シャープ & ふらっと

半音上がって半音下がる。 それが楽しい、美しい。
思ったこと、感じたことはナチュラルに。  writer カノン

「きれい」と「かわいい」

2007-05-30 15:47:00 | 世の中あれこれ
2007年ミス・ユニバースに、
日本の、20歳の森理世さんが選ばれた。

日本人の世界一は、48年ぶりだという。
素晴らしい快挙だが、
森さんは、カナダ留学にダンサーという仕事など、
「ニッポン女性」のイメージとは、少し離れた雰囲気を持つ。

世界の中での日本女性というと、
必ず「大和撫子」という連想が出てくるが、
今は、そういう上品な「静」の美より、
森さんのような、「動」の美の時代になったのだろう。


私のブログは、女性に関する記事が多い。
友達にしても、赤の他人にしても、
28日の、坂井泉水さんのような話にしても・・。

ブログで私は、感じたことを言葉にして、
美しい文章で表現したい、という思いがある。
なので、女性の存在というのは、
そういう思いを記事にできる、というのもある。



・・さて、女性を見て、
「きれい」と「かわいい」という、二つの表現がある。

「きれいな人」と言われるのと、
「かわいい人」と言われるのと、
女性は、どちらが嬉しいのだろうか・・・。


実は、この質問を、数人の女性にしたことがある。
返ってきた答えは、全員
「かわいい人」がいいということだった。

「きれい」は、外見の要素が強く、作られた部分。
でも、「かわいい」は、内面から出るもの。
だから、「かわいい女」と言われたい・・ という事らしい。


でも、中高生の女の子ならともかく、
30、40代の大人の女性なら、
「きれい」と言われた方が嬉しいのでは・・?と思う。

「かわいい」は、「幼い」というイメージに結びつく。
だから、「きれい」という方が礼儀かな、などと思ってしまう。

私も、大人の女性にはつい、
「きれいですね」と言ってしまう事が多い。


ともあれ、「かわいい」は、内面からくるもの・・。
これは、もっともだと思う。
こちらの方が、賛辞として良いということか・・。


でも、女性に対して「かわいいね」と言うのは、
お付き合いが深い仲か、
男のイヤらしさを出しているか、
そのどちらかという気がしてならない。

女性に対する言葉は、本当に難しい・・・(>_<)
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どんなに離れてても・・

2007-05-28 17:10:05 | 人とのつながり
ZARDの坂井泉水さんが亡くなった。

驚いた。
そして、無性に悲しくなった。

特に、ZARDのファンでも
坂井さんが好きというわけでもなかったが、
耳に残るメロディは、とても覚えやすく、美しかった。


病院内での事故死、ということらしいが、
原因はともかく、
40歳でこの世を去ることが悲しい。

亡くなってみて、
あらためて、その人を想う。
素敵な思い出しか浮かばない。

自分もそんな一生でありたいと思う。


坂井さんという一人の歌手と、
じっくり向き合ってみたのは、今日が初めてだ。
この世から、いなくなってしまった後に、
その人に向かい合う悲しさ。
でも、
素敵なメロディが残っている幸せ・・。


