シャープ & ふらっと

半音上がって半音下がる。 それが楽しい、美しい。
思ったこと、感じたことはナチュラルに。  writer カノン

雨中の第四試合

2007-03-30 17:59:30 | スポーツ大好き
甲子園のセンバツは、今日で2回戦が終わり、
ベスト8が出揃った。

準々決勝は、明日と明後日の、二日間に分けて行なわれる。
しかし、以前は準々決勝といえば、
一日四試合が行なわれた。
それが「準々決勝」であり、当たり前のことであった。


28年前。
1979(昭和54)年、4月5日。センバツ準々決勝。
この日は朝からどんより曇り空。
そして、午前中には雨が降り始めた。

この大会は、3日目の朝に痛ましい事故が起きた。
地元の、PL学園と浪商高校が揃って登場した日だったが、
観衆が多く、甲子園球場入口で将棋倒しになる事故が発生。
PLを応援に来た小学生二人が、犠牲になった。

降りだした雨の中。
この日は、二人の葬儀がしめやかに行なわれた日でもあった。
二人が楽しみにしていたPLと浪商は、ともに勝ち上がり、
この日の準々決勝も勝って、ベスト4へと進んでいった。


午後から、雨脚はいっそう強くなった。
普通ならば、そのあとの試合は中止・順延となるはずだ。
しかしこの大会は、すでに雨で二日伸びていた。
これ以上、順延はできないと判断された。

その、大雨の中、準々決勝第四試合は強行された。

東洋大姫路 対 池田。

プレーボールから、すでにグラウンドはぬかるんでいた。
しかし、試合はきびきびと進行し、
東洋大姫路が8-2、6点リードで、
とにもかくにも、最終回まで来た。

しかし、池田はここから「伝説のような」攻撃を仕掛けた。
ぬかるんだグラウンドのため、とにかく打球は止まる。
打者は、全員一塁へヘッドスライディング。
水しぶきを上げ、滑って、ことごとくセーフになった。

ベンチ前では、池田・蔦監督(故人)が、
ずぶ濡れになりながら、選手と一緒に立っていた。
「選手が濡れとるんやから、監督も一緒になるのが普通じゃろ」
それは翌日の新聞で、「胸を打つ光景」と紹介された。

池田は、粘ったが、
5点を返したところで、ゲームセット。
あと一点が届かなかった。
選手は、ユニフォームも顔も泥だらけだった。


今は、選手の健康管理が第一である。
たとえ一試合でも、極力順延するようになっている。
そして、準々決勝も、選手の疲労を考え、
春も夏も、二日間、二試合ずつに分けられるようになった。

28年前の、
このカクテル光線の中の壮絶な試合は、
記録に残るゲームではない。
しかし、ファンの間では語り継がれている「雨中の試合」。

そして、センバツ準々決勝というと、
私も必ず思い出す「名勝負」である。


写真は、蔦監督。
試合後、「しんどい試合じゃったが、よう頑張った」と、
選手をねぎらったという。
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音符ストラップ

2007-03-27 20:18:50 | ファッション・コスメ
携帯ストラップを求めて、
東京・初台の「東京オペラシティ」に行った。

この2階に、おしゃれな店がある。
といっても、ファッションの店ではなく、
れっきとした、弦楽器の専門店だ。

しかし、音符の小物や文具などが店頭を飾り、
こじんまりした店だが、とても楽しい。

「日本弦楽器・オペラシティ店」

演奏家や、音楽関係者も立ち寄るという店だが、
お堅い雰囲気はまったくない。
気軽にのぞけるショップである。

ストラップは何種類かあったが、
青い宝石のようなアクセントの入った物が気に入り、
それを購入した。

音符のネックレスも持っている私。
音符は、おしゃれであり、
どこか心の弾む記号である。

もうすぐ四月。
好きな記号を身につけて、
心、前向きに頑張っていこう。
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「0」に終わった投手

