 

 

天台宗の紛争(圓珍派と圓仁派)が起きた際に、圓珍派がここから圓珍の木像を背負って大津三井寺(園城寺)に移住したという歴史的に重要なお堂だそうな

 

千手観音を祀ってあって、弁慶がここに千日間こもったことがあったそうな

山王院堂の手前には、祠が一つ

 

さてさて、その後は歩いてきた長ーい道のりをひたすら戻って…徒歩とほとほ歩いて

西塔拝観入口のところまで戻る…

 

そのそばにあるのが

椿堂…

聖徳太子が比叡山に登ったとき、椿の枝を伽藍のそばに立てて置いたところ、それが根付き繁ったとか…

ご本尊は、千手観音菩薩…お堂は固く閉ざされていました…

椿堂の鐘楼

そして、浄土院(伝教大師御廟)から釈迦堂へ向う途中、西塔拝観入口の近くにあるのが

 

親鸞聖人ご修行の地

ここで20年間、ご修行なさったんですね…しんらんかった…もとい…知らんかった…

 

 

その横には、真盛上人修学の地…の石碑が

ここは、西塔南谷南上坊(後の真蔵院)跡地…伊勢で御生誕の真盛上人は、7歳、川口光明寺盛源律師に師事、14歳光明寺で剃髪出家得度、真盛と号され、16歳、尾張密蔵院に遊学、19歳、比叡山西塔南谷南上坊慶秀和尚の室に入られ、山を出ず、爾来の20年間ここで修業されていたそうな…

ググるまでしんらんかった…もとい…知らんかった…あ、しんらん(親鸞)聖人じゃなくて、真盛上人でしたね…

親鸞聖人の旧跡を示す石碑がわかりづらいほど、織田信長が侵略??しています…ここも火攻めを行ったんでしょう…

 

「弁慶のにない堂」

写真左が常行堂、右が法華堂…

阿弥陀如来を本尊とする常行堂と、普賢菩薩を本尊とする法華堂…同じ型の宝形造のお堂が並んで渡り廊下で繋がっていまして…

弁慶が渡り廊下の真ん中で二つのお堂を持ち上げたということから二つのお堂を合わせて「弁慶のにない堂」と言われている

常行堂

法華堂

そして、それをつなぐ渡り廊下を見上げて

弁慶がこの廊下に肩を入れて担いだそうで

法華と念仏が一体である事を示し、比叡山では「朝題目・夕念仏」といって両堂それぞれ法華三昧、常光三昧の修業の道場であるとのこと…

常行堂は、常に歩きながら念仏を唱える修業をするお堂、中央に位置する阿弥陀仏の周りを90日間お堂にこもり「南無阿弥陀仏」を唱えながら日夜歩き回って修業をするそうな…

さてさて弁慶が担いだ階段の下をくぐると、下りの石段が…正面には、釈迦堂がみえます…

その途中、石段の途中、右側には

「延暦寺学問所 止観道場 西塔政所」

延暦寺では、座ることを坐禅止観といって、最も大切な修行のひとつのよう…

 

そして、左側には

円戒国師寿塔

円戒国師寿塔とは、生前あらかじめ造ったお墓で
この塔は、円戒国師、真盛上人が、最初建立されたそうな…
真盛上人は、西塔南上坊で20年間修学されていたが、
十年間におよぶ応仁の乱でおきた世の惨状を見るに忍びず、遂に意を決し、社会浄化に身を挺するために、三千宗徒との交わりを辞し、
黒谷青龍寺へ隠居されるが、その直前に建てられた決死の覚悟の表明であるとのこと…この塔も一度織田信長による「焼き討ち」で破壊されてしまったとのことでした

その奥には恵亮堂

恵亮堂は恵亮和尚をご本尊として祀ってあるとか

 

ここには中西悟空さんの歌碑がありました…

「日本野鳥の会」を創設した方なんですね…子供の頃、年に1回、大晦日のNHK紅白歌合戦で耳にしてた「日本野鳥の会」

最近も、「日本野鳥の会」の方が紅白の札の数を数えているんでしょうか…こんなハイテクな世の中になってますけど…最近は…というより…ずーと、NHK紅白歌合戦をみてないから、どーなのか知らんけど…双眼鏡をのぞきながら、カチカチとカウントするあの姿…

で、ググってみたら実際に「日本野鳥の会」の方がが紅白でカウントをしたのは1985年から1992年の6回のみなんだって…

でも、今も数えてる???のは、「日本野鳥の会」ではなく「麻布大学野鳥研究部」なんだって…

いやあ、知らなかった…これを知っただけでも、比叡山にきてよかった??

釈迦堂(転法輪堂)

 

その手前にある手水舎

爆笑しているかのようにみえた手水舎の龍

そして釈迦堂の前にある

お釈迦様の石仏

 

 

そのそばには

平和地蔵菩薩様もいらっしゃいました…

ピースサインがいいですね!!

あ、ピースじゃなくて

アントニオ猪木の「1,2,3、ダー!!」の「3」のときだった…???

釈迦堂の向かって左側…高台のところに

鐘楼がありました

 

鐘楼のある高台から釈迦堂を見下ろす…

 

さて、釈迦堂(転法輪堂)

伝教大師ご自作の釈迦如来を奉っているお堂でして…織田信長による「焼き討ち」の後、豊臣秀吉が三井寺の金堂を移築したもの…南北朝時代の1347年の建立で、延暦寺山内に現存する最古の木造建築…とのこと

西塔エリアの中心となる本堂にあたります…

 

堂内ではお坊さんが丁寧に…釈迦堂に…西塔エリアのお堂にまつわる話を丁寧にしてくださいました…

その話の中で、織田信長の「焼き討ち」で唯一残ったお堂が、この西塔エリアにある「瑠璃堂」であることを知りました…

「瑠璃堂」…西塔エリアの端の方だけど…行ってみなくては!!

