新・日記どす(DOS)

写真は「ビートルズ」のヘルプごっこ(笑)~音楽からB級スポット訪問記まで、幅広くいろんなことを…笑いをこめて…綴ります~

有村架純さん演じた「瀬名(築山殿)」の首塚のある岡崎市八柱神社を参拝する…

2024-04-18 00:08:10 | 歴史史跡

2024年
NHK大河は「光る君へ」、当然ながら、街の観光も滋賀県、京都を中心に「光る君へ」一色ですが
未だに2023年大河「どうする家康」を引きずってる私

2023NHK大河「どうする家康」

私にとって、このドラマの主人公は
有村架純さん演じる「瀬名(築山殿)」であった…

もう「瀬名」の最後、小刀で自ら首を斬り、倒れ込む場面
クライマックスのような感動で
目頭が熱くなる想いだったのよ…

有村架純さん演じる「瀬名(築山殿)」がお亡くなりになってから、
しばらくは

クリープの入れない珈琲
いや、タコの入ってないタコ焼き、アーモンドの入っていないアーモンドチョコレートのようだったのよ

となれば、有村架純さんこと

「瀬名(築山殿)」のお墓に行って
手を合わせたい…

おそらくNHK大河「どうする家康」で
有村架純さんが「瀬名(築山殿)」を演じなければ
手を合わせたい…なんて思わなかったと思うけど


さて
有村架純さんこと
「瀬名(築山殿)」のお墓は

浜松の西来院にあって、そこにある築山御前月窟廟には行きました!
手を合わせましたけど

頭は、首は、どうやら岡崎市の八柱神社の境内にあるようなのよ

祐傳寺に葬られた築山殿の首が

八柱神社に移されたと言われているそうで

 

八柱神社に首塚があるのよ!


おそらくNHK大河「どうする家康」で

有村架純さんが「瀬名(築山殿)」を演じなければ
首を追いかけたい…なんて思わなかったと思うけど

首に…頭に…手を合わせたくて
八柱神社へと

八柱神社よりも、枠で、囲ってあるので、築山御前御塚の方が目に留まる看板



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鳥居を囲む、桜が、お見事であります

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鳥居の左側には、忠魂碑

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誰も遊んでいませんが、塗装の感じからして、最近に設置させたと思われる遊具

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桜に覆われた石灯籠(とうろう)の横をとおろう

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扁額


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くぐった鳥居の正面に拝殿

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石段の途中に手水舎がありました!
ただ、水が流れておらず、たまっているだけの様子

ここは、持参している手指消毒液でシュッシュッ
これで、神様も安心でしょう!


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ご由緒書きの石碑

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ご祭神は
熊野権現(五男三女神)
正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命さま、天菩卑命さま、天日子根命さま、活津日子根命さま、熊野久須毘命さま、多紀理毘賣命さま、市寸島比賣命さま、多岐都比賣命さま
他に
大日霊女命さま、大己貴命さま、若宮大権現さま、豊受姫大神さま
そして、首塚のある築山神明宮さま


八柱神社の創立年は不詳
往古より紀伊国熊野の里に居住した清和源氏の流れを汲む鈴木一族が、源平の戦いに加わり戦利無く難を逃れて三河国碧海郡桜井村に渡り住み、その後一族が別れて額田郡根石原欠村に移住し、この時日頃より崇敬する熊野権現(五男三女神)を同村広見の森中に奉齋し奥宮を同村北方の山頂に祀ったのが、始まり
以来鈴木一族の氏神をして尊崇されてきたが、村の発展と住民の増加等の永い年月のすえ、欠町の鎮守の神様として崇められてきたそうな
明治5年村社に列し、明治42年に神饌弊帛料供進神社の指定を受け、昭和4年に御鍬神社を本殿下陣に合祀し、昭和9年に欠町広見西通りより欠町石ヶ崎に移転遷宮をし、築山神明宮を本殿下陣に合祀
それが、築山殿(瀬名姫)の首塚のこと



桜と拝殿

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獅子と

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親子の狛犬

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拝殿の屋根には、逆さ獅子

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ではでは、たいしたことのおこらない一年でありますようにと
二礼二拍手一礼

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拝殿のそばにお祓い所

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その横に築山御前塚の説明板
及び、場所を示す案内板

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社殿の奥、薄暗い林の中にありますが、このように案内板があるので、迷いません!

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その途中、目に留まった御神木


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むむっ?苔に覆われた二宮金次郎像
なぜに、ここに置かれているのか摩訶不思議
もう全身、ガチャピン色!
実に歴史を感じる二宮金次郎像

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さて、築山御前塚はこの裏に


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写真、右にみえる鳥居をくぐれば、すぐそこに、首塚がありました

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築山御前塚の説明板


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1557年に今川家の人質だった松平元康(後の家康)と結婚し
1559年に信康、翌年に亀姫を生んだ…
1562年、築山御前の両親は、家康が信長側についたことで今川家の怒りをかい、自害させられる…

築山御前と信康母子は、織田信長から武田氏に内通しているとの嫌疑をかけられ、信康は処刑を命じられ、築山御前も…

当時、信長の命に逆らえなかった家康にとって、築山殿は確実に消えてもらわねばならない存在だったのでしょう


奥の供養塔は、わりと新しめのもので

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この石が、もともとあった首塚であったよう

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築山御前塚前に観音様でしょうか?