どんなに離れてても
心はそばにいる・・・

私の好きな言葉だ。


そう・・

坂井さんは、
歌を通じて、たくさんのメッセージを残してくれた。
これからも、
私達と、ずっと向き合っている。



ふとした瞬間に 視線がぶつかる
しあわせのときめき 覚えているでしょう
パステルカラーの季節に恋した
あの日のように輝いてる
あなたでいてね

負けないで
もうすこし 最後まで走りぬけて
どんなに離れてても
こころはそばにいるわ
追いかけてね はるかな夢よ


なにが起きたって ヘッチャラな顔して
どうにかなるサと おどけてみせるの
今宵はわたくしと一緒におどりましょう
今もそんなあなたが好きよ
忘れないでね

負けないで
ほらそこに ゴールは近づいてる
どんなに離れてても
こころはそばにいるわ
感じてね見つめる瞳


        『負けないで』 坂井泉水
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ある馬と、ある女性

2007-05-27 13:07:00 | 世の中あれこれ
今日は、競馬の祭典・日本ダービーの日だ。

昨年も、ダービーに関する記事を書いた。
→2006-5,27「日本ダービーと作家の人生」
馬と人のつながり。
そして、今年もふと思い出した。


1973年(昭和48年)、日本ダービー。
この年は、「怪物」ハイセイコーが登場。
このレースも、ハイセイコー人気一辺倒だった。


このレースで、一頭の馬が出走した。
名前を「ボージェスト」といった。
映画の題名なのだが、
直訳すると、「遺児」 「忘れ形見」である。


この前年の、ある町の女の話である。
彼女は、転落の人生を歩んでいた。
水商売、風俗、ドラッグ・・なんでもやった。
そして、行きずりの男と恋をした。

結果、しばらくして、望まない事実を迎える。
彼女は悩んだ末、産むことを決める。
相手の男は、打ち明けた直後に姿をくらました。

そして場末の病院で、ひっそりと出産した。
男の子だった。


彼女は、この子に 「遺児 (ゆいじ)」と名付けようとした。
「父親がいないんだもの。遺児でいいじゃない。」
しかし、周囲に反対される。 『子供がかわいそうだよ』
結局、ごく普通の名前をつけた。

翌年、彼女は子供を抱えながらバーで働く。
5月のある日、客の一人が
『明日はハイセイコーで決まるかねぇ』
と言って、競馬新聞を出す。

彼女は、競馬はまったくわからない。
しかし、客の新聞を覗きこんで、
ある一頭の馬の名前が目に飛び込んできた。

『ボージェスト』

彼女は、息子に「遺児」と名付けようとした時、
英語では「ボージェスト」という事を知っていた。

「○○さん、明日、この馬の券を買ってきて」
客は怪訝そうな顔をする。
『ボージェスト・・? こんな馬、たぶんビリだよ』
「いいの、買って来て」

彼女は、有り金をすべて客に渡した。
翌日、客は言われた通り、ボージェストの単勝を買う。
そして・・

ボージェストは、最下位だった。


客はその晩、彼女を慰めに行く。
『ほらごらん。本当は買うのやめて、金を返そうと思ったけど』
「いいの。○○さんありがとう」

客が帰ったあと、彼女はつぶやいた。
「この子のミルク代、消えちゃった・・・」


ボージェストは、その後の成績も振るわず、
ひっそりと引退した。
だが、この馬の母は、優秀な短距離馬だった。
しかし、子供に恵まれず、
まともに走れた馬は、このボージェストだけであった。

ボージェストもまた、「忘れ形見」だったのだ。


彼女のその後の人生は、わからない。
だが、最下位とわかっている馬に託した思い・・。
この年の日本ダービーには、
そんな、一人の女性と馬のつながりが、たしかにあった。



まもなく、今年のダービーはスタートする。
18頭のそれぞれに、
誰かの思いと人生が乗っている。
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再び、キスの日

2007-05-23 17:57:02 | きょうは何の日?
今日は、『ラブレターの日』と『キスの日』である。

昨年の5月23日、この話題を記事にした。
「ラブレターとキスの日」
実に素敵な日が重なっているという驚きと感動から、
取り上げてみたものだ。


記事から一年経った。
ラブレターを書く、ということはない現在だが、
書いてみたい、という気持ちになる時はある。

それは、大切な友達・・異性に限定されるが、
メールで、お互いの意思が伝わらない時だ。
相手の心が読めなかったり、
メールの一字一句に、納得できなかった時など・・。

手紙で、きちんと伝えたいと思ったりする。
実際、私は手紙を書いて、友達を作ってきた人間なので・・。
しかし、忙しさや便利さから、ついメールで済ましてしまう。
メールは、その時の感情を相手にぶちまけたり、
すぐに返事を迫ったりする時などにも使われる。
心の奥深くを伝えていくには、単純すぎる手段だな、と感じる。