 

釈迦堂の向かって左側奥の小径をいくよう…

 

そこには、比叡山延暦寺お得意の…??東塔エリアには、たくさんあった…延暦寺にまつわる「絵パネル」が…(笑)

釈迦堂の手前だけに

お釈迦様にまつわるエピソードが

栄華な生活に、気持ちが沈むなんて…???

で、出家…

私は、釈迦には絶対なれません!!先ほどの栄華な生活の方がウンと…ウンと…汗

私は、釈迦には絶対なれません!!きっと、こんなふうに女性がいいよってきたら…騙されちゃうはずです…

 

でも釈迦さまは女にそそのかされることなく…

 

…とこの絵パネルに挟まれて唐突に

「法然上人ご修行地青龍寺」との石標と仏塔が…

 

で、まだまだ絵パネルは続きます

…と思ったら、ここからは法然上人の絵パネルに替わるんですけど

お釈迦様の絵パネルと違って、そうとう傷んでる…

比叡山に出家したんですね!

文字が消えかかっている絵パネル

文字どころか絵も消えかかっている

大衆救済のみならず…この絵パネルも救済しておくれよ??

ここに九条武子さんの歌碑があるそうな…どこにあったのか、みつけられなかったけど…

 

ではでは、さっそく唯一、焼けずに残ったお堂、瑠璃堂へと…

まあ、強力な味方、グーグルマップがあるけど、一応このマップで瑠璃堂の位置を確認して…

一度、奥比叡ドライブウェイを跨ぐのね…なんて、おおよその位置を確認して出発!!

 

と、森の小径を瑠璃堂に向かってとほとほ徒歩で歩いている途中に

この無造作に横たわった看板発見

 

石仏好きな私はつい立ち寄りたくなる…

「ミロクの石仏」…なぜカタカナ表記なの??というツッコミは置いといて、森の小径を外れると…ありました!ありました!!

弥勒石仏???

あれ、ググってWEBでみたような弥勒菩薩じゃないぞ

…となれば…この森の中

「一隅を照らす森」の中をあっちウロウロ…こっちウロウロ

先にみつかったのが

相輪橖 

釈迦堂の左奥の森の中にて発見!!

相輪橖とは仏塔の一種で五重塔や三重塔、多宝塔の上部にある相輪と四方の支柱によって構成されたもの

仏塔の原形のようなものでしょうか…

 

さらには、弥勒菩薩を探しているのに

 

この、「右、弁才天」との道標が…

あれれれ??弥勒菩薩を探しにきたのに??弁才天を探し求めて…

おお、ありました!ありました!!小さな祠が…

これを進むとすぐ奥比叡ドライブウェイにでます…これは、瑠璃堂へ行くには近道かも…と思ったことが…不幸を招いた???のですが、そのことは後にして、もう一度、相輪橖のあった方に引き返して

あっちウロウロ、こっちウロウロ

 

私、このブログの愛読者ならお分かりのとおり仏像好きじゃないですか…だから、きっと、仏像が引き寄せてくれるように思うんですよね…

相輪橖のあった場所から、弁財天を示すような道標なんてなんにもないのに…引き寄せられるように、やや森の小径が草木で茂って、通りにくくなっているところで…みつけました!みつけました!!

 

弥勒菩薩さま

 

 

 

「香炉岡弥勒石仏」香炉岡というのは西塔の「釈迦堂」の裏手のこの丘のことをいうそうで…

大きく損傷しているのは、織田信長による「焼き討ち」の際に受けたものだとか…

観光客も現れない山中に、ひっそりと佇む石仏…

いやあ、思わず手を合わせたくなる…合掌!!

澱んだ心が、ちょいと澄んだような…???

 

おっと、この「ミロク菩薩」をみるために、ずいぶん森の中をあっちウロウロ、こっちウロウロしちゃったけど、その後は、弁財天経由、奥比叡ドライブウェイの道にでて、グーグルマップで瑠璃堂をぐぐってみると…おお、近いぞ!近いぞ!!徒歩2分との表示…道路を横切って

おお、この辺は「比叡の弁慶」なのね!…確かに「にない堂」の近くだ…と…

そんな道路案内看板を眺めつつ

 

 

再度小径があったので、それを進むと、あれれれ、瑠璃堂から、どんどん離れていっているような…

慌てて引き返し、グーグルマップをみつめれば…近くにあるのに…道がない!!!…要は崖の真下に瑠璃堂があるようで…

行くには、ぐるっと廻らなければいけないみたい…

要はグーグルマップを手にしながら、道に迷ってしまったんだな…

 

もう歩きすぎて、足は完全に棒になってるけど、引き返すしか方法がない…

 

もう一度、奥比叡ドライブウェイを横切って弁財天の横をとおって相輪橖の前を通って

この看板が放置されてた森の小径に戻って…

 

気が付けば、ここで1時間以上、あっちウロウロこっちウロウロしていたことに…この時点で歩数1万三千歩…足が棒に化する中でも

やはり瑠璃堂はみておきたいと…

 

今度は大丈夫…ググったら「瑠璃堂への行き方」を丁寧に写真とともに示すWEBページをみつけました…

そこには、「間違えて森の中にいかないように」と記されていました…はい、そのWEBページに気づくのが、私、遅すぎました…汗

このWEBページ…大変お世話になりました!!

やみくもに勘で歩く…大変さを…あたらめて体感しました…私、そもそも方向音痴でした…汗

瑠璃堂へのアクセス|ブログ|奥比叡ドライブウェイ (hieizan.co.jp)

あらためて…ググることの大切さを知りました…(笑)

 

瑠璃堂…けっこう歩きました!歩きました!!ひぃひぃふぅふぅ…私が織田信長であっても、こんなに離れたお堂、わざわざ焼きに行かなかったと思います…

織田信長の気持ちが分かるような???