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私の心に浮かぶのは、瀬名さんのホンモノのお顔を知らないので

有村架純さんのお顔でしたが
合掌…
そう、手を合わせな


徳川家康の最初の正妻である瀬名(築山殿)は悪女だったというイメージを一新した有村架純さんの演技が素晴らしくて
この瀬名(築山殿)を中心に
「どうする家康」ならぬ
戦国の世に翻弄された悲劇のヒロイン
「どうなる瀬名」の視点で
大河ドラマをみてきた私

有村架純さんの「瀬名」の演技は素晴らしくって
心から「消せない」…とか言いつつ
その感動も実は薄れ、2024年は、毎週「光る君へ」を楽しみにしてる私

毎週欠かさず、録画せな

えっ、テレビみて、ゴロゴロしてないで、運動して、痩せないかん!って
ほかっといて!
ああせないかん!こうせないかん!と
いちいち、うっせーな

と、オヤジギャグを連発せな
オヤジギャグは、まかせなさい!(笑)


細田佳央太さんが演じた自刃した信康公の首塚を訪ねて…若宮八幡宮を参拝する…

2024-04-17 05:42:43 | 歴史史跡

2024年
NHK大河は「光る君へ」、当然ながら、街の観光も滋賀県、京都を中心に「光る君へ」一色ですが
未だに2023年大河「どうする家康」を引きずってる私

その中で、岡崎に細田佳央太さんが演じた家康の長男、松平信康の首塚があるというので
この目に焼き付けて、手を合わせておきたいと思って


松平信康は、1567年、織田信長の娘・徳姫と、お互い9歳の時に結婚し、家康が浜松城に移った1570年、11歳の時に岡崎城主になる…、
織田信長は、信康の母・築山御前が今川方の出身であり、武田方と内通しているとの理由で、築山御前と信康の処断を家康に迫り、松平信康は、1579年、遠江の二俣城で「我れ天道に逆らって父に謀反し勝頼に一味するという汚名こそ死出の防げぞ。このことだけは父上によく聞こえ上げてくれよ」と言い残し、21歳の若さで自刃した…


そんな松平信康の首塚があるのは
岡崎にある若宮八幡宮



御祭神は仁徳天皇と
もちろんこの方、岡崎三郎信康公


石標とその奥に、さほど大きくはない
石鳥居


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でも、ここよりも石段をあがる立派な境内への入り口がありました…


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この石段を上ったところにある鳥居
こちらが第一鳥居であるよう

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ご由緒書きの説明板…

「当神社の創立年月日不詳であるが 往古より名栗天神と言い仁徳天皇を奉斎する神社であった。その後天正7年(1579)9月15日 徳川家康公の御長男岡崎三郎信康公は織田信長の御口難により 遠州二股城にて御時21才を此の世の果と御自害され 御首は信長方へ實験の上岡崎へ御差戻しとなった いかに戦国の世とは言へ 子を失った親の気持は計り知れない 家康公は涙をこらへ 清水万三郎に仰せ付け 当地に奉埋する その後岡崎城内には種々の怪異変化が度び重なり 諸人等は恐れ入り 信康公の御霊を当神社に合祀する 当時は信長の権力により 公には出来ず社名を菅生八幡宮と改める その後若宮八幡宮と改め明治5年村社となる」

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「種々の怪異変化」とは信康の怨霊のことでしょうか…

母親である瀬名こと築山殿は、岡崎城から浜松城へと向かう途中、殺害され、その首は織田家に送られ、当時の岡崎城主、石川数正はその首を岡崎に持ち帰り、祐傳寺に首塚を作って弔い、隣に築山神明宮という築山殿を祭神とした神社を勧請したそうな…
また、信康も二俣城で自刃…その後、織田家に送られ、岡崎に戻された信康の首

家康の特命を受けた清水万三郎によって信康が初陣祈願したという根石原観音堂の横に、葬られたそうな…これが現在の若宮八幡宮にある信康の首塚

 

しかし、その後「種々の怪異変化」が起こる…


築山殿と信康の死後、岡崎で疫病が蔓延して多数の死者を出したり、岡崎城に不審火があったり、これらは築山殿や信康の怨霊の仕業だと噂されたとか

そこで、石川数正公がもともと仁徳天皇を祀っていた菅生八幡宮を移築、信康を合祀して若宮八幡宮に改称したそう

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口を開けている獅子と


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閉じている狛犬

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そして拝殿

元、岡崎城主の首塚を伴う神社なのに、あまりにも質素すぎる感じが…
それだけ、織田勢力が強かったということか…
それにしても、信長没後であれば、家康も天下をとったときに、息子なんだから、もうちょっと絢爛豪華な拝殿に改築してもよかったのではないだろうかと、いらぬお節介を口にしたくなっちゃうほど、質素…社殿も、住宅地の中にぽつんとあるし
おそらく岡崎観光が盛り上がっていた去年でも、この信康の首塚を訪ねる人は少なかったのではないだろうか

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二礼二拍手一礼

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拝殿、向かって左側
信康の首塚と対をなすように、境内社があって

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反対側、向かって右側にあるのが、信康の首塚


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左側の石塔が、首塚
首塚は柵と塀で囲まれておりそばには寄れません…

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合掌…

自刃した松平信康が
満開、いや少しずつ散りつつある桜と被ってみえました
境内に桜の木もたくさんある訳でもなく…
それが、また切なさを助長させるように
参拝客は私以外、誰もおらず…ただただ、ひっそりと…
とか言いながらも、時折聞こえる、主幹道路を走るエンジン音が聞こえ
なんか、それらを含めて、無念だった信康公の世界観が、ここに凝縮されているような気がしました…

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なので、絢爛豪華な拝殿ではなく
このように質素…の方が、信康公も穏やかに眠られているのかもね…
合掌…


石川数正が眠るお寺…三河一向一揆の中心だった…土呂殿本宗寺に行く…

2024-04-16 06:56:24 | 歴史史跡

2024年
NHK大河は、当然ながら「光る君へ」一色ですが
未だに2023年大河「どうする家康」を引きずってる私

その中で、先祖代々徳川(松平)家に仕える重臣ながら、家康を裏切って秀吉の家臣となってしまった松重豊さん演じた石川数正の墓所があるというので
この目に焼き付けて、手を合わせておきたいと思って

石川数正の墓所のあるお寺

土呂殿本宗寺

名鉄美合駅から
徒歩5分くらいのところにある

浄土真宗本願寺派のお寺で山号は土呂殿
ご本尊は阿弥陀如来
写真は山門

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蓮如上人のご創建のこの土呂殿本宗寺
現在は岡崎市の美合町にあるのですが、もともと三河一向一揆当時は土呂(現在の福岡町)にあったよう

三河一向一揆は、後の三方ヶ原の戦い、伊賀越えと並んで「家康三大危機」のひとつ

向宗は、浄土真宗本願寺派の別名
西三河ではこの土呂本宗寺が最も格式の高いお寺で
本宗寺の下に七ヶ寺(野寺本證寺、針崎勝鬘寺、佐々木上宮寺、平坂無量寿寺、長瀬願照寺、中之郷浄妙寺、青野慈光寺)が置かれていたよう
三河一向一揆の一拠点として若き家康に抵抗
勝鬘寺の門徒とともに岡崎城へ攻め入ったものの最終的には敗北
土呂の寺内町は焼き払われてしまって

本宗寺も消失!

