山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

沿うて下る枯葦の濁り江となり

2010-04-06 23:57:22 | 文化・芸術
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-日々余話- 無惨!翔く二人

共演シーンのない二人の競演は、各々がOnstageを行うという形で、最低限の演りたいだけをやったから、結果、観客は正味二人分のshowに付き合わされることに‥。

午後6時からDinnerが、6時50分からshowがはじまり、9時半までかかるだろうと覚悟はしていたが、終演はなんと10時5分過ぎ、演者にとっても観者にとっても、徒労感ばかりが残る、こんなバカげた企画は、まずおめにかかることはない。

これも偏に企画主催者側にまったくコントロール機能がなかった所為である。舞台で自ら紹介していたが、加納ひろしが歌手生活33年にもなるというのにも、ヘーそうなんだとただ驚かされるばかりだったが、この男性歌手一人を抱えて芸能プロでございますと、(有)スペースクラフトなどと紛らわしい呼称-東京には同名の大手プロダクションがある-のT.Kなる女社長のごく身勝手なだけの要求に、言いなりになるしかない主催者であるなら、端からこの共演企画、立ち上げるべきでなかったというのは、この日の関係者と観客のすべてが抱いた、疲れ果てた末の慨嘆であったろう。

10人ベースのテーブルが22、Yumiが手売りで140人ほど集めたというから、主催のひろ舞企画及び加納ひろし側で集客し得たのは80人ほどにしかすぎないが、これまた端からゆみの客筋を大いに当て込んだうえの企画であったのは一目瞭然、それなのに己が批判の集中砲火を浴びた途端に、手のひら返してゆみへと責めの転嫁をしてもの申されるときては、開いた口もふさがらぬオバサマだ。

この手の世界に連座する人々は、なぜこうも破廉恥きわまるエゴの亡者ばかりなのか、媚びと諂い、そして己れの面子‥。
そのなかで、Yumiの客たちは、共演者の顔も立てつつ、この長丁場をよく耐えたものだと思う。おそらく殆どの客たちが、Yumiの生死を分けた手術後の、初のステージだということをよく承知していたのではないか、みんなYumiの身体の心配のほうが先に立ち、ハラハラしながら見守っていたというのが事実に近いのだろう。

結局は、エゴ剥き出しの輩ほど、それに応じて負の傷口をひろげ、これに耐えながら真摯な姿勢を貫いたほうが、それなりの果実をものすることになるのだが、今後のことを思えば、どうしてもこの際、企画主催のひろ舞サイドには、なにがしかの気づきを起こしめねばならない、かなり難しいことだけれど‥。

―山頭火の一句― 行乞記再び -24-
1月17日、また雨、行程2里、深江、久保屋

世間師は晩飯を極楽飯、朝飯を地獄飯といふ、私も朝飯を食べた以上、安閑としてゐることは出来ない、合羽を着て笠を傾けて雨の中へ飛び出す、加布里-カムリ-、片山といふようなを行乞して宿に着いたのは3時過ぎだつた。深江といふ浦町はさびしいけれど気に入つたところである、傾いた家並も、しんみりとしてゐる松原もよかつた、酒1合、燗をしてくれて9銭、大根漬の一片も添へてくれた。-略-

私たちは「一日不作一日不食」でなくて「食べたら働かなければならない」である、今日の雨中行乞などは、まさにそれだ-働かなければ食へないのはホントウだ、働いても食へないのはウソだ-。よく降る雨だ、世間師泣かせの雨だ、しかし雨の音はわるくない、ぢつと雨を聴いてゐると、しぜんに落ちついてくる、自他の長短が解りすぎるほど解る。

此宿はほんたうによい、部屋もよく夜具もよく賄もよい、これだけの待遇して25銭とは、ほんたうによすぎる。

途中、浜窪という遊覧地を通つた、海と山とが程よく調和して、別荘や料理屋を建てさせてゐる、規模が小さいだけ、ちんまりと纏まつている。
一坊寺といふ姓があつた、加布里といふ地名と共に珍しいものである。

また不眠症にかかつた、一時が鳴つても寝つかれない、しようことなしに、まとまらないで忘れかけてゐた句をまとめてゐる。

※表題句の外、2句を記す

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Photo/浜窪の海岸と神島神社-現糸島市二丈浜窪


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