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山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

水音とほくちかくおのれをあゆます

2005-05-19 13:08:52 | 文化・芸術
N-040828-046-1 「In Nakahara Yoshirou Koten」

<身体・表象> -6

<身分け、錯綜体としての身体>
            引用抜粋:市川浩・著「身体論集成」岩波現代文庫 P7~P12

生き身である<身>は、自然の一部でありながら、動的均衡を保ちつつ自己組織化する固有のシステムとして自然のうちに生起する。
<身>は相対的に<閉ざされ>、まとまりをもったシステムだが、自己組織化はたえまない<外>との相互作用のなかではじめて可能となるのだから、<開かれた>システムでもある。
<身>の組織化に応じて、自然は分節化され、意味と価値をもった有意味的な環境が生ずる。
その意味で<身>の生成は、<身>が自然を分節化することであり、また歴史のはじまりであるとともに、すでに分節化された文化的世界を受け入れつつ、それを再分節化することにほかならない。
しかし<身>は、一つのレベル、一つの相においてのみ生きるのではない。<身>の自己組織化には、生理的レベルから、家族的社会的関係を含む感覚-運動的レベル、さらに複雑な社会関係のなかでの再組織化の諸段階を経た意識的-行動的自己組織化にいたるさまざまのレベルがある。
また、これらの自己組織化は、記号や用具や制度など、人間が歴史的に産み出したものを媒介にした文化的自己組織化と切り離すことができない。<身>の個人的自己組織化は、文化的・集団的自己組織化の形態によって変化しうるのである。


こうして<身>はさまざまのレベルで有意味な環境をもち、環境のもろもろの意味を指向しつつ生きるが、そのとき同時に、<身>それ自身がさまざまの意味をもつものとして、前意識的なレベルで分節化されている。意味や価値は、<身>が環境に与えるものであるとともに、環境によって<身>に与えられる。つまり環境の分節化は、逆にいえば<身>の分節化であり、両者は循環している。
いうならば、自然-というより歴史のはじまりとともに、すでに分節化された世界-を受け入れつつ、それを再分節化するとき、世界の分節化の反照として、同時に<身>みずからが分節化されるのである。


われわれが生き、行動するさい、われわれは、<身>で分けた世界を意識している。しかし、反射的な反応のように、意識する必要のない、あるいは意識されない<身>による世界の分節化のレベルがあり、われわれは意識レベルはもちろん、前意識レベルでも、<身>で分けた世界の文節的風景を生きているのである。それは同時に<身>みずからが、潜在的に分節化され、世界の姿を介して<身>が分けられることにほかならない。それは一つの共起的な出来事であり、一つの事態の両面である。
このような事態を<身分け>と呼ぶ。
世界をパースペクティヴのうちにおさめることは、暗黙のうちに、<身>をパースペクティヴの原点におくことである。遠近法が、ある視点から見られた構図であるとともに、構図そのものが、虚点としての潜在的消点をもつように、<身>は世界を把握する顕在的な原点であるとともに、世界の秩序が反照的に浮かび上がらせる潜在的消点でもある、という二重性をもっている。


<身>の概念が、われわれの生の現実にとってどれほど身近であるかは「身」を含む熟語がきわめて豊富であることによくあらわれている。
中国からの漢字が渡来する以前、大和ことばとしての<み>は、「身」であり「実」でもあったろう。
「身」と「実」は同じ語源とされる説が有力であるが、このこと自体<み>のひろがりを示している。


「身が入る」といえば、生理的レベルと同時に精神的レベルの意味にもなる。
「栄養が身につく」のは生理的レベルだが、「教養が身につく」となれば、その<身>は精神的自己にも近い。
「心に沁みる」というよりも、「身に沁みる」といったほうが、却って真に切実さを感じさせさえする。
「身がまえ」は、身体のあり方やよそおい、行動の準備態勢であるとともに、心のかまえでもあり、「身だしなみ」などと同様、精神的・倫理的ニュアンスをおびてくる。
「身を立てる」とは生計を立てることであるとともに、社会的に認められる存在として「身を起こす」ことでもある。しかし「身を起こす」という表現は、単に起き上がるという即物的な動作の意味でもあり、<身>のあり方は相貌的特徴に結ばれた類比的な層構造をなしている。
「わが身」は自称だが「おん身」は他称である。「身内」は拡大した自己であり、「身のほど」といえば社会的地位・境遇ともなり、「ひとの身になる」は他者の立場になることであるが、ニュアンスとしては少なからずより親身に、「身を入れて」考えていると感じられるだろう。