 

さてさて奥比叡ドライブウェイとの分岐から、500メートルは歩いたでしょうか…

 

おお、これぞ、松田聖子さんが広瀬すずさんが歌った

「瑠璃堂の地球」???

 

こと…瑠璃堂

 

 

 

ご本尊は「薬師瑠璃光如来像」

2020年は開扉されたらしい…

これが正面かな…

 

 

めちゃめちゃ歩いて…歩いて…織田信長に瑠璃堂が焼かれなかった分??

替わりに、私が焼かれちゃいました!!焼かれちゃいました!!

織田信長のような…強烈な日差しにね!!…

 


比叡山延暦寺…東塔地域にある…国宝殿…国宝殿特別展「戦国と比叡 ~信長の焼き討ちから比叡復興へ~」

2022-12-24 06:17:16 | 博物館・美術館

比叡山延暦寺の東塔エリアにある

国宝殿に行く!!

訪ねた2021年秋のこの時期は

「法華総持院東塔」と「戒壇院」の特別拝観が行われていまして、その特別拝観券別途500円を購入すれば、この国宝殿にも入れるようになってまして

 

国宝殿では

2021年が元亀の法難(比叡山の焼き討ち)から450年の節目の年にあたるということで

比叡山延暦寺秋季特別催事

国宝殿特別展「戦国と比叡 ~信長の焼き討ちから比叡復興へ~」

が開催されてました…

 

1571年比叡山と対立した織田信長は山上の堂塔伽藍や坂本里坊や日吉社を悉く焼き払い、僧俗問わず多くの人々が犠牲になった「比叡山延暦寺焼き討ち」その後、1584年に山門再興の許可が下され、観音寺詮舜・施薬院全宗らによって復興事業が進められ、1642年、徳川家光の時に、天海大僧正の尽力のもと現在の根本中堂が再建された…

その戦国時代から江戸の山門復興に関わる資料及び文化財が65点、展示されていました…

 

展示構成は
第一章 戦乱期の比叡
・戦国武将と比叡山の関わり(織田信長・明智光秀・浅井長政)
第二章 比叡山復興へ
・豊臣秀吉による比叡山復興の認可
・観音寺詮舜・施薬院全宗らによる復興事業
第三章 徳川幕府と天海
・根本中堂をはじめ諸堂の再建、天海・家康に関わる文化財

これらは、すべて写真撮影禁止…

展示の目玉は、天海大僧正所用といわれている甲冑…

初公開だそうな…

兜に施されている装飾は、龍かなと思っていたら…「麒麟」でした…

某TV番組で天海大僧正のことについて「天海大僧正=明智光秀」説??が紹介されてたけど

まさに2020年NHK大河「麒麟がくる」…もう私の中では、この天海大僧正の甲冑を「生」でみたことで、100パーセント「天海大僧正=明智光秀」に思えてきて

織田信長による比叡山延暦寺の焼き討ちを主導したのは明智光秀という説が有力ですが、その一方で焼けてしまった比叡山の麓、坂本里坊を復興させたのも明智光秀…

そのため坂本の地では名君とされて慕われている明智光秀…

明智光秀を慕う坂本の村人たちが明智光秀を匿って、その後比叡山にて天海大僧正になったに違いない??

天海大僧正所用といわれている甲冑をみて、天海大僧正は明智光秀だったんだと、決定的な根拠はなくても、そう思えちゃいました…

ただ、天海大僧正所用といわれている甲冑をみただけなのに…なんて単純な…苦笑

 

さてさて、比叡山延暦寺のお堂の印象が東照宮ぽいというか…なんか家光の影響を凄く受けているような…煌びやかな印象なんですが…

織田信長焼き討ち以前の伽藍はどうだったんでしょうね…徳川幕府が復興したから、焼けちゃう前の伽藍なんか意識せずに、復興しちゃっただろうし…

そんなことを思いながら、眺めた何点か並べられて展示してあった焼け焦げた、もはや炭とも思える仏像は、インパクトがありました…こんなふうに僧俗問わず多くの人々が焼かれてしまったんでしょうね…

 

思わず…エントランスに展示されている

平安時代にできたと伝わる1571年織田信長による比叡山焼き討ちの際に舟にのせて助け出されたという伝承をもつ

横川霊山院伝来の釈迦如来坐像に合掌

水難除けの仏様として信仰されている仏さまで、噂では、織田信長の焼き討ちの際、湖に投げ出され、自ら岸辺まで泳いだとか???

いやあ、ありえない!!なんてことはない…なんせ仏様ですからね…

 

さてさて比叡山延暦寺秋季特別催事国宝殿特別展「戦国と比叡 ~信長の焼き討ちから比叡復興へ~」の展示品とは関連のない…

伝教大師千二百年大遠忌記念企画展「伝教大師 最澄のみこころ―みんなが幸せにー」の展示…主にパネル展示が中心でしたが…

撮影可能でしたので……

平ぺったい最澄さん…

「いっしょに写真をとってね」とのことですが、立ち並ぶスペースがありませんでした…(笑)

立って一緒にとれるスペース確保の「おもいやり」が欲しかったかも???

 

 

さてさて、ここでは伝教大師の生涯を知ることができます…大講堂へ向かう参道のパネルでも生涯を知ることができるので、ここでは復習の意味もこめて…

これからのパネルを眺めれば、熱く30分ほどは最澄(伝導大師)について語れるに違いない…

なんなら最澄(伝導大師)について語る最澄時間…もとい…最長(さいちょう)時間に挑戦してみてくださいな…

まずは伝導大師の理念

 

12歳で仏門に入り14歳で得度、名を「最澄」に

 

比叡山にこもる

「世間から離れ自分自身をみつめよう」…これ大事かも知れないなあ…私なんか、俗世間に揉まれちゃてますからね…

修行の決意

「私はおろかな人間である」ことは間違いないけど、私が修行しに比叡山に行ったら、きっと永遠に山を降りられないような…だって、心が澱んじゃってますからね…

 

法華経…お釈迦様の教え

一乗止観院(現在の根本中堂)を建立

この時灯明(不滅の法灯)を供えたんですね

経蔵を建立

桓武天皇の信頼を得たんですね…裏切ったら…おかんむり(お桓武り)…なんてね!