2007-03-25 10:26:58 | スポーツ大好き
プロ野球パ・リーグが、昨日開幕した。

いよいよ、ペナントが始まった。
今年は、松坂や井川のメジャー行きなど、
話題はそちらに集中していた感じであるが、
楽天・田中など新人選手の活躍も楽しみだ。

そして、昨年限りでユニフォームを脱いだ選手も多い。
日本ハムの新庄のように、最後まで華やかに去った選手もいた。
しかし、そんな中で、
ある一人の投手が、球界を去った。

横浜・村西哲幸投手。

私が思うには、どこか悲運があるように思える選手だった。


1999年、滋賀・比叡山高校のエースとして、
春夏の甲子園に出場する。
「近畿のドクターK」と騒がれ、評判の高かった投手だった。

しかし、
春は、沖縄尚学に0-1。 夏は、桐生第一に0-2。
ともに一回戦で敗れた。
しかも、春夏とも大会初日で、
この、村西を打ち敗った両校が、ともに優勝する。

優勝校と当たった不運。しかも、接戦の末の敗退。
打線の援護がなかった。
比叡山は、滋賀の常連校ではあるが、
この年だけは、ホームが遠かった。

夏、桐生第一に敗れ、スタンドに挨拶したあと、
その場で座り込んで泣きじゃくった村西投手。
とても印象に残っている。
彼自身は、ベストピッチングだった。

その年、横浜ベイスターズに、ドラフト3位で入団。
長嶋茂雄氏が、「将来大物になる」と太鼓判を押した。
プロでの、活躍が期待された。

しかし、
プロ7年間の成績は、0勝0敗0セーブ。
甲子園でのホームベースが遠かったように、
また、彼には一つの数字も記されなかった。

1敗、ならば
それはそれで、一軍で投げた証しになる。
村西投手は、一軍にも昇格したが、
勝ちも負けも、縁がなかった。

まじめで、おとなしい性格だったようだ。
もっと、強気に自信を持てば、
大成したかもしれないと言われている。


二度の甲子園。7年のプロ人生。
「0」に終わった村西投手。
しかし、これからの人生では、
たくさんの、価値ある数字を残して戴きたいと思う。



横浜は、今シーズン44歳の工藤投手を迎え、
30日、巨人との開幕戦に臨む。
工藤は26年目。通算215勝。
これも、人生である。
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日本で学び働くこと

2007-03-22 09:44:41 | 人とのつながり
新しい職場は、清掃業という性格上、
外国人のパートさんが多い。
男女とも、中国からの留学生が数人いる。

その中の一人と、話をすることができた。
Tさん。 20歳の女性だ。

昨日、デパートの新人研修が行なわれた。
清掃業である私達も、参加をする。
しかし、昨日はたまたま、清掃フロアからは、
私とTさんだけであった。

彼女は、まだ日本語をあまり読めない。
「研修案内」に書かれてある、「持ち物」を見落としたらしく、
写真もペンも忘れていた。
私は隣に座って、彼女とペンを共用することになる。

提出する書類など、記入項目がたくさんあったが、
そのつど教えながら、彼女も書き写していく。
そして、写真の提出になって、混乱する。
担当者から、
「今日中にスピード写真を撮って、三階にあがって印鑑貰って、
一階に降りて提出して、カードを受け取って・・・」

早口の担当者の言葉がわからず、困惑する彼女。
そこで、私が代わりに聞いて、
ゆっくり説明してあげることにした。

結局、写真を撮って、提出まで付き添った。
帰り道、話を聞くことになる。
Tさんは、中国・大連からの留学生。
日本に来てまだ一年。 日本語学校で学ぶ。
都内のアパートに、同じ留学生の友達と二人で住む。

「どうして日本語を勉強しようと思ったの?」と聞くと、
『大連では、日本語が一番人気あります』
「何が一番大変?」
『言葉と、あと・・お金が高い』
「日本は好き?」
『大好きです』

