シャープ & ふらっと

半音上がって半音下がる。 それが楽しい、美しい。
思ったこと、感じたことはナチュラルに。  writer カノン

感謝の日

2006-06-29 10:20:10 | 日常から
今日は、私の誕生日。

でも、もう喜ぶだのお祝いだの、
とっくに縁のない歳である。

近年、誕生日は自分のお祝いではなく、
自分を産んでくれた母に感謝をする日、
という意見が出ている。
そうかもしれない。

母、そして父はもちろん、
友人その他、お世話になっている方すべてのおかげで、
自分はここまで生かされている、と思わなければいけない。

誕生日を、特別な日などと思わない。
この歳になれば、もう普通の一日。
だけど、普通に特別な日を迎えられることに感謝しよう。

今日の誕生花を調べてみたが、
いくつか種類がある。
ゼラニウム、ジャーマンアイリス、アガパンサス、
そして、あじさいも今日の誕生花らしい。

しかし、その中でゼラニウムの花言葉が気に入った。
「君ありて幸福」
自分もまた、逆にそう言われる人でありたいと願う。

今日は、日付が変わって午前1時半に、
最初のお祝いのメールを戴いてしまった。
嬉しかった・・。 心から幸福に思う。

写真がゼラニウムの花だが、初めて知った。
ずいぶん、鮮やかな色をしている。
私の好きな色の花だった。

ジュエリー

2006-06-27 15:07:09 | ファッション・コスメ
24日の結婚記念日を機に、結婚指輪を出した。
だいぶ汚れてしまっている。

ついでに、ネックレスも引っ張り出した。
私は一時期、ネックレスに興味を持って、
あちこちで購入したことがある。
全部で10本近い。

妻は、男のジュエリーに抵抗はないようで、
実際に妻と買いに行ったネックレスもある。
数年前には、
「女性からプレゼントされた」ネックレスもある。

昨日、都内のジュエリーショップに行った。
その店で、以前買ったネックレスを洗浄してもらうためと、
きつくなった結婚指輪のサイズが適正かどうか、
聞こうと思ったからだ。

「銀座じゅわいよくちゅーる・マキ」
しかし、久しぶりにこのような店に行ったので、
店内のまばゆいばかりのきらめきと、
女性店員さんの黒いスーツ姿に、つい慌ててしまった。
この店で買ったものではない、指輪の洗浄もお願いしてしまったのだ。

しかし、応対した店員さんはとても快く、
両方とも洗浄をして下さった。
そして、指輪を測って頂いたが、
もうきつく、お勧めできないとアドバイスして下さったのだ。

「ネックレスは当店でお買い上げ戴いたものですね。
でも、指輪は違いますので、そちらのお店で加工なさって下さい。」

どこでわかるのかというと、ネックレスの裏には小さく、
「マキ」の刻印があったのだ。
そして、指輪の加工というのは、
削るのではなく、伸ばすものだという事も初めて知った。

この歳になって、恥ずかしながら初めて知ること。
でも、上品な店内で、きれいな店員さんとのひととき(?)
いろいろと、ためになった。

洗浄は無料である。
一円も払わなかった私に、店員の全員の方が、
入口まで出て「ありがとうございました」と
深々頭を下げて見送って下さった。

ジュエリーが、人の心を捉えて輝かせることを、
ちょっと知ったような一日だった。

写真は、マイ・ジュエリー。
綺麗にして戴いた、ネックレスと指輪である。

結婚記念日

2006-06-25 11:02:51 | 日常から
昨日は、結婚記念日だった。

16年目である。
しかし、今年は「○○婚式」という名称がない。
1年目の紙婚式から始まって、藁(綿)婚式、革婚式・・と続き、
15年目の水晶婚式まで、毎年名前がついているのだが。

結局、16年目からはお祝いというものはなく、
落ち着いて歩んでいく年、ということなのだろう。

16年前の結婚式。
「典型的な」式だった。
結婚式場で神前の式を挙げ、
披露宴では大勢の友人や親族を招待し、
二次会では、友人同士で盛り上がった。

今でも、このときの結婚式に、
あれがしたかった、あれは失敗だった、という
後悔など全くない。
いい式だったな、と思っている。

その後の16年間は、子供と犬中心に回っているが、
それでいいと思っている。
いい事も悪い事も、人並みにあったが、
健康でいられたのは、何よりである。
名称のない、16年目の結婚記念日・・・。