ラブレターは、恋の手紙という意味だけでなく、
相手との、心のつながりをもう一度確かめるという、
時間を置いて伝えていく手段だと思う。

自分の気持ちを文字にすると、正直な自分が見えてくる。
メールでも可能だが、
自ら書いてみるというのも、良いかもしれない。



キス。
こちらは、この一年で切実に考えたことだ。
愛情表現とか、恋の証、などという単純なものでなく、
もっと深い意味があるように感じる。

キスを求める、という言い方がある。
だが、キスは自然に成り立つものだ。
口でするものだが、まず目や表情からお互いに察し、
二人の気持ちが、近づくものだと思う。

無理やりキスをされた、という女性の話を聞く。
相手は、不自然に成立した出来事に、満足したのだろうか。
キスは、その場の勲章ではない。
価値があるのは、そこから始まる二人である。

街中でもどこでも、
自然にキスをするという女性とも知り合った。
いや、自然にできる、というべきか。
外国式の考えだが、私もこれは受け入れられる。

見苦しいキスは、たしかに不快だ。
日本人は、感覚的に慣れないところもある。
しかし、美しい愛情表現だと思う。
その美しさは、
相手との心のつながり次第で、輝き方も変わってくる。


人と知り合い、人を愛すること。
その表現を、伝えていくこと。

今日は、いろいろな意味で大切な「記念日」である。
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言葉の後悔

2007-05-17 12:18:11 | 日常から
自分の言った言葉に対して、
あとで強く後悔することがある。


昨夜の、ある女性との会話。

女性 「A子さんって、大人ですよね」

私  「いや、私から見れば子供だよ」 

この会話が、今日になっても後悔している。


昨夜話をした女性と「A子さん」は友達同士。
ともに、大学生である。
私は、昨日のその女性とは初対面。
でも、A子さんのことはよく知っている。

会話の中で、A子さんの話が出て、
お互いに、共通の友人ということがわかった。
しばし、A子さんの話題で盛り上がっていたが、
そんな時に、ふと、口に出た言葉だった。

私から見れば、A子さんはたしかに素敵な大人。
とてもしっかりした女性である。
だが、子供だなと感じる部分も強い。
「大人だけど、やっぱりまだ子供だよ」
それを、うまく伝えられなかった。

子供・・というか、「若さ」を言いたかった。
良い意味での「子供らしさ」を
あまりにも簡単に言葉にしてしまった。


彼女は、
「そうですよね。大人の方から見れば子供ですよね」
と笑っていたが、
おそらく、どこか不快な思いをしたのではないか。

昨日の彼女にも、A子さんにも、
申し訳ないことをしてしまった・・・。


写真は、木いちごの花。
花言葉は「後悔」だという。
しかし、それ以外にも
愛情・謙遜・尊重・同情・・という言葉を持っている。

すべて私に欠けていたものだった。


後悔をしても、戻らない。
しばらくは、人と会話をしたくない・・
そんな気持ちになってしまっている。
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頑張っているお母さん

2007-05-14 15:54:47 | 人とのつながり
私には、同い年の友達がいる。

以前、このブログで紹介したのだが、
理由あって、その後掲載を控えた方である。

しかし、私にとっては本当に良い友達だ。
昨日は、久しぶりにメールで話をした。
男女とか、既婚という意識のない相手である。


小学生の娘さんがいるお母さん。
しかし、心と身体の両方に病気を持ち、
朝から横になることの多い人だ。
だが、娘さんに対しては、
実にしっかりした母親である。

基本的なあいさつや、乗り物の中でのマナーなど、
常に言い聞かせている。
「あたりまえの事から教えないと・・」

そして、習い事なども熱心にさせている。
英会話、習字、公文式、バレーボール・・。
だが、教育ママではない。
「イヤな事を続けてても身にならない。
向かないと思ったらやめなさい、と言ってるんだけどね・・」