いろいろと聞いてみたかったが、
駅からの帰り道は反対方向だ。
なにより、ひとつの会話に時間がかかる。
でも、会話をすることの新鮮さを感じたひとときだった。

『ボールペンありがとうございました。失礼します』
実にしっかりした日本語で、彼女は帰って行った。


日本は、外国人が多くなった。
世界一難しい言語、とまで言われる日本で、
日本語を学び、働こうとする留学生。
それぞれの、国や家族が背景にあるとしても、
私は、大変なことだと思うし、
彼・彼女らを「偉いな」と感じている。

日本にきて一年。
Tさんにとって、私も「良い日本の人」であるよう、
頑張らないといけないと思う。
Tさんはじめ、心から、職場の留学生を応援したい。
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学ぶ・教える

2007-03-19 11:34:01 | 世の中あれこれ
カルチャースクール。
全国に、何千(何万か)とあり、
その内容も多岐にわたる。

これほど、カルチャースクールの多い国は、
おそらく日本だけではないか。
文化、スポーツ、芸術、料理から、
子供向けのスクールまで、莫大な数だろう。

新しく勤め始めたデパートにも、
カルチャースクールがある。
先日、清掃の仕事で
初めてこのフロアを回ってみた。

大人のバレエ教室。
その隣では、子供のための科学実験。
向かいの部屋では、ギター教室。
その隣の和室では、和服の先生が生け花。

絵画教室の前には、イーゼルが立てかけてある。
外人の先生の声は、語学教室からだ。
時間帯によっては、
料理教室から良い香りも漂ってくる。

人が学ぶこと。
それは、楽しむことから始まる。
学校の勉強とは違う、人生の学習。
好きなものを、自分の時間で楽しんで学んでいきたいものだ。

私も、「習う」「学ぶ」というのは好きなほうだ。
ここのカルチャースクールでも、
いくつか、習ってみたいものもある。

ピアノやフルート、などの音楽はもちろん、
料理も興味がある。
好奇心が強いわけではないが、
やってみたいという気持ちは、結構持つほうだ。

しかし、これまでの人生で、
生徒として習うことはあっても、
「先生」として教えたことはない。
私の持っている資格で、
指導者として教えることのできるものもある。
でも、私は習うほうが好きだ。

カルチャースクールの講座と生徒は、
どうしても女性のほうが多い。
男性も、学びたいけど時間が無い、という人は多いのだろう。
もっと気軽に習える環境がほしいものだ。

男が一番学習する場所は、居酒屋。
そう言った人がいた。
それも一理あるが、私は飲みに行かないので、
残念ながら、カルチャーセンターに成り得ない。
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かぐや姫・神田川

2007-03-16 17:15:04 | 音楽を聴く


  貴方は もう忘れたかしら
  赤い手拭い マフラーにして
  二人で行った 横丁の風呂屋
  「一緒に出ようね」って 言ったのに
  いつも私が 待たされた
  洗い髪が芯まで冷えて
  小さな石鹸 カタカタ鳴った
  貴方は 私の身体を抱いて
  「冷たいね」って 言ったのよ

  若かったあの頃 何も怖くなかった
  ただ貴方のやさしさが 怖かった

  貴方は もう捨てたのかしら
  二十四色の クレパス買って
  貴方が描いた 私の似顔絵
  「うまく描いてね」って 言ったのに
  いつもちっとも 似てないの
  窓の下には 神田川
  三畳一間の 小さな下宿
  貴方は 私の指先見つめ
  「悲しいかい」って 聞いたのよ