あじさい寺

2006-06-21 13:29:06 | 世の中あれこれ
鎌倉・明月院。
別名・あじさい寺。

ここのあじさいは、「姫あじさい」という、
青い色のあじさいが主である。
したがって、白や紫や赤といった、
色とりどりのあじさいが咲き乱れる、という寺ではない。

だが、全国的に有名なこの寺。
あじさいもだが、参道や門前の佇まいが美しい。
広くもなく、狭くもなく、
二人でしっとり歩くのが、ちょうど良い参道。
階段と坂道が織り成す、花と道の美だ。


どうしてもあじさいが見たいと言ったあなた。
鎌倉の明月院で待ち合わせる約束をしました。
平日の午後でした。
仕事がなかなか終わらない私。
寺の前でひとり待つあなた。

ようやく仕事が終わったのは午後三時。
明月院の閉門時刻も迫っていました。
私は、東京の、会社の前でタクシーをつかまえ、
とにかく鎌倉まで急ぎました。

あなたに会うために、新調したスーツ。
そしてこのタクシー代で、
私の一ヶ月分の給料は、すべて使ってしまいました。
それでも会いたかったあなた。

閉門時間をとっくに過ぎた夕方、明月院に着きました。
私は、降り出した雨の中、
スーツを泥だらけにして、参道を駆け上がりました。

でも、あなたはいなかった。
たぶん何時間も待ったのでしょう。
そして、背中で住職が門を閉める音を聞き、
あなたはこの坂を降りたのでしょうね。

雨に打たれながら、ひとりで歩く私。
その横で、何事も知らなかったように、
ふっくら丸々と、青く咲き乱れるあじさいの花。

また、今年もあじさいの季節がやって来ました。
あれから一度も明月院には行っていません。
私は今、女房とふたりの子供と暮らしています。
明日にでも、
近くの公園に、あじさいを見に行こうと思っています。

あなたの住む街も、
あじさいが美しく咲いているでしょうか・・。



今日も明月院のあじさいは、
人々を迎え、咲き乱れている。
ふわふわと、ころころと。

父親の証明

2006-06-20 14:16:38 | 世の中あれこれ
おととい18日は、父の日だった。

うちは、子供たちからは何もナシ。
夕食の時間になって、息子が思い出したように、
「あ、今日は父の日だ」と呟いただけだ。
もっとも、何もいらないが。

父の日のプレゼントは、
父親の50%が、「何もいらない」と答えている。

最近、芸能人やスポーツ選手の父親が、
TVや雑誌に出ることが多い。
昔から、こういう事は母親のパフォーマンスだったが、
最近はとにかく父親が目立つ。
「○○パパ」だの「チチ○ー」だの。

今日はラジオ某局で、「ゴ○ラ」○井の父親が出ていた。
なんでも、演歌歌手としてデビューしたらしい。
曲が流れていたが、
失礼ながら、身の程を知って戴きたい、と思った歌声だ。

何年前か、TVの某局では、
「子だくさん大家族シリーズ」を流していた。
子供が十数人の、大家族。
父親は、大工さんだったと思うが、
正直、この父親を立派な人だとは思えなかった。

子だくさんゆえの家の中。
散らかり放題、敷き放題、壊れ放題の家。
母親は終始、髪を振り乱している。
そしてこの父親は、それでも仕事から帰ると、
一番風呂に入って、酒を飲んで座り込んでいる。

「それでもお父さん、堂々としています」
「お父さん、いざという時は動きます」
「やはり、お父さんの存在感は大きい!」
ナレーターの声が空々しく感じた。
私など・・いや、世の中の大半の父親は、もっとしっかり動いている。
批判はできないが、私の思う父親像と、この父親は違うなと感じている。

さて、父が健在で、私自身も父親である今、
「理想の父親」という著名人は特にいない。
しかし、父と実際に二歳違いで、
私が子供の頃から「理想の生き方」としてファンだった、
作家の森村誠一さんは、今でも気になっている。
「人間の証明」や、「野性の証明」などのベストセラー作家だ。
戦争を題材にして、バッシングされた時もあったが、
そのストレートで気取らない、氏の生き様は、
どこか私にとって、今でも「理想」を引きずっている。

(写真は森村氏。73歳)