こうして人間は、もろもろの<身>のレベルを多様な仕方でたえず統合しながら生きる全体存在として「身をたどる」、つまり<身>の処し方に応じてさまざまな仕方で<身>を統合する。
しかしその全体は実体的な統一ではない。<身>は、<他>とのかかわりのなかで、多極分解する可能性につねにさらされた錯綜体としての危うい統一なのだ。
統合化された錯綜体としての<身>は当然<こころ>のレベルをも統合しているから、<身>は心をも意味する。「こころ」は「み」と根本的に対立したものではなく、活動する生き身のはたらきが「凝り集まった中心」であり、つねに此処である身の原点の在り処だろう。


こうした<身>の諸相が、<常>の<身>であるとすれば、<稀>あるいは<奇>のあり方としての<身>というべきものがある。
「身変わり」は、元来祭りの前の物忌みのため、常人と異なった状態となり、神事にあずかる身となることだが、このことを広くとれば、<常>の状態でし潜在化している身の異なった形態化への可能性を孕むものとして受けとめられよう。
<身>は他者をふくめた世界とのかかわりにおいてある関係的存在だが、そのかかわりはさまざまのレベルでの拒否的な関係の可能性をふくむものであり、またその統合は、多重人称性が暗示するような多極分解的な形態化の可能性を孕んでいる。
<身>がかようにあやうい存在であるならば、いかなる人間にも<身変わり>の可能性は存在する。ハレとケのあり方はもちろん、憑依をはじめとするいわゆる狂気の状態のあり方も、<身>が本来、世界とのかかわりの転換可能性を孕んだ不安定な動的統合であるかぎり、<身>の潜在的な統合ないし形態化の可能性として存在するのである。


自己組織化にはその<図と地>あるいは<表と裏>ともいうべきものがあり、支配的・意識的な自己組織化の裏には、その逆相ともいうべき世界があり、可能態としての多極分解的なアモルフな形態化が潜在しているが、これはさまざまの<身変わり>においてあらわにされ、あるいは象徴的に表現されるだろう。
図と地あるいは順相と逆相というのは、支配的意識(常識的分節化)に中心化した捉え方であるから、中心の移動や逆転が可能であり、その全体はたえず<他>へ脱出し、非全体化する可能性を孕んでいる。かようなあやういあり方が、<身>の自己組織化の実態である。
つまりは<身変わり>において身分けされる世界の異相というものもあるわけだ。
こうした多重的な意味発生が重層化し、記号や用具やもろもろの文化的産物を通じて、それらの意味が共有され、伝承されているのが、われわれが体験する現実世界なのだ。



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あうたりわかれたりさみだるる

2005-05-18 14:47:38 | 文化・芸術
水底の歌―柿本人麿論 (下) 



<古今東西> 


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<相聞の歌に隠された悲劇>

嘗て、梅原猛氏が「柿本人麿の死は、賜れた死、すなわち刑死であった」と、
かなり衝撃的な説を述べた長大な書「水底の歌」を読んだ。
もう20年以上遡ることで、その頃の集英社発行の季刊「すばる」誌上だった筈。
枝葉末節はほとんどすでに忘却の彼方だが、
万葉集巻二の、石見の国にて人麿が臨終の折に詠んだ歌一首に、
妻依羅娘子が人麿の死を偲んで詠んだ歌二首、
さらに、丹比真人なる者が人麿の代わりに応えて詠んだ歌一首と、
何故か昔よりここに添えられているという作者不詳の歌一首、
この五首構成からなる件をどう読み解くかが、論の中心だったと記憶する。
以下、その件を万葉集巻二より引用転載するが、
そこからどんな悲劇の面影が立ち顕れてくるか、とくとご鑑賞を。

   柿本朝臣人麿の石見国に在りて臨死(みまか)らむとせし時に、
   自ら傷みて作れる歌一首
鴨山の岩根し枕(ま)けるわれをかも知らにと妹が待ちつつあるらむ


   柿本朝臣人麿の死(みまか)りし時に、
   妻の依羅娘子(よさみのおとめ)の作れる歌二首
今日今日とわが待つ君は石川の貝に交じりてありといはずやも


直(ただ)の逢ひは逢ひかつましじ石川に雲立ち渡れ見つつ偲はむ

   丹比真人の柿本朝臣人麿の意(こころ)に擬(なぞ)へて
   報(こた)へたる歌一首
荒波に寄りくる玉を枕に置きわれここにありと誰か告げなむ


   或る本の歌に曰く
天離(あまざか)る夷(ひな)の荒野に君を置きて思ひつつあれば生けりともなし
   右の一首の歌は作者いまだ詳らかならず。
   ただ、古本、この歌をもちてこの次に戴す。