 

唐の天台山へ

そして天台宗開宗(かいしゅう)へと…今、根本中堂は改修(かいしゅう)…私のところは、火、金曜日が、ゴミかいしゅう(回収)日ですけどね…なんのこっちゃ!

 

六所宝塔の建立へと

 

大乗仏教と小乗仏教との論争

要望は聞き入られず

養成方法を定める「山家学生式」の制定

 

12年間、山(ヤマ)を降りずに、学問と修行

そう思うと、私の職場の机上のヤマなど、なんてことないかも

 

56歳で、ご入滅

お亡くなりになった後、戒壇院が建立されたり、延暦寺という寺号を授かったり、伝導大師の号を授かったり

「日本仏教の母なる山」として各宗が開祖していったとのこと

 

そんな仏様の教えもパネル展示されてまして

 

仏様の心ってなあに…の問いかけに

 

この下のパネルで気に留めたことは一つ

パネル右下の赤い服着た女の子

「でも苦しいことがいっぱいある」って言ってるけど、若すぎるやろー!!

 

「誰かの役に立つことをすればいいのですよ」

の下に描かれている「仏様」の絵をみて

まずは「コックリ」♪??…ウトウト昼寝かよー!!と読み間違えてしまった私…

もう目が眼に眼が伴い…勤労感謝の日…ならぬ…「近老眼者」の日になってますからね…

 

ラストのパネルは

「一隅を照らす」

 

そんな伝教大師からのお言葉

「一隅を照らす、これ即ち国宝なり」

「それぞれの立場で精一杯努力する人はみんな、何者にも代えがたい大事な国の宝だ」という意味…

はい、今の立場でも、腐らずに…言葉が滲みますなあ…

 

「己を忘れて 他を利するは 慈悲の極みなり」 

自分のことはさることながら、他の人のために尽くすことが最高の慈悲である…う~ん、言葉が痛く沁みますなあ…

 

「道心の中に衣食あり. 衣食の中に道心なし」

道を求めて努力を重ねる向上心があれば、その目的を達成するのに必要な衣食住は、十分とはいえないまでも、おのずとついてくる、お金のことやら衣食のこと、物質の充足のことを中心に考えているところには、道心というものは全くないと同時に仏法もありません…という意…

欲で澱んだ私の心には痛いほどありがたいお言葉…

いやあ、比叡山延暦寺にきてよかった…

「参拝」よりも「散財」やがな!と思った煩悩だらけの想いを心から反省しつつ仏様の絵を眺める…

仏様シリーズ…薬師如来さま

観世音菩薩さま

常不軽菩薩は、人に嘲られ石を投げられて迫害を受けながらも人々を礼拝し続けた菩薩

宮沢賢治の「雨ニモマケズ」…この詩が書かれた手帳の数十ページ後には、「不軽菩薩」の詩が記されていて…この菩薩は法華経に登場し、法華経を厚く信仰する賢治にとって特別な存在だったようで

説法図

 

 

そして最澄こと伝教大師

 

そして、仏様大集合の図

 

そんな展示画やパネルに囲まれて

 

もう、この展示室がパワースポットであるかのよう…

 

 

さてさて最後に紹介するのは

比叡山に住んでいた鬼「酒呑童子」

「童子」というからには子供の鬼???子供のくせして酒呑はあかんやろ!!というツッコミはともかくとして

 

この鬼も、ひょっとしたら1571年におこった織田信長の「比叡山焼き討ち」で…焼けてしまったのでしょうか…

この鬼にとって、火攻めを行った織田信長こそが、「鬼」にみえたに違いない???

おそらく「酒呑童子」にとっては織田信長というよりも、「おに信長」だったに違いない…

 

「酒呑童子」と「おに信長」…鬼はどっちだ???

「酒呑童子」のいたずらに…「おに信長」の火攻めに

「ひえー!!」と逃げ回ったから「ひえー山延暦寺」???

 

さてさて、

国宝殿をでて「ひえー山延暦寺」の東塔地域をぐるっと廻っただけ…この時点で、そこそこ足が棒になってるんですが…

西塔地域と…横川地域が残っているので、まだ3分の1

この山全体をすべて火攻めにしたなんて、織田信長もさぞ大変だった??だろうな…と心底思いながら???

西塔地域へと…続く

 

 


比叡山延暦寺…東塔地域の参拝記…その2

2022-12-23 06:37:10 | 歴史史跡

比叡山延暦寺、東塔エリアの参拝記…

前回でも、さまざまなお堂をめぐってめぐって、やや足が棒になりつつあるけど…

東塔エリアなのに…まだ肝心の東塔(法華総持院東塔)を参拝していないじゃないか…ってことで…東塔(法華総持院東塔)へ向かって歩く…

 

その途中には、ここ比叡山延暦寺でよくみられる光景…

図パネルによる展示…

これによって、比叡山延暦寺に関することが…実によく理解できちゃう(…ような気にさせられる)そんなパネルが参道途中に並べられていまして

比叡山が京都の北東の方角にあり京都建都の鬼門に当り、いわゆる鬼門よけに延暦寺が建てられたという話

 

法華総持院東塔は1200年経った昭和62年に再建されたんですね

 

 

伝教大師と「一隅を照らす運動」

一隅とは、今、あなたがいる、その場所のこと…あなたが、あなたの置かれている場所や立場で、ベストを尽くして照らしてください…あなたが光れば、あなたのお隣も光ります…町や社会が光ります…小さな光が集まって、日本を、世界を、やがて地球を照らします…
あなたの一隅から世界を照らしましょう!一人ひとりが輝きあい、手をつなぐことができれば、みんなが幸せになり、すばらしい世界が生まれます…

まあ、不遇と思っても、腐らず頑張りましょう!!ってな感じですな…

私、腐りかけていました…苦笑

比叡山延暦寺に参拝しにきてよかったです…

 

六所の宝塔がデフォルメされて描かれている図…もう比叡山にある宝塔は日本海にも面しているじゃないか!!