一向一揆の収束後は家康の家臣である石川数正がこの地に土呂城を築く
本宗寺があった御堂山に本丸が、御坊山に二の丸があって、城下町も栄えたそう…

土呂八幡宮は 本宗寺と共に消失したが 1616年再興される…
そかし、記録の類はすべて消失してしまったらしい

さて、焼失した土呂殿本宗寺は、江戸時代、数正の母であり、徳川家康の叔母でもある芳春院妙西尼(みょうさいに)が、破壊された土呂殿本宗寺の再建を家康に願い出て、再三にわたる懇請の結果、宗門再興の赦免状が発せられ1601年、この美合の地に移転して再建されたとのこと

境内に入ると
驚く、目を見張る…昇竜のような松

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手水舎の屋根を破壊しているような
まるで三河一向一揆を封じ込めた徳川家康と被って見えてしまう松

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見応え十分


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本宗寺の説明板

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鐘楼

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庫裡

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訪ねたのは2024年の桜の季節

境内に咲く桜が美しくて


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さてさて、本堂にて合掌
本堂はコンクリート製の建物でした

家康によって焼き払われてますから

本堂は、おそらく昭和…その他の収蔵品も
全て、江戸時代以降のものなのでしょう

合掌


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以前の庫裏にあった大鬼瓦

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さてさて
この奥に
石川数正の墓所がありました…

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実は石標が3つもあって
こちらは、石川数正公のお墓


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こちらは
数正公の供養塔となっていますが


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まあ、こちらに、石川数正公が眠っておられることは確実…
合掌!!


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その奥、白壁に囲まれたところに
眠ってらっしゃるのが
芳春院殿

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合掌


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さてさて、その後は、もともと

土呂殿本宗寺があったと言われる
土呂八幡宮へと

ここは実は再訪

以前のブログ記事…
お時間あったらどうぞ!どうぞ!!

岡崎市の土呂(とろ)八幡宮を参拝する…


訪問したら
拝殿覆い隠すような
しだれ桜が見事でした


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徳川家康が焼き払おうとしたときに
このしだれ桜が咲き誇っていたら
さすがに、家康も焼き払うのを躊躇したかも??ね…笑


2024年4月7日…満開の桜を観に、刈谷城址、亀城公園へ行く!!

2024-04-09 05:28:39 | 歴史史跡

2024年4月7日
刈谷城址に行く

刈谷城を示す石碑

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そのすぐ横にあるのが
豊田佐吉像


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もし私がこの辺に住んでる小学生だったら
刈谷城は、豊田佐吉が築城したんだー
と勘違いしてたことでしょう…

ひょっとしたら、そのように勘違いしてるかも知れない読者もいるかもしれないので
正しい情報をお知らせしよう

刈谷城は水野忠政により築城された城でして

水野忠政…
きっとみなさん…よく知らないと思うけど…



徳川家康の生母…於大のお父さん…


即ち…
徳川家康のおじいちゃんなんだな…

たぶん、本丸にあったこの木に
水野忠政はよじ登ったんじゃないかな…

そんなが…もとい…そんながする


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さてさて、城址マニアの私ですが
すでに刈谷城址は攻城しちゃってますので
遺構(いこう)をみつけに、あっちウロウロ、こっちウロウロ、どこにいこうか…
といった行動はせず

そうこの日は
満開の桜

桜がまっさかりや!!!
桜がまっさかりや!!!
桜がまっさかりや!!!
かりや(刈谷)だけにね!)

あ、ここが今回のブログで最大にオモシロイところですよ!これ以上、オモロイことは、他にはありませんよ!!


ということで、桜をみに
刈谷城址が公園になっている

亀城(きじょう)公園へと


刈谷城が「亀城」の別称をもっていたことから、この公園の名前がつけられたようで


その亀城公園の
満開の…桜をどどんと、以下にアップ

「の」の文字を取り除いて
「かりや」の前に「まっさ」の3文字を加えて
「まっさかりや」としたいけど
そうすると、3分咲き、5分咲きのときは使えないよね

そう思うと
「がっかりやー!」

あ、もう一度だけオモシロイところがでましたよ!これ以上、オモロイことは、他にはありませんよ!!

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亀城公園のシンボル
赤い欄干の橋
満開の桜とともに絵になる光景

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池にはコイ!!

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ここは桜の名所
コイの場ですな…
ほら、オヤジギャグを言っても、さほど面白くないでしょう!!

餌をもとめてやって集まってくるコイ

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餌なんぞもっていないのに…
と呟くシツコイ性格の私

他にも生き物がいてて、ドーム型の鳥小屋の中にクジャクが

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こないだ、足を痛めてな…
それは、クジャクやなくて「クジク」やないか!

ほんの若輩者で…
それは、クジャクやなくて「ミジュク」やないか!

酷い目にあってな
それは、クジャクやなくて「クツジョク」やないか!

ほら、そんなにオモロないでしょ!!



では桜をどどっと

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桜の花がぎっしり

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桜が鏡池のように

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最後に
さくらと、さぁ、くらい(暗い)性格の私

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なんか歳を重ねるごとに、花が好きになっているような気がする
若い時は、こんなに花を観に行こうとは思わなかったのに…
これというのも
棺桶の中で花に囲まれて…の光景が徐々に、現実味を帯びてきて…その日が少しずつ…少しずつ近づいてきているということでしょうかね…苦笑


門マニア??の私が、横浜中華街を散策する…

2024-04-05 05:26:36 | 歴史史跡

♩追いかけてヨコハマ あの人が逃げる~

横浜中華(ちゅうか)街へ行く…
もし、あの人が、ここに逃げたとしたら絶対に見つけられないほどの
凄い人!!人!!人!!!