娘さんは、どれも頑張って通っているらしい。


朝がきついという。
貧血、めまいは当たり前の毎日。
それでも、お弁当を作らなければならない。

彼女の語る、「朝の、究極の大ボケ談」・・・

「豆腐を切ろうとして、手のひらの上に乗せたのね。
そのまま、何を考えたのか、スッと包丁を引いちゃって・・
まっ赤な豆腐を見て、我にかえったの・・・」

「卵を割ろうとして、お皿ではなく、
うっかり三角コーナーに落としちゃって・・。
その卵が、最後の一個だったのに・・・」

「パートに向かうのに、電車の中で寝ちゃって・・。
携帯が鳴ったんで出たら、店長が、
『遅れる時は電話ぐらいしなさい』と言うんで、
『はい、すみません・・』って言って切ったの。
でも、何で・・? 私、電車乗ってるじゃない。
で、外を見たら、終点で折り返して下り電車になってたの・・」


以前、これらを楽しそうに話してくれたのだが、
無理をしながら、家族のために働いている彼女を考えると、
心底から、笑い話として受け取れなかった。

だが、決して暗い表情は見せず、
愚痴もあっけらかんと話す彼女には、
私も、元気を貰うことが多い。
身体に気をつけながら、
毎日を頑張ってほしいと願っている。



昨日は、母の日。
母に対する感謝や、母をテーマにした話を探していたが、
ふと、とても明るく頑張り屋のお母さんを思い出したので、
一日遅れの、私からの今日の記事にしたい。
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エオリアンハープ

2007-05-12 15:02:07 | 音楽を聴く
             
             

「エオリアンハープ」

ショパン・エチュード、作品25-1 変イ長調
この曲の別名である。

しかし、ショパン自らが名づけたのではない。

シューマンが、ショパンのこの演奏を聞いた後、
「エオリアンハープを聞いているようだ」と
言ったことに由来する。


エオリアン・ハープというのは、楽器の一つである。
胴に6本以上の弦を張ったもので、
風の通る場所に置くと、
それぞれの弦が、風の強さによって異なる振動をして、
さまざまな音を奏でる、というものだ。

しかし、エオリアンハープという楽器は、
そこらに存在するわけではない。
国内では、浜松市の楽器博物館にある他、
音大の資料館等に、いくつかあるだけらしい。

楽器ではない、と唱える人もいる。
自然の力で奏でられるものは、
楽器という定義から外れる、というものだ。

実際に、この音色を聴いた人は少ないと思うが、
それほど美しい音色ではないようだ。
しかし、
自然の、風の力で鳴るというメロディは、
おそらく、心に響くものだと思う。


ショパンのこの曲は、まさに風の中のハープだ。
左手が奏でる風のささやきと、
右手が奏でるハープのような調べ。
ピアノの美しさをちょっぴり超えたような旋律だ。

シューマンは、
本当の美しいエオリアン・ハープを、
風の中で聴いたのかもしれない。


5月の風の中。
一度聴いてみたいと思う。
幻のような、エオリアン・ハープのささやきを・・・。
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メールの「顔」

2007-05-09 16:06:42 | 人とのつながり
ここ何年かの間で、
メールやブログをしている方と何人か、お会いした。
しかし、その「順番」は人により異なる。

最初、メールで知り合って、
のちにお会いした人。

逆に、日常の暮らしの中で出会って、
あとからメールをするようになった人。

この二通りに分かれる。

しかし、ほとんどの人に共通しているのが、
「会った時と、メールでのその人が、一致しない」
ということだ。



前者の、「先メール」の方達は、
実際お会いしてみると、そのイメージとの差が大きい。
良いにつけ失望につけ、
ギャップを感じる時がある。

こんなしっかりしたメールの人が、
こんな慌て者だったなんて・・。

いつも長いメールの人なのに、
お話する時は無口だな・・。

といったパターンである。



後者の「後メール」の方達は、
先に会った分、メールへの期待度も高くなる。
そこからの意外な一面を見たりする。

あんなおとなしい人だったのに、
ずいぶん過激なブログを書く人だな・・。

メール興味なさそうだったけど、
いつもコマメに返信をくれるなぁ・・。

明るい感じの人なのに、
なんでメールは、こんな落ち込む話ばかりなの・・?