 

鎌倉古地図による東塔

図も古地図っぽく描かれてますな…

 

と…そこに現れる恐怖の怪談…じゃなかった…恐怖の階段(石段)

足が棒になりつつある中で、この石段はキツイ!キツイ!!

ひぃひぃふぅふぅ…

 

登りきった目の前には

阿弥陀堂

 

ご本尊は阿弥陀堂だけに…当然阿弥陀如来さま…檀信徒の先祖回向の道場…延暦寺開創1150年を記念して、昭和12年に建立されたものらしい…

 

このそばには

ここを綴った

吉井勇さんの「京都歳時記」の案内看板と…その石碑

そして、鐘楼…

鐘楼の前に地蔵菩薩様

さてさて、この阿弥陀堂の隣に…

とうどう…もとい…とうとう…参拝しにくることができました…

法華総持院東塔(とうどう)

 

伝教大師(最澄)は日本全国6カ所の聖地に宝塔を建立したが、それを総括するのがこの東塔でして…先程の図では、日本海に面するくらい巨大に描かれていたもの…

なんと、普段は非公開らしんだけど、この時期、期間限定で特別拝観券を買えば内部がみれちゃうという!!

 

私、「特別」とか「期間限定」という言葉に弱いのよ!!

「参拝」は「散財」なのね!と思いつつ…当然購入して…

私、「特別」とか「期間限定」という言葉に弱いのよ!!

ついでに、「特別」だからと御朱印も千円払っていただいて

宝塔内部へと…宝塔内部では、大日如来をはじめとする五智如来が安置され、廻りには実に美しい壁画が…異国情緒たっぷりで…

そうそう、この比叡山延暦寺に入るときには、検温もなかったのに…この法華総持院東塔においては、手指消毒のみならず…検温も行っていました…

大日如来さまに新型コロナウイルス感染症をうつしたら大変ですからね???

法華総持院東塔入り口…

 

塔内は写真撮影禁止

「特別」なので、ここにも、簡単に立ち寄ることはできないかなと思って…法華総持院東塔、そして阿弥陀堂をバックに1枚…

 

はい左側には法華総持院東塔、そして右側には阿弥陀堂

 

 

続いて立ち寄ったのが

戒壇院

 

僧侶が大乗戒を受ける重要なお堂

 

長輿義郎さんの戯曲「最澄と空海」での舞台となった場所のようで…

ここも

特別拝観…まあ、先ほど購入した「特別拝観券」で入れるのですが…

827年の創建以来初めて戒壇院が公開…初めて、延暦寺にきたのに…天台宗の僧侶でも一度しか入れない場所なのに「ラッキー」すぎます!!

最初の堂は827年に建立され、法然や親鸞、道元など鎌倉新仏教の開祖がこの地で受戒…しかし、1517年に織田信長の焼き打ちによって焼失…1678年に現在の堂が再建されたとのこと…

そうそう、ほんの10分前…法華総持院東塔に入るとき検温したのに…ここでも検温を行っていました…

戒壇院の鐘楼…

 

こちらが

戒壇院

 

廻ったところが入り口です…

薄暗い中…内陣中央に釈迦如来、両脇侍に文殊菩薩と弥勒菩薩がお祀りされていました…

 

記念に私も…

戒壇院で…階段イン(かいだんいん)

 

お後がよろしいようで…???

比叡山延暦寺参拝記はまだまだ続くよ!


比叡山延暦寺…東塔地域の参拝記…その1

2022-12-22 05:55:15 | 歴史史跡

京都市と滋賀県大津市にまたがる、標高848mの比叡山全域を境内とする天台宗の総本山の寺院

比叡山延暦寺

を参拝する…

 

比叡山延暦寺については、788年に最澄が薬師如来を本尊とする一乗止観院という草庵を建てたのが始まり

この寺は比叡山寺とも呼ばれ、年号をとった「延暦寺」という寺号が許されるのは、最澄の没後、823年になってからのこと

日本天台宗の基礎を築いた円仁、円珍、浄土宗の開祖法然、浄土真宗の開祖親鸞、曹洞宗の開祖道元、日蓮宗の開祖日蓮など、新仏教の開祖や、著名な僧の多くが若い日に比叡山で修行していることから、「日本仏教の母山」とも称されている比叡山延暦寺

私が、人生で一番最初に、このお寺の名前を知ったのは、小学5年生の時、

「織田信長焼き討ち事件」が初めてだったと思う…

あれから、ウン十年経っても一度も行ったことのない

 

比叡山延暦寺

に足腰が丈夫なうちに、ぜひ!!との思いで行ってきました…

比叡山ドライブウェイを使って

延暦寺は、3つのエリアから構成され、
東塔エリアは現在、西塔エリアは過去、そして横川エリアは未来を体現しているとのことで

 

延暦寺というお寺があるわけでなく…比叡山という山自体がお寺…

 

とにかくエリアも3カ所あって、広い!広い!!

