シャープ & ふらっと

半音上がって半音下がる。 それが楽しい、美しい。
思ったこと、感じたことはナチュラルに。  writer カノン

車いすの監督を目指して

2006-06-10 12:03:03 | スポーツ大好き
サッカーW杯が開幕した。

サッカーに関する選手や試合など、話題は山のようにあると思うが、
今回のW杯とは関係ない、
でも、いつか関係するかもしれない人を紹介したい。

羽中田 昌(はちゅうだ まさし) さん。
東京・暁星高校、サッカー部コーチ。
車いすに乗って指導をする。

1964年生まれ、もうすぐ42歳の羽中田さん。
山梨県の韮崎高校出身。中田英寿を輩出した、名門校だ。
高校3年間すべて、正月の全国高校選手権に出場し、
2年連続準優勝の、中心選手だった。

3年生の時。最後の大会を前にした羽中田さんだったが、
突然腎臓病にかかり入院。
大会どころか、サッカーそのものを医者からストップされる。

しかし、不屈の努力で治し、
全国大会に、何とか出場を果たす。
チームメートの頑張りで、決勝まで進んだ韮崎高。
それまで出番のなかった羽中田さんは、
決勝戦後半、ラスト25分にピッチに立った。

大歓声の国立競技場。
私もその時、韮崎応援席にいた。
私は、両親が山梨出身ということで、ずっと韮崎を応援していた。

試合は、長谷川健太(エスパルス)の清水東に4点を奪われていた。
しかし、残りの何分だったか、
羽中田さんは、パスを受けると猛然とドリブル。
しかしシュートは外れ、韮崎の悲願の初優勝もならなかった。

高校を卒業した羽中田さんに、またもや悲劇が襲う。
バイクでの転倒事故で、下半身不随。
以来、ずっと車いすの生活を送る。

腎臓病の比ではない。
もう、今度こそサッカーは出来なくなった。
自殺も考えたという羽中田さんだったが、
ここでも、持ち直していく。

車いすでもサッカーをしたいという思い。
それまで勤めていた山梨県庁を辞め、
スペインに渡り、サッカーの指導者としての道を開く。
その後、解説や執筆、講演活動などを続けながら、
暁星高校のコーチとなり、現在に至る。

今、日本サッカー協会の、指導者ライセンスを取得中だ。
夢は、史上初の車いすのJ1監督だという。

あの日、国立のグラウンドを猛然と走った羽中田さん。
同年代の私にとって、
伝説だけど、現実を立派に生きている選手である。
いつか、W杯の監督として車いすから指示を出す・・
そんな羽中田さんを見られればいいな、と思っている。

羽中田さんプロフィール
コメント (2)
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