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あたたかなれば木かげ人かげ

2005-05-17 14:13:57 | 文化・芸術
今すぐできる体質改善の新常識
<日々余話>


<ありがたやの足湯処情報>

15日の<七栗の湯詣で>を読んで、
友人T氏から早速の丁重なFAXが届けられた。
120km離れた榊原温泉への月通いも幼な児のアトピーゆえなのだが、
近頃、T氏在住の芦屋の海浜公園近くに、「潮芦屋げンき足湯」がオープン、無料開放されているそうな。
泉質はナトリウム塩化物高温泉、源泉42℃。
源泉かけ流しだが、体感は温めで快適とのこと。
二面対抗式の木製ベンチには30人程度が座してゆっくりできるようだ。
タイムは午前10時~午後4時まで、季節点検以外は年中無休とあるのも善哉。
ご近所だからと、わざわざ実地探訪に及んだうえでの情報である。
有り難いことこのうえなし。
幼な児がゆったりのんびりと浸っていてくれればのことだが、足湯の効果のほどは大塔村ですでに実証済みだから、近場でもあるし、これはどうでも試さずばなるまい。


もう一つのお薦めが、新潮選書の「今すぐできる体質改善の新常識」という書。
小山内博、高木亜由子の共著とある。
入浴法や食事療法、体幹筋トレなどで、アレルギーや糖尿、腰痛、肥満など生活習慣病を克服する、「小山内式健康法」の奨め。
自身の免疫能力を高め体質改善を図ることが万病への根本的な対策である、という考えは私自身もその信奉するところであるから、読んでみて実践できることはこれに倣ってみようと思う。



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影もはつきりと若葉

2005-05-16 10:11:02 | 文化・芸術
IMG_0134-1 「身は三歳の幼な児」

<風聞往来>

Hoshiさんの「英語の授業」にトラックバックしています。

<ローマ字の氏名表記が変わっている>

かつての常識が時代の推移のなかで非常識になってしまっていることに、ふとしたことで今更ながら気づかされて驚かされることが時々あるものだ。
迂闊ながらローマ字の氏名表記がいつのまにやら変わっていたらしい。
現在の英語授業では「姓-名」の順で教えているのが通常だそうだ。
5月8日付毎日新聞の「はてなの玉手箱」記事によれば、
英語の教科書を出している7社中6社が「姓-名」順で、「名-姓」順の1社も「どちらでもよい」と注釈を付けており、大半の教科書が「姓-名」を採用し始めたのは02年度からというから、今の中学生は、ほとんどが「姓-名」順で習っている、ということだ。
また、この記事によれば、そもそもは00年12月に出された国語審議会の答申による、という。
答申では、「名前というのは使われる社会の文化や歴史を背景として成立したもの」で、「日本人の姓名については、ローマ字表記においても「姓-名」の順(例えばYamada Haruo)とすることが望ましい」とされているそうな。
しかし、日本で発行される日刊英字紙は、いずれも日本人の名を「名-姓」順で記載しており、歴史的人物や江戸時代以前の人名などは、「Toyotomi Hideyoshi(豊臣秀吉)」のように「姓-名」順となり、混乱状態にあるし、政府機関でも表記はばらばらだそうな。
官邸や外務省、経済産業省などはいずれもトップの表記は「名-姓」で、条約の調印などの場合、町村信孝外相は、英語やフランス語 の文書では「Nobutaka Machimura」と署名する。
一方、最高裁は国語審議会の答申を尊重しているのか、「姓-名」を採用している、と。


ケースバイケースで使い分けするなど、こんな不徹底ぶりでは混乱を招くばかりだろう。
変更するならするで、なぜもっと周知徹底しないのか大いに疑問だ。
時間をかけてごく自然に浸透していけばよいではないかと考えているなら、そりゃ考え違いというものだろう。
このあたり、日本政府の外交姿勢とも通底しているいい加減さかもしれない。



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山のふかさはみな芽吹く

2005-05-15 02:28:24 | 文化・芸術
IMG_0156-1 「身は三歳の幼な児」

<日々余話>

<七栗の湯詣で>

清少納言の枕草子に「湯は七栗の湯、有馬の湯、玉造の湯」と謳われた、
七栗の湯こと榊原温泉へ。
大阪市内から西名阪を経て片道120km。
昨年9月から日帰り入浴で詣でること今日で7度目か8度目か。
榊原館元湯の源泉は32℃。
この源泉をそのままの温度でかけ流しにしている湯船にゆっくりと浸かるのがお目当ての客は多い。
入湯料大人1000円、子どもは3歳から500円。
近在の日帰り入浴施設は700円が相場だから、少し高めの設定だ。
これはいにしえから知られた名湯ゆえか、この源泉の愛好家が多い故か。
相場どおりの設定なら、殺到して施設が容量オーバーになるとみたのだろう。
我が家では幼な児のアトピー改善に少しでも効能があるかと期待され、こうして月行事ともなったのだが、近頃はその効能もどうやら覚束なくなってきたようだ。
はてさて、この月行事となった七栗の湯詣で、
続けるべきか否か、そろそろ思案のしどころのようだ。



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