織田信長の「比叡山焼き討ち」も、そうとう大変だっただろうな…???なんて思いつつ

 

 

 

まずは、東塔エリアへと

 

駐車場でまず目に留まる「駐車場代無料!」

おお、駐車場代金!!無料!!無料!!と喜んでいましたが…考えれば、比叡山ドライブウェイの通行料が高かったことを思い出しました…

 

おかげで財布の中身が「ひえー(冷え―)ざん!!」

 

…と、しょーもないことを思う煩悩をぜひ、この比叡山で払拭しなくては…

 

「登叡成佛」と書かれた石碑

開山した最澄の直筆が四国の石に刻まれたもので、「比叡山に一歩踏み入れただけで成仏に一歩近づきますよ」という意味だそうな…

「比叡山に登れば、仏に成れるよ」ではなく…1歩近づくだけ…「仏への道」はずっと…遠い…

でも考えてみれば、そりゃそうだ…比叡山に登れば、仏に成れるんだったら、私の廻りには、仏様だらけになっちゃうもんな…(笑)

 

さてさて、東塔エリア、西塔エリア、そして横川エリアと、すべてのエリアを巡拝できる「諸堂巡拝券」が千円!さらに法華総持院東塔、戒壇院、そして、国賓殿に入れる特別拝観券が別途500円で合わせて1500円

比叡山に「参拝(さんぱい)」よりも「散財(さんざい)」だな…

ひえー(驚きの声)、財(さんざい)!」だから「比叡山」っていうのかな…なんてしょーもないことを思いましたけど…

ここは、仏と触れ合える場所…そんな巡拝券が高い!!なんていった煩悩だらけの、みみっちいことを思ってはいけません!!

 

さてさて、ブログの冒頭にも記したとおり

788年に最澄が薬師如来を本尊とする一乗止観院という草庵を建てたのが始まり…

そんな最澄上人について…大講堂へと続く坂道には…

御覧のような絵パネルがずらーっと

もう、これを眺めれば最澄上人のことが詳しくわかっちゃう!!

最澄上人のご誕生!がさしてますなあ…だから、後々、 徳川家光により1642年に延暦寺根本中堂が再建された…そのことを予見するかのような絵ですなあ…「家が光る」…だけに

 

幼名は広野さま…と呼ばれていたようで

 

12歳で仏門、15歳で最澄と呼ばれるようになり、20歳には奈良の東大寺戒壇院にて具足戒を受け、僧侶の資格をすべて具備されたとのこと

比叡山のふもと神宮禅院にて、懺悔の行を行っていた際に、香炉の中に仏舎利をみつけ礼拝供養されたところ、多くの霊験があらわれたそうな

比叡山に入り修業される最澄上人

 

薬師如来、釈迦如来、阿弥陀如来の三体の仏像を刻む…

 

比叡山寺創建、そして「永代不滅の常燈明」を供えて「明らけく後の仏の御代まで光り伝へよ法のともしぶ」と詠んだそうな…

 

 

比叡山寺の楽慶

 

 

法華の宣布と高雄山寺での講演会の図

唐(とう)にもわたっていたんですね…仏舎利のおかげで助かったんですね…私もとう(糖)には気をつけなくちゃ!!??…なんのこっちゃ!

中国の天台山で法を受けたとのこと…そのときにも凄いことが起きていたんですね…

帰国し天台宗の開立

 

弘法大師とつきあっとたんかいーと、ドキッとするタイトル

レストランにて、弘法大師が「なんか、くうかい?」と…声を掛けてたりして…最澄は、「ここの料理、最高ー(最澄ー)」といったデートシーンが浮かぶ!浮かぶ!!いかん!煩悩が…

以上、これを読んだ読者のみなさんは最澄上人について、お酒でも飲みながら、熱く語りたくなってますよね…??

お酒を呑んで顔がさいちょう??…もといこうちょう(紅潮)…(笑)

 

これが、お寺の境内図…

御覧のように比叡山全体が延暦寺…なんですね…

 

さらに絵パネルは続く

ここからは最澄上人に影響を受けた僧侶シリーズ

相応和尚

平安時代前期の天台宗の僧、比叡山に無動寺を開創、千日回峰行の祖ですね…もう比叡山の自然と一体化してて、絵では「ウォーリーを探せ!」ならぬ「相応和尚を探せー」みたいになってますね

 

真盛上人

天台真盛宗の開祖、伊勢国で生まれた真盛上人は、比叡山で修行の後、荒廃していた坂本の西教寺を念仏と戒律の道場として復興したそうな…

 

良忍上人

融通念仏宗の開祖…私がこの状況だったら、念仏を唱えずに、竿をだすな…いかにもアマゴが釣れそうな???…(笑)

 

空也上人

口称念仏(口で南無阿弥陀仏と念仏を唱え人々に幸せをもたらす)
一般に浄土教、念仏信仰の先駆者

この絵をみても踊念仏っぽく、踊念仏の開祖と仰がれますが、
事実を証明するものはなく、
実際は、町の辻に集まってきた人々と念仏を唱えれば、人々も喜び、踊りながら念仏を唱えていたのが後世に伝わった説が正しいのかも…

ただし、空也が創建した六波羅蜜寺には「空也踊躍念仏」が受け継がれており、国の重要無形文化財に指定されているとか

法然上人…浄土宗の開祖

法然上人は、ただひたすら阿弥陀仏を念じてその名号を称えれば、どんな人でも阿弥陀仏によって極楽浄土に救い取られるということを悟る…具体的には「専修念仏」…一心に「南無阿弥陀仏」と念仏すること…

栄西禅師

臨済宗の開祖、14歳で比叡山延暦寺にて出家得度、以後、延暦寺で天台宗の教学と密教を学んだそうで…その場面の図…

栄西(えいさい)だけにえいさい(英才)教育を受けたことでしょう!!??

 

 

親鸞聖人…

あ、この方については、すでに五色園で学んだ!学んだ!

その時のブログを貼っておきますので、ご一緒にぜひぜひ!!

