先日、ひとりの人と道で会った。 私が昔いた、合唱団の人だった。
『どうですか。また歌いに来ませんか?』
アルトの女性。 もう30年近く、合唱団にいる人だ。
年々、団員は減少している。 テノールだった私は、今でも「貴重な」存在らしい。
昔話を楽しんだのだが、 彼女がふと口にする。
『そういえば、ソプラノの○○さんや、ベースの△△さんも、 もう亡くなられたのよ・・。』
あの当時、若かった私と対等に接して下さった年配の方々が、
次々に他界されていると聞く。
『歳をとって死ぬとは限らない。震災で亡くなった方もいるし、
生きているうちに、出来ることをしたいわよね。』
彼女はそう言った。
私がここをやめて、 次に入った合唱団では、
Fさんというソプラノの女性がいた。
ある時、若い団員のK君が、
「練習がつまらない。好きな曲ではないし、団を辞めたい」 と言った。
するとFさんは、
『歌を歌えることが、どんなに幸せか考えてね。
生きているうちしか、音楽なんてできないのだから』
穏やかな口調で、そう言ったという。
K君は、結局団に残った。
半年後、Fさんはがんで他界する。
K君は、その時の言葉を合唱団の会報に寄せ、 皆の知ることとなる。
Fさんの言葉は団員の胸を打った。
前述のアルトの女性には、 ひとつ約束をしておいた。
「二年後に50歳になるので、その時また戻ろうと思います。」
これは社交辞令でもなんでもない。
50歳になったら、新しいことを始めるのではなく、
好きだった合唱に戻ろうと、ずっと考えていた。
娘も、二年後に20歳になる。 私の時間も作れることになるからだ。
歌をうたえる幸せ。
生きているからこそ、音楽に接していけるのだ。
人生の後半も、自分の中にあるといいなと思う。