  若かったあの頃 何も怖くなかった
  ただ貴方のやさしさが 怖かった


かぐや姫「神田川」。
今から34年も前、1973年のヒット曲だ。

今さら、この曲を振り返ったり、
懐かしむようなメモリアルな出来事はない。
しかし、東京に住む私にとって、
この曲はどこか、身近なせつなさを覚える。

神田川、といっても、
この曲の舞台となったのは、早稲田付近だ。
作詞の喜多条忠氏は、早稲田大学の出身で、
実際に同棲していた、自身の学生時代を基に作られた。

三畳一間の小さなアパートは、
今は都区内にはないと思われる。
十数年前、テレビで、
「神田川沿いの三畳部屋のアパート」を探した番組があった。

高田馬場に一件あった。
歌詞の通り、三畳一間の小さな部屋。
流し台の窓を開けると、眼下に神田川。
外国人が住んでいた部屋だった。
もう今はないだろう。

そして、ふたりで行った横丁の風呂屋。
現在の、西早稲田交差点近くにあった銭湯がモデルだった。
この銭湯も、もう廃業されている。

1973年は、
大学の学園闘争や、国鉄のスト、光化学スモッグなど、
日本は経済成長真っ只中にあって、
犠牲を払っていた時期である。
神田川も、この当時は悪臭漂う川だった。

そんな中、未来に夢を持ったり悲観したり、
いったりきたりの現実の中にいた大学生。
そんな二人の恋人が同棲した小さなアパート。
この曲は、喜多条氏の学生時代の回想ではあるが、
見事に、この年の時代背景にマッチしている。


あなたのやさしさが こわかった・・。
優しさに包まれた恋は、
失ったときに大きいもの。
一緒に銭湯から、神田川沿いの道を歩いて帰った思い出は、
一生残るのだろう。

アパートがなくなっても、
銭湯がなくなっても、
神田川がきれいになっても。

私の中で、一番せつない名曲である。

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午前10時のシンデレラ

2007-03-15 13:31:57 | 世の中あれこれ
先週から、パートで新しい仕事を始めている。


昨夏、IT関連の会社で働いた。
上下関係、勤務時間や態度など、勉強になることが多かった。
それは、その後自分の本業でも大いに役立っている。

私の本業は、商店である。
今回のパートは、さらに役に立つ職場になりそうだ。
・・・デパートである・・・

しかし、接客ではなく、清掃業。
いわゆる、バックヤード。
目立たないが、デパートを支える大事な部署だ。
あえて、デパートで働きたくて、選んだ仕事だ。
いつも、私が利用している店である。


国内でも、トップクラスの売り場面積を誇る店だ。
端から端まで、約300メートル。
ここを、屋上から地下2階まで、満遍なく掃いていく。
朝8時に出勤。掃除道具一式持って、店内に出る。

華やかなるデパートの舞台裏。
お客様を迎える、広い入口とは対照的に、
従業員入口は狭い。
台車が通ると、壁に身を寄せる。

8時には出勤している社員がいる。
特に、婦人服売場の若い女の子は早い。
手際よく、ブランド物の服をたたんで並べている。
その、何万円というブランド服すれすれを、
ほこりを立てないように、掃除をする。

9時には、レストラン関係の店員も準備を始める。
開店前から、良い香りが漂っている。
そして9時半が、社員の正式な「勤務開始時刻」。
帽子をかぶった、「デパートガール」のお姉さんも、
この時間にせわしなく登場する。

『9時30分。朝礼の時間です』
店内放送が流れる。
各店舗、各フロアで朝礼が行なわれる。
昨日14日朝は、「今日のホワイトデーでは・・」
という声も聞こえた。
女性の、ハンカチなどの小物売り場の責任者だった。

そして、清掃員である私達は、
逆に、その時間になると控え室に戻る。
誰もが気づかない、地下3階の奥にある。

午前10時、開店時刻。
私達は、店内にいてはいけない。
それまでに、通路などの清掃を終えなければならない。
開店時刻は、私達はシンデレラになる。


開店30分後、
私達は、ふたたび掃除道具を持って、店内に出る。
今度は、人の少ない階段や通路などを見て回る。
ここで、束の間だが、お客様と触れることができる。
私が、初めてお客様から質問されたのは、
初日、店に出て10分もしないうちだ。
「ペットショップはどこですか?」

