シャープ & ふらっと

半音上がって半音下がる。 それが楽しい、美しい。
思ったこと、感じたことはナチュラルに。  writer カノン

ある事実

2020-05-06 08:41:22 | 世の中あれこれ

コロナウイルスで、日本全国自粛のGWだった。
家でゆっくり、昔の雑誌など見て過ごしたが、
久しぶりに古い鉄道雑誌の記事を見つけた。
この記事は、以前このブログでも簡単に取り上げたが、
改めてはっきりした内容がわかったので、
再度紹介してみたい。


山口県と島根県の、県境に近い町。
その山あいに、ある集落があった。
全部で8世帯が、
猫の額ほどの土地で寄り添うように住んでいた。

その集落は、
いわゆる他の地域とは一線を画された所であった。

この集落から、
町へ通じる道へは、一本の小道があるだけだ。
しかし、この小道の途中に、
JR山陰本線の線路が横切っている。

踏切は無い。
小道は、線路で分断される形で続いている。
古くからある集落であり、小道も昔からあったが、
1928年(昭和3年)、山陰本線が敷設された時、
この道は断ち切られた。

「特別な地域への道」ということなのか、
踏切は設置されないまま年月が過ぎた。

集落の人々は線路を渡る時、
左右を確認して小走りに抜ける。
子供もお年寄りも。
荷車やリヤカーは大急ぎで牽く。

ここは単線だが、特急も走る区間だ。
なにより、手前が山沿いのカーブで、
ギリギリまで列車の接近がわからない。

命がけで渡ることになる。
集落の人々は、列車の通過時刻を把握していたと思われる。
しかし臨時列車が一番怖い。
予期せず、列車が山あいから顔を出すこともあった。


この、人権を無視した場所は、
世間に取り上げられることもなく、
長い間知られずにいた。

しかし、1984年に支援団体がこの場所の存在を知り、
県や町、国鉄(JR)に改善を要望したが、
しばらくは取り合ってもらえなかった。
町は、『そのような地域など存在しない』と言い張った。

やっと線路に道路橋が架けられた時は、
集落の人々は線路の恐怖からこの地を離れ、
わずか一軒しか残っていなかった。
橋も差別への解消ではなく、
単に「農村一般対策」という名目で造られた。

とてもショックを受けた内容だったが、
今、この件を検索しても、
ネットからは知りえない。


写真は、ストリートビューから得たその場所である。
横切る小道。
線路脇に小さく、『列車に注意』の白い看板がある。
そして立派な橋が架かる。
この先に進めてみると、
たしかに民家は一軒だけだ。

日本全国に、
もう、このような所が無いことを願っている。