―世間虚仮― ミャンマー、サイクロン無惨
DAYS JAPAN 5月号の表紙を飾っていたのは、昨年の9月27日、ミャンマーのヤンゴンで民主化デモ鎮圧の銃撃で凶弾に倒れたフォト・ジャーナリスト長井健司氏が映ったあの写真だった。第4回DAYS国際フォトの特別賞としての掲載である。
これを撮影したA.ラティーフ氏はそのcaptionに「何千人もの群集に発砲する治安部隊を、負傷してもなお撮影しつづける男性。2007年9月27日、ヤンゴンの市中心部にて」と記した。
そのミャンマーを、今月2日夜から3日未明にかけて襲った大型サイクロンによる被害の甚大さがようやくにして明らかになりつつある。
ミャンマー軍事政権は9日現在、死者2万3335人になったと発表したが、一説にはラブタ-人口約21万人-という上陸直後の被災地だけで8万人が死亡したとも伝えられており、犠牲者は10万人を超えることは必至とみられる。
被害状況の深刻さが明らかになるにつれ、日本政府の緊急支援策も、5日に2800万円相当の援助物資、7日に援助物資3600万円の追加、9日に至っては国際機関を通じて1000万㌦-11億3000万円-の資金援助をすると発表、なにしろ被災の全容が泥縄式にしか判らぬだけに、こちらのほうもまたその伝だ。
だが、軍事政権は今日に至ってやっと米国輸送機の着陸許可を出したように、各国からの援助物資は受け入れるものの、医療チームなど人的支援の入国は頑なに拒みつづけている。
被災者の数はおそらく数百万に達しようという異常事態の渦中、新憲法制定の国民投票は被災地の一部を除いて強行された。その背景には、憲法承認を経て2010年に総選挙を実施し民政移管するという国際公約があるからだが、軍事政権はそのなかでいかに彼らの権益を守りぬくかを至上としているため、被災民救済を先行すべしという国連無視のなりふり構わぬ強硬措置とみられる。
また、ジュネーヴにあるWMO-世界気象機構-は、来週後半にもミャンマーが豪雨や強風に襲われる可能性があると予報、豪雨は15日或いは16日から始まり3日間ほど続く恐れがあるとしている。さればこそ一刻の猶予もなく救援活動に諸外国含め全力を挙げねばならぬ筈だが、このままでは二次災害が被災民たちを襲い被害は拡大、さらなる地獄絵図が展開されること必至である。
苛酷なまでの天災と人災、被災地の無辜の民たちに降り注ぐ雨はあまりにも冷たく非情にすぎる。
<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>
「雁がねの巻」-15
かぜひきたまふ声のうつくし
手もつかず昼の御膳もすべりきぬ 芭蕉
次男曰く、前句の「声のうつくし」を男のことばから女どもの噂に奪って、場も別室にずらした付である。
今朝はあのひとの声がとりわけ美しいと男が言い残して去ったのに向かって侍女たちの別の噂を付けたか、それとも二句一意で侍女たちの噂に仕立てたか、いずれとも解釈できる。付伸ばしただけの遣句ではない。
「昼の御膳も」と云うからには、朝もそうであったということだろう。そこに女たちの心配のさまも見え、心配が募るにつれて女君の声の美しさにひときわ風情が添うさまに句は作られている。
打越句以下、対象が三句同一人物という点に気がかりの残るはこびだが、句の表はいずれも他からの観察あるいは噂であり、なよなよとした女人の姿は狂言廻しに過ぎない。床臥も風邪の所為ばかりとも云えぬのである。あとを頼んで帰ってゆく男と、残された侍女たちとの感情理のやりとりのほうが、話の本筋だろう。
そこに気がつけば、この越人・芭蕉の付合からは、女主人を気遣う表情のほかに、男女の仲についてあれこれと囁き交し、男の品定めなどもする女どもの様子まで浮かんでくる。場所も別室に移し替えられている。はこびの障りはあるまい。
「猿蓑-夏の月の巻」の
待人入し小御門の鎰-カギ- 去来
立かかり屏風を倒す女子共 凡兆
の付合と、男が帰ると来るとの違いはあるが、よく似た情景の作りである。
芭蕉の「手もつかず」の句はすでに恋から離れ、なお恋の余韻を遺していて、何ともうまい、と。
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