♩チャイナタウン この街を行けばお前との想い出が風のように頬を打つ~

矢沢永吉さんのような気持ちで「チャイナタウン」を口ずさみながら???歩いてみても
「お前との想い出」が頬を打つどころか、ヤカマシイ中国語で、そんな切ない思い出が消し去られてしまうほど…
なんちゅうか…こんなに人でいっぱいなことに、ただただ驚く!!

この辺の人々は、横浜中華街に、集まってるんとちゃうか?一点集ちゅうか???と思えるほど

そんな横浜中華街の…

写真は、JR石川町近くの
西陽門



西の太陽に一番近いところにあるから、こう名付けられた西陽門

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さらに進むと
延平門

横浜中華街の西門にあたり白虎が守護する延平門
平和と平安の安らぎが末永く続くことを願い、こう名付けられたよう
別名、白虎門

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さらに進むと善隣門

善隣門は中華街の象徴で、最も豪華な門なんだそうな…

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このあたりで、私自身、門にこだわっていることに気づく…もっと門をみつけたい…
門の写真を撮りたい…
そんな衝動に駆られる
この日に限っては、私、門マニア…

今まで、マニアと思ったこと、一度もないけど…なにか、もん題でも…???
だって、とにかく門の写真を撮りたいんだもん!!

が「カモーン」と、私を呼んでる気がするんだもん

と、いうことで、
門マニアが、続いて紹介するのが

「地久門」

商売の神様「横浜中華街関帝廟」がある通りを象徴する門

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そしてここが
門じゃないけど

関帝廟


三国志で有名な将軍、関聖帝君が祀られているとのこと
開港して間もない1892年、ある中国人が関羽の木像を抱いて、この地にやってきて祠を開いたのが、そもそもの始まりだとか

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もう、それはそれはご立派で…

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アニメに登場しそうなとぼけた狛犬…

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こちらは親子で哀愁を誘います
まさに「よこはま たそがれ」状態
って五木ひろしやないか!!

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もう建物に惹かれます…

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龍がにらめっこ
あまりにものの絢爛豪華さに
もうただそこに棒立ち…


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「地久門」と「横浜中華街関帝廟」の間、関帝廟通りにあったのが

「日本における新聞誕生の碑」

ここ, 横浜の元居留地141番は, 1864(元治元)年6月28日, ジョセフ彦が, 「海外新聞」を発刊した居館の跡だとのこと

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「市場通り門」

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近くに山下町公園という小公園があって
そこにあったのが
日本フットボール(ラグビー)発祥地が横浜であることを記した記念碑

フットボールはラグビーとちゃうのに…とこの記念碑をよくみても
「日本フットボール(ラグビー)」とあって、サッカーとは記されておらず
錯覚(サッカーく)ではありませんでした…
どうやら、フットボールと記されていても、サッカーじゃなくて、
ラグビーの試合だったそうな
1873年12月のこと

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その山下小公園には
會芳亭

まあ休憩所、東屋ですな…


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その山下小公園には、真っ白な獅子が睨んでる
獅子といっても2体だけ…16体もいません???

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あ、これ「ししじゅうろく」とボケてみたけど伝わりにくいし、完全にスベッタかも
このボケ、しっ、しっぱい!!


さてさて、この日の、この横浜中華街限定の
門マニアである私

「横浜大世界」看板のあるお城のような建物に目を奪われるけど
その下方にある
「天長門」

天のとこしえ(永遠)なることを意味する門

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天長門に焦点をあてて
でも、やはり目に飛び込む「横浜大世界」

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これが「横浜大世界」

「横浜大世界」はアートリックミュージアムなどある
中華街最大級の総合エンターテインメント施設であるよう


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入り口には金ぴかの狛犬

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横浜、中華街で経営してる人も名古屋人同様
金ぴかが好きなのね??


さらに左に折れて歩いて見つけた門は

朝陽門
朝日が中華街に差し込み、繁栄をもたらすという象徴で
高さ13.5m、幅12mで中華街で最大で山下公園側にある門

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まあ、一言、デカい!デカい!!

さらに横浜中華街をウォーキング!ウォーキング
新たな門を探して


みっ、みぃつけた!!
市場通り門
さきほど、みつけた市場通り門の通り、市場通りを歩けば、この門にぶち当たる!!

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西洋理髪発祥の地
「ザンギリ頭を叩いてみれば文明開化の音がする」
文明開化の音…
聴いてみたかった…だれかザンギリ頭の人は
行き交う人たち、みんなザンギリ頭
いっぱい、大勢の人が、ザンギリ頭で歩いているけどね
あ、そうか、私もいわば、ちょんまげをしていないので、ザンギリ頭だ!!
(叩いてみて)「あ、これが、文明開化の音なのね???」

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髪型は、真ん中分け

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「横浜博覧館」
もうこのネーミングだけでも、ワクワクしますな


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おお、中国といえば「パンダ」ですよね
人気を集めるために
パンダの置物をおけば、鉄板だー!(てっパンダー)

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さてさて、門をみつけようと
門マニアと化して
ウォーキングしてましたが

まだまだ、肝心の玄武門、朱雀門の姿をみてませんが…
もう、やーめた!やめた!!

だって、凄い人並みの中、歩いて
もう歩き疲れたし、なんといっても
お腹が空いた…

…ってことで、中華街門マニア、ウォーキングはここまで


で立ち寄ったのが

横浜関帝廟通りにある

大料理 小籠包専門店 接筵

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フカヒレスープ付きで
1500円、めちゃお値打ちやん!!

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えっ、マツコの「知らない」世界で紹介されたの??
じゃあ、多くの人が「知ってる」じゃん!!
はい「るるぶ」にも載ってました!!

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もちろん、とりあえずビール
いやあ、幸せ!!

「とりあえず」というメーカーのビール会社があったら、シェアがダントツで1番になるだろうなと思いつつ

オネーサンに注文する私

「とりあえずビール」


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はい、ビールの摘まみに、おいしゅうございました…
とにかく歩きまわったので、ビールが、美味しすぎる!


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おお、具だくさんの焼きそば

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そして、このお値段で、フカヒレスープ

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ここは、小籠包専門店らしく、アツアツで、それはそれは美味しゅうございました!

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さて、食べ終えたから
また、マニアと化して??
を探し訪ねる??