私がいつも行くペットショップを、
店員としてご案内する。
なんとも、不思議な感覚である。


午後12時。私の仕事が終わる。
社員証を見せて外に出て、再び店内に戻ってみる。
「いらっしゃいませ」
今度は、私がそう呼ばれている。
さっき、自分が磨いたばかりの通路を歩く。
300メートルが、短く感じる。
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最後の卒業式

2007-03-03 11:26:13 | 日常から
今日、母校の高校では卒業式が行なわれた。
最後の卒業式だ。


統合によって、母校は今日で廃校になる。
最後の卒業生が、今日巣立っていく。
下級生のいない三年間、
よく頑張ってきましたね。

母校の歴史は、まだ浅い。
29年目。校舎もまだきれいだ。
しかし、行政の一方的な都合で、
母校は廃校となった。

校舎の使い道も決まっていない。
取り壊すかどうかも未定だという。
三年間、それこそ私の青春を過ごした校舎は、
廃墟になるというのか。

もう一方統合される高校も、
最後の卒業生を送り出した。
こちらの学校の校舎を手直しして、
「総合高校」として新たに一期生を迎え入れる。

私に言わせれば、
「今流行り」の総合高校。

どちらの高校も、
歴史を閉じさせる必要があるのか。
総合高校として、生まれ変わらせる意味が、
どこかにあるというのか。



私は、二期生だった。
三年生がいない高校に入ったわけだ。
グラウンドはまだ整備されておらず、
部活も、石ころ拾いでスタートした。

新しい学校で、
自分達の手で、新しい歴史を作っていこうとした三年間。
高校時代に悔いはない。
今でも、一番輝いていた毎日だったと思う。

私の卒業式は、25年前だった。
四半世紀が経つ。
好きだった子と最後に握手をした。
私の一番の親友も、
やはり好きだった子に、最後に告白。
そのあと、屋上でひとり泣いていた。

その7年後、
この親友の結婚式で、私が泣くことになった。
たくさんの友達に出会った校舎・・。


真っ白だった校舎は、
その後、自分の人生で苦しい時が訪れても、
いつも心の中で輝いていた。

そして・・

きょう、最後の後輩達が校舎を離れていった。
私の人生の中で、
ひとつの、心のピリオドを打った。


もう、母校の通学路を駆けていく制服はない。
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詩人のバースデー

2007-03-02 17:41:33 | 音楽を聴く
昨日、3月1日は、
ピアノの詩人、ショパンの誕生日。

しかし、これだけの人物でありながら、
誕生日には諸説があって、
はっきりしていない。

3月1日が、もっとも正確とされているが、
2月22日という説。
そして今日3月2日説もある。

ともあれ、1810年のこの日、
ワルシャワで生まれたショパンは、
39年の生涯をピアノ曲に捧げ、
故郷の地、ワルシャワで没することになる。

ショパンに関しては、
私も何度か、ブログで取り上げているし、
詳しく語れば語るほど奥が深くなってくる。
今日は、さらっと詩人を語りたい。


生まれた日は定かでないショパンだが、
作品に付けられた番号は、実に整然としている。
「24のプレリュード」
「12の練習曲・作品10&25」・・・

破天荒なモーツァルトも好きだが、
ピアノの鍵盤のように、
美しく整ったショパンも好きだ。

朝はモーツァルト、
夜はショパンを聴きたくなる私。
昨夜は、「軍隊ポロネーズ」を聴いた。
今、引き続き練習中である。

目をつぶって聴くショパン。
まばゆいシャンデリアよりも、
うっすらと、ほのかに明るい部屋。
そこで静かに弾くピアニストの姿を想う。

その、ピアニストは、
フレデリック・ショパン、
あなた自身のようです。


詩人のバースデーによせて・・・
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