ああ、最高に楽しい宗教テーマパーク、五色園…その1

ああ、最高に楽しい宗教テーマパーク、五色園…その2

 

道元禅師…

曹洞宗の開祖…この曹洞(そうとう)宗の開祖にあたっては、そうとう苦労したに違いない…

 

日蓮聖人

日蓮宗を開祖…太陽に向かって「南無妙法蓮華経」を繰り返し唱えてる図

 

一遍上人…時宗の開祖南無阿弥陀仏を一遍(いっぺん)(一度、一回)唱えるだけで悟りが証されるという教義…

南無阿弥陀仏をもう一遍(いっぺん)いう必要はなかったとのことで…

でも、おそらく耳の遠い信者さんもいただろうから、もう一遍(いっぺん)もう一遍(いっぺん)南無阿弥陀仏と言っていたのではないかとは…勝手な私の妄想

 

天海大僧正

安土桃山時代から江戸時代初期にかけての天台宗の僧、諡号は慈眼大師じげんだいし)、徳川家康の側近として宗教政策に関与していたようで

 

図のラストは弁慶のひきづり鐘

その昔、三井寺が延暦寺と対立していた際、比叡山の武蔵坊弁慶が、三井寺の梵鐘を奪い、一人で比叡山の山上まで引き摺り上げ、撞いてみると関西弁で帰りたいという意味の「いのー、いのー」と響いたので、「そんなに三井寺へ帰りたいのか」と谷底へ投げ捨てたと伝えられているとのこと

その鐘は三井寺に残されていて鐘にはこの時の引きずったという跡が確認できるとか…

いやあ、このブログに遊びに来てくれたおかげで、仏教に詳しくなりましたよね…仏教なんてしんらん(親鸞)…もとい…しらん!とは言わせませんよ!!…(笑)

 

さてさてそんな図の看板を眺めながら歩いてたら

大講堂の前へと…

 

 

 

第一世天台座主義真和尚の建立によるもの…学問研究のために論議する道場で、5年ごとに行なわれる『法華大会』は天台宗の僧侶になるための登竜門ともなってるとか

現在の建物は昭和31年に焼失後、山麓坂本にあったものを移築したものだとか…

ご本尊は胎蔵界の大日如来で、右脇には十一面観音菩薩、左脇には弥勒菩薩の三尊がお祀りされていました…

 

手水舎は、思いの外、ジミ…

 

そばには、

吉川英治さんの「新平家物語」でも描かれた梵鐘が…

 

 

一突き50円!!

思えば…この2021年になって、ろくなことがない…仕事においても…仕事以外のこまごまとしたことにおいても

でも、たった50円で開運が転がり込んでくるなら、突きますがな!突きますがな!

 

少なくとも、私の煩悩が一つ減ったのは間違いない…

さてさて、その大講堂で気になったこと

 

堂内の禁止事項…

撮影、飲食、携帯電話禁止はわかるとして

問題は、この脱帽…

 

仏さまの前なので、脱帽してくれということなのか…いや脱帽そのものが禁止なのか???いやあ、仏の道は深い!!???深い!!???

大講堂の裏側には

瑞雲院縁起延暦寺法華三昧道場

 

その横には

前唐院

 

 

続いて立ち寄ったのが

 

萬拝堂

平成に入って建立された新しいお堂

 

 

日本と世界の諸神諸仏を祀るお堂で、

本尊は千手千眼観世音菩薩さま…もうピッカピカ!!

 

 

御本尊の周囲に巡らされている大きな数珠に触れながら、ぐるっと廻ると仏様のご加護があるようで…

 

もちろん、喜んで廻る!廻る!!!平和と人々の平安を祈願しながら…はい、そんな仏様なので…

千手千眼観世音菩薩さまの背中には

 

 

これまた、ピッカピカ!!

 

その隣は「一隅を照らす会館」

はい、手前には平ぺったい伊達政宗が…

館内は、休憩室のような作りで

そこには、まさに、これから立ち寄ろうと思っている

国宝 根本中堂大改修のVTRが流れてる!!令和3年4月29日から改修工事が始まって令和8年3月末まで改修工事が行われるようで…改修工事の期間も壮大さを感じますよね…5年間ですよ!5年間!!…私も還暦、超えちゃってますがな…

ここでは平和と人々の平安を祈願しながら、折り鶴を入れることが出来まして

 

はい、私もツルを折って、世界平和を願いながら…と、それ以前に「家族平和??」をも願いながら

折ツルをこの中に…

おみくじについての丁寧な解説もありました…

 

であっても、仏様からのありがたい助言なんですね…だからといって、絶叫(ぜっきょう)しないようにします!!

その手前には

大黒堂

 

 

 

 

三面出世大黒天が安置されてまして…はい、遠くの方に…1面だけ大黒天さまがみえました!!最澄が彫ったといわれる三面出世大黒天!!!正しい呼び方は「三面六臂大黒天」

右は毘沙門天、左は弁財天に挟まれて、どどんと中央の奥の方に…

比叡山は大黒天信仰発祥の地…最澄が比叡山へ登ったときに大黒天を見た場所なのだとか…

 

大黒堂横にある丸い石碑「〇佛」左側の字はなんだろう??