それは、愚(ぐもん)

もう、昼間からのんじゃったんですよ!

なんて、どうでもいいもん

この後は、「チャイナタウン」を心の中で歌いながら…(笑)

♩チャイナタウン
若すぎた恋のあの香り甦るほろ苦いジャスミンティ~

ああ、酔っぱらった!ジャスミンティじゃなくてもいいから、カフェで酔いをさまそっと!…汗

はい、おかわりしてのんだかって?
それは、不問(もん)ということで…汗

一応、門マニアでしたので、最後まで
言葉だけでも、「」にこだわって
みたもん

なにか、もんく(句)ある??…(笑)


秀吉はこの神社があったからこそ産まれた??「清州山王宮 日吉神社」を参拝する

2024-03-19 05:48:19 | 歴史史跡

「清州山王宮 日吉神社」を参拝する


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この清須市は豊臣秀吉の生母の出身地
なんでも、この日吉神社に祈願し、豊臣秀吉が授けられたそうで
だから、秀吉の幼名は「日吉丸」
ホントかどーか、わからない話ですが…実にそれっぽい…

そんな「清州山王宮 日吉神社」
歴史を感じるご祭神と由緒書きの案内板
これ描かれてるんじゃなくて、彫ってありますなあ

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ご祭神は
大己貴命さま…人造り、国造り、縁結びの神様

素戔嗚命さま…病気平穏、厄除けの神様
大山咋神さま…日吉大社の御鎮座の神様

光仁天皇の御世、宝亀二年(771年)、尾張地方に疫病が流行したので、人々が素盞嗚命さまを大己貴命さまと合わせて祀り、病災除去の氏神としたのが発祥…
その後、大同二年(807年)、平安時代の官人、橘逸勢が社殿を建立、また、伝教大師による天台宗の布教とともに神仏習合の説が広まり、山王宮と称されるようになったそうな…
1580年、清州城代織田信張公が近江の日吉大社より大山咋神と摂社21社を勧誘したそうな…


太鼓橋(神橋)

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川や池はありませんが…
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神門

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不浄除けと称する蕃塀が

不浄なものの侵入を防ぐために造られた

「蕃塀」


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私は、煩悩だらけで心が「不浄」かもしれませんが

境内に足を進めますっていうよりも
この写真を撮ってる時点で境内にすでに入ってることは明白…

そして、なんか高校の文化祭を思い出させるような
立て看板
「厄をさる 福を招く 天下随一 お申神社」

まずは手水舎で手を浄めて


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久しぶりに見た柄杓…懐かしい

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勢いよくは水をはかない龍
まあ、柄杓で手を…洗った…もとい…浄めた後は、持参した手指消毒液でも念入りに


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お申神社というだけあって
この拝殿や拝殿の廻りをよーくみると

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狛犬じゃなくて、狛サル!!
狛犬じゃなくて、狛サル!!

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ちゃんと阿吽になっている

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ではでは、困難は「サル」…「病気」は「サル」
そう願いつつ、二礼二拍手一礼

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参拝後は境内を散策

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御神木…どうか腐る(くサル)ことのないように…と手を合わせ

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参拝したのは、初夏
夏らしく、風鈴が…
涼し気な音は聞こえてくるけど、実際はクソ暑い!!
どうか、この尋常じゃない暑さこそ「サル」といいのに…


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拝殿の奥の本殿
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この本殿の左右には「サル」じゃなくて
フツーの狛犬でした!

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立ち並ぶ石碑
小山の上には祠が…境内社と思われるが
何の神様を祀ってあるのか、確認できず

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神馬像

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どうか、新馬戦で万馬券が獲れますように…??
つい、そう願いながら二礼二拍手一礼したくなっちゃう…

「はきだしまいり」

「はきだし皿」に吐き出したい思いを封じ込め、ここで割って捨てるところ…お皿は1枚300円…

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「吐き出したい思い」が多すぎるので、なるべく細かく…とは思うんですが…力がいるので、途中で、まあ、今日はこのくらいで勘弁しておいてやるわ!!…みたいに、皿に向かって、毒を吐きたくなります…
はきだしまいり」だけに…笑


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「子産石」

この石に女性が触れると立ちどころに懐妊するんだって…
また、豊臣秀吉の生母がこの石に触れ授かったとも伝えられているんだって…

秀吉が生まれたのは、この石のおかげ…
たしかに女性の陰部に男性の「ARE」がくっついているようにもみえますなあ…


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そして、神様大集合の図
境内社がずらーと、横一列に並ぶ…

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左側、
瓊瓊杵命さま、右側は、仲哀天皇

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左側、
鴨建角身命さまと琴御館宇志丸さま
右側、市杵嶋姫命さまと湍津島姫命さま

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左側、
玉依彦命さま

右側、奥津彦命さま、奥津姫命さま

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左側の境内社
その左側には三女神さま
右側には鴨玉依姫神荒魂

右側の境内社は
神武天皇

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右側 山末之大王神荒魂
左側 鴨別雷神さま


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左側の境内社
その左側には 大年神さま
右側には 素戔嗚神さま
 
右側の境内社
その左側には 下照姫命さま 
右側には 天知迦流水姫神さま

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右側の境内社
左側は 大己貴命さま
右側は 大山咋神さま

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左側 田心姫命さま
右側 鴨玉依姫神さま

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左側 大山咋神荒魂
右側 白山姫神さま

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そして
神楽殿

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境内で目立つ
連なる赤い鳥居

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山王稲荷社
ご祭神は宇迦之御魂神さま

五穀豊穣の神様
ここに鎮座するのは、さすがに「サル」ではなく「キツネさま」


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奥宮はすぐお隣りに

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こちらでも二礼二拍手一礼


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最後に紹介するは
巨大絵馬

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拝殿の横の壁面に…

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サル!サル!!サル!!!畳8畳程度の大きさなのよ…
いやあ、サルがいっぱいで、実にほほ絵馬しい…もとい…ほほえましい…


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凄い迫力で、これにまサル(勝る)絵馬は他にないんじゃないだろうか…