というパターンだ。



会って、話をした時の顔が、
当然ながら、「その人」だと思っている。
メールやブログは、その人の「もう一つの顔」にすぎない。
本当の「その人」を見たいから、会いに行くわけだし。

でも・・

数年前、
前者の「先メール」で知り合った人とお会いした。
いつも、寂しがりのメールばかりだった人が、
会った時は、とても明るくよく笑う人で、
(あ、やっぱりこの姿がこの人なんだな)と思った。

しかし、後日その人からメールが届く。
『ごめんなさい。あの日は精一杯自分を作ってました』
メールが、自分の本当の姿だと言い切った。

それ以来、
どちらもが、その人なのだと納得するようになった。


メールで、仲がこじれたことも、何度かある。
私も、このブログをはじめ、メールでは、
「自分ではない自分」を出しているのかもしれない。
いや・・、
こちらが、本当の自分の「顔」だとしたら・・。


みんな、メールの顔を持っている。
それが、本当の顔かどうかは、
自分にしかわからないのではないか。
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中国語かドイツ語か

2007-05-08 08:58:52 | 日常から
高校生の息子が、
学校の「第二外国語」で、何を選ぶか迷っているようだ。

今は高校生でも、英語以外の、
第二外国語を学ぶのが当たり前となっている。
とても良いことだが、
ただ漠然と選択し、受けるだけでは身につかない。

息子は、ドイツ語を受けたいらしいが、
特に理由や希望はないようだ。
ただ単に、「一番簡単そうだから」という。


私は、大学でドイツ語を選択した。
将来、クラシックの合唱をやりたかったことと、
必ずドイツに行きたい、という思いがあったからだ。

結果的には、合唱団に入り、
ドイツ語中心の音楽を歌い、
新婚旅行ではオーストリアに行って、会話も成り立ったので、
選択したのは正解だったと思っている。

しかし、息子には「中国語を取りなさい」と言った。
今の仕事先の、中国の留学生を見るまでもなく、
これからの日本は、中国人との交流が盛んになる。
一番、身につけておくべき言語だと思っている。


3月22日のブログ、『日本で学び働くこと』で紹介した、
留学生のTさん。
その後も、よく会話をしているし、
良い関係を続けている。

彼女の日本語は、日毎に上手になっている。
先日、彼女にある用件があって手紙を書いた。
はっきり、わかりやすい日本語と、
辞書で調べながら書いた中国語の二枚を、同封した。


その後、彼女から特に何も言ってこないが、
不完全な中国語手紙に、あきれたことだろう。
その時思ったのは、
やはり、中国語を話せたらいいなぁ・・ということだった。

手紙をしたためて、
それに丁寧に返事を書く、というのは
日本人的な考えだったと、反省している。
まず、言葉のやり取りからでないと、
彼女たちには、コミュニケーションは伝わらないと思った。


ドイツ語は、限りなく英語に近い。
「読んで字の如し」が、ドイツ語である。
もちろん、簡単ではないが、
比較的、入りやすい言語でもある。

ウィーンに、音楽留学でも目指すのならともかく、
子供達にはぜひ、中国語を覚えてほしいと願っている。
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連休は終わる

2007-05-06 21:18:38 | 旅・町歩き
道がつづら折りになり 
いよいよ天城峠に近づいたと思うころ・・・

川端康成 「伊豆の踊子」


夜の8時を回っていた。
同じ伊豆でも、天城峠から北に向かった地、熱海。
来宮駅からの道は急坂だった。
つづら折りではなかったが、
曲がりくねった道だった。

遠くに、熱海の夜景が見える。
「熱海の夜」という昭和の演歌があった。
妻ではない相手と一緒に、熱海に来る。
だが宿帳には「妻」と書く、という歌詞だったと思う。


熱海の急坂。
降りきったところに温泉がある。
軽く浸かって、すぐに上がった。

私のゴールデンウイークは終わる。


「こだま」の席は空いていたが、
私はずっとデッキに立ってきた。
ドアに体をもたれかけて、
今日までのことと、明日からのことを考える。

どうしよう・・・
何と言おう・・・
何を書こう・・・


いろいろな人の顔が浮かぶ。
それぞれの人に対して、
しなければならない事が、すべて違う。

まとまらないまま、
いつの間にか、こだまは品川に着いた。



そう、まず今日を感謝しよう。
ありがとう、と心から。
そして、明日から頑張ろう。
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