さて、続いては

この東塔エリアの総本堂である

根本中堂へと

 

先ほど紹介したように、改修工事中…石段を下りていくんですが

 

その左側には、お得意の図が…笑

東国教化と広済・広拯両院の建立

広済院と広拯院は平安時代初期に最澄(伝教大師)が東山道の神坂峠の東西のふもとに建てたと伝わる布施屋(無料宿泊所)のこと…旅人の便を図ったそうな

奈良仏教との対立

最澄の「法華経」の思想は、既得権益となっていた奈良仏教と対立を深めていったようで

学生式の制定と大乗戒の独立運動

「一遍を照らす」国宝的人材の養成に努めたようで

 

ご入滅…お亡くなりに…

 

滅後に比叡山延暦寺となり「日本仏教の母山」として現在に至ってる…そんな図の中心には根本中堂が描かれているも

 

目の前の根本中堂は工事中

 

事細かく修理のあらましがパネルによって、展示されてて

 

 

 

 

もう、このパネルをみただけでも、たいへんな工事であることが伝わってくる

 

 

これが入り口

 

 

最澄が788年に創建した一乗止観院が元で、織田信長による比叡山焼き討ちの後に、慈眼大師天海が時の将軍、徳川家光に進言し1642年に再建された国宝

本尊は秘仏の薬師如来…その薬師如来の前には黄金色で菊の紋が入った六角形の灯籠が3つ、これが開創以来1200年以上も灯し続けられている

「不滅の法灯」

薄暗い中に灯る法灯…なんとも魔訶不思議なのに、とても穏やかな気持ちで見入ってしまう…

さてさて、この工事中のところだけは撮影可能…

ある面、完成されちゃうとみれない貴重な図???なのかも

 

ビジョンには根本中堂大改修のVTRが流れてる!

 

 

 

こんなふうに屋根を見下ろせちゃうのは、この工事中だからこその特典???なのかも??

さて、総本堂の根本中堂のそばには

福田海奉納牛像が

先代は 昭和年奉納の銅像牛だったそうですが…残念なことに太平洋戦争での金属集めで供出されてしまったそうで…これは2代目

 

さら別の方向には

最澄の「天台法華宗年分学生式一首」が刻んだ石碑

「山家学生式」の名称で有名な上表文の冒頭が刻まれていまして

 

この写真の左側の石碑がそれ

 

伝導大師童形像…最澄の子供の頃の像ですね

 

 

 

その右側には…「南無根本傳教大師」と刻された大師坐像

これは、伝導大師の…その後…でしょうか…

若干、運動不足、肥満傾向あり…のように思われるが

 

これらの像を左に回り込んだところに建立されているのが、

「宮沢賢治歌碑」



根本中堂 ねがはくは 妙法如来正遍知 大師のみ旨成らしめたまえ

「妙法如来」とは、根本中堂の本尊として祀られている薬師如来のこと…

「正遍知」とは「正しく悟った人」という意味の仏の一つ…薬師如来のこと…

「大師のみ旨」とは、最澄が十九歳で入山した時の「願文」の「回施して悉く皆無上菩提を得せしめん」という部分を指しているとのこと

こんな歌を宮沢賢治が20歳の頃詠んだなんて…若いのに、もう悟りの境地に近づいているような…年寄りっぽいというか…ある面、驚いたというのが本音



この歌が残されているということは、当然宮沢賢治も、ここに参拝にきてたんですね…ということで…ぐぐってみると…

この歌は宮沢賢治が父政次郎氏とともに、比叡山延暦寺に参詣した時に、詠んだという歌でして、無断上京して国柱会の活動をしていた賢治を、政次郎氏は関西方面の旅行に誘ったそうな…

当時、浄土真宗の篤信家であった父と、「純正日蓮主義」を掲げる国柱会に心酔して家出した賢治は、深刻な「宗教対立」にあったそうで
このような状況を解決しようと、政次郎氏は浄土真宗も日蓮主義もルーツが一緒である延暦寺に着目したとのこと

さて比叡山延暦寺の山門にあたる

文殊楼

は、根本中堂から、この急な石段を登った上にあります…

 

徒歩で、この比叡山延暦寺までのぼってくると、山門である「文殊楼」をくぐって、この石段を降りて根本中堂にて参拝と言った流れが正式な参拝ルートでしょうが…駐車場は、ちょうど「東塔エリア」の裏側にありますから…私もそうですが、ほとんどの方が、根本中堂にて参拝後「文殊楼」に立ち寄る…といった形になっちゃってますね…

さてさて、石段は急すぎる…足を踏み外して転落したら大怪我必至…

 

 

石段の途中で背後を振り返れば

 

 

ひぃひぃふぅふぅ…

昇り切った…汗

 

あ、こちらが裏なのね…ってことに気づき…正面に廻って

 

「文殊楼」は慈覚大師円仁が864年に創建したもの…その後何度も焼失し、現在の堂は1668年に再建されたものだそう…比叡山の総門の役目を果たす楼門

中は立ち入ることができなくて、写真パネルが1枚

 

この「文殊楼」は谷崎潤一郎さんの作品「二人の稚児」の舞台になっているようで

幼い頃に比叡山に預けられた、二人の少年は…
女人禁制の地で育てられるが、年ごろになるにつれ、「女人」を見てみたいという煩悩がもたげてくるようになる…

煩悩でいっぱいな私には、興味を注がれる作品でして

そばには、漢俳碑

比叡山開創1200年を記念し、中国仏教協会から贈られた漢文の俳句(漢俳)五首(比叡山讃、趙樸初)が刻された石碑

この「文殊楼」から、見下ろすと小さな山門のようなものが

 

 

これは「大書院の門」…皇室・高僧・勅使の宿坊・休憩所に迎賓館として使用されているそう…昭和天皇が即位された際に迎賓館として用意された建物なんだとか

一般参拝者は立ち入り不可となっています…

 

さてさて、「文殊楼」からさらに奥…森の小径を歩いていけば

鳥居があって

そこは星峯稲荷社

 

 

 

稲荷社なので神社かなって思ったんけど…仏様とのこと
 
延暦寺が出来た頃に荼枳尼天さまが白雪をまとった狐の化身で人々の罪を祓ったという故事があり、以来このお堂にて祀られているとか
 
 
まあ、言うなれば豊川稲荷と同じ…仏様だったのよ!
 
ということを、御朱印いただいたおじ様からききまして
 
しまった!神社のように「二礼二拍手一礼」してしまった…
 
しまった!とうどう…もとい…とうとうしくじっちゃった…とうどう(東塔)地域だけにね…という実に微妙なオチを挟んで…
 
長くなっているので…今回はここまでにしておいて
 
次回へ続く