「アイアイ」の替え歌

♩サンパイ サンパイ お猿さんだよ~

と歌いたくなること、間違いない…笑


「嵐」の聖地だった尼崎城すぐそばの櫻井神社を参拝する…

2024-03-06 05:39:51 | 歴史史跡

尼崎城すぐそばの
櫻井神社を参拝する…

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もう解散しちゃったけど
チケット入手困難だった…
今ではNGワード「ジャ〇ーズ」の「嵐」の櫻井翔さんと同じ名前の神社ということで「嵐」のファンの聖地で、ここで、チケットの抽選に当たりますように…
なんて、願掛けするために多くの「嵐」のファンがこぞって、ここに参拝しにきてたんだって

WEBの情報では確認できないけど
おそらく、ミスチルのファンもこぞって参拝しているものと思われる
いや、負けずにアルフィーの
ファンもこぞって参拝しているものと思われる
さらには、桜井日奈子ちゃんのファンも
いや、尼崎のこの地、阪神タイガースファンも多く参拝しにきているに違いない…
(阪神タイガースで「桜井」といえば桜井広大選手ですよね、とっくに引退しちゃったけど…)

そんなファンがこぞって集まる
櫻井神社は、1882年(明治15年)に尼崎藩主松平氏の祖、桜井内膳正信定をご祭神として、旧藩士の有志が、旧尼崎城内の西大手橋東詰に建立
その後国道43号線敷設のため、1961年(昭和36)に現在地に遷宮したとのことで

櫻井神社のご祭神は、櫻井松平氏の祖、櫻井信定より十六代櫻井忠興までの歴代城主

最後の城主忠興公は、明治10年(1877年)西南戦争において敵味方の区別なく戦傷者を看護し、博愛の精神を大いに発揮され…
これが世界赤十字社に認められ、日本赤十字社の誕生のきっかけともなったよう


尼崎城から櫻井神社へと

こちらは神社の裏手側


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 裏門の石鳥居


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裏門をくぐると、まず目に留まったのが

「はくあい地蔵」

尼崎城最後の城主、忠興公は、西南戦争(1877)が始まり、日毎に戦傷者が増えることを聞き、有志救護団「博愛社」を結成し、自らも戦地に赴き、敵味方関係なく戦傷者を看護されたとのこと
これが明治政府・世界赤十字社に認められ「日本赤十字社」の誕生に至ったとか

その後、尼崎最初の学校、開明小学校を開設、明治23年(1890年)には、櫻井神社境内に尼崎最初の幼稚園が誕生し、この時に子供たちの無事成長を願って祀られたのが「はくあい地蔵」なんだそうな


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覗き込んだら、いらっしゃいました
「はくあい地蔵」さま

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そして、境内社である
契沖神社

国学の祖、契沖が祀られている神社
契沖は、江戸時代中期の真言宗の僧であり、古典学者(国学者)
西三の丸(ここ櫻井神社建立地)で、尼崎藩士下川元全の子としてこの地で出生、11歳までここで過ごしたそうで

学問の神様ですな
いまさら、受験とか一切ない私ですけど、せめてボケないようにと二礼二拍手一礼

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さて正門がこちら

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さて手水舎で手を浄めまして
ひょっとしたらへばりついているかもしれない新型コロナウイルスも、ここで念入りに洗い流してと

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龍だと思うけど、果てしなく蛇口に近い形状…

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こちらがメインの拝殿

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扁額

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左右に鎮座する狛犬

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まさに表情がこまっているように見えちゃいますな

こちらも困ってる感じが

有名人の櫻井さんとは、特に関係はないんですけど…と言いたげな

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まあ、ここでは私

♩天空の彼方に 舞う球は 勝利を告ぐ桜 乱れ咲き~

桜井広大選手のヒッティングマーチを心の中で歌いながら

「阪神必勝!」を願って、二礼二拍手一礼

だって、この後、二日連続の甲子園、虎応援ですからね


尼崎城外堀の石杭句碑

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「まづ霞む竈々や民の家」と刻まれている石句碑

尼崎城三代目城主、忠告公の句

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博愛社記念碑

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百度石

間違いなくお百度参りはできないし、ここに百回参拝しにくることはできないけど、「7回」まとめて撫でておく
はい、阪神タイガースのマジックが「7」だったので


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境内社の案内板

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尼崎瓢箪山稲荷社

尼崎瓢箪山稲荷神の他に白藤大明神・常磐大明神を相殿に祀ってある境内社


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左右に鎮座するキツネ
怒ってますな…表情がきっついね―(きっつねー)

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尼崎城本丸御殿の棟瓦
弘化4年(1847年)、尼崎城本丸御殿が全焼してた翌年に、領民の協力もあって完成
この瓦はその再建された尼崎城本丸御殿のもの


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ここから尼崎城の天守がみえます…

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おお、みえた!みえた!!
「尼崎城のぞき見フェチ」??にはたまらないかも…???

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さぁ、くらい気持ちでいる読者のみなさん
重い腰を持ち上げて、櫻井神社に参拝に出かけよう

櫻井翔(しょう)さんとは会えなくても
櫻井氏のきょ城(じょう)が待っている!!
ぜひ、ノゾキに??出かけてみては…笑


時空を超えて再建…尼崎城に行く…後篇

2024-03-05 05:39:38 | 歴史史跡

尼崎城攻城記の続きをば

早速…

 

 

2階に降りて
やっと、尼崎城に関する展示が

尼崎城の説明の解説パネル

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大坂の西の守りの一つであった
尼崎城

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歴代城主

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忍びが活躍したのか???
大坂城の守衛

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尼崎藩の城下町の図

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交通の拠点尼崎

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ここまでの解説パネルの内容を頭にたたき込んだら
尼崎城のウンチクを、熱く!熱く!!語れるはず!!

実物大の鯱模型

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尼崎こぼれ話その1


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桜井松平氏は、もともとは愛知県安城
ってことで、妙に親近感…

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尼崎こぼれ話その2

チョウになったのか
(コチョウ)したようなお話ですけど


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「皿屋敷伝説」は尼崎の他、全国にあるんですね…
みんな「お菊さん」なのかな…
話が「お菊(おきく)」…もとい…おおきくなったりしてないのかな

尼崎こぼれ話その3


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「残念さん」となる???