授業参観と懇談会

2006-06-17 14:49:07 | 日常から
娘の授業参観に行った。

今日は土曜日。参観には父親の姿も多かったが、
そのあとの懇談会では、父親の出席は私ひとりだった。

今日は妻が出かけ、私が代わりに行ったのだが、
妻がいれば、当然私は行かなかったわけで、
父親が少ないどうこうは言えない。

幸いにも、担任が男の先生だったので。
私もそれほどの違和感はなかった。
というより、これまで何度も、
「白一点」で懇談会に参加した事があるからだ。

学校と、子供の教育。
どうしても、母親に任せっぱなしだ。
世の父親の大半は、時間的に仕方ないとは思いながらも、
やはり反省は必要か。

学校の先生になりたい、と思ったことのある私。
学校自体は今でも好きだが、
では、子供の教育にも熱心かというと、
恥ずかしながら、「妻まかせ」。

娘の担任の先生は、若いなかなか溌剌とした先生だった。
自分の子供時代を思い出す。
よく怒られたり、叩かれたりした。
今の先生は、手も挙げられない窮屈な時代にいる。

蚊帳

2006-06-16 16:34:46 | 懐しい話
今日、蚊に刺されてしまった。
この夏、初めてだ。

蚊から、ふと「蚊帳」を連想した。
昔、山梨の親の実家に遊びに行くと、あった。
ひと部屋に一つ。
まだ幼稚園児だった私。それが何かはわからなかった。

「かや、といって蚊が入って来ないんだよ」
今は亡き祖母が教えてくれたのだが、
蚊よけ、といわれてもピンとこない。
とにかく、寝る時間になると、あっという間に張られていた。
というか、「吊られていた」という記憶だ。

だから、私は今でも張り方などわからないし、
蚊よけの効果があったかどうかも、定かでない。
その後、この実家も「ブタの蚊取り線香」を経て、
電子蚊取りマットに代わっていった。

この実家には、他にも「五右衛門風呂」があったり、
出始めたばかりの「電子卓上計算機」があったり、
ジュースの素、ツマミ調節のカラーTV、魔除札・・。
庭では、小さかったがブドウの栽培までしていた。
昭和40年代の、田舎そのものだった。

今、子供達が夏になると、妻の実家に遊びに行く。
あちらの実家は団地の二階だ。
子供達は、TVゲームをして過ごしている。
「新鮮な古いもの」は、見当たらない。

三河島の韓国

2006-06-15 12:26:38 | 旅・町歩き
初めて降りる駅。初めて歩く町。
そこで出会うもの、発見するものは、
どれも感動してしまう。

昨日、初めての駅に降りたった。
JR常磐線「三河島」。日暮里から一つ目の駅。
これだけ東京にいて、いろいろな駅に降りたが、
この「三河島」は初めてだった。

昭和37年5月3日。
あの「三河島事故」が起きた駅である。
当時から、過密ダイヤが招いた事故、と言われたが、
昨年の、尼崎脱線事故も同様だ。
教訓は生かされているのか、と思う。

ともかく駅を出て、
右も左もわからぬ町だったが、一本の狭い道に入る。
なんとそこに現れた光景は、
韓国語の並ぶ看板だった。

韓国料理の店、キムチの販売店など、
赤や黄色の看板が並ぶ。
あとで知ったが、
ここ三河島は、韓国・済州島出身の人々が住み着いた町だ。
当然、韓国の店が並ぶわけだ。

東上野や、大阪・鶴橋の「コリアンタウン」も行ったが、
三河島のそれは、小規模だ。
しかし、ここで暮らす人達のエネルギーを思う。

キムチは大好きな私。
何か買って帰りたかったが、
電車なので、少しためらってしまった。
以前、大阪・鶴橋で山ほど買って新幹線に乗ったが、
匂いがきつく、ずっとデッキに立って帰って来たからだ。
今回は、地元・東京とはいえ、
車ででも来た時に・・と思い直した。

韓国の人々が、一つの町に住んでタウンを築いている背景には、
必ず戦争や支配が絡む。
でも、今は地域と一体になって歩んでいる時代である。
ここ、三河島の地域センターでも、
ハングル語講座が開かれたりしている。

折りしも、サッカーW杯の真っ最中だが、
日本人でも、韓国の試合を気にしている人が多い。
前回は日韓共催だった。
「仲間」意識は、世界を通じても、小さな三河島の町でも繋がっている。