長州藩士山本文之助は元治元年(1864)の禁門の変に従軍しますが、長州藩が敗北し、京都からの敗走途中に大物の城下町北の口門で尼崎藩に捕らえられ、取調中に自決したそうな
自決する直前に、文之助は「わずか4万石ほどの大名に捕まったのは残念で口惜しい。もし口惜しいことがあれば一つだけ願いを叶えてやろう」と書き置きしたと言われ、事実どんな病気でも「口惜しい」と願えば治るという風聞がたち、これを聞いて、尼崎藩の建てた墓には、当時の「長州びいき」の流行から大坂からの参詣人が押し寄せ、やがて山本文之助は死に際に「残念、残念」と叫んだと言うので、「残念さん」と呼ばれるようになったとか…




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尼崎こぼれ話その4

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全焼しても再建に向けて人々が協力したそうな




この階はただ展示を眺めるだけでなく
さまざまな体験もできちゃう

鉄砲体験!!


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鉄砲を撃つというよりもクイズ
それも、問題が無理無理「鉄砲」にからめるという
無鉄砲ぶり…笑

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「STAGE2」になると鉄砲らしく、早撃ちを求められる!!


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「STAGE3」は運まかせ??

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私は「軍師」
職場でいう「中間管理職」
まあ…さほど「武運」もなく並みということで

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平ぺったい「軍師」??が鉄砲で撃とうとしていますなあ

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鉄砲の重さを体感!!

槍も触れれるよ…もう、ブログのオチがみつからず投げ槍だー??
矢も…ブログのオチがみつからず投げ矢りだー??

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そうそう、もう一つ体験を

剣術体験

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めちゃめちゃ、ざっくり斬ったようなストーリー
剣術だけに…笑


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この、心が貧しい方にはみえない
この名刀を使ってきるのだ!!…けして、名湯を浸かって…ではないことを念のため、記しておく

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斬るぞー!!

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斬った!!



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私は「剣豪」だー!!
「剣豪(けんごう)」よりも「健康(けんこう)」の方がいいぞー!!


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他には
甲冑

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金陀美具足

徳川家康が大高城兵糧攻めのときの鎧


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尼崎城VRシアター
ここの映像エエゾー!!

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さすが関西人が考えそうなこと
それに乗っかる私も関西人(三重だけど)


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最後にこの徳川家康さん
私の知ってる徳川家康とは違うんですけど
かといって、「どうする家康」の松潤でもないし


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もっと若いときの像にしておくれよ!!
上から、徳川家康の声がきこえてきたような…


時空を超えて再建…尼崎城に行く…前篇

2024-03-04 06:33:46 | 歴史史跡

甲子園球場に行こうと
阪神電鉄に乗ってたら
尼崎駅でめちゃ新しい綺麗な城がみえたので…

となると、城マニアである私、何が何でも寄ってみなくちゃ!!
といった衝動に駆られる!!

この城は

尼崎城



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いやー!新しいね…

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この天守、な、なんと2018年築城…笑…なんだな…


でも…それまでは、何もなかったけど
ここらあたりに…江戸時代に尼崎城があったことは確か…

(あの…ここじゃないよ、ここらあたりに…だよ)

永正16年(1519年)に細川高国が、尼崎城を築城したらしい…

その後、荒木村重が1578年に織田信長に反旗を翻し、有岡城から逃げ込んだ城が、尼崎城とも言われているが、これは、正確には大物城

 

大坂夏の陣後、江戸幕府は大坂を直轄地として西国支配の拠点とするため、元和3年(1617)、譜代大名戸田左門氏鉄に尼崎城を築城させ、大坂の西の守りとする…
尼崎城は、翌元和4年(1618年)から現在の北城内 ・ 南城内の約300メートル四方に、三重の堀、四層の天守を持つ広大な城として数年の歳月をかけて築造されたとか…

別称,琴浦城

翌4年には重臣小笠原忠真に明石城築城を
翌5年には岸和田城の改修を
6年には重臣水野勝成を大和郡山から転封させ、福山城の築城をさせるなど

幕府は、大阪城を中心に、西国への備えの城を立て続けに譜代大名に命じ、守りを固めていったよう…

しかし、江戸時代が終わり明治時代になると、尼崎城はその役割を終え、明治6年(1873年)に廃城、堀も次第に埋められていったために、全くその面影がなくなっていたそうで…

実際の天守があった場所、本丸は
尼崎市立明城小学校の敷地の中、他の曲輪や濠は埋め立てられ、市の関連施設や宅地となってしまっているようで

なので、この尼崎城
本丸じゃなくて
西三之丸の北部半分に建てられた

「なんちゃって城」

なんだな…

新築でピッカピカ…
これ、驚いたのは
平成27年に旧家電量販店の創業者である安保詮氏が建てて、創業の地である尼崎市に寄付されたものらしいのよ…

で、市がそれを受けて、城址っぽい
城址公園を整備したようで
埋まっちゃってたお堀もこのように復活…笑

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ここに天守の礎石が残ってた訳ではないだろうけど

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戸田左門氏鉄公顕彰碑

大坂夏の陣以降、徳川家康の命を受けて、尼崎城を築城したお方


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ホント、真新しい綺麗な??城です
江戸中期の絵図をもとに、高さ約24mの四重天守と二重の付櫓を鉄筋コンクリート造りで、再現しているよう

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石垣は、当時の尼崎城のものも、混じっているんだって


では、早速、攻城??をば
攻城といっても、ちゃんと500円払って…笑


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自動券券機で入城料を払う!!
受付、売店の横のフロア
あ、ここは入場料を払わなくても見学できるスペース


平ぺったい家老が案内してくれる
家老さん、ずっとここに立ちっぱなし
過労には気をつけて

案内するは
「1階尼崎まちあるきゾーン」


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…といってもフロアにマップ
立派な駕籠に…

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マップは時空を超えるよ…笑

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そして、平ぺったい姫がいるだけだけど
「漫画」のように「ふきだし」で
庶民の乗る駕籠とは違うと、上から目線で…
でも、オチはない
まあ、駕籠からおちない…ということか…

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駕籠は尼崎藩御祈祷所 大覚寺所蔵のこのお寺に登城用の駕籠だそうな

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人間国宝、桂米朝と尼崎
の解説パネル

私が小学生だったら
米朝さんが尼崎城主だったんだ…と勘違いして帰るだろうな???


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さて、その後は、有料ゾーン
「城門」ふうのエレベータで一気に5階へ


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5階は「わがまち展望ゾーン」

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「わがまち」といっても私の住んでる街じゃないけど

バカは高いところに昇りたがる!バカは高いところに昇りたがる!バカは高いところに昇りたがる!バカは高いところに昇りたがる!バカは高いところに昇りたがる!


そんな性格の持ち主の私なので、さっそく眺望を楽しむ

妄想の中では、横に姫をはべらかして…笑

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真下をみると城址っぽい

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ちょいと見上げると、高層マンション
この図がシュールな感じも…


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なんか横にタブレットみたいなのがあって、覗くと
あれれれ、江戸時代の街並みに…


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まさに、尼崎城の城主気分がリアルに味わえる
あとは、リアルに姫が横にいれば…笑


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最上階のフロアには
平ぺったい忍者が

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「尼」と「御崎」が一緒になって「尼崎」??
うーん、このオチ、甘がさき!!(尼崎))

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ここでは城の屋根をつたう忍者にもなれるよ…


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4階はギャラリーゾーン

平ぺったい城主と姫がご案内


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この日は
荻原一青デザイン「名城手拭百城」の展示が

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攻城した城をみつけるとテンションがあがる!!

江戸城

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津城に安土城

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亀山城

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伊賀上野城

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彦根城

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「どうする家康」で大ブーム??の岡崎城

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岐阜城

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犬山城

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名古屋城はなぜか城のイラストじゃない


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3階はなりきり体験ゾーン

「大阪夏の陣」に出陣だー!!
敵は豊臣側でも徳川側でもなく、このクソ暑い天気だー!!!
あ、城内はエアコンが効いてて心地よいので
城から出なければ、敵に襲われることはないかな


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尼崎城の城主になりきって…

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なんなら姫にも…笑

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浜松にある徳川家康ゆかりの神社…「五社神社 諏訪神社」を参拝する…

2024-02-24 05:41:31 | 歴史史跡

NHK大河「どうする家康」で
家康がブームだった
2023年、夏
浜松にある、徳川家康ゆかりの神社


「五社神社 諏訪神社」

を参拝する


赤い鳥居は、ただデカいと表現するには足りないくらいにバカでかい!!


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軽四に乗ったまま、鳥居をくぐることができちゃう…
要は、駐車場は鳥居をくぐった左側にありまして

なので、つい、鳥居の前で一礼できなかったことを、とりぃあえず報告しておく…



五社神社の御祭神は太玉命さま、武雷命さま、斎主命さま、天児屋根命さま、姫大神さま
(相殿:応神天皇、舎人親王、菅原道真公、徳川家康公)
諏訪神社の御祭神は建御名方命さま、八坂刀売命さま、事代主命さま
(相殿:徳川家康公)

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「五社神社 諏訪神社」は

徳川二代将軍秀忠公の産土神として崇敬されたことにより、特に子守り・子育ての神様として信仰されてきたよう…

「五社神社」五柱の神を主祭神としたため「五社神社」と呼ばれ曳馬城(後の浜松城)城主・久野越中守が城内に創建した事に始まると伝えられる…
その後、徳川家康公が浜松城主となり1579年秀忠公誕生にあたり、産土神として崇敬し、現在地に社殿を造営し、1580年遷座したとのこと…

1634年、徳川家光公上洛に合わせて社殿の造営がなされ、1641年竣工
「お江戸見たくば五社諏訪ごろじ お江戸まさりの五社や諏訪」と謡われ戦前まで拝殿は、国宝建造物に指定されていたそうな


昭和20年浜松空襲で焼けてしまったけど


「諏訪神社」791年、坂上田村麻呂が東征の折、敷智郡上中島村に奉斎したのが創建の始まり…
1556年に曳馬城下、大手前に遷座された

秀忠公誕生にあたっては、「五社神社」と同じく産土神として崇敬され、1579年徳川家康公が社殿を造営したとのこと

1615年、徳川秀忠公は、社地を杉山に改め、さらに1634年、徳川家光公は、朱印300石を奉るとともに現在地に社地を遷し、1641年竣工

「五社神社」と「諏訪神社」は、もともと隣り合わせに並んでいたが、
1960年に合併し、現在の本殿は1982年に再建されたものとのこと


正面にみえる立派な拝殿

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朱色が映える拝殿の佇まいは圧巻の一言
両側に翼廊の付いた横に長い拝殿…
拝殿は銅板葺きの入母屋造り


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まずは、手水舎で手を浄めまして…

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なんでもこの手水鉢
浜松城主・高力摂津守寄進の手水鉢なんだそうな

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ではでは拝殿にて

「二礼二拍手一礼」

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徳川秀忠(ひでただ)だけに
ひでー世の中にならぬよう」「しい世の中になるよう」
裏金集めに一生懸命になっている自民党さん、ええ加減にせいよ!!

さてさて、拝殿にて「二礼二拍手一礼」をした後には
広い境内をぐるっと散策

拝殿の手前、左側に鎮座するは
境内社の「五宝稲荷神社」

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キツネさん、めちゃ怒ってますなあ
自民党の裏金に怒っているんだと、そう思う
「キツネに包まれたような」驚くべき出来事だったな…て

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この裏手には御神石の「獅子頭石」

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私は天狗にみえました!

さて、この狛犬
日本最大級の大きさなんだそうな

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狛犬の大きさ、日本一!!
いやあ、日本一は気持ちがいいねえ
「阿」の狛犬様 

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「吽」の狛犬様
角が頭にのっかって
いるんですね!!

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かつ胸郭がご立派で!!

2メートルはありそう…
邪気を祓い、神前を守護するには、もう申し分ないほどの大きさ

日本一の大きさらしい
大狛犬を拝めれてよかった

以上が
「五社(ごしゃ)神社 諏訪(すわ)神社」
の参拝記

最後に申すわ!
ごしゃごしゃ…もとい…ごちゃごちゃ言わんと、明日は(あすわ)いいことありますように…」