車いすの監督を目指して

2006-06-10 12:03:03 | スポーツ大好き
サッカーW杯が開幕した。

サッカーに関する選手や試合など、話題は山のようにあると思うが、
今回のW杯とは関係ない、
でも、いつか関係するかもしれない人を紹介したい。

羽中田 昌(はちゅうだ まさし) さん。
東京・暁星高校、サッカー部コーチ。
車いすに乗って指導をする。

1964年生まれ、もうすぐ42歳の羽中田さん。
山梨県の韮崎高校出身。中田英寿を輩出した、名門校だ。
高校3年間すべて、正月の全国高校選手権に出場し、
2年連続準優勝の、中心選手だった。

3年生の時。最後の大会を前にした羽中田さんだったが、
突然腎臓病にかかり入院。
大会どころか、サッカーそのものを医者からストップされる。

しかし、不屈の努力で治し、
全国大会に、何とか出場を果たす。
チームメートの頑張りで、決勝まで進んだ韮崎高。
それまで出番のなかった羽中田さんは、
決勝戦後半、ラスト25分にピッチに立った。

大歓声の国立競技場。
私もその時、韮崎応援席にいた。
私は、両親が山梨出身ということで、ずっと韮崎を応援していた。

試合は、長谷川健太(エスパルス)の清水東に4点を奪われていた。
しかし、残りの何分だったか、
羽中田さんは、パスを受けると猛然とドリブル。
しかしシュートは外れ、韮崎の悲願の初優勝もならなかった。

高校を卒業した羽中田さんに、またもや悲劇が襲う。
バイクでの転倒事故で、下半身不随。
以来、ずっと車いすの生活を送る。

腎臓病の比ではない。
もう、今度こそサッカーは出来なくなった。
自殺も考えたという羽中田さんだったが、
ここでも、持ち直していく。

車いすでもサッカーをしたいという思い。
それまで勤めていた山梨県庁を辞め、
スペインに渡り、サッカーの指導者としての道を開く。
その後、解説や執筆、講演活動などを続けながら、
暁星高校のコーチとなり、現在に至る。

今、日本サッカー協会の、指導者ライセンスを取得中だ。
夢は、史上初の車いすのJ1監督だという。

あの日、国立のグラウンドを猛然と走った羽中田さん。
同年代の私にとって、
伝説だけど、現実を立派に生きている選手である。
いつか、W杯の監督として車いすから指示を出す・・
そんな羽中田さんを見られればいいな、と思っている。

羽中田さんプロフィール

サッカーの祭典

2006-06-09 10:10:00 | スポーツ大好き
今日からドイツで、
2006・FIFAサッカーW杯が開幕する。

私は、ふだんサッカーはそれほど見ないが、
やはり、W杯は興味がある。
オリンピックと同じように。

サッカーが好きで、
日頃から応援しているファンからすると、
この時だけの「にわかファン」は、気に入らないだろう。
私もその「にわかファン」になるわけで、
当然ながら、本当のファンの人に
対等に、知ったかぶりの話をしようとは思わない。(出来ない)

ただ、サッカーを心から楽しめる祭典だ。
応援させていただきたい。ニッポンの国民として。
そして、世界のいろいろな国の選手やドラマを見たい。

大国アメリカは、
サッカーにそれほどの熱はないという。
ルールを知らない国民も大勢いるらしい。
かつて、アメリカの「サッカー後進国」をパロディーにした、
CMのようなものを見たことがある。

アメリカ選手が、レッドカードを宣告される。
審判の掲げた赤いカードを見たその選手は、
「何だこれは?・・わかった! 俺のサインが欲しいのかい?」
と言って、カードにマジックで自分のサインをして
再びプレーを続けるというオチである。
アメリカで作成されたCMだ。

もはや、アメリカもそんな国ではないだろうが、
やはり強いのは南米とヨーロッパだろう。
日本は、今年は予選突破も微妙らしいが、
そういう方が見ていて楽しい。

W杯は、32チームの予選リーグとトーナメントだ。
各組に強豪がシードされるなど、
私には、とてもフェアでスッキリした形に見える。
まあこれも、詳しい人に言わせれば、色々な思惑があるらしいが。

でも、毎回起こるチケット問題はいただけない。
旅行会社の、それこそ思惑も絡んでだろうが、
トラブルが絶えないのは残念である。

しかし、楽しみに見ていきたい。
ヨーロッパだと、どうしてもリアルタイムで見にくい時間だが、
前回は、当然「日本時間」だったので、まあ今回は仕方ない。
素人の目で、素人